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月下の夢語り
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妻の小夜子がこの世を去った。
それは余りにも突然で、すぐに受け入れることが出来なかった。まだ何処かにいるような気がして、私は家の中を彷徨った。
思い出の残滓はそこかしこにあるのに、彼女はもう何処にもいない。
無常な現実を突きつけられ、私は部屋の隅で丸くなるしかなかった。
どれくらいそうしていたのだろう。
夜風がカーテンを揺らし、青白い月明かりを招き入れた。
帯状の光がゆっくりと伸びてきて、うずくまった私の足元を照らす。
小夜子……?
私はふらりと立ち上がり、夜着のまま庭へ降りた――
かさかさと葉擦れの音が響く庭に、月の光だけが落ちている。
記憶の中の小夜子が、物憂げな表情で月を見上げていた。
――月を見ると懐かしくなるの。
彼女は私に気付くと、そう呟いた。
月光を纏った姿はまるで、月宮に住まうという女仙か、彼のかぐや姫を思わせた。
――きっと、私は月から来たの。だから、もし死んだら……私はあの月へ還るわ。
小夜子はそう言って、遠い昔を懐かしむように瞼を閉じた。
絵本が好きだった小夜子は、よく空想に耽っていた。
魔法使いがカボチャの馬車を出したり、白兎が不思議の国へ連れて行ってくれたり、小夜子の世界はいつも夢であふれていた。
私はそんな彼女の夢物語が好きだったが、死んだら月へ還るという言葉は、私の胸をざわめかせた。
今にも月へ還ってしまう気がして、私は思わず小夜子の手を掴んだ。
小夜子は驚いたように私を見て、悪戯っぽく微笑んだ。
――大丈夫よ、まだ行かないから。でも……
小夜子はあの時、先に逝くことを予見していたのだろうか。
――もし私が先に死んだら、あなたのこと、月から見守るわ。だから、悲しまないでね。約束よ?
私は縁起でもない、と彼女を窘めた。
だが現実は、彼女の言った通りになった。
今宵は、奇しくもあの日と同じ満月……。
まんまるの月が、静かに私を見下ろしている。
――月を見ると懐かしくなるの。
私はそっと瞼を閉じた――
【了】
それは余りにも突然で、すぐに受け入れることが出来なかった。まだ何処かにいるような気がして、私は家の中を彷徨った。
思い出の残滓はそこかしこにあるのに、彼女はもう何処にもいない。
無常な現実を突きつけられ、私は部屋の隅で丸くなるしかなかった。
どれくらいそうしていたのだろう。
夜風がカーテンを揺らし、青白い月明かりを招き入れた。
帯状の光がゆっくりと伸びてきて、うずくまった私の足元を照らす。
小夜子……?
私はふらりと立ち上がり、夜着のまま庭へ降りた――
かさかさと葉擦れの音が響く庭に、月の光だけが落ちている。
記憶の中の小夜子が、物憂げな表情で月を見上げていた。
――月を見ると懐かしくなるの。
彼女は私に気付くと、そう呟いた。
月光を纏った姿はまるで、月宮に住まうという女仙か、彼のかぐや姫を思わせた。
――きっと、私は月から来たの。だから、もし死んだら……私はあの月へ還るわ。
小夜子はそう言って、遠い昔を懐かしむように瞼を閉じた。
絵本が好きだった小夜子は、よく空想に耽っていた。
魔法使いがカボチャの馬車を出したり、白兎が不思議の国へ連れて行ってくれたり、小夜子の世界はいつも夢であふれていた。
私はそんな彼女の夢物語が好きだったが、死んだら月へ還るという言葉は、私の胸をざわめかせた。
今にも月へ還ってしまう気がして、私は思わず小夜子の手を掴んだ。
小夜子は驚いたように私を見て、悪戯っぽく微笑んだ。
――大丈夫よ、まだ行かないから。でも……
小夜子はあの時、先に逝くことを予見していたのだろうか。
――もし私が先に死んだら、あなたのこと、月から見守るわ。だから、悲しまないでね。約束よ?
私は縁起でもない、と彼女を窘めた。
だが現実は、彼女の言った通りになった。
今宵は、奇しくもあの日と同じ満月……。
まんまるの月が、静かに私を見下ろしている。
――月を見ると懐かしくなるの。
私はそっと瞼を閉じた――
【了】
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