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本編
知らなかったから
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「わたくし、旦那様を愛していますわ。」と。
その言葉を口にした彼女は、マカロンを口に入れた。後遺症の残る可能性のある、仮死状態になる薬の入ったマカロンを、食べたのだ。
その前にした話で、彼女がこの計画に気付いたのだと思った。
だから、この菓子を食べないで逃げてしまうのかもしれないと、そう思っていた。
でも、それでも、彼女は食べたのだ。
俺の醜い感情も、思惑も、全てを分かっているかの様な顔をして、自信満々な笑顔を向けて、俺の目をしっかりと見て。
そして、爆弾を落として、美しい……けばけばしい色をした菓子を口に運んだ。
俺は、止めた。
菓子を勧めたのは自分だったけれど、それは彼女が俺のことを嫌いなんだと思ったからだ。
シャーロットが俺を信じてくれていたなんて知らなかった。
俺を嫌わないでいてくれたことなんか知らなかった。
だから、仕方なかったんだ。
速効性の薬は、すぐに効き目が出る。
食べないで、と叫ぼうとしても、それは遅かった。彼女の落とした爆弾のせいで行動が遅れた。
私の美しい彼女は、彼女に似つかわしくない、脆い菓子を咀嚼して、飲み込んでしまった。
鮮やかな笑みを浮かべながら、意識がなくなるまで俺から目を離さなかった。
俺は彼女の柔らかい肩を抱いて、すぐに抱きしめた。聴こえていないだろうと思いながらも、俺も愛しているよ、と伝える。
俺の部屋に運ぼう。今すぐに、彼女からこの薬を抜いてあげよう。
これはとても危険な薬だから。
使用量を間違えてしまえば、一生目が覚めない薬。
俺は使用量を間違わなかったはずだから、今から解毒剤を飲ませれば後遺症は残らない筈だ。
早く、行かなければ。
足を早く動かそうとすれば、後ろから醜い声が聞こえてきた。
まって、と。
俺はそんなことに構っちゃいられないから、素早く足を動かし続けた。
それでも俺を呼んでくる。
その声の持ち主は、マーガレットだった。
赤く縮れた髪を乱しながら、俺に言う。
私を愛してるんじゃないの、と。
ふざけた事を言うんじゃないよ、と窘めてやりたい。
言っていいことと悪いことがあると、こいつは知らないのだろうか。
お前だって分かってたはずだ。
お前が欲しかったのは俺じゃなくて、この屋敷と地位だろう。俺が欲しかったのはシャーロットだとお前は気付いていなかったのか、と問いたくなる。
下手な芝居なんてしなくてもいいのに。
金が必要なら手切れ金としてせびればいいじゃないか。
お前はそういう女なんだから。
それほどこれから貰えるはずだった女主人の座に固執していたのか、絶望した表情を浮かべたあいつは床に座りこんだ。
それでもこの女は私と妻の気持ちに気付かせてくれたのだから、後でいい縁談と少なくない金を渡そうか。
ああ、そうしてしまおう。
彼女からこの言葉を聞くまでは誰かに何かをしようだなんて思いもしなかったのに、今では気分が良くなって、いくらでもやってやろうという気持ちになってくる。
そのまま部屋まで歩き続け、私のベッドに彼女を横たえる。
眠っている彼女の顔は美しくて、芸術品のようだった。
柔らかい肌に手を伸ばしそうになってしまう気持ちを抑え、解毒剤を戸棚から探す。
透明な液体の入っている小瓶を出し、自分の口に含む。
俺の唇を彼女のそれに重ねて、ゆっくりと飲ませる。
真っ赤で熟れたラズベリーのような彼女の唇は、まるで蜜でも含んでいるかのように甘い。
彼女の喉がゆっくりと動き、解毒剤を飲んだ事を俺に伝える。
心なしか、頰に赤みがさした気がした。
これで、彼女は目覚める。
1日経てば、彼女はゆっくり瞼を開けるんだ。
そうしたら、私は。
彼女にありったけの愛を伝えて、彼女に似合う宝飾品もドレスも何もかもをあつらえさせて、ずっと2人の時間を過ごそう。
こんな愚かな真似をした私を見ても、愛していると言ってくれた彼女だ。
きっと、2人で幸せになれる。
殺そうとした理由を考えなくてはならない。
彼女は、知らないふりをしてくれるだろうか。
ああ、どうしようか?
兎に角、この問題が片付いたら、今まで溜まっていた時間を取り戻そう。
彼女はどうやって笑うんだろう。
どうやったら彼女を楽しませることができるんだろう。
急に世界が色付いた気がした。
今まで灰色だった世界が彼女の言葉を聞いた瞬間一瞬にして鮮やかになった。
私が今までやっていたことも、今でも地下室に眠っている禁忌も全て隠し通そう。
彼女をこの屋敷に閉じ込めて、あの地下室の警備は厳重に。
鍵は今よりも強固なものに変えてしまおう。
彼女が醜い俺と、醜い物に触れないように。
俺だけのものになるように。
彼女が美しい物だけを見ていられるように。
彼女の全てを俺のものにしてしまおう。
どんなわがままだって聞いてあげよう。
俺がたっぷり愛してあげよう。
ああ、そうだ!
丁度いい薬があるじゃないか。
彼女にとって不必要な情報は、無くしてしまえばいい。
そうしたら、俺は綺麗な俺のまま、彼女の記憶に残る。
俺は妻を殺そうとした恐ろしい夫なんかじゃなくて、今まで妻に冷たくしてきた、冷淡な夫になる。前者より、後者の方がましじゃないか?
いや、少し待とう。その薬を使っても効果は確実ではない。また薬を使ったことがバレたら、今度こそ終わりだ。
正直に謝った方が良いのかもしれない。
ああ、その方がいいじゃないか。
薬を使って彼女に影響が出たらいけない。
「君が俺に愛想を尽かして、他の男の元に行くんじゃないかと心配になったんだ」これでいいんじゃないか?
「今まで酷い事をしてきたけれど、君が俺の元から去ってしまう事を考えたら、居ても立っても居られなくなってしまった」「だから、他の男の元に行ってしまうのなら、俺だけのものにしてしまおうと……」
よくある話だ。
妻の不貞を恐れた夫が妻を殺す。ありきたりで、普通の話。
これならば?
まぁいい、まだ時間はあるんだ。後からでもゆっくり考えよう。
山積みになっている問題も、すぐに片付けてしまおう。
例え彼女が愛しているのが表面上の俺だとしても、それがなんだ。
今からでも修復できるじゃないか。
少なくとも俺をみてくれているじゃあないか。
そんなことなんてどうでもいいんだ。大丈夫だ、問題ない。
だって彼女が愛しているのは、この俺なのだから。
他に問題なんて何一つない。
俺に問題なんて何一つない。
俺は清廉潔白な、彼女が望んだ男だ。
俺に汚いところなんて何一つないんだ。
今まで思っていたことなんて綺麗に消して、俺は彼女が求めている男になるだろう。
あと1日経てば、素晴らしい世界が待っている。
全て彼女のために作り上げる、偽物の世界。
そんな世界だって、2人だったら怖くないじゃないか。
ずっとその世界に閉じ込めてしまおう。
それこそが、2人の幸せだから。
「愛しているよ、シャーロット」
俺は彼女に優しく口づけ、口角を上げた。
偽物だったら、俺たちは永遠に_____
その言葉を口にした彼女は、マカロンを口に入れた。後遺症の残る可能性のある、仮死状態になる薬の入ったマカロンを、食べたのだ。
その前にした話で、彼女がこの計画に気付いたのだと思った。
だから、この菓子を食べないで逃げてしまうのかもしれないと、そう思っていた。
でも、それでも、彼女は食べたのだ。
俺の醜い感情も、思惑も、全てを分かっているかの様な顔をして、自信満々な笑顔を向けて、俺の目をしっかりと見て。
そして、爆弾を落として、美しい……けばけばしい色をした菓子を口に運んだ。
俺は、止めた。
菓子を勧めたのは自分だったけれど、それは彼女が俺のことを嫌いなんだと思ったからだ。
シャーロットが俺を信じてくれていたなんて知らなかった。
俺を嫌わないでいてくれたことなんか知らなかった。
だから、仕方なかったんだ。
速効性の薬は、すぐに効き目が出る。
食べないで、と叫ぼうとしても、それは遅かった。彼女の落とした爆弾のせいで行動が遅れた。
私の美しい彼女は、彼女に似つかわしくない、脆い菓子を咀嚼して、飲み込んでしまった。
鮮やかな笑みを浮かべながら、意識がなくなるまで俺から目を離さなかった。
俺は彼女の柔らかい肩を抱いて、すぐに抱きしめた。聴こえていないだろうと思いながらも、俺も愛しているよ、と伝える。
俺の部屋に運ぼう。今すぐに、彼女からこの薬を抜いてあげよう。
これはとても危険な薬だから。
使用量を間違えてしまえば、一生目が覚めない薬。
俺は使用量を間違わなかったはずだから、今から解毒剤を飲ませれば後遺症は残らない筈だ。
早く、行かなければ。
足を早く動かそうとすれば、後ろから醜い声が聞こえてきた。
まって、と。
俺はそんなことに構っちゃいられないから、素早く足を動かし続けた。
それでも俺を呼んでくる。
その声の持ち主は、マーガレットだった。
赤く縮れた髪を乱しながら、俺に言う。
私を愛してるんじゃないの、と。
ふざけた事を言うんじゃないよ、と窘めてやりたい。
言っていいことと悪いことがあると、こいつは知らないのだろうか。
お前だって分かってたはずだ。
お前が欲しかったのは俺じゃなくて、この屋敷と地位だろう。俺が欲しかったのはシャーロットだとお前は気付いていなかったのか、と問いたくなる。
下手な芝居なんてしなくてもいいのに。
金が必要なら手切れ金としてせびればいいじゃないか。
お前はそういう女なんだから。
それほどこれから貰えるはずだった女主人の座に固執していたのか、絶望した表情を浮かべたあいつは床に座りこんだ。
それでもこの女は私と妻の気持ちに気付かせてくれたのだから、後でいい縁談と少なくない金を渡そうか。
ああ、そうしてしまおう。
彼女からこの言葉を聞くまでは誰かに何かをしようだなんて思いもしなかったのに、今では気分が良くなって、いくらでもやってやろうという気持ちになってくる。
そのまま部屋まで歩き続け、私のベッドに彼女を横たえる。
眠っている彼女の顔は美しくて、芸術品のようだった。
柔らかい肌に手を伸ばしそうになってしまう気持ちを抑え、解毒剤を戸棚から探す。
透明な液体の入っている小瓶を出し、自分の口に含む。
俺の唇を彼女のそれに重ねて、ゆっくりと飲ませる。
真っ赤で熟れたラズベリーのような彼女の唇は、まるで蜜でも含んでいるかのように甘い。
彼女の喉がゆっくりと動き、解毒剤を飲んだ事を俺に伝える。
心なしか、頰に赤みがさした気がした。
これで、彼女は目覚める。
1日経てば、彼女はゆっくり瞼を開けるんだ。
そうしたら、私は。
彼女にありったけの愛を伝えて、彼女に似合う宝飾品もドレスも何もかもをあつらえさせて、ずっと2人の時間を過ごそう。
こんな愚かな真似をした私を見ても、愛していると言ってくれた彼女だ。
きっと、2人で幸せになれる。
殺そうとした理由を考えなくてはならない。
彼女は、知らないふりをしてくれるだろうか。
ああ、どうしようか?
兎に角、この問題が片付いたら、今まで溜まっていた時間を取り戻そう。
彼女はどうやって笑うんだろう。
どうやったら彼女を楽しませることができるんだろう。
急に世界が色付いた気がした。
今まで灰色だった世界が彼女の言葉を聞いた瞬間一瞬にして鮮やかになった。
私が今までやっていたことも、今でも地下室に眠っている禁忌も全て隠し通そう。
彼女をこの屋敷に閉じ込めて、あの地下室の警備は厳重に。
鍵は今よりも強固なものに変えてしまおう。
彼女が醜い俺と、醜い物に触れないように。
俺だけのものになるように。
彼女が美しい物だけを見ていられるように。
彼女の全てを俺のものにしてしまおう。
どんなわがままだって聞いてあげよう。
俺がたっぷり愛してあげよう。
ああ、そうだ!
丁度いい薬があるじゃないか。
彼女にとって不必要な情報は、無くしてしまえばいい。
そうしたら、俺は綺麗な俺のまま、彼女の記憶に残る。
俺は妻を殺そうとした恐ろしい夫なんかじゃなくて、今まで妻に冷たくしてきた、冷淡な夫になる。前者より、後者の方がましじゃないか?
いや、少し待とう。その薬を使っても効果は確実ではない。また薬を使ったことがバレたら、今度こそ終わりだ。
正直に謝った方が良いのかもしれない。
ああ、その方がいいじゃないか。
薬を使って彼女に影響が出たらいけない。
「君が俺に愛想を尽かして、他の男の元に行くんじゃないかと心配になったんだ」これでいいんじゃないか?
「今まで酷い事をしてきたけれど、君が俺の元から去ってしまう事を考えたら、居ても立っても居られなくなってしまった」「だから、他の男の元に行ってしまうのなら、俺だけのものにしてしまおうと……」
よくある話だ。
妻の不貞を恐れた夫が妻を殺す。ありきたりで、普通の話。
これならば?
まぁいい、まだ時間はあるんだ。後からでもゆっくり考えよう。
山積みになっている問題も、すぐに片付けてしまおう。
例え彼女が愛しているのが表面上の俺だとしても、それがなんだ。
今からでも修復できるじゃないか。
少なくとも俺をみてくれているじゃあないか。
そんなことなんてどうでもいいんだ。大丈夫だ、問題ない。
だって彼女が愛しているのは、この俺なのだから。
他に問題なんて何一つない。
俺に問題なんて何一つない。
俺は清廉潔白な、彼女が望んだ男だ。
俺に汚いところなんて何一つないんだ。
今まで思っていたことなんて綺麗に消して、俺は彼女が求めている男になるだろう。
あと1日経てば、素晴らしい世界が待っている。
全て彼女のために作り上げる、偽物の世界。
そんな世界だって、2人だったら怖くないじゃないか。
ずっとその世界に閉じ込めてしまおう。
それこそが、2人の幸せだから。
「愛しているよ、シャーロット」
俺は彼女に優しく口づけ、口角を上げた。
偽物だったら、俺たちは永遠に_____
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