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つかれた少女②
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小松姫代はひとり、二階の渡り廊下から別館に歩いている。ここは屋根があるだけで吹きさらしになっていた。屋敷の南にあるフォーマルガーデンと、北にひろがるナチュラルガーデンの両方を眺めることができる。彼女は左右をしばらく見比べると、やがて北側を向いてうんうんと頷いた。
別館は浴室のようにむわっと温かい。最新の暖房器具を備え、寒さと乾燥が一切排除されている。ここは姫代にはすこし暑かった。
廊下をまっすぐ進み、突き当りのドアをノックする。どうぞ、としわがれた返事。彼女は一度咳を払って部屋に入った。
部屋はまぶしい陽光で満たされていた。窓のかたわらにあるベッドの上に、老人がひとり寝ている。姫代の姿をみとめると嬉しそうに上体を起こした。
「失礼します。わたし、金室学園でお世話になりました、小松姫代です。覚えていらっしゃいますか」
姫代は一言一句ていねいに、きっぱりとしゃべった。彼女のできる精一杯の礼儀作法を彼に見せようとしたのだ。
「もちろんだとも。あの頃からずいぶん立派になって」
鬼木雄二郎はまぶたの垂れた目をさらに細めて言った。姫代と比べるとひどくゆっくりで舌足らずなしゃべり方だった。
「ご無沙汰してごめんなさい。それに、急にこんな押しかけてしまって」
「いいんだ。小松さんご夫妻は元気かな」
「はい。知ってましたか。わたし最近、お姉さんになったんです」
「それはめでたい。よろしく伝えてくれたまえ」
だんだんと会話がはずみ、姫代の口調もくずれ始めた。また咳払いをして気を取り直す。
「それでですね。そろそろひとりだちする時期になりまして」
「そうか。姫代ちゃん、もう十八になるのか。進路は決めているのかい」
「はい、奨学金を借りて東京の大学に行こうと思っています。今回はみなさんのお礼参りでやってきました」
雄二郎の表情が曇る。目線をそらしてぼんやりと窓の外を眺めた。
「あまり力をかせないこと、すまなく思うよ。この屋敷もゆずることに決めてしまった。本当は姫代ちゃんにあげちゃいたいくらいさ」
「めっそうもないです。こんなすばらしいところ、わたしの手に余りますよ。それこそ、持つべき人にゆずったほうがいいと思います」
ドサドサッ
屋根からかたまった雪が落ちた。幾重も連続して落ちたため、部屋はストロボのように点滅した。
雄二郎はちらりと顔色をうかがう。姫代ははりつけたような笑顔でピクリとも動かない。エアコンのうなるような音だけが室内に響いていた。
雄二郎が乾いた笑いをこぼす。
「確かに。姫代ちゃんの言う通りだね」
「ああ、それと」
姫代が食い気味に言った。
「さっき、わたしと同じくらいの男の子に会ったんです。弁護士の秘書さんだって言ってましたよ」
雄二郎の顔はどんどん青ざめていく。目はカッと見開かれ、歯をがちがち鳴らす。
「元気って感じじゃなくて、でも情熱を持っていそうな面白い人でした。そろそろあいさつに来ると思いますよ」
彼に背を向け、ドアノブに手をかける。姫代の微笑みは慈しみをこめたものに変わっていた。
「これから数日お世話になります。では、わたしはこれで」
姫代は部屋を去った。雄二郎は会う前よりもちからなく返事した。
別館は浴室のようにむわっと温かい。最新の暖房器具を備え、寒さと乾燥が一切排除されている。ここは姫代にはすこし暑かった。
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「いいんだ。小松さんご夫妻は元気かな」
「はい。知ってましたか。わたし最近、お姉さんになったんです」
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だんだんと会話がはずみ、姫代の口調もくずれ始めた。また咳払いをして気を取り直す。
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「あまり力をかせないこと、すまなく思うよ。この屋敷もゆずることに決めてしまった。本当は姫代ちゃんにあげちゃいたいくらいさ」
「めっそうもないです。こんなすばらしいところ、わたしの手に余りますよ。それこそ、持つべき人にゆずったほうがいいと思います」
ドサドサッ
屋根からかたまった雪が落ちた。幾重も連続して落ちたため、部屋はストロボのように点滅した。
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「確かに。姫代ちゃんの言う通りだね」
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彼に背を向け、ドアノブに手をかける。姫代の微笑みは慈しみをこめたものに変わっていた。
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