軍人の寵愛、執着の檻~異質な軍人は孤高の看護婦を甘く堕とす~

扇 レンナ

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第1章

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 自身の前に現れた男を見たとき、つくよは一種の恐怖を感じた。

 さらりとした触れ心地のよさそうな髪。黒曜石のような目は柔和な印象を与えるたれ目。

 背丈は高く、体格は軍人にしては細身だろうか。

 つくよがじっと男を見つめていると、彼は笑った。まなじりを下げた、記憶の中にある《彼》と同じ笑い方だ。

「はじめまして。えぇっと……高千穂たかちほさん?」

 男がつくよの胸元についた名札にちらりと視線を向ける。さすがに声は違う。彼の声はもっと低かった。

「しばらくの間、よろしくお願いしますね」

 きっと、男は女性にモテるだろう。柔和に細められた目と物腰柔らかな口調。顔立ちだって男前だ。

「はい。相楽さがらさん」

 動揺を抑え込むように深く礼をする。心臓がバクバクと大きく音を鳴らしているのは、気のせいじゃない。

 気のせいであったならば、どれほどよかっただろうか。

(この男は赤の他人。……楓次郎ふうじろうさんじゃない)

 つくよにはかつて婚約者がいた。とはいっても、親が決めた幼いころからの許嫁である。

 今思えば彼に対し恋愛感情などなかった。つくよよりも三つ年上だった彼は、いつもつくよの面倒を見てくれた。

 胸の中に沸き立つ『好き』は、兄貴分に対する好きだったのだと今ならばわかる。

『つくよさん。いつか一緒になったときのために、僕はがんばるよ』

 穏やかで優しい人だった。だから軍人など向いていなかったのだ。

 それでも、つくよが嫁いできたときのためにと、傾いた家を再興すると決意を固めていた。

 つくよは止めることができなかった。だって、彼の行動理由は自分だから。ここで自分が拒めば、彼が傷つくのは目に見えていた。

 ただ、軍人に優しさなど必要なかったのだろう。

(彼は死んだ。任務の最中に)

 あっけない幕引きだった。二十二歳という若さでこの世を去った。彼の人生、一体なんだったのだろうか。

 何年も経った今でも、つくよはたまに思うのだ。

 ――自分と出逢わなかったら、彼はまだ生きていたのではないかと。

 つくよの頭の中には彼――藤崎ふじさき 楓次郎がいる。まるで根を張った大樹のように自分の頭の大部分を占めている。

 楓次郎ではない男の元に嫁ぐことなど考えられず、新しい縁談を拒み続けた。結果、両親とは絶縁状態。ほかに頼れる親族もおらず、完全にひとりぼっち。

 幸い看護婦という手に職を持っているので、食い扶持に困ることはない。それだけが救い。

 ただ、自分が陸軍の管理する病院で働いているのは――なんの因果なのだろうか。

 軍人という職に就いたがゆえに、楓次郎は死んだというのに。

(そして、今。私の目の前にいる男は――)

 ようやく現実に戻ってくる。目の前の男は笑った。人の好きそうな笑みの裏に――どす黒い感情を隠して。

「では、病室にご案内させていただきます。どうぞ」

 つくよは気が付かないふりをして、男がこの病院で生活する部屋へと連れていく。

「――えぇ、お願いしますね」

 男が笑った。声には抑揚がなかった。
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