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傷口に触れて愛を知る

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 雨季直前の日差しは初夏のように眩しかったけれど、日が落ちれば嘘のように涼しい風がカーテンを揺らしている。

 テルミィは寝間着の上にショールを羽織った姿で、今日もまた長椅子で本を読んでいる。

 しかしページをめくる速度はゆっくりで、視線は本と扉を忙しなく行き来している。

「……そろそろかな」

 呟いたと同時に足元で丸くなっていたハクの耳がピクリと動く。扉がキィ……と小さな音を立てて開いたのは、ほぼ同時だった。

「こんばんは、ルドルクさん」

 本をそっと閉じてローテーブルに置いたテルミィは立ち上がる。

 扉を背で閉めたルドルクに、テルミィとハクは小走りで近づく。風呂上がりにメイドが香油をつけて丁寧に梳いてくれたアプリコット色の髪が背中で軽く揺れた。

「ああ、少し遅くなったな」

 湯を浴びてからここに来てくれたルドルクの髪は、薄明かりの中でもしっとりしているのがわかる。

 領主であるラジェインが旅行に出掛けている今、ルドルクは聖騎士としての訓練以外に、領主代理の仕事もやらなくてはならない。

 時間は誰にも平等だ。言い換えるなら、忙しくても時は待ってくれない。

 毎日一緒に枕を並べて睡眠を取るのは、きっとルドルクにとって大変なことだろう。でも、急いで湯を浴びて来てくれたことに申し訳ないと思いつつも、嬉しさが勝ってしまう。

「本はいいのか?」

 並んでベッドに向かいながら、ルドルクはローテーブルをチラリと見た。

「はい。あの……大丈夫です」

 植物の知識を得ることだけが、テルミィの唯一の楽しみだ。本音を言えば、許される限りずっとずっと植物に関する本を読んでいたい。

 けれど、ほんのちょっと強がりを言うだけでルドルクは満足そうに笑う。その笑顔を見たいが為に、小さな嘘を吐いているのは自分だけの秘密である。

 ベッドの前に到着すると、まず最初にハクがベッドに登り、グルグルと回りだす。

「いつも思うが、これをやる意味あるのか?」

 シーツをクシャクシャにしたのに、結局同じところで丸くなるハクを見て、ルドルクが不思議そうな顔をする。

「……さぁ、私もわかりません」

 賢いハクは時々人の言葉を理解しているのではないかと思う行動をするけれど、テルミィは犬の言葉を理解できない。

「……いつか、犬語を解読してくれる植物を……れ、錬成したいと思います」
「そうだな。その時は、一番最初にこのグルグルについて教えてもらおう」

 顎に手を当て、生真面目な顔で同意してくれたルドルクを見て、テルミィは頭の中で【錬成したい植物リスト】に”犬の翻訳草”を追加する。
 
 どんな植物をベースにするか悩むところだが、それは明日の課題にして、テルミィはベッドによじ登った。

 ハク、テルミィ、ルドルクの並びでベッドに入って就寝するのは、今日で5回目だ。

 初日こそ色々あったけれど、次の日からルドルクはテルミィに色んな質問をして、自分自身のことも沢山話してくれた。

 聖騎士の訓練は、打ち合い稽古が主だということ。好きな食べ物は鶏肉の燻製で、苦手な食べ物は砂糖をまぶしたドライフルーツ。でも生の果物は好物で、特に魔獣の討伐帰りに食べるアケビやイチジクが美味らしい。

 他にもサムリア領にどんな特産品があるのか。絶景スポットがどこにあるのか。春と秋に祭りがあるとか、5日に一度は街の広場でいちが開かれ、露店で珍しいものが沢山売られているとか。

 話してくれるどれもがとても興味深く、聞いているだけでワクワクする。

 でも、一つだけ不満がある。片側の頬を枕に埋めて、穏やかな口調で語るルドルクを見ているとすぐに眠くなってしまうのだ。

 それでも欠伸を噛み殺して話を聞き続けようとすれば、必ずルドルクに気づかれてしまう。

「今日はここまでだ。寝ろ」

 終わりを告げられ、毎回、顔に不満の色が出てしまう。そうすれば、ルドルクはいつもテルミィの髪に触れる。乱れた髪を整えてくれるのだ。

 そうして、全員が眠りに落ちる。

 これまで誰かと一緒に眠る経験がなかったテルミィは、絶対に緊張して浅い眠りになると思っていた。

 けれど朝を迎えると、驚くほど身体が軽くなっている。爽快な目覚めとは事のことだと声を大にして言いたいくらいに。

「さて、今日はどうだったか?」

 反対側からベッドに登ったルドルクは、シーツに身体を潜り込ませながらテルミィに問いかける。

「えっと……ハクがテントウムシを鼻先で突っついて」
「ああ」
「そうしたらテントウムシがびっくりして飛び立って……」
「それで?」
「ハ……ハクはもっとびっくりして、噴水に飛び込みそうになりました」
「ははっ」

 山も落ちも無い話なのに、ルドルクは己の腕を枕にしてこちらを向いて声を上げて笑う。

「噴水に落っこちたら、いっそハクを洗えたから良かったかもしれないな」
「た、確かに……そうかもしれませんね」

 真っ白なモフモフ犬のハクは、毛がすぐに汚れてしまう。お仕事熱心なメイド達は、隙あらばハクを洗いたいと虎視眈々と狙っているけれど、これがなかなか上手くいかない。
 
 今日こそは!と意気込んでハクを捕まえようとしても、ドジョウのように逃げられてしまうのだ。

「ま、これから虫も増えるだろうから、ハクが噴水に飛び込む機会もあるだろう」
「はい……そうですね」

 さして面白くもない話を上手にまとめてくれたルドルクは、今度は自分自身のことを語り始めた。

 訓練中に木刀が折れて、団長から小言をもらったこと。領主代理で書類を捌いていたら、疎遠になっていた友人が立派な教師となっていたことを知り驚いたこと。

 他にも実験的に植えた水を沢山蓄えられる魔法植物が現地の人に受け入れられたことや、庭師が芝生の所にブランコを作りたいと申請してきたこと。

「ま、俺は今日はこんな感じだったな」

 最後にニクル夫妻が戻る前に、雨季に備えて屋根の補修をする予定だと付け加えたルドルクは、ふっと笑う。

 テルミィが口元をシーツで隠して欠伸をしたのに気付いたから。

「そろそろ寝よう」
「……は、はい。おやすみなさい、ルドルクさん」
「ああ、おやすみ」

 就寝の挨拶をしたら、まぶたに大きな手が乗った。

 ──温かくて……気持ちいい。もう少しだけ、こうしていて欲しいな……。

 ワガママとも言えない小さな願いを心の中で呟いてみたものの、今日もまたテルミィは睡魔に抗うことができず、ゆっくりと夢の世界に旅立っていった。
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