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第一章 上司と部下となった貴方と私
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クラーラを含めた研究所側の全員が唖然としたのを見て、ヴァルラムは苦笑した。
「っと、失礼。説明が大雑把でした」
コホンと小さく咳払いしたヴァルラムは、ここで表情を生真面目なものに変えて言葉を続ける。
「実は、とある伝手で珍しい植物を入手したのですが、我が家の領地では栽培するのが難しく、ここでならと」
「それは何?何??詳しく!!」
珍しい植物というワードにがっつり食いついたナタリーは、ぐいっと前のめりになった。ふくよかな身体に相応しい豊満な胸がぽよんとテーブルに乗る。
「パチュリというものです」
ナタリーの胸に見向きもしないで、ヴァルラムは白衣のポケットから布に包まれたギザギザした大きな葉っぱを取り出した。
それがテーブルに置かれた瞬間、談話室は異様な空気に包まれた。この場に居た全員が、海を渡った遥か遠くの貴重な植物を前にごくりと息を呑む。
薬草学を専攻していたクラーラは、この葉の効用を知っている。
風に頭痛。吐き気に腹痛に加え、毒蛇に噛まれた際の解毒剤にもなる万能薬。また別名”香りの救世主”とも言われて他の香りにちょっと足すだけで深みが増し、香りの持続作用も格段に上がる奇跡のような植物だ。
ただし国内で栽培したくても気候が異なるため、まず人工栽培は不可能だといわれている幻のような存在。
それが植物に人生を捧げた者達の目の前にある。
「ちょ、ちょっと触って良いか?」
「私も、触らせてっ」
香りの魔術師の異名を持っているナタリーとしては、それが喉から手が出るほど欲しいと常日頃からぼやいていた。香木担当のローガも同じく。
「もちろん、どうぞお手に取ってください」
ヴァルラムのお許しが出た途端、ナタリーとローガはテーブルに置かれたパチュリの葉を掴むと、すぅーはぁーと全身にその香りを取り込み始めてしまった。
大の大人二人が一枚の葉っぱに鼻を近づける様はドン引きするような光景だが、ヴァルラムはニコニコと笑顔のまま、更に驚くことを口にする。
「これはあくまで机上の空論ですが、種からの栽培は難しいですが苗を温室で育てるなら人工栽培ができると思います。事後報告で申し訳ないですが、すでに所長に許可を得て温室に幾つか植えさせてもらいました」
瞬間、ナタリーは聞いたこともない悲鳴を上げた。
「ああああ、あの、パチュリが……ここで栽培!?嘘……信じられないっ。どどどど、どうしようっ。今日から私、眠れないわっ」
顔を覆って身をよじるナタリーは、長年想いを寄せていた彼に振り向いてもらえた乙女にしか見えない。
といっても相手は物言わぬ植物である。
どこもかしこも柔らかそうなふっくらボディーのナタリーがどれだけ想いをよせても、パチュリは抱きしめてもくれないし、愛の言葉を囁くことも無い。
だが、そんなことは些末なことのようで、うっとりと目を細めるナタリーの心はもう既に温室に向かっているし、その隣に腰かけている香木担当のローガも初めてのデートで緊張している青年にしか見えない。
そんな二人の反応は、ヴァルラムにとって予想通りだったのだろう。
ソワソワソワソワと落ち着かない様子でいる二人を見て、彼は嬉しそうにするわけでもなく驚くわけでもなく、それが当然といった感じで、次にリーチェに視線を向けた。
「あと、サンゴ染めに必要なサンゴの化石が手に入って、それもこの研究所で商品化できたら」
「サンゴの化石ですって!?」
今度はリーチェが悲鳴を上げた。
物凄い声量で窓ガラスがカタカタと揺れる。
物珍しげに外から様子を伺っていた山羊のメコと鹿のナラは弾かれたようにどこかに消えてしまい、ナンテンはクラーラの膝から飛び降り椅子の下に避難してしまった。
そんなドタバタにクラーラは目を丸くしてしまったけれど、ヴァルラムは眉一つ動かさず白衣のポケットからそれを取り出し、コトンとテーブルの上に置く。
「そうです。草木染めとは違いどちらかというとデザイン重視のものになりますが、良かったら使ってください」
クラーラから見ればただの灰色の塊にしか見えないが、リーチェにとっては金塊より貴重なもののようだ。
普段は、ツンとした表情を見せる彼女の頬は薔薇色に染まっている。
「……い、良いの?」
「もちろんです」
「……お、お代は?」
「不要です。差し上げます」
「本当に?やっぱナシは、無いわよ」
「もちろんです。是非使ってください」
場違いなほど真剣にヴァルラムがうなずけば、リーチェは潤んだ瞳で珊瑚の化石に触れた。
「ん……はぁ……あんっ」
両手でサンゴの化石を手に取ったリーチェは、聞く方がドキマギしてしまうような淫乱な声をあげる。
しかし、はしたないなどと咎める者はここにはいない。
いつの間にか温室を見る為に出窓に移動したナタリーとローガは、すぐさまリーチェに「良かったね」と目だけでエールを送っている。
もちろん、クラーラも同じく心の中で拍手をしている。
なぜならリーチェは事あるごとに、サンゴ染めがしたいと言っていたから。
しかしサンゴの化石は海を渡った遥か遠くの南国でしか手に入らない稀少中の稀少。こんな貧乏研究所では、年間予算を全部つぎ込んでも遠く及ばない。
それが”お近づきの印”的なノリで入手できたのだ。一日に2度も奇跡の瞬間を目にしたと言っても大袈裟ではない。
とはいえ完璧に物に釣られた3人の研究員を見て、後輩のクラーラは切なくなった。これでは人嫌いで気難しいとされているマノア植物研究所の研究員が形無しだ。
そんな中、今のところ唯一ヴァルラムに買収されていないサリダンが、椅子にふんぞり返った状態でおもむろに口を開いた。
「ところで、俺はあんたに聞きたいことがあるんだが?」
「はい。なんでも聞いてください」
「俺は人の善し悪しは、この質問でわかると思っている。黙秘は許さねえぞ、そして真剣に考えて答えろ」
まとめ役であるサリダンのドスを利かせた口調は、真っ向から対立する気満々の様子だ。長い前置きにも期待値が上がる。
この流れでいけば、現在地に落ちた研究員達の威厳が保たれるはず。
そう思ってクラーラはつい前のめりになったけれど、ある意味大きく裏切られる結果となった。
「なあ、あんたは巨乳派か?それとも貧乳派か?」
お下品かつ馬鹿馬鹿しいサリダンの質問に、クラーラは椅子からずり落ちそうになってしまった。
「っと、失礼。説明が大雑把でした」
コホンと小さく咳払いしたヴァルラムは、ここで表情を生真面目なものに変えて言葉を続ける。
「実は、とある伝手で珍しい植物を入手したのですが、我が家の領地では栽培するのが難しく、ここでならと」
「それは何?何??詳しく!!」
珍しい植物というワードにがっつり食いついたナタリーは、ぐいっと前のめりになった。ふくよかな身体に相応しい豊満な胸がぽよんとテーブルに乗る。
「パチュリというものです」
ナタリーの胸に見向きもしないで、ヴァルラムは白衣のポケットから布に包まれたギザギザした大きな葉っぱを取り出した。
それがテーブルに置かれた瞬間、談話室は異様な空気に包まれた。この場に居た全員が、海を渡った遥か遠くの貴重な植物を前にごくりと息を呑む。
薬草学を専攻していたクラーラは、この葉の効用を知っている。
風に頭痛。吐き気に腹痛に加え、毒蛇に噛まれた際の解毒剤にもなる万能薬。また別名”香りの救世主”とも言われて他の香りにちょっと足すだけで深みが増し、香りの持続作用も格段に上がる奇跡のような植物だ。
ただし国内で栽培したくても気候が異なるため、まず人工栽培は不可能だといわれている幻のような存在。
それが植物に人生を捧げた者達の目の前にある。
「ちょ、ちょっと触って良いか?」
「私も、触らせてっ」
香りの魔術師の異名を持っているナタリーとしては、それが喉から手が出るほど欲しいと常日頃からぼやいていた。香木担当のローガも同じく。
「もちろん、どうぞお手に取ってください」
ヴァルラムのお許しが出た途端、ナタリーとローガはテーブルに置かれたパチュリの葉を掴むと、すぅーはぁーと全身にその香りを取り込み始めてしまった。
大の大人二人が一枚の葉っぱに鼻を近づける様はドン引きするような光景だが、ヴァルラムはニコニコと笑顔のまま、更に驚くことを口にする。
「これはあくまで机上の空論ですが、種からの栽培は難しいですが苗を温室で育てるなら人工栽培ができると思います。事後報告で申し訳ないですが、すでに所長に許可を得て温室に幾つか植えさせてもらいました」
瞬間、ナタリーは聞いたこともない悲鳴を上げた。
「ああああ、あの、パチュリが……ここで栽培!?嘘……信じられないっ。どどどど、どうしようっ。今日から私、眠れないわっ」
顔を覆って身をよじるナタリーは、長年想いを寄せていた彼に振り向いてもらえた乙女にしか見えない。
といっても相手は物言わぬ植物である。
どこもかしこも柔らかそうなふっくらボディーのナタリーがどれだけ想いをよせても、パチュリは抱きしめてもくれないし、愛の言葉を囁くことも無い。
だが、そんなことは些末なことのようで、うっとりと目を細めるナタリーの心はもう既に温室に向かっているし、その隣に腰かけている香木担当のローガも初めてのデートで緊張している青年にしか見えない。
そんな二人の反応は、ヴァルラムにとって予想通りだったのだろう。
ソワソワソワソワと落ち着かない様子でいる二人を見て、彼は嬉しそうにするわけでもなく驚くわけでもなく、それが当然といった感じで、次にリーチェに視線を向けた。
「あと、サンゴ染めに必要なサンゴの化石が手に入って、それもこの研究所で商品化できたら」
「サンゴの化石ですって!?」
今度はリーチェが悲鳴を上げた。
物凄い声量で窓ガラスがカタカタと揺れる。
物珍しげに外から様子を伺っていた山羊のメコと鹿のナラは弾かれたようにどこかに消えてしまい、ナンテンはクラーラの膝から飛び降り椅子の下に避難してしまった。
そんなドタバタにクラーラは目を丸くしてしまったけれど、ヴァルラムは眉一つ動かさず白衣のポケットからそれを取り出し、コトンとテーブルの上に置く。
「そうです。草木染めとは違いどちらかというとデザイン重視のものになりますが、良かったら使ってください」
クラーラから見ればただの灰色の塊にしか見えないが、リーチェにとっては金塊より貴重なもののようだ。
普段は、ツンとした表情を見せる彼女の頬は薔薇色に染まっている。
「……い、良いの?」
「もちろんです」
「……お、お代は?」
「不要です。差し上げます」
「本当に?やっぱナシは、無いわよ」
「もちろんです。是非使ってください」
場違いなほど真剣にヴァルラムがうなずけば、リーチェは潤んだ瞳で珊瑚の化石に触れた。
「ん……はぁ……あんっ」
両手でサンゴの化石を手に取ったリーチェは、聞く方がドキマギしてしまうような淫乱な声をあげる。
しかし、はしたないなどと咎める者はここにはいない。
いつの間にか温室を見る為に出窓に移動したナタリーとローガは、すぐさまリーチェに「良かったね」と目だけでエールを送っている。
もちろん、クラーラも同じく心の中で拍手をしている。
なぜならリーチェは事あるごとに、サンゴ染めがしたいと言っていたから。
しかしサンゴの化石は海を渡った遥か遠くの南国でしか手に入らない稀少中の稀少。こんな貧乏研究所では、年間予算を全部つぎ込んでも遠く及ばない。
それが”お近づきの印”的なノリで入手できたのだ。一日に2度も奇跡の瞬間を目にしたと言っても大袈裟ではない。
とはいえ完璧に物に釣られた3人の研究員を見て、後輩のクラーラは切なくなった。これでは人嫌いで気難しいとされているマノア植物研究所の研究員が形無しだ。
そんな中、今のところ唯一ヴァルラムに買収されていないサリダンが、椅子にふんぞり返った状態でおもむろに口を開いた。
「ところで、俺はあんたに聞きたいことがあるんだが?」
「はい。なんでも聞いてください」
「俺は人の善し悪しは、この質問でわかると思っている。黙秘は許さねえぞ、そして真剣に考えて答えろ」
まとめ役であるサリダンのドスを利かせた口調は、真っ向から対立する気満々の様子だ。長い前置きにも期待値が上がる。
この流れでいけば、現在地に落ちた研究員達の威厳が保たれるはず。
そう思ってクラーラはつい前のめりになったけれど、ある意味大きく裏切られる結果となった。
「なあ、あんたは巨乳派か?それとも貧乳派か?」
お下品かつ馬鹿馬鹿しいサリダンの質問に、クラーラは椅子からずり落ちそうになってしまった。
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