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はじまりの章

”待て”ができる大型犬。もとい辺境伯(その他、呼び名はいろいろ)①

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 ファルファラにとってアルジェリンは、心を許す少ない人間だ。

 兄であるセンティッドより柔らかい色の金の髪は雛鳥みたいで、兄と同じ碧眼は気品がある宝石というより口の中でコロコロ転がるキャンディよう。

 つまりセンティッドと同じ金髪碧眼なのに、まとうオーラはまったく別のもの。一言で表すなら、アルジェリンは歩くマイナスイオンなのだ。

 そんな癒しの権化が、こんなくだらない小細工のために時間を費やしたと思うと泣けてくる。

 あと稀にアルジェリンと顔を合わせても、まともな会話ができないポンコツな自分にも泣けてくる。

「アルが可哀想......鬼畜な兄にこきつかわれて」
「おい」

 ポケットからハンカチを取り出して瞳に滲んだ涙を拭き取れば、対面からぞっとするほど低い声が飛んできた。

「言っておくが、俺は提案しただけでやるかやらないかはアルジェリンが決めたことだ」
「嘘よ」
「何を根拠にそう言い切れる?」
「だってアルはロクに挨拶もできない私に”ファル姉様はそれで良いんですよ”って言ってくれたもん。そんな姉想いの弟が私の結婚に賛成するわけない!」
「いや、待て。アルジェリンはファルの従弟だろ?君には領地にちゃんとした弟がいるじゃないか」
「......殿下だって私のこと妹って言うくせに」
「俺は良いんだ。特別だ」
「......」

 とんだセンティッドの暴言に、ファルファラは言葉を失った。

 それからしばらくサロンは沈黙に包まれる。

「ーーで、話は戻しますが陛下は本気なんですか?」

 黙ったまま書簡を二度読み......いや、三度読みしたファルファラは改めて聞いた。たちの悪いドッキリなら今日は甘んじて驚いてやろうと決めている。けれど、

「本気も本気。っていうか君のお父上……クローヴァ卿から何も聞いてないのかい?何度もヒードレイ家から結婚の打診があったのに」
「……私はもう自立してますので、実家とマメに連絡なんてとりません」 

 痛いところを突かれたファルファラは、俯き指をこねこねする。

 実はファルファラは、大失恋をしてからずっと父親と喧嘩中。家を出たのもそのせいで。おそらく修復は一生無理だろう。

 そのことをセンディッドは誰よりも詳しく知っている。なのにわざわざ実家のことを口にするなんてとことん意地が悪い。

「ま、でもクローヴァ卿は駄目だと突っぱねた。娘想いの良いお父上だね……ってファル、氷の刃を俺に向けないでくれ。それ、ポイしなさい。んで、何だったけ?……ああそうそう、結局すったもんだの末、ヒードレイ家はいつかの夜会で親子揃って陛下に君との結婚の許可を求めたんだ」
「ちょっとお待ちを!いつかって、いつ!?」
「んぁー……先月かな?」
「私、その間、陛下に何度か会いましたけど?何も聞かされてないんですけど!?」
「ファル。陛下だって忙しい身だ。うっかりの一つや二つ見逃してあげようじゃないか」

 いや、違う。うっかりなんかじゃない。確信犯だ。

 大方、面と向かって結婚の話を持ち出せば、王の番犬になる条件を盾に自分が拒むことを予測していたのだろう。

 本当にこの親子、統治者としては素晴らしいが人間的には最悪だ。

「それでね、結婚の許可を求めるヒードレイ親子を見て陛下はしめしめと思ったんだ。きな臭い噂ばかり聞くヒードレイ家を浄化するのに都合が良いって」
「本音丸出しですね。聞く側に対してもっと考慮をしてください!考慮を!!」
「いやいや、君と俺の仲じゃないか。今さら言葉を選ぶ間柄じゃないだろ?それに言い方を変えたとて、現実はなにも変わらない。ならはっきり伝えるほうが優しさってもんじゃないかい?」

 にこっと人懐っこい笑みを浮かべるセンティッドの瞳の奥は意地悪く輝いている。しかし、そこに人を騙そうという意図は見当たらない。

 ファルファラは望まぬ結婚から逃げられないことを否が応でも悟ることになった。

「ファル、この世の終わりのような顔をしてるけど、結婚するのそんなに嫌かい?どうせ一時の事じゃないか。仕事と割り切ってさっさと済ませて戻っておいで」

 あまりに愚かな話に、ファルファラは返す言葉が見つからない。

 嫌なんてもんじゃない。死ぬほど嫌だ。

 それは相手がヴィレドだからっていうわけじゃない。誰かに縛られるのが、誰かの所有物になるのが、誰かの人生に大きく関与することが嫌なのだ。

「いっそ、魔法でヒードレイ家の全員を精霊に変えられないかしら?」
「ううーん、それは俺とアルジェリンと、君の力をもってしても無理だね」

 センティッドは顎に手を置き考える素振りをみせてはいるが即答した。

 無論、ファルファラは<慧眼の魔術師>だ。恐らくこの国で最も魔法に詳しい。だから人を人ならざるものに変えるなんて無理なことはわかっている。

 でもそんな奇跡を願うほど、ファルファラは追い詰められた。

 そんなファルファラに、センティッドは前のめりになって顔を近付ける。

「ねえ、ファル。この結婚、白紙にしたい?」
「……それができるなら」
「なら、取引しよっか」
「ええ、もちろん……って、は?取引?……はぁ??」

 嫌な予感再び。

 ファルファラは探るような視線をセンティッドに向ける。しかし、もう自分が彼の話術に嵌っていることに薄々感づいている。

 だが藁にもすがりたい心境が邪魔して、気付けばファルファラの口は「どんな取引?」という言葉を紡いでしまっていた。
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