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世界一の悪女
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聖力を宿した弓矢を抱えて、テルミィとアイリットはルドルクの後を追う。二人を目的地まで的確に導いているのは弓矢を咥えて走るハクである。
「スコルは結構奥まで逃げ込んでいるみたいですわね。テルミィちゃん、大丈夫?まだ走れ……ごめんなさい。愚かな質問をしたわたくしをお許しになって!」
走りながらテルミィをチラ見したアイリットは、慌てた様子で「なにも喋らなくていいですから!」と付け加える。
嫁ぐまでは騎士団の訓練に参加していたアイリットと違い、テルミィは自他共に認める引きこもりだ。体力の差は歴然で、今にも倒れそうなほど顔色は真っ青で足取りもおぼつかない。
とはいえ、逃げたスコルがどんな状態なのかわからない現在、馬での移動は危険である。
それなら剣も弓矢も扱えないテルミィは、爆睡している魔術師達と、気絶しているケーニスの傍にいる方が懸命だ。キースが一人残って、彼らを介抱しているのだから。
しかしテルミィは、どうしてもルドルク達を追いたかった。最後の切り札とまではいかないけれど、まだ役に立てる手札が残っているから。
「テルミィちゃんを背負って差し上げたいのに!ああ……もうっ、体力を温存しないといけないこの状況、とても悔しいですわ!歯がゆいですわ!!」
悲痛な声で叫びながらアイリットは、テルミィの腕をむんずと掴み走り続けた。
アイリットに引っ張られる形でテルミィは走って走って走り続けた。横腹の差し込むような痛みはとうに感じなくなって、その代わりに肺が悲鳴を上げている。
もう無理かも。視界が狭まる中、テルミィが心の中で弱音を零した瞬間、ハクの足が止まった。
アイリットも疲れを感じさせない動きで足を止めると、よろけたテルミィを抱き留めつつ、辺りをぐるりと見渡した。
「テルミィちゃん、弓矢を錬成したのは大正解でしたわね」
「……っ……ぁ、……っ」
はぁはぁ、ぜいぜい。テルミィは声こそ出せないがアイリットの言葉に全力で同意を示す。
無茶でも何でも、聖力を宿した弓矢をゴリ押しで錬成して良かった。だって、もう剣を握っているのはルドルクだけで、他の聖騎士達は折り重なるように倒れている。なのにスコルは数えるのが面倒くさいと思えるほど、辺り一帯にひしめき合っている。
「テルミィちゃん、いきますわよ」
「は、はい!」
青白い炎を纏う弓矢を構えたアイリットの隣で、テルミィは肩から斜め掛けにしていた鞄から紫色の卵みたいな種を取り出す。
これは以前、旅行に向かうニクル夫妻に贈ったハエトリ草を改良した魔法植物。衝撃で急成長するこれは、人でも魔獣でも捕縛することができる。
目視した限りではスコルの精神は乱れている。今、暴れているのは凶悪な本能からくるもの。これなら勝算はある。
「い、いきます!」
テルミィは最後の力を振り絞って種を投げた。ビュンではなく、ほよよんと頼りなく弧を描いた種はヘロヘロと落下した。
あまりに弱い衝撃にヤバいとテルミィが焦った1拍後、ハエトリ草もどきはズゴゴゴッと目にもとまらぬ速さで成長し、近くにいたスコル数匹を捕縛した。
胸をなでおろす間もなく、ヒュンと風を切る音が響き捕縛したスコルに弓矢が命中した。聖力を受けたスコルは黒い霧となって飛散する。
「テルミィちゃん、その調子ですわ!次!」
「ミィ、なんでお前がここにいるんだ!!」
自分に向けられた二つの声の片方は、ものすごく怒っている。テルミィは顔を真っ青にしてガタガタ震えながらも、再びハエトリ草もどきの種をスコルに向けて投げた。
一度目のそれより更にへなちょこになってしまったが、ハクが種が落下する場所にスコルを誘導してくれたおかげで無事捕縛することができた。
「おい、ミィ!約束、忘れてないだろう……なっ!」
怒声と共にルドルクが捕縛したスコルを一閃する。その剣さばきは見惚れるほどに美しいが、テルミィは恐ろしくて直視できない。
──ど、どうしよう。ルドルクさん、メチャメチャ怒ってる……!!
怒られるようなことをした自覚はあるが、これまで一度もルドルクから怒られたことがないテルミィは、ぶるりと身体を震わす。
違う意味で緊迫した空気になってしまったここを変えてくれたのは、ハクと連携しながら弓矢を射続けるアイリットだった。
「馬鹿弟!今はスコルに集中しなさい!次に、わたくしのテルミィちゃんを怒鳴ったら、あんたの黒歴史を全部喋って差し上げますからっ!雷が怖くて泣いたことも、自分の影をオバケだと思って泣いたことも、わたくしに言い負かされて泣いたことも、全部、全部よ!!」
「わかった!わかったから!姉上、もう喋るなぁぁぁぁ!!」
ルドルクは異論を唱えることなく剣を握り直して、スコルに向かっていった。
それからは無言でテルミィが種を投げハエトリ草もどきがスコルを捕縛する。身動きが取れなくなったスコルは、アイリットが放つ弓矢とルドルクの剣で次々に消滅していく。
最後のスコルが黒い霧となり消滅すれば、曇天の空からポツリポツリと雫が落ちてきた。時刻はもうすぐ夕方なのに、雨のせいで森の中はもう薄暗い。
「……ねえ、ルド。この雨の中、わたくし達がこれを運ばないといけないのかしら?」
乱れた赤髪を背中に払いながらアイリットは”これ”と言った方に視線を向けた。ちなみに”これ”とは、倒れている聖騎士達のことである。
「いや、軽く気絶させただけだからそろそろ起きるだろう。それにしても……めずらしく姉上が他の連中のことまで気にかけるもんだから雨が降ってきた」
「減らず口を叩く暇があったら、力づくでさっさと起こして差し上げなさい。馬鹿弟!」
さっきの黒歴史暴露のお返しにと嫌味を吐いたルドルクに、アイリットは顎をしゃくる。空気が読めるハクは、一足先に気を失っている聖騎士達の顔を舐めたり、尻尾で顔をくすぐったりと忙しい。
テルミィといえば、アイリットの後ろに隠れて気配を必死に隠している。
──……どうしよう……ルドルクさんにバレないように逃げなきゃいけないけど……できるかなぁ、私。
一旦はスコル討伐の為に怒りを抑えてくれたルドルクだが、うやむやにしてくれるとは思えない。
冷や汗をダラダラ流すテルミィを知ってか知らずか、アイリットはルドルクに向け口を開く。
「ところで、どうしてあんた以外の聖騎士は意識を失っているのかしら?」
「ああ、不思議なことに粉を浴びたスコルは人間に精神干渉をしてこなかったんだが、1匹だけここにずっと身を潜めていたスコルがいて、そいつが俺らの精神を干渉したもんだから……まぁ、同士打ちは避けたいから、あいつらには眠ってもらったんだ」
「あらそう。つまり、馬鹿弟が殴り落としたってことなのね。おいたわしいわ、聖騎士の皆様……」
「姉上、言い方!」
苛立った声を出したルドルクは、最後に「それにしてもあの粉はなんなんだ」と呟く。
気付け薬だと説明したはずだが、全く信用していないのがしっかり伝わったテルミィは、ギュっとアイリットのマントを握った。
もしルドルクに詰め寄られたら、白を切り通す自信はない。
「……あ、あの……」
「大丈夫、わたくしに任せて」
小声でアイリットに助けを求めたら、頼もしい笑顔と言葉が返って来た。
「馬鹿弟、わたくし達は先に行くわ。この雨の中、テルミィちゃんに風邪を引かせるわけにはいかないでしょ?一番近い集落わかるかしら?そこの宿を借りて休んでいるから、来たかったら勝手に来なさい」
ごく自然な口調でルドルクに告げたアイリットは、テルミィの肩を抱いてクルリと身体を反転させた。
すぐに、ルドルクの優しい声が背中を包む。
「ああ、そうしてくれ。……ミィ、さっきは怒鳴って悪かった。宿に着いたらすぐに風呂に入って待っとけよ」
また会えると確信に満ちた声を聞いて、テルミィは泣きそうになった。
「……はい。ルドルクさんも、気を付けて」
「ああ、ありがとう」
これがテルミィとルドルクの最後の会話になった。
森を出たテルミィとハクは宿に向かうことはなく、そのまま消息を絶った。
「スコルは結構奥まで逃げ込んでいるみたいですわね。テルミィちゃん、大丈夫?まだ走れ……ごめんなさい。愚かな質問をしたわたくしをお許しになって!」
走りながらテルミィをチラ見したアイリットは、慌てた様子で「なにも喋らなくていいですから!」と付け加える。
嫁ぐまでは騎士団の訓練に参加していたアイリットと違い、テルミィは自他共に認める引きこもりだ。体力の差は歴然で、今にも倒れそうなほど顔色は真っ青で足取りもおぼつかない。
とはいえ、逃げたスコルがどんな状態なのかわからない現在、馬での移動は危険である。
それなら剣も弓矢も扱えないテルミィは、爆睡している魔術師達と、気絶しているケーニスの傍にいる方が懸命だ。キースが一人残って、彼らを介抱しているのだから。
しかしテルミィは、どうしてもルドルク達を追いたかった。最後の切り札とまではいかないけれど、まだ役に立てる手札が残っているから。
「テルミィちゃんを背負って差し上げたいのに!ああ……もうっ、体力を温存しないといけないこの状況、とても悔しいですわ!歯がゆいですわ!!」
悲痛な声で叫びながらアイリットは、テルミィの腕をむんずと掴み走り続けた。
アイリットに引っ張られる形でテルミィは走って走って走り続けた。横腹の差し込むような痛みはとうに感じなくなって、その代わりに肺が悲鳴を上げている。
もう無理かも。視界が狭まる中、テルミィが心の中で弱音を零した瞬間、ハクの足が止まった。
アイリットも疲れを感じさせない動きで足を止めると、よろけたテルミィを抱き留めつつ、辺りをぐるりと見渡した。
「テルミィちゃん、弓矢を錬成したのは大正解でしたわね」
「……っ……ぁ、……っ」
はぁはぁ、ぜいぜい。テルミィは声こそ出せないがアイリットの言葉に全力で同意を示す。
無茶でも何でも、聖力を宿した弓矢をゴリ押しで錬成して良かった。だって、もう剣を握っているのはルドルクだけで、他の聖騎士達は折り重なるように倒れている。なのにスコルは数えるのが面倒くさいと思えるほど、辺り一帯にひしめき合っている。
「テルミィちゃん、いきますわよ」
「は、はい!」
青白い炎を纏う弓矢を構えたアイリットの隣で、テルミィは肩から斜め掛けにしていた鞄から紫色の卵みたいな種を取り出す。
これは以前、旅行に向かうニクル夫妻に贈ったハエトリ草を改良した魔法植物。衝撃で急成長するこれは、人でも魔獣でも捕縛することができる。
目視した限りではスコルの精神は乱れている。今、暴れているのは凶悪な本能からくるもの。これなら勝算はある。
「い、いきます!」
テルミィは最後の力を振り絞って種を投げた。ビュンではなく、ほよよんと頼りなく弧を描いた種はヘロヘロと落下した。
あまりに弱い衝撃にヤバいとテルミィが焦った1拍後、ハエトリ草もどきはズゴゴゴッと目にもとまらぬ速さで成長し、近くにいたスコル数匹を捕縛した。
胸をなでおろす間もなく、ヒュンと風を切る音が響き捕縛したスコルに弓矢が命中した。聖力を受けたスコルは黒い霧となって飛散する。
「テルミィちゃん、その調子ですわ!次!」
「ミィ、なんでお前がここにいるんだ!!」
自分に向けられた二つの声の片方は、ものすごく怒っている。テルミィは顔を真っ青にしてガタガタ震えながらも、再びハエトリ草もどきの種をスコルに向けて投げた。
一度目のそれより更にへなちょこになってしまったが、ハクが種が落下する場所にスコルを誘導してくれたおかげで無事捕縛することができた。
「おい、ミィ!約束、忘れてないだろう……なっ!」
怒声と共にルドルクが捕縛したスコルを一閃する。その剣さばきは見惚れるほどに美しいが、テルミィは恐ろしくて直視できない。
──ど、どうしよう。ルドルクさん、メチャメチャ怒ってる……!!
怒られるようなことをした自覚はあるが、これまで一度もルドルクから怒られたことがないテルミィは、ぶるりと身体を震わす。
違う意味で緊迫した空気になってしまったここを変えてくれたのは、ハクと連携しながら弓矢を射続けるアイリットだった。
「馬鹿弟!今はスコルに集中しなさい!次に、わたくしのテルミィちゃんを怒鳴ったら、あんたの黒歴史を全部喋って差し上げますからっ!雷が怖くて泣いたことも、自分の影をオバケだと思って泣いたことも、わたくしに言い負かされて泣いたことも、全部、全部よ!!」
「わかった!わかったから!姉上、もう喋るなぁぁぁぁ!!」
ルドルクは異論を唱えることなく剣を握り直して、スコルに向かっていった。
それからは無言でテルミィが種を投げハエトリ草もどきがスコルを捕縛する。身動きが取れなくなったスコルは、アイリットが放つ弓矢とルドルクの剣で次々に消滅していく。
最後のスコルが黒い霧となり消滅すれば、曇天の空からポツリポツリと雫が落ちてきた。時刻はもうすぐ夕方なのに、雨のせいで森の中はもう薄暗い。
「……ねえ、ルド。この雨の中、わたくし達がこれを運ばないといけないのかしら?」
乱れた赤髪を背中に払いながらアイリットは”これ”と言った方に視線を向けた。ちなみに”これ”とは、倒れている聖騎士達のことである。
「いや、軽く気絶させただけだからそろそろ起きるだろう。それにしても……めずらしく姉上が他の連中のことまで気にかけるもんだから雨が降ってきた」
「減らず口を叩く暇があったら、力づくでさっさと起こして差し上げなさい。馬鹿弟!」
さっきの黒歴史暴露のお返しにと嫌味を吐いたルドルクに、アイリットは顎をしゃくる。空気が読めるハクは、一足先に気を失っている聖騎士達の顔を舐めたり、尻尾で顔をくすぐったりと忙しい。
テルミィといえば、アイリットの後ろに隠れて気配を必死に隠している。
──……どうしよう……ルドルクさんにバレないように逃げなきゃいけないけど……できるかなぁ、私。
一旦はスコル討伐の為に怒りを抑えてくれたルドルクだが、うやむやにしてくれるとは思えない。
冷や汗をダラダラ流すテルミィを知ってか知らずか、アイリットはルドルクに向け口を開く。
「ところで、どうしてあんた以外の聖騎士は意識を失っているのかしら?」
「ああ、不思議なことに粉を浴びたスコルは人間に精神干渉をしてこなかったんだが、1匹だけここにずっと身を潜めていたスコルがいて、そいつが俺らの精神を干渉したもんだから……まぁ、同士打ちは避けたいから、あいつらには眠ってもらったんだ」
「あらそう。つまり、馬鹿弟が殴り落としたってことなのね。おいたわしいわ、聖騎士の皆様……」
「姉上、言い方!」
苛立った声を出したルドルクは、最後に「それにしてもあの粉はなんなんだ」と呟く。
気付け薬だと説明したはずだが、全く信用していないのがしっかり伝わったテルミィは、ギュっとアイリットのマントを握った。
もしルドルクに詰め寄られたら、白を切り通す自信はない。
「……あ、あの……」
「大丈夫、わたくしに任せて」
小声でアイリットに助けを求めたら、頼もしい笑顔と言葉が返って来た。
「馬鹿弟、わたくし達は先に行くわ。この雨の中、テルミィちゃんに風邪を引かせるわけにはいかないでしょ?一番近い集落わかるかしら?そこの宿を借りて休んでいるから、来たかったら勝手に来なさい」
ごく自然な口調でルドルクに告げたアイリットは、テルミィの肩を抱いてクルリと身体を反転させた。
すぐに、ルドルクの優しい声が背中を包む。
「ああ、そうしてくれ。……ミィ、さっきは怒鳴って悪かった。宿に着いたらすぐに風呂に入って待っとけよ」
また会えると確信に満ちた声を聞いて、テルミィは泣きそうになった。
「……はい。ルドルクさんも、気を付けて」
「ああ、ありがとう」
これがテルミィとルドルクの最後の会話になった。
森を出たテルミィとハクは宿に向かうことはなく、そのまま消息を絶った。
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