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6. 最終決戦……!?
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夜回りの魔物達を残して城が寝静まった頃、ユズリハはむくりとベッドから起き上がった。
魔王の城に滞在するようになって、七日目の夜のことである。
そっと床の上に足を降ろし、足音を忍ばせながら扉へと近づく。そーっと開いてみて、誰もいないことを確認してから部屋を抜け出した。
申し訳程度の蝋燭の灯りを頼りに、足音を響かせないようにと注意を払いながら、廊下を突き進んでいく。
城の間取りは、この七日間でほぼ完璧に頭に入れた。それというのも、足しげくユズリハの部屋へとやってきた魔王に、デートという名目のもと連れ出され、城内ないし城外を十二分に散策する機会に恵まれたからだ。
まるで、迷うことを前提に造られたかのように入り組んだ城内を、しかし的確な順路で進み、夜回りの魔物達に気付かれないよう息をひそめながら、漸く目的地に辿りつく。
岩山に面した北東の部屋――魔王の寝室だ。
柱の陰からこっそり覗き見るが、当然いるだろうと思っていた見張りの姿はない。
「随分、不用心ね……」
思わず、呟く。
何しろ彼女は、魔王の寝込みを襲いにここに来たのだから――。
幾度となく魔王に戦いを挑んできたが、全て簡単に、むしろ楽しそうにあしらわれてしまった。こうなれば、もう、奇襲しかないではないか。
意を決し、ユズリハは魔王の寝室の扉をそろそろと開いて部屋の中へと滑り込んだ。
燭台の炎が室内を朧げに照らしている。
薄闇の中、ユズリハは物音をさせないように、ゆっくりとベッドへと近づいていく。
天蓋から下げられたカーテンの向こうから、微かだが寝息が聞こえる。
ここから、得意の精霊魔法で一気に――
拳をぎゅっと握りしめ、呪文を唱えようとするが、ふと躊躇う。
――やっぱり、寝てるとこをいきなり襲うなんて、卑怯……よね。一声かけてから襲った方がいいかしら……? 今から襲うけど、避けないでね、って?
ユズリハは心中で眉を顰めた。……それは奇襲とは言わない。
……やっぱり、ここはひと思いに?
しかし、そうは思うものの、中々攻撃に踏み切れない。
考えてみれば、魔王は今日に至るまで、一度たりとも卑怯なことはしなかった。それは、する必要もないほど強いってことなのだけれど――
そこでユズリハは、はっとなる。
――これだけ強い魔王とやりあったのに、私、かすり傷ひとつ負ってない。
手加減されていたのは分かっていた。だから、余計にむきになって挑んだ。けれど、そんなユズリハの相手をしながらも、彼はずっと気遣ってくれていたのだ。
彼女を傷つけまい、と。
ユズリハはベッドに背を向けた。
来た道を戻ろうと、扉へ向かって足を一歩踏み出そうとした、その時だった。
「何だ、もう帰るのか?」
聞き知った低い声が夜陰を貫き、ユズリハはびくりと肩を震わし、その場に縫いとめられた。跳ね上がった心臓に静まるようにと言い聞かせながら、恐る恐る振り返る。
閉まっていた筈のカーテンは開いていた。ベッドの縁に腰掛け、悠々とユズリハを見つめる魔王の姿が、揺れる燭台の炎に照らされ、ぼんやりと浮かび上がっている。
その口元に、ふっ……と意地悪そうな笑みが浮かんだのが、気配で分かった。
「気付いてたの……?」
ユズリハが問い掛けると、魔王はいつもの調子で口を開いた。
「気付いていた、ではなく気付いたのだ。愛しいそなたの気配に、我が気付かぬわけがなかろう?」
そして魔王は、近くに来るようにと、僅かな手の動きで示した。
忍び入った後ろめたさもあってか、ユズリハは躊躇いながらも、静かに魔王の方へと足を進めた。一歩、また一歩と近づき、手を伸ばせば触れられる程近付いてから、言う。
「私が何をしに来たか、分かってるんでしょ?」
「夜這いか?」
「違っ――」
顔を赤らめた途端いきなり腕を引かれ、ユズリハはバランスを崩して魔王の胸に倒れ込む。そのまま身体を返され、柔らかな衝撃を背中に受けたのも束の間、ベッドの軋む音と共に魔王に組み敷かれてしまう。
「何するのよ!」
ユズリハを両の腕の間に閉じ込めながら、魔王は楽しげに口の端をつり上げた。
「これがそなたの望みではなかったのか?」
「はぁ!?」
「だから、夜這いだろう? ――ああ、これでは逆だな。我が下にならねばならぬか?」
魔王の深紅の瞳が、面白そうに見下ろしてくる。
ユズリハの顔に一気に朱がのぼった。
「あなた、私のことからかってるでしょ!?」
案の定、くくく……と、魔王は笑い声を漏らした。
ユズリハはますます赤くなる。怒りではなく、羞恥で。
「み、見張りもいなかったし、私が来ることも分かってたんでしょ?」
魔王はユズリハの耳元近くまで顔を下げ、囁いた。
「そなたのように可愛い刺客ならば大歓迎だ」
「~っ」
平手打ちしようにも、両方の腕を優しくベッドに抑えつけられてしまい、歯噛みすることしか出来ない。全てが彼の手の内だ。悔しくて何か言ってやろうと思うのに、言葉が出て来ない。ただ、鼓動だけが速くなっていく。
顔を赤らめたまま黙り込んでしまったユズリハを、魔王はひたと見つめる。
「ところで、まだ見えぬのか?」
「な、何が?」
早鐘のような鼓動に急きたてられ、ユズリハは語気を強めて訊き返す。
すると、夜目にも鮮やかな魔王の深紅の瞳に、妖艶な輝きが加わった。
「そなたは薄情だな。我は、今もこうして目に見える形で愛を示しておるというのに……」
「……な」
魔王の艶めいた美声にどきどきしながらも、ユズリハは拘束されている腕に力を籠める。
「あ……愛って……押し倒されてるようにしか見えないんだけど?」
「それはそうだ、押し倒しておるのだからな。これは、そなたを離したくないという我の愛だ」
ユズリハは耳まで真っ赤になった。
「そそそそんなもの見えないわよ!」
赤くなった顔を隠すように首を傾け、ぷいっと視線を逸らした。
「そなたは強情だな」
薄情でも、強情でも結構、とユズリハは心の中で毒づいた。
それよりも今は、一刻も早くどいて欲しい。さもなければ、いつまでたってもこの鼓動がおさまる気がしない。
「本当に見えぬのだな?」
「しつこいわね! 見えないわよ」
視線を合わさないまま答えると、
「では、仕方があるまい。我はそなたを傷つけまいと、これまでそなたを労わってきたが……」
その言葉に、ああ、ついに……とユズリハは力なく思う。
魔王を怒らせてしまった。
速かった鼓動が急に冷えたように聞こえなくなる。あんなに拒んできたのに、喪失感のようなものが胸の内に広がった。
何、これ。私、がっかりしてる? そんなこと……
心の変化に戸惑っていると、ユズリハの右腕を掴んでいた手がふと緩んだ。
「ここまで尽くしても、我が愛が見えぬと言うならば……」
魔王の手が、ユズリハの右頬を優しく撫でる。
「そなたがこれまで受ける筈だった傷を、あの男に負ってもらうしかあるまい」
………………。……は?
「……意味が分からないんだけど?」
嫌な予感だけはしたのでおずおずと尋ねると、魔王はさらぬ顔で言う。
「言葉のとおりだ。そなたが受ける筈であった傷をそなたが受けなかったのは、我が愛によるものだ。しかしそなたは、それが見えぬと言う。となれば、その傷を見えるようにするしかあるまい?」
え、と、それはつまり……?
泳ぐような視線で説明を促すと、魔王はさらりと残酷な計画を披露した。
「そなたが受ける筈だった傷を、あのゼフィ何とかとやらに肩代わりさせるのだ」
なななななな!?
魔王の恐ろしい発言に、ユズリハは総毛立つ。
「何でそうなるのよ!?」
「あの男の瀕死の姿を見れば、そなたも我が愛を認めざるをえないであろう」
これまでの魔王との戦いを想起し、ユズリハは青ざめた。
命があればまだいい。魔王の魔法に、魔法が使えない騎士である彼は、何処まで耐えることが出来るだろうか……。
「ああ、それと」
魔王は更に不安要素を付け加える。
「食事も考え直さねばなるまい? そなたへの愛をあの男に分けよ、とそなたは我に願ったが、そなたは我が愛が見えぬのであろう? 流石の我も、ないものを分けてやることは出来ぬぞ?」
ユズリハの頭の中で、魔王の言葉が渦を巻く。
だめだ。間違いなく餓死する。
「では、早速あの男を叩き起こ――」
「ま、待って!」
離れていく魔王の腕をユズリハは勢いよく掴んだ。
魔王は待ち構えていたかのように、縋りついてきたユズリハを振り返る。
「何だ、そなたの願いならば、聞いてやらないこともないぞ?」
全てを見透かすその意地悪気な瞳を前に、ユズリハは小さく息を吸った。呼吸を整え、やっとの思いで口にする。
「お願い……私への愛をゼフィーに分けてあげて」
改まって言うには恥ずかしい言葉のように思えて、最後の方は意図せず小声になってしまう。
頬を赤く染めながら身構えるユズリハを愛しげに見つめてから、魔王は後ろからふわりと抱き締めた。
「よかろう。それはつまり、我が愛が見えたということだな」
ユズリハは、ぐっと押し黙る。
「我が愛が見えたから、そなたは愛を分けよと言ったのであろう? 我との約束も勿論覚えておるな?」
「や、約束……」
言い淀むユズリハに、魔王は耳元で囁くように言う。
「我が愛が見えれば、そなたは我が妻となると約束した」
「~っ」
ユズリハは反論することが出来ない。
二の句が継げずにいるユズリハは、ふと喧嘩別れした父のことを思い出した。
魔王に嫁ぐなんて言ったら、父は卒倒するに違いない。何しろ、魔王と言えば悪名轟く魔物達の王なのだ。
わ、私には優しいけど……。
魔王の温もりを背中から感じながら、ユズリハは気に掛かっていることを、思い切って尋ねてみることにした。
「ねぇ……」
「ん、どうしたのだ?」
「その……あなたは、魔王……なのよね?」
虚を突かれたような間があった。当然だ、今更である。
「それがどうかしたのか?」
「色々、悪さをしてきたのよね……?」
「悪さ?」
魔王は、はて、という顔をする。
「だ、だって。魔王は、悪逆非道の限りをつくす魔物達の王……でしょ?」
そう教えられたし、誰もがそう噂している。
緊張しながら答えを待つユズリハに、魔王は顎に手を添えながら短く問い返した。
「我は何をしたのだ?」
え……。
その問いは予想外だったので、ユズリハは答えられなかった。
いや、答えられないのは予想外だったからではない。
「え……と、何をしたの?」
具体的な事例を思い付けずに、不毛にも訊いてきた本人に疑問を投げ返してしまう。
魔王は笑いながら答えた。
「訊いたのは我だぞ。だが、そう言うことだ。我は何もしてはおらぬ」
ユズリハは目を瞬いた。
「何もしてない……?」
「そなたが何も答えられぬのが、その証拠であろう。大体、我がその気になれば、この世界に君臨することは容易い。そうは思わぬか?」
確かに、それはそうだ……とユズリハは思う。魔王の力は桁違いだ。どれだけの人間が束になってかかったところで、彼は笑いながら蹴散らすことが出来る。こんな北の地で大人しくしている必要はない……。
そもそも、と魔王は続ける。
「我が睨みを利かしておるから、生来気性の荒い魔物達も静かにしておるのだ。それでも、時折我の目を盗んで町で悪戯をする者はおるから、困ったものだ」
溜息をつき、ああ、そういえばと言を継ぐ。
「いつだったか、我が城に秘宝があるなどという噂がたち、唐突に攻め入ってきた無法者達がおった故、仕方なく返り討ちにした。それが、いつしか国一つを滅ぼしたと言われるようになり、それ以後ぱたりと近付く者はいなくなったが……」
ユズリハを抱き締める腕に、少しだけ力を籠める。
「誰も来ぬようになって少々退屈しておったところに、我を倒しに来る者がいる、と手下から報告を受けた」
え、誰が……と訊こうとし、ユズリハは口を噤む。……私だ。
「あんなに刺客を放ったのは悪かったと思うが……皆、可愛い娘にやられたとショックを受けて帰ってきたぞ?」
ユズリハは恥ずかしさに俯いた。
「……わ、私が凶暴みたいじゃない」
魔王は笑い声を上げた。
「まぁ、そんなそなたに我は一目惚れしたのだ」
魔王はそう言うけれど、何だか複雑な気分だ。けれど、肖像画一枚で一目惚れしたとかいう何処ぞやの王子よりはいいかもしれない。……と、矜持を保ちつつ思う。
「で、どうだ? 我が愛は見えたのであろう?」
その問いにユズリハはどきりとするが、覚悟を決めて振り返る。
魔王の深紅の瞳と目が合った。
「……ちょっとは見えたかも……ね」
何処までも強情な姫の顎を、魔王は笑いながら上向かせる。
あ……と漏れたユズリハの吐息ごと奪うように、魔王は優しく接吻を落とした――。
……
ルナセレネア王国の王城から、王の驚愕の声が上がった。
「な、何~!?」
書状を手に、わなわなと震えている。
家臣の一人が何事かと尋ねると、王は上気した顔を急に蒼白にし、茫然と答えた。
「婚儀の招待状だ……」
「婚儀。それはめでた――」
「めでたいものか! 姫が、姫が……姫が……」
「姫様がどうされたのです?」
「姫が……魔王と結婚するというのだ……」
「それはめでたい……ええ!?」
事態を知った家臣も、王と同じように驚愕の声を上げる。
「ええい、ゼフィランサスは何をしておるのだ! 誰か、誰か姫を~っ」
王の半狂乱の声がいつまでも響いていたが、相手があの魔王だと知れば、誰も名乗りをあげる筈もなかった……。
【了】
魔王の城に滞在するようになって、七日目の夜のことである。
そっと床の上に足を降ろし、足音を忍ばせながら扉へと近づく。そーっと開いてみて、誰もいないことを確認してから部屋を抜け出した。
申し訳程度の蝋燭の灯りを頼りに、足音を響かせないようにと注意を払いながら、廊下を突き進んでいく。
城の間取りは、この七日間でほぼ完璧に頭に入れた。それというのも、足しげくユズリハの部屋へとやってきた魔王に、デートという名目のもと連れ出され、城内ないし城外を十二分に散策する機会に恵まれたからだ。
まるで、迷うことを前提に造られたかのように入り組んだ城内を、しかし的確な順路で進み、夜回りの魔物達に気付かれないよう息をひそめながら、漸く目的地に辿りつく。
岩山に面した北東の部屋――魔王の寝室だ。
柱の陰からこっそり覗き見るが、当然いるだろうと思っていた見張りの姿はない。
「随分、不用心ね……」
思わず、呟く。
何しろ彼女は、魔王の寝込みを襲いにここに来たのだから――。
幾度となく魔王に戦いを挑んできたが、全て簡単に、むしろ楽しそうにあしらわれてしまった。こうなれば、もう、奇襲しかないではないか。
意を決し、ユズリハは魔王の寝室の扉をそろそろと開いて部屋の中へと滑り込んだ。
燭台の炎が室内を朧げに照らしている。
薄闇の中、ユズリハは物音をさせないように、ゆっくりとベッドへと近づいていく。
天蓋から下げられたカーテンの向こうから、微かだが寝息が聞こえる。
ここから、得意の精霊魔法で一気に――
拳をぎゅっと握りしめ、呪文を唱えようとするが、ふと躊躇う。
――やっぱり、寝てるとこをいきなり襲うなんて、卑怯……よね。一声かけてから襲った方がいいかしら……? 今から襲うけど、避けないでね、って?
ユズリハは心中で眉を顰めた。……それは奇襲とは言わない。
……やっぱり、ここはひと思いに?
しかし、そうは思うものの、中々攻撃に踏み切れない。
考えてみれば、魔王は今日に至るまで、一度たりとも卑怯なことはしなかった。それは、する必要もないほど強いってことなのだけれど――
そこでユズリハは、はっとなる。
――これだけ強い魔王とやりあったのに、私、かすり傷ひとつ負ってない。
手加減されていたのは分かっていた。だから、余計にむきになって挑んだ。けれど、そんなユズリハの相手をしながらも、彼はずっと気遣ってくれていたのだ。
彼女を傷つけまい、と。
ユズリハはベッドに背を向けた。
来た道を戻ろうと、扉へ向かって足を一歩踏み出そうとした、その時だった。
「何だ、もう帰るのか?」
聞き知った低い声が夜陰を貫き、ユズリハはびくりと肩を震わし、その場に縫いとめられた。跳ね上がった心臓に静まるようにと言い聞かせながら、恐る恐る振り返る。
閉まっていた筈のカーテンは開いていた。ベッドの縁に腰掛け、悠々とユズリハを見つめる魔王の姿が、揺れる燭台の炎に照らされ、ぼんやりと浮かび上がっている。
その口元に、ふっ……と意地悪そうな笑みが浮かんだのが、気配で分かった。
「気付いてたの……?」
ユズリハが問い掛けると、魔王はいつもの調子で口を開いた。
「気付いていた、ではなく気付いたのだ。愛しいそなたの気配に、我が気付かぬわけがなかろう?」
そして魔王は、近くに来るようにと、僅かな手の動きで示した。
忍び入った後ろめたさもあってか、ユズリハは躊躇いながらも、静かに魔王の方へと足を進めた。一歩、また一歩と近づき、手を伸ばせば触れられる程近付いてから、言う。
「私が何をしに来たか、分かってるんでしょ?」
「夜這いか?」
「違っ――」
顔を赤らめた途端いきなり腕を引かれ、ユズリハはバランスを崩して魔王の胸に倒れ込む。そのまま身体を返され、柔らかな衝撃を背中に受けたのも束の間、ベッドの軋む音と共に魔王に組み敷かれてしまう。
「何するのよ!」
ユズリハを両の腕の間に閉じ込めながら、魔王は楽しげに口の端をつり上げた。
「これがそなたの望みではなかったのか?」
「はぁ!?」
「だから、夜這いだろう? ――ああ、これでは逆だな。我が下にならねばならぬか?」
魔王の深紅の瞳が、面白そうに見下ろしてくる。
ユズリハの顔に一気に朱がのぼった。
「あなた、私のことからかってるでしょ!?」
案の定、くくく……と、魔王は笑い声を漏らした。
ユズリハはますます赤くなる。怒りではなく、羞恥で。
「み、見張りもいなかったし、私が来ることも分かってたんでしょ?」
魔王はユズリハの耳元近くまで顔を下げ、囁いた。
「そなたのように可愛い刺客ならば大歓迎だ」
「~っ」
平手打ちしようにも、両方の腕を優しくベッドに抑えつけられてしまい、歯噛みすることしか出来ない。全てが彼の手の内だ。悔しくて何か言ってやろうと思うのに、言葉が出て来ない。ただ、鼓動だけが速くなっていく。
顔を赤らめたまま黙り込んでしまったユズリハを、魔王はひたと見つめる。
「ところで、まだ見えぬのか?」
「な、何が?」
早鐘のような鼓動に急きたてられ、ユズリハは語気を強めて訊き返す。
すると、夜目にも鮮やかな魔王の深紅の瞳に、妖艶な輝きが加わった。
「そなたは薄情だな。我は、今もこうして目に見える形で愛を示しておるというのに……」
「……な」
魔王の艶めいた美声にどきどきしながらも、ユズリハは拘束されている腕に力を籠める。
「あ……愛って……押し倒されてるようにしか見えないんだけど?」
「それはそうだ、押し倒しておるのだからな。これは、そなたを離したくないという我の愛だ」
ユズリハは耳まで真っ赤になった。
「そそそそんなもの見えないわよ!」
赤くなった顔を隠すように首を傾け、ぷいっと視線を逸らした。
「そなたは強情だな」
薄情でも、強情でも結構、とユズリハは心の中で毒づいた。
それよりも今は、一刻も早くどいて欲しい。さもなければ、いつまでたってもこの鼓動がおさまる気がしない。
「本当に見えぬのだな?」
「しつこいわね! 見えないわよ」
視線を合わさないまま答えると、
「では、仕方があるまい。我はそなたを傷つけまいと、これまでそなたを労わってきたが……」
その言葉に、ああ、ついに……とユズリハは力なく思う。
魔王を怒らせてしまった。
速かった鼓動が急に冷えたように聞こえなくなる。あんなに拒んできたのに、喪失感のようなものが胸の内に広がった。
何、これ。私、がっかりしてる? そんなこと……
心の変化に戸惑っていると、ユズリハの右腕を掴んでいた手がふと緩んだ。
「ここまで尽くしても、我が愛が見えぬと言うならば……」
魔王の手が、ユズリハの右頬を優しく撫でる。
「そなたがこれまで受ける筈だった傷を、あの男に負ってもらうしかあるまい」
………………。……は?
「……意味が分からないんだけど?」
嫌な予感だけはしたのでおずおずと尋ねると、魔王はさらぬ顔で言う。
「言葉のとおりだ。そなたが受ける筈であった傷をそなたが受けなかったのは、我が愛によるものだ。しかしそなたは、それが見えぬと言う。となれば、その傷を見えるようにするしかあるまい?」
え、と、それはつまり……?
泳ぐような視線で説明を促すと、魔王はさらりと残酷な計画を披露した。
「そなたが受ける筈だった傷を、あのゼフィ何とかとやらに肩代わりさせるのだ」
なななななな!?
魔王の恐ろしい発言に、ユズリハは総毛立つ。
「何でそうなるのよ!?」
「あの男の瀕死の姿を見れば、そなたも我が愛を認めざるをえないであろう」
これまでの魔王との戦いを想起し、ユズリハは青ざめた。
命があればまだいい。魔王の魔法に、魔法が使えない騎士である彼は、何処まで耐えることが出来るだろうか……。
「ああ、それと」
魔王は更に不安要素を付け加える。
「食事も考え直さねばなるまい? そなたへの愛をあの男に分けよ、とそなたは我に願ったが、そなたは我が愛が見えぬのであろう? 流石の我も、ないものを分けてやることは出来ぬぞ?」
ユズリハの頭の中で、魔王の言葉が渦を巻く。
だめだ。間違いなく餓死する。
「では、早速あの男を叩き起こ――」
「ま、待って!」
離れていく魔王の腕をユズリハは勢いよく掴んだ。
魔王は待ち構えていたかのように、縋りついてきたユズリハを振り返る。
「何だ、そなたの願いならば、聞いてやらないこともないぞ?」
全てを見透かすその意地悪気な瞳を前に、ユズリハは小さく息を吸った。呼吸を整え、やっとの思いで口にする。
「お願い……私への愛をゼフィーに分けてあげて」
改まって言うには恥ずかしい言葉のように思えて、最後の方は意図せず小声になってしまう。
頬を赤く染めながら身構えるユズリハを愛しげに見つめてから、魔王は後ろからふわりと抱き締めた。
「よかろう。それはつまり、我が愛が見えたということだな」
ユズリハは、ぐっと押し黙る。
「我が愛が見えたから、そなたは愛を分けよと言ったのであろう? 我との約束も勿論覚えておるな?」
「や、約束……」
言い淀むユズリハに、魔王は耳元で囁くように言う。
「我が愛が見えれば、そなたは我が妻となると約束した」
「~っ」
ユズリハは反論することが出来ない。
二の句が継げずにいるユズリハは、ふと喧嘩別れした父のことを思い出した。
魔王に嫁ぐなんて言ったら、父は卒倒するに違いない。何しろ、魔王と言えば悪名轟く魔物達の王なのだ。
わ、私には優しいけど……。
魔王の温もりを背中から感じながら、ユズリハは気に掛かっていることを、思い切って尋ねてみることにした。
「ねぇ……」
「ん、どうしたのだ?」
「その……あなたは、魔王……なのよね?」
虚を突かれたような間があった。当然だ、今更である。
「それがどうかしたのか?」
「色々、悪さをしてきたのよね……?」
「悪さ?」
魔王は、はて、という顔をする。
「だ、だって。魔王は、悪逆非道の限りをつくす魔物達の王……でしょ?」
そう教えられたし、誰もがそう噂している。
緊張しながら答えを待つユズリハに、魔王は顎に手を添えながら短く問い返した。
「我は何をしたのだ?」
え……。
その問いは予想外だったので、ユズリハは答えられなかった。
いや、答えられないのは予想外だったからではない。
「え……と、何をしたの?」
具体的な事例を思い付けずに、不毛にも訊いてきた本人に疑問を投げ返してしまう。
魔王は笑いながら答えた。
「訊いたのは我だぞ。だが、そう言うことだ。我は何もしてはおらぬ」
ユズリハは目を瞬いた。
「何もしてない……?」
「そなたが何も答えられぬのが、その証拠であろう。大体、我がその気になれば、この世界に君臨することは容易い。そうは思わぬか?」
確かに、それはそうだ……とユズリハは思う。魔王の力は桁違いだ。どれだけの人間が束になってかかったところで、彼は笑いながら蹴散らすことが出来る。こんな北の地で大人しくしている必要はない……。
そもそも、と魔王は続ける。
「我が睨みを利かしておるから、生来気性の荒い魔物達も静かにしておるのだ。それでも、時折我の目を盗んで町で悪戯をする者はおるから、困ったものだ」
溜息をつき、ああ、そういえばと言を継ぐ。
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ユズリハを抱き締める腕に、少しだけ力を籠める。
「誰も来ぬようになって少々退屈しておったところに、我を倒しに来る者がいる、と手下から報告を受けた」
え、誰が……と訊こうとし、ユズリハは口を噤む。……私だ。
「あんなに刺客を放ったのは悪かったと思うが……皆、可愛い娘にやられたとショックを受けて帰ってきたぞ?」
ユズリハは恥ずかしさに俯いた。
「……わ、私が凶暴みたいじゃない」
魔王は笑い声を上げた。
「まぁ、そんなそなたに我は一目惚れしたのだ」
魔王はそう言うけれど、何だか複雑な気分だ。けれど、肖像画一枚で一目惚れしたとかいう何処ぞやの王子よりはいいかもしれない。……と、矜持を保ちつつ思う。
「で、どうだ? 我が愛は見えたのであろう?」
その問いにユズリハはどきりとするが、覚悟を決めて振り返る。
魔王の深紅の瞳と目が合った。
「……ちょっとは見えたかも……ね」
何処までも強情な姫の顎を、魔王は笑いながら上向かせる。
あ……と漏れたユズリハの吐息ごと奪うように、魔王は優しく接吻を落とした――。
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ルナセレネア王国の王城から、王の驚愕の声が上がった。
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家臣の一人が何事かと尋ねると、王は上気した顔を急に蒼白にし、茫然と答えた。
「婚儀の招待状だ……」
「婚儀。それはめでた――」
「めでたいものか! 姫が、姫が……姫が……」
「姫様がどうされたのです?」
「姫が……魔王と結婚するというのだ……」
「それはめでたい……ええ!?」
事態を知った家臣も、王と同じように驚愕の声を上げる。
「ええい、ゼフィランサスは何をしておるのだ! 誰か、誰か姫を~っ」
王の半狂乱の声がいつまでも響いていたが、相手があの魔王だと知れば、誰も名乗りをあげる筈もなかった……。
【了】
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