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幸せの代償

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 石化したテルミィとルドルクに向け、アイリットはもう一度「オーホッホッホッ」と高笑いをした。

 次いで優雅な足取りで二人に近付き、手に持っていた扇をビシッとルドルクの胸に突き付けると、にんまりと笑ってこう言った。

「ふふっ、まんまと騙されてくれてありがとう馬鹿弟。ドッキリ大成功ですわ!」 

 瞬間、大広間は割れんばかりの歓声に包まれ、テッテレーの代わりに少し離れた場所からワホッとハクが元気に吠えてこちらに駆け寄ってきた。

 対してテルミィはますます石化し、ルドルクは額に青筋を浮かべた。

「……ドッキリだと?」
「そうですわ。わたくしを差し置いて、わたくしの愛するテルミィちゃんにサプライズの宴を計画する愚かな弟に一計を案じて差し上げたのよ」
「なんてことをしてくれるんだ!姉上」
「お黙りなさい、馬鹿弟。どうせサプライズの宴でカッコつけてテルミィちゃんにダンスなんか誘って、ごちそうを”あーん”とかしてあげちゃうつもりだったのでしょ!?そんな美味しい役、誰が渡すものですかっ」
「それはこっちの台詞だ!大体、なんで他領地に住んでる姉上が今日のことを知ってるんですか!?」
「ふっ、馬鹿の極みね」
 
 ここで一旦言葉を区切ったアイリットは、チラッと後ろを振り返った。

 ちなみにアイリットの背後には盛装したニクル夫妻と蝶ネクタイを付けたハクと、シバイン卿とその息子二人。加えて礼装用の制服を身に着けた騎士達が勢ぞろいしている。

 アイリットの視線は、騎士団の中でも金の装飾が目立つ制服を着ている金髪の男性に注がれていた。

「……デイル団長、一生恨みます」

 ルドルクにギロリと睨まれたその人は、見たところ三十代半ばで、ルドルクより少し背が高いがっしりとした男性だった。

 意志の強そうな太い眉と浅黒い肌。なにより頬に残る傷跡が、ルドルクとは違った意味で見た者に威圧感を与える。

 しかし今のデイルは、バツが悪そうに頬をポリポリと掻き、困り果てた顔をしている。悪戯がバレてしまった子供みたいだ。

「まぁ……アレだ。すまん」

 一先ず謝ったデイルは、表情を晴れやかな笑みに変え言葉を続ける。

「ルド、そう怒るな。アイリット様の戯れは今に始まったことじゃないし、俺たちだっていい加減、若奥様と交流を持ちたいって思ってたところなんだ。恨むなら己の独占欲を恨め」
「なっ……!」

 開き直りとも言えるデイルの発言に、ルドルクは絶句した。

 ──……な、なるほど。そういうことだったんだ。

 行き場のない怒りを持て余すルドルクの横で、テルミィはハクを撫でながら大体の事情を理解した。 

 落ち込むルドルクには申し訳ないが、テルミィは嬉しかった。

 ホールは花と布で美しく飾られており、テーブルには手を付けるのが勿体ないほどの美しい料理。蝶ネクタイを付けたハクの毛並みは白さが増して肌触りも滑らかだ。

 自分たちが外出している間に会場を準備してくれて、ハクを洗ってくれたのだ。廊下を歩いている時は、こんな嬉しい驚きが待っているなんて想像すらできなかった。

「あ、あの……!」

 ハクを撫でる手を止めて、テルミィは一歩前に出る。

 途端に四方八方から視線を感じてたじろいでしまったけれど、ぎゅっと拳を握って今の気持ちを言葉にする。

「こ、こんな素敵な贈り物を、よ、用意してもらえて……嬉しいです!あ、あの……ありがとうございます!!」
 
 最後に膝に額がくっつくほど頭を下げたテルミィが一拍置いて顔を上げると、さっきより何倍も大きな歓声に包まれた。

 それが合図となり、サプライズの宴が始まった。

 音楽好きな使用人の手で演奏される楽器の音色が、ホールに心地よく響く。騎士達は肉料理をがっつき、ニクル夫妻はソファに腰掛け談笑しながら全体を見渡している。

 そんな中、ドッキリを仕掛けられたルドルクは、よほど悔しかったのだろう。気持ちの切り替えができずに壁際で拗ねている。

 その横にハクがピッタリと張り付いている。時折、ルドルクの膝をタスッタスッと軽く叩いたり、力無くに垂れ下がった手を舐めたりして必死に慰めている。

 できることなら、テルミィもハクと一緒にルドルクを慰めたい。しかし、そうできない状況にあった。アイリットに抱きしめられているのだ。 

「ああん、もうっ!わたくしの天使は、なんて愛らしいのっ。キース、レスフェ、カイン、今のをちゃんと見てまして!?」
「ああ、ちゃんと見てたよ。アイリット」
「はい、お母様。しっかり拝見させていただきました」
「もちろん僕もです」

 アイリットの夫と息子二人は、はしゃぎまくるアイリットを見ても嫌な顔もうんざりした表情も見せず、ニコニコしながら礼儀正しい返答をする。恐ろしいほど器の大きな人達だ。

 しかもテルミィが苦しそうにしているのを察して、キースはそれとなく引き剥がしてくれた。

 ほっとしたのも束の間、今度はレスフェとカインに裾を引っ張られる。どうやら小声で話したいことがあるらしい。

「テルミィ様、僕たちが上手にお母様の気を逸らしておきますので、今のうちにルド伯父さんのところに行ってあげてください」
「あとね、テルミィ様のお名前が出てきても絶対にこっちを見ないでくださいね。お母様がすぐに飛んで行っちゃいますから」

 この息子たち、まだ10歳にもなっていないのに恐ろしいほど気が回る。これは学者の血筋なのだろうか。それともアイリットの教育のたまものなのだろうか。

 ……などと考え始めたテルミィだが、レスフェとカインに「早く行け」と目で訴えられて、そっと足音を立てぬようルドルクの元に向かった。

 しばらく機嫌が直りそうにないと思ったルドルクだが、テルミィの手を繋いだ途端、あっという間に笑顔を取り戻した。

 それからは夢のような時間だった。美味しい料理に舌鼓を打ち、ルドルクに誘われダンスも踊った。ステップなど踏めないテルミィだけれど、ルドルクのリードのおかげで大恥をかくことはなかった。

 ハクは騎士団の人達に撫でられ、使用人から特別に欲し肉をもらってご機嫌で、レスフェに尻尾を握られてもカインが背中に乗っても唸ることもしないで堪えてくれた。

 たくさんの人とお喋りをして、笑顔が自然に浮かんで、常にルドルクを隣に感じて──テルミィはお酒も呑んでいないのに、なんだか身体がずっとふわふわしていた。
 
 そしてその浮遊感が消えないまま夜が更け、宴はお開きとなった。




 ドレスを脱いで、お化粧を落として、今日一日の疲れを取るためにお湯を浴びる。

 寝間着に着替えて髪を乾かしている間に、ハクはもうベッドの真ん中を陣取り寝息を立てていた。

「ハク。お疲れ様……ありがとう」

 ベッドに潜り込んだテルミィは、そっと囁きハクを撫でる。

 今日の相棒はすごく頑張ってくれた。身体を洗うのが大嫌いなのに、お風呂に入ってくれて、色んな人達に愛想を振りまいてくれたし、ルドルクを慰めてくれた。

「ゆっくり休んでね。私も……眠い……」 
 
 ふわぁぁっと大きく欠伸をしたテルミィは、シーツの中で丸くなる。

 ハクの規則正しく上下するお腹を見ながら眠りに落ちたテルミィは、生まれてきて一番幸せだった。

 つい幸せ過ぎて、こんな日々がずっと続けば良いのに……と願ってしまった。

 けれど、その願いは叶わなかった。たった10日で幸せは音を立てて崩れてしまった。
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