41 / 69
気付かないフリをしたままでいたい【夏】後編
12
しおりを挟む
「貴方は本気でそう言っているんですか?」
馬が1拍おいて足を止めたと同時に、そんな問いが下から聞こえてマリアンヌは視線をそこに向ける。
クリスは真剣な眼差しで、こちらをじっと見ている。でも、すぐに口を開く。
「わたくしが、ただ慰めるだけの為にあんなことができる人間だと思っているんですか?」
「......それは......その......」
そうじゃなければ良いと思っている。でも、それを口にするのがなんだか怖い。
マリアンヌはもじもじと馬上で、目を泳がせながら適切な言葉を探す。でも、なかなか見つからない。
クリスの視線を痛いほど感じる。間違いなく答えない自分に苛立ちを感じているのだろう。そして彼は、答えをもらう前に、再び語り出す。
「私は見ての通り冷徹な人間です。傷付いた人間を平気で見捨てることができる人間です。たかだが婚約者に浮気されたくらいで、女性を慰めるような優しい心など持ち合わせてはいいません」
「嘘つき。だって、クリスは───」
「貴方だから、そうしたんです」
マリアンヌの言葉を遮って、クリスはきっぱりと言い切った。
「……私……だから?」
「そうです。わたくはマリアンヌさまを慰めたつもりなどございません。ただ貴方に触れたかったんです」
「どうして?」
「……なっ」
馬鹿なことを聞くなと言いたげに、クリスが顔をしかめた。
それからその表情は、呆れたというか拗ねたものに変わり、観念したように小さく息を吐く。
ここで、さわりと風が吹いた。
マリアンヌは靡く髪を片手で押さえる。でも、クリスは漆黒の髪を風に遊ばせたまま、下を向いた。
「......ったく、わざわざ言葉にして聞きたがるのは、わざとか?それともそんなに意外だったってことか?……まぁ、いいか。別に」
風に乗って、クリスのものとは思えない呟きが聞こえてくる。
でも、これは自分に向けての言葉ではなく、ただの……いや、クリスが決心する為のものだとマリアンヌはわかった。
胸が、高鳴る。
「聞いてください、マリアンヌさま」
「……はい」
掠れた声で返事をしたマリアンヌの手をクリスは取った。
そっと自分の手を持ち上げるように握るクリスの手は、温かかった。
その一連の動作をずっと見続けていたら、当然のように目が合った。クリスはもう不機嫌な顔をしていなかった。
期待は、確信に変わった。
「好きです。マリアンヌ様」
ああ、人は真剣に何かを伝えたいときには、こんな顔をするんだ。
伝えられた言葉を受け止めるより先にマリアンヌはそう思った。
でも、少し遅れて言葉の意味を理解すると、顔がみるみるうちに火照ってしまう。心臓が壊れてしまいそうな程、暴れまわっている。このまま止まってしまいそうだ。
自分でも情けないほどに慌ててふためくその姿は間違いなくクリスの目に映っているはずだ。なのに彼は、自分の手に口づけを落とす。
ついさっきの熱の籠ったそれではなく、伝えきれない気持ちをここに乗せるといった感じで、優しく丁寧に。
「......クリス、あ、あのね」
「さあ、戻りましょう」
マリアンヌの言葉を遮って、クリスは身体を進行方向に向ける。
そして再びハーネスをしっかり握って、歩き出してしまった。その横顔は、変わらず美しくて感情が読めない。でも、どことなく長年抱えていた胸の重石がとれて晴れ晴れとしたものだった。
───私も、あなたと同じ気持ちです。
マリアンヌは、遮られてしまった言葉の続きを心の中で呟く。
最後まで言わせてもらえなかったのは、聞きたくなかったのではなく、きっとこれもクリスの優しさなのだろう。......そう、思いたい。
「もし、ジルさんが怒っていたら、マリアンヌさまは急いで自室にお戻り下さい。わたくしが足止めします」
「いいえ、あなただけのせいじゃないわ。私も一緒に怒られます」
「それは頼もしい」
くすりとクリスが小さく笑った。
軽口を叩けることが、とても嬉しい。彼の漆黒の髪が、夕日が当たる部分だけ柔らかな黄金色に変わっているのを見て、不意に泣きたくなった。
「ねえ、クリス。この前、私あなたの香り以外は全部嫌いと言ってしまったけれどね、」
「はい」
「あなたの髪の色も結構好きになったわ」
「なら、この髪は迂闊に切ることができませんね」
「ええ、そうしてちょうだい」
「......ははっ、それはちょっと困りますね。長すぎるのは邪魔になります」
「伸ばしたのを見たいわ。邪魔になるのなら、私のリボンを差し上げるわ」
「それは勘弁ください。ウィレイム様に叱られてしまいます」
口ではそう言いながらも、クリスはまったく困った顔をしていなかった。
それから会話が途切れ、沈黙が落ちた。息苦しさを覚えない、心地よい沈黙が。
伸びる影法師をクリスは踏んで歩く。馬はゆっくりと蹄の音を鳴らす。
夏の陽は長く、太陽はゆっくりと西の空に落ちていく。
でも、マリアンヌの鼓動だけは、早鐘を打っていた。
馬が1拍おいて足を止めたと同時に、そんな問いが下から聞こえてマリアンヌは視線をそこに向ける。
クリスは真剣な眼差しで、こちらをじっと見ている。でも、すぐに口を開く。
「わたくしが、ただ慰めるだけの為にあんなことができる人間だと思っているんですか?」
「......それは......その......」
そうじゃなければ良いと思っている。でも、それを口にするのがなんだか怖い。
マリアンヌはもじもじと馬上で、目を泳がせながら適切な言葉を探す。でも、なかなか見つからない。
クリスの視線を痛いほど感じる。間違いなく答えない自分に苛立ちを感じているのだろう。そして彼は、答えをもらう前に、再び語り出す。
「私は見ての通り冷徹な人間です。傷付いた人間を平気で見捨てることができる人間です。たかだが婚約者に浮気されたくらいで、女性を慰めるような優しい心など持ち合わせてはいいません」
「嘘つき。だって、クリスは───」
「貴方だから、そうしたんです」
マリアンヌの言葉を遮って、クリスはきっぱりと言い切った。
「……私……だから?」
「そうです。わたくはマリアンヌさまを慰めたつもりなどございません。ただ貴方に触れたかったんです」
「どうして?」
「……なっ」
馬鹿なことを聞くなと言いたげに、クリスが顔をしかめた。
それからその表情は、呆れたというか拗ねたものに変わり、観念したように小さく息を吐く。
ここで、さわりと風が吹いた。
マリアンヌは靡く髪を片手で押さえる。でも、クリスは漆黒の髪を風に遊ばせたまま、下を向いた。
「......ったく、わざわざ言葉にして聞きたがるのは、わざとか?それともそんなに意外だったってことか?……まぁ、いいか。別に」
風に乗って、クリスのものとは思えない呟きが聞こえてくる。
でも、これは自分に向けての言葉ではなく、ただの……いや、クリスが決心する為のものだとマリアンヌはわかった。
胸が、高鳴る。
「聞いてください、マリアンヌさま」
「……はい」
掠れた声で返事をしたマリアンヌの手をクリスは取った。
そっと自分の手を持ち上げるように握るクリスの手は、温かかった。
その一連の動作をずっと見続けていたら、当然のように目が合った。クリスはもう不機嫌な顔をしていなかった。
期待は、確信に変わった。
「好きです。マリアンヌ様」
ああ、人は真剣に何かを伝えたいときには、こんな顔をするんだ。
伝えられた言葉を受け止めるより先にマリアンヌはそう思った。
でも、少し遅れて言葉の意味を理解すると、顔がみるみるうちに火照ってしまう。心臓が壊れてしまいそうな程、暴れまわっている。このまま止まってしまいそうだ。
自分でも情けないほどに慌ててふためくその姿は間違いなくクリスの目に映っているはずだ。なのに彼は、自分の手に口づけを落とす。
ついさっきの熱の籠ったそれではなく、伝えきれない気持ちをここに乗せるといった感じで、優しく丁寧に。
「......クリス、あ、あのね」
「さあ、戻りましょう」
マリアンヌの言葉を遮って、クリスは身体を進行方向に向ける。
そして再びハーネスをしっかり握って、歩き出してしまった。その横顔は、変わらず美しくて感情が読めない。でも、どことなく長年抱えていた胸の重石がとれて晴れ晴れとしたものだった。
───私も、あなたと同じ気持ちです。
マリアンヌは、遮られてしまった言葉の続きを心の中で呟く。
最後まで言わせてもらえなかったのは、聞きたくなかったのではなく、きっとこれもクリスの優しさなのだろう。......そう、思いたい。
「もし、ジルさんが怒っていたら、マリアンヌさまは急いで自室にお戻り下さい。わたくしが足止めします」
「いいえ、あなただけのせいじゃないわ。私も一緒に怒られます」
「それは頼もしい」
くすりとクリスが小さく笑った。
軽口を叩けることが、とても嬉しい。彼の漆黒の髪が、夕日が当たる部分だけ柔らかな黄金色に変わっているのを見て、不意に泣きたくなった。
「ねえ、クリス。この前、私あなたの香り以外は全部嫌いと言ってしまったけれどね、」
「はい」
「あなたの髪の色も結構好きになったわ」
「なら、この髪は迂闊に切ることができませんね」
「ええ、そうしてちょうだい」
「......ははっ、それはちょっと困りますね。長すぎるのは邪魔になります」
「伸ばしたのを見たいわ。邪魔になるのなら、私のリボンを差し上げるわ」
「それは勘弁ください。ウィレイム様に叱られてしまいます」
口ではそう言いながらも、クリスはまったく困った顔をしていなかった。
それから会話が途切れ、沈黙が落ちた。息苦しさを覚えない、心地よい沈黙が。
伸びる影法師をクリスは踏んで歩く。馬はゆっくりと蹄の音を鳴らす。
夏の陽は長く、太陽はゆっくりと西の空に落ちていく。
でも、マリアンヌの鼓動だけは、早鐘を打っていた。
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
彼は亡国の令嬢を愛せない
黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。
ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。
※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。
※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。
※新作です。アルファポリス様が先行します。
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
四人の令嬢と公爵と
オゾン層
恋愛
「貴様らのような田舎娘は性根が腐っている」
ガルシア辺境伯の令嬢である4人の姉妹は、アミーレア国の王太子の婚約候補者として今の今まで王太子に尽くしていた。国王からも認められた有力な婚約候補者であったにも関わらず、無知なロズワート王太子にある日婚約解消を一方的に告げられ、挙げ句の果てに同じく婚約候補者であったクラシウス男爵の令嬢であるアレッサ嬢の企みによって冤罪をかけられ、隣国を治める『化物公爵』の婚約者として輿入という名目の国外追放を受けてしまう。
人間以外の種族で溢れた隣国ベルフェナールにいるとされる化物公爵ことラヴェルト公爵の兄弟はその恐ろしい容姿から他国からも黒い噂が絶えず、ガルシア姉妹は怯えながらも覚悟を決めてベルフェナール国へと足を踏み入れるが……
「おはよう。よく眠れたかな」
「お前すごく可愛いな!!」
「花がよく似合うね」
「どうか今日も共に過ごしてほしい」
彼らは見た目に反し、誠実で純愛な兄弟だった。
一方追放を告げられたアミーレア王国では、ガルシア辺境伯令嬢との婚約解消を聞きつけた国王がロズワート王太子に対して右ストレートをかましていた。
※初ジャンルの小説なので不自然な点が多いかもしれませんがご了承ください
転生した子供部屋悪役令嬢は、悠々快適溺愛ライフを満喫したい!
木風
恋愛
婚約者に裏切られ、成金伯爵令嬢の仕掛けに嵌められた私は、あっけなく「悪役令嬢」として婚約を破棄された。
胸に広がるのは、悔しさと戸惑いと、まるで物語の中に迷い込んだような不思議な感覚。
けれど、この身に宿るのは、かつて過労に倒れた29歳の女医の記憶。
勉強も社交も面倒で、ただ静かに部屋に籠もっていたかったのに……
『神に愛された強運チート』という名の不思議な加護が、私を思いもよらぬ未来へと連れ出していく。
子供部屋の安らぎを夢見たはずが、待っていたのは次期国王……王太子殿下のまなざし。
逃れられない運命と、抗いようのない溺愛に、私の物語は静かに色を変えていく。
時に笑い、時に泣き、時に振り回されながらも、私は今日を生きている。
これは、婚約破棄から始まる、転生令嬢のちぐはぐで胸の騒がしい物語。
※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」にて同時掲載しております。
表紙イラストは、Wednesday (Xアカウント:@wednesday1029)さんに描いていただきました。
※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。
©︎子供部屋悪役令嬢 / 木風 Wednesday
ストーカー婚約者でしたが、転生者だったので経歴を身綺麗にしておく
犬野きらり
恋愛
リディア・ガルドニ(14)、本日誕生日で転生者として気付きました。私がつい先程までやっていた行動…それは、自分の婚約者に対して重い愛ではなく、ストーカー行為。
「絶対駄目ーー」
と前世の私が気づかせてくれ、そもそも何故こんな男にこだわっていたのかと目が覚めました。
何の物語かも乙女ゲームの中の人になったのかもわかりませんが、私の黒歴史は証拠隠滅、慰謝料ガッポリ、新たな出会い新たな人生に進みます。
募集 婿入り希望者
対象外は、嫡男、後継者、王族
目指せハッピーエンド(?)!!
全23話で完結です。
この作品を気に留めて下さりありがとうございます。感謝を込めて、その後(直後)2話追加しました。25話になりました。
結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた
夏菜しの
恋愛
幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。
彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。
そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。
彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。
いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。
のらりくらりと躱すがもう限界。
いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。
彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。
これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?
エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。
【完結】転生したぐうたら令嬢は王太子妃になんかになりたくない
金峯蓮華
恋愛
子供の頃から休みなく忙しくしていた貴子は公認会計士として独立するために会社を辞めた日に事故に遭い、死の間際に生まれ変わったらぐうたらしたい!と願った。気がついたら中世ヨーロッパのような世界の子供、ヴィヴィアンヌになっていた。何もしないお姫様のようなぐうたらライフを満喫していたが、突然、王太子に求婚された。王太子妃になんかなったらぐうたらできないじゃない!!ヴィヴィアンヌピンチ!
小説家になろうにも書いてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる