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3.暖炉とお茶と、紙の音
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お茶を飲み終えたクラウディオは、再び書類に目を通し始めた。
モニカは飲み終えた茶器をトレーにまとめてキッチンに運ぶ。そしてなるべく音を立てぬよう気を付けながら洗う。
(あっ、そうだ。他の人達にも飲んでもらおう)
いつもより多く暖炉に薪をくべているせいで、気付くのが遅くなってしまったが、今日は特に風が冷たい。
それにファネーレ邸の使用人達は、ここに来てから働き詰めだ。自分はのんびりと居間でくつろいでいたというのに。
モニカは己の身勝手さを恥じながら手早く新しい茶葉をポットに入れる。
一回り大きいトレーに人数分の茶器やら砂糖やらを入れて、庭へと出た。……すぐに窓拭き中のビドが気付き、もの凄い勢いでこちらに駆け寄って来た。
そして「後は自分達がやっておきますのでっ」と、申し訳ない表情を作りながらもトレーをひったくるように奪われ、居間に戻ってくださいと懇願されてしまった。
すごすごと居間に戻ったモニカは、クラウディオがとても無理な姿勢で書類をさばいているのに気付く。
「領主様、良かったらこっちを使ってください」
比較的綺麗なクッションを手に取ったモニカは、空いている方の手でついっと窓側を示した。
そこには生前父が愛用していたターンテーブルと椅子がある。
日中は工房に籠りっきりの父親だったが、日が暮れればここに移動してずっと宝石の図案を描いたり、趣味の読書をしていた。
見たことは無いがきっとご領主様に執務机に比べたら、かなり小さいものだろう。だが、屈みこんでローテーブルで書類と格闘するよりは、かなり楽な姿勢になるはずだ。
クラウディオは、モニカの提案に迷っているようだ。だから、そのことも伝えてみる。
ただ座り心地はあまり良くは無いので、クッションを置いてどうぞと促せば、クラウディオは「では、遠慮無く」と言って席に移動した。
カサリ、カサリと再び紙がこすれる音がする。
モニカはソファに腰かけて、ぼんやりとその音に耳をすます。
賓客を迎えるにあたり、惜しみなく薪を暖炉に突っ込んだおかげで、部屋はとても温かく贅沢なほど快適だった。
風は冷たいが午後の日差しは穏やかで、モニカはつい、カックンカックンと船を漕いでしまいそうになる。
だが突然、クラウディオが席を立った。
「せっかくだが、この席は辞退させてもらう」
「は?」
何が気に入らなかったというのだ。
よもや自分がうたた寝しようとしていたことが気に障ったのだろうか。
間の抜けた声を上げながらも、モニカは狼狽えてしまう。頭の中で、必死にクラウディオが気に入らなかった理由を探す。
「ここは私の席ではない」
「そりゃあ、まぁ。ここは、庶民の家ですから。座り心地が悪いのは勘弁してくださいクッションなら、まだありますから」
「違う。そうじゃない」
「では、寒い……とか?」
「まさか。実に快適な温度だ」
「では……なぜ?」
クラウディオは、首を傾げるモニカを見下ろしているかと思えば、ぽんっと頭を叩いた。
「ここは君のお父上の席だ。良く見てごらん。─── ここに座ると居間とキッチンが見渡せる。君と母君を見守りながら君の父上はくつろいでいたのだろう。そんな席に、私が座ってはいけない」
強引に窓側の席にモニカを座らせたクラウディオは静かに言った。
モニカは、唇を噛みながら、スカートの裾をぎゅっと掴んだ。
そうしなければ、目から溢れ出てくる熱いものが頬に伝い落ちてしまいそうだったから。
いっそ、座り心地が悪いとか、窓側だと気が散るとか、そういう理由だったらよかったのに。
そうだったらモニカは、こんなにも心を揺さぶられることは無かっただろう。
まさかたった数分座っただけで、クラウディオが亡き父の思いに気付くなんて、思ってもみなかった。
そして、一度も伝えられることが無かった父のそれに気づいてくれたのは、クラウディオも同じ考え方をするからだろうと思った。
「……やっぱり、座ってください。領主様に使ってくれたら父も喜ぶと思います」
「そうか。君が……モニカが言うなら、そうなのだろう。では有難く使わせてもらおう」
ぐいぐい腕を引っ張って席を譲ろうとすれば、クラウディオはふわりと笑って着席してくれた。
モニカは飲み終えた茶器をトレーにまとめてキッチンに運ぶ。そしてなるべく音を立てぬよう気を付けながら洗う。
(あっ、そうだ。他の人達にも飲んでもらおう)
いつもより多く暖炉に薪をくべているせいで、気付くのが遅くなってしまったが、今日は特に風が冷たい。
それにファネーレ邸の使用人達は、ここに来てから働き詰めだ。自分はのんびりと居間でくつろいでいたというのに。
モニカは己の身勝手さを恥じながら手早く新しい茶葉をポットに入れる。
一回り大きいトレーに人数分の茶器やら砂糖やらを入れて、庭へと出た。……すぐに窓拭き中のビドが気付き、もの凄い勢いでこちらに駆け寄って来た。
そして「後は自分達がやっておきますのでっ」と、申し訳ない表情を作りながらもトレーをひったくるように奪われ、居間に戻ってくださいと懇願されてしまった。
すごすごと居間に戻ったモニカは、クラウディオがとても無理な姿勢で書類をさばいているのに気付く。
「領主様、良かったらこっちを使ってください」
比較的綺麗なクッションを手に取ったモニカは、空いている方の手でついっと窓側を示した。
そこには生前父が愛用していたターンテーブルと椅子がある。
日中は工房に籠りっきりの父親だったが、日が暮れればここに移動してずっと宝石の図案を描いたり、趣味の読書をしていた。
見たことは無いがきっとご領主様に執務机に比べたら、かなり小さいものだろう。だが、屈みこんでローテーブルで書類と格闘するよりは、かなり楽な姿勢になるはずだ。
クラウディオは、モニカの提案に迷っているようだ。だから、そのことも伝えてみる。
ただ座り心地はあまり良くは無いので、クッションを置いてどうぞと促せば、クラウディオは「では、遠慮無く」と言って席に移動した。
カサリ、カサリと再び紙がこすれる音がする。
モニカはソファに腰かけて、ぼんやりとその音に耳をすます。
賓客を迎えるにあたり、惜しみなく薪を暖炉に突っ込んだおかげで、部屋はとても温かく贅沢なほど快適だった。
風は冷たいが午後の日差しは穏やかで、モニカはつい、カックンカックンと船を漕いでしまいそうになる。
だが突然、クラウディオが席を立った。
「せっかくだが、この席は辞退させてもらう」
「は?」
何が気に入らなかったというのだ。
よもや自分がうたた寝しようとしていたことが気に障ったのだろうか。
間の抜けた声を上げながらも、モニカは狼狽えてしまう。頭の中で、必死にクラウディオが気に入らなかった理由を探す。
「ここは私の席ではない」
「そりゃあ、まぁ。ここは、庶民の家ですから。座り心地が悪いのは勘弁してくださいクッションなら、まだありますから」
「違う。そうじゃない」
「では、寒い……とか?」
「まさか。実に快適な温度だ」
「では……なぜ?」
クラウディオは、首を傾げるモニカを見下ろしているかと思えば、ぽんっと頭を叩いた。
「ここは君のお父上の席だ。良く見てごらん。─── ここに座ると居間とキッチンが見渡せる。君と母君を見守りながら君の父上はくつろいでいたのだろう。そんな席に、私が座ってはいけない」
強引に窓側の席にモニカを座らせたクラウディオは静かに言った。
モニカは、唇を噛みながら、スカートの裾をぎゅっと掴んだ。
そうしなければ、目から溢れ出てくる熱いものが頬に伝い落ちてしまいそうだったから。
いっそ、座り心地が悪いとか、窓側だと気が散るとか、そういう理由だったらよかったのに。
そうだったらモニカは、こんなにも心を揺さぶられることは無かっただろう。
まさかたった数分座っただけで、クラウディオが亡き父の思いに気付くなんて、思ってもみなかった。
そして、一度も伝えられることが無かった父のそれに気づいてくれたのは、クラウディオも同じ考え方をするからだろうと思った。
「……やっぱり、座ってください。領主様に使ってくれたら父も喜ぶと思います」
「そうか。君が……モニカが言うなら、そうなのだろう。では有難く使わせてもらおう」
ぐいぐい腕を引っ張って席を譲ろうとすれば、クラウディオはふわりと笑って着席してくれた。
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