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若きユージーンの悩み(Side:ユージーン)とセバスチャンとミシェルの内緒話

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(Side:ユージーン)

 アナスタシアの領地行きを許可した翌々日。

 フェアファンビル公爵令嬢の顔をした豹に追いかけられるという中々にとんでもない悪夢を見て飛び起きた私は、アナスタシアが既に領地へ向かって出発したと聞かされた。

 手紙と、何故か置き土産として缶入りのクッキーをセバスチャンから渡される。

「こんな朝早くに、もう出発したというのか? 私に何の挨拶も無く!?」
「奥様が、わざわざ旦那様を起こすのは申し訳ないと仰られまして。いつも旦那様も挨拶せずに出掛けて行くから、特に問題無いだろうとの事でした」

 ……ぐうの音もでない。

「このクッキーは何だ?」
「昨日、奥様が張り切って沢山焼かれていましたよ。領地へ向かう馬車の中で、皆と召し上がるそうです」

 貴族の夫人が旅に出ると決めた翌々日には出発するなんて前代未聞なのに、その前日には自らクッキーを焼いていただと??
 あいつの行動は本当に奇天烈だな。

 セバスが部屋を出ていった後、クッキーを1枚食べてみる。

「……うまい」

 王都の甘ったるい菓子はあまり好きではないが、このクッキーは素朴な甘さで食べやすかった。サクサクとした歯応えが後を引く。

 そういえばお祖母様がまだお元気だった頃、よくこんな風に手作りのお菓子を焼いてくれたな、と思い出す。

 あの頃はまだお母様も生きていて、お祖父様が当代のハミルトン伯爵として辣腕を奮っていた。周りの貴族家からも一目を置かれ、使用人達も皆笑顔で仕事に励んでいた。思えば、ユージーン自身もあの頃が1番幸せだった気がする。

 しかし元々体の弱かったお祖母様は、歳と共に体調を崩す事が多くなった。

 何よりもお祖母様を大切にしていたお祖父様は、婿養子である私の父に爵位を譲り、お祖母様と2人で隣国へ静養に向かったのだ。

 隣国の方がフェアランブル王国より医療が発展しているし、長年他国との貿易を行っていたお祖父様には、隣国にも信頼のおける仲間が沢山いたのだろう。

 サクサク……と、何枚か続けて食べた後、残りの枚数を気にしながら名残惜し気に缶の蓋を閉めた。


 夕食時は、最近はいつもいるアナスタシアがいない事に違和感を覚えた。
 1人の食事など当たり前だったはずなのに、何だか胸にぽっかりと穴が開いた様な変な気持ちがするのは何故だ。

 もしかして私は……寂しいのか?

 ブルブルッと首を左右に振ると慌てて食事に取り掛かる。

「うん、美味い! やはりあの女が居ようが居まいが食事の美味しさは変わらんな! はっはっは!」

 訳の分からない強がりを言ってしまった私を、セバスとミシェルが残念な物を見る目で見ていた。


 それから10日後。

 アナスタシアが無事に領地に到着したとの報告書がマーカスから届いた。

 アナスタシアは直ぐに領地の邸の使用人達にも馴染み、ダリアとマリーと楽しそうに過ごしている、と報告書には書いてあった。
 あの自然豊かな伯爵領で、楽しげにはしゃぐアナスタシアの姿を想像すると自然と頬がゆるむ。

 ハッと気が付くとセバスが珍しくニヤニヤとしながら私を見ていた。

「ふ、ふん。自分から手紙の一通でも寄越せばまだ可愛げもあるものを、マーカスからの報告書しか無いじゃないか」

 咄嗟に私が文句を言うと、

「では、坊ちゃまがお手紙を書かれては如何ですか?」

 と、返された。正論だ。

 ……手紙、か……。




 その日の夜、ユージーンがぐっすり眠りに付いた頃。

 執事の執務室ではセバスチャンとミシェルが定例の報告会を行っていた。

「侍従の報告によると、坊ちゃまは白紙の便箋の前で一刻以上もウンウン唸っていたそうですよ」

 2人は顔を見合わせると『はぁー』と深い溜め息をついた。

「坊ちゃまは女性方面にはとことん疎いですものねぇ。あんなにおモテになられるのに」
「子供の頃からサミュエル様に『女性には誠実であれ』と言われ続けておりましたからな」
「先代はそれはそれは女性にだらしない方でしたからね。あんなに素敵な奥様がいらしたのに……」

 ユージーンの祖父である先々代伯爵の名は、サミュエル・ハミルトン。
 彼は稀代の名領主としても名高い人格者であった。

 そしてその一人娘が、ソフィア・ハミルトン。
 ユージーンの亡き母である。

 ソフィアもまた、無欠の令嬢と呼ばれる程評判の良い令嬢だった。しかし、無欠の令嬢には唯一にして最大の欠点があったのだ。

 ーー男の趣味が悪かった。

「ソフィアお嬢様には、その、昔からお顔の造作の良い男性に弱い所がおありでしてな……。しかも、頼りない男性の方が母性本能をくすぐられて好ましいとか」

 そこにピタリと当てはまってしまったのがユージーンの父だ。

 ユージーンの父であり、先代のハミルトン伯爵であるジョシュア・カーター(旧姓)は、決して根っからの悪人では無かったが、まぁだらしのない人間だった。そして領地経営の才も無かった。
 ハミルトン伯爵家の、『領地経営家令に丸投げの歴史』は、ここから始まったのである。

 それでもまだ、ソフィアが存命の間は何とかなっていた。
 しかし、不幸にも彼女が流行り病で命を落とすと、もはやどうにもならなかった。

 いくら経営を家令に丸投げすると言っても、方針は当主が決めなければいけない。貿易も領地の産業も何も分からないジョシュアは、『儲かるのなら、ずっと鉱山だけ掘ればいいじゃないか!』と、まさかの全振りをしたのだ。

 他に回していた予算や人手をほぼ全て鉱山へ突っ込んだ結果、パッと見の伯爵領の収入は激増した。
 それに気を良くしたジョシュアは女遊びをますます悪化させ、ついにはとんでもない醜聞を引き起こし失脚したのだ。

 その結果、ユージーンは20歳になったばかりという若さで伯爵家の当主にならざるを得なかった。
 
 国有数の資産を持つ伯爵家の当主が20歳の若造。しかも独身、婚約者ナシ。
 貴族社会の有象無象が群がって来るのは火を見るよりも明らかだった。

 サミュエルが状況を知って隣国から駆け付けなければ、ハミルトン伯爵家は間違いなく他家に食い荒らされていただろう。


「坊っちゃまは、先代に面差しが良く似ておられますからね……。サミュエル様もご心配だったのでしょう」
「ここまで女性との付き合い方が下手になるとは想定外でしたがな」

 セバスチャンとミシェルの2人は顔を見合わせると苦笑する。

「アナスタシア奥様が聡明な方で良かったですわね。公爵家が平民育ちの令嬢を探して来たと聞いた時には、はらわたが煮えくり返る思いでしたけど」
「私は、サミュエル様が二つ返事でお受けしたのだから、何かお考えがあるのだろうと思っておりましたよ」
「あらまぁ、流石ですわね。ふふっ」


 自分達の支える大切な坊ちゃまが、どうか幸せになれます様に…。
 そう心から願う2人の心の声は、奇しくも全く同じ物だった。


『『嫁いで来たの、クリスティーナあっちじゃなくて良かったー!!』』
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