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ギャップに萌えする花嫁と、翻弄される花婿

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 シャンティの眠りの妨げにならないよう、ギルフォードは薄暗い夫婦の寝室でソファの前のローテーブルに簡易的な灯りを置いて、書類に目を通していた。

 形ばかりで中身の薄い部下たちからの業務報告書十数枚に溜息を付きながらサインを入れる。
 次に、担当している辺境の砦からの、至って平和であるという報告書に指摘を入れる。これは再提出なのでサインを入れない。

 それから7日に一度届けられる自警団からの事件連絡書を手に取る。ただ5行目に視線が移った瞬間、ふぁさっと布地が地面に落ちる音がした。

「う、……ん」

 シャンティの手は、眠りながら落ちた掛布を探して彷徨っていた。

 ギルフォードは慌てて席を立ち、掛布を拾い上げると起こさないよう、そっとかけ直す。途端にくぐもった声が聞こえ、それはどうやら暑いという非難のようで。

 確かにシャンティは熱が上がりきっているようで、見るからに汗ばんでいるのがわかる。とはいえ、望み通り身体を冷やすわけにはいかない。

 だからギルフォードは、少しでも楽になるようにとナイトテーブルに用意してあるタオルを手に取る。そして、その隣に置いてある水をはった小さな桶にそれを浸して固く絞った。

 次いでシャンティの額の汗を拭い、そっと手のひらをそこに当てた。

 パンが焼けそうなほどというのは、いささか大袈裟だけれど、それでもシャンティは検温しなくても熱が高いのはわかる。

「……あの、ヤブ医者め」

 若い軍の医者は個人的な感情から却下して、そこそこ腕が良いと評判の医師を手配するようドミールに命じたのは、他でもないギルフォードだ。

 そしてギルフォード自身も、その医師の腕が良いことは知っている。

 でも愛しい人が熱にうなされていれば、悪態の一つも付きたくなるというもの。これを人は八つ当たりとも言う。
 けれどギルフォードを咎める者は、この部屋にはいない。

 そしてギルフォード自身も、初老の医師が今頃くしゃみをしているかなど気に留めることもない。

「……辛いか?シャンティ」

 ギルフォードは、汗で頬に張り付いてしまったシャンティの髪をそっと払った。

 眠りに落ちたシャンティは、普段より少し幼く見える。それがかつての姿と重なり、ギルフォードは疼くような痛みを胸に覚えた。

 無論、初めての出会いは本当に短い時間だった。それにシャンティにとったらその時のギルフォードにはその他大勢の一人に過ぎないのはわかっている。そして覚えていないからこそ、今の生活がある。

 だからシャンティに対して焦れた想いを向けるのはお門違いだし、思い出されたところでどうして良いのかわからない。

「……ん、ギルさん……」

 うわ言で名を呼ばれ、ギルフォードの思考はそこでバツンと遮断した。

「どうした?シャンティ」

 部下が聞いたら心臓麻痺を起こしそうなほど、慈愛に満ちた声音でギルフォードは問いかける。

 でも所詮はうわ言。会話が続くわけもない。
 それでもギルフォードはたまらなく嬉しかった。自分の名がまるで宝石のようにキラキラと輝く

 今日はシャンティにベッドを譲るきでいる。そして一晩中、愛しい妻の看病をするつもりだった。

 ギルフォードだけしか知らないシャンティとの思い出を久しぶりに回想しながら。






 初めてシャンティと出会ったのは3年前。
 ギルフォードはまだ准佐で、自分が担当している砦の視察の為に遠征に出ていた。

 軍人は国の安全と平和を保つために、厳しい規律の中で従事している。とはいえ王都から離れてしまえば、どうしたって目が行き届かない部分がある。

 だからギルフォードは仕事を調整して、なるべく辺境の地でも足を向けるようにしていた。

 そして、担当するとある砦がある一つの町で、シャンティと出会った。

 その日はいつになく、ギルフォードは苛立っていた。理由は覚えていない。多分、とても些細なことが重なってしまっていたのだろう。

 ささくれ立つ気持ちを抱えて、ギルフォードは町を歩いていた。

 そこで、見ているこちらまで幸せな気持ちになる笑顔を目にした。ただしその笑顔はギルフォードに向けられたものではなかったけれど。

 でもそれはギルフォードに「名も知らぬ少女がこんな笑顔を浮かべてくれるなら、軍人でいるのも悪くない」と思わせるものだった。
 
 どこにもぶつけることができない苛立ちは、あっという間に飛散した。誰にも解けない難題の答えを、自分だけ知ってしまったような気持ちにすらなった。

 ───それからギルフォードが一つの過ちを犯した後、3年の月日が経って、シャンティは自分の妻になった。
 ひょんなことから。そして期間限定で。

 ギルフォードにとって花嫁に逃げられたことは別段気にすることではなかった。
 正直、金と権力が大好きな女性だったので自分より贅沢ができる人間が現れたらすぐにそっちに行くだろうとわかっていた。

 そしてそれがたまたま結婚式同日だっただけのこと。

 でも、シャンティは逃げた花婿のことをどう思っているのだろうか。
 ギルフォードは事の詳細を知っている。でもシャンティの心の中までは伺い見ることはできない。

 逃げてしまった花婿を今でも恋しいと思っているのだろうか。
 口に出して問えばすぐにわかることだけれど、ギルフォードはそれが怖くてできなかった。

 軍人なのに、そんなことで怖気づいてしまうなど情けない。遅かれ早かれ、決断しなければならないというのに。

 そうわかっていてもギルフォードは、たった一つの問いをシャンティに向けることはできなかった。

 自分の居ないところで、シャンティは一人で泣いているのだろうか。そんな事を思ったらまた胸に焼け付くような痛みが走る。

 ギルフォードは、とても飢えていた。
 もっと、シャンティに心のままに我儘を言ったり、甘えられたり、時に、時たまでいいから、愛を囁いたりしてほしいのだ。

 けれどシャンティは、ギルフォードのそんな願いに気付く様子はない。
 ただただ懸命に与えられた代理の妻を精一杯演じている。

 毎晩、当たり前のように触れ合いを求めてくる自分をシャンティはどう思っているのだろうか。これも代理妻の務めの一つだと割り切っているのだろうか。
 
 ギルフォードは選択を迫られていた。
 逃げた花嫁についての行方は追っていない。けれども、逃げた花婿の調べはついている。

 伝えなければ……。でも伝えたら……彼女は消えてしまうだろう。

 ギルフォードは軍人だ。
 止まるか進むしかないなら、進むしかない。それがどれだけ辛い結果になろうとも。

 だからギルフォードは決めた。

「……シャンティ。早く元気になってくれ」
 ───どうか情けない男に、最後に幸せな夢を見せてくれ。

 ギルフォードは新婚旅行の最終日に、シャンティに逃げた花婿の行方を告げることにした。そして無残に散るかもしれないこの想いも一緒に。
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