千夜一夜の魔導事典

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 明くる日、錬金薬学の講義の時間を迎えた生徒たちはどこか浮ついた様子だった。
 薄っすらクマを引いた目は輝き、荒れた頬にも朱が指している。

 これまで錬金術関連の講義は座学が基本。
 この魔法薬ポーションの課題が初めての実践。

 志を胸にこのフスハイム魔術学院に通う生徒からすれば無理からぬ事だった。

 しかし、その興奮は担当の老教師の登場と共に氷点下まで急降下した。

「せ、先生、なんスか、それ?」

 かすれた声と共に一人の男子生徒が指さす先を、老教師は不思議そうな目で追う。

 そこにあるのは巨大なピンク色の肉塊だった。
 そこかしこからてんで節操も無く足や手が生えている。
 口と思しき箇所からはカラスを締め上げたような奇声を発し、複数ある大小の目からは粘着質な不快な液体を垂れ流す。

 貧相な表現だが、それでも『バケモノ』という言葉以外、誰もこれを表現する言葉が見当たらなかった。

「うむ? ああ、これは諸君らの魔法薬ポーションの効果のほどを測る為の魔法生物だ」
「測る、って……?」
「道具なんて実際使ってみなくては分からないではないか」

 そう大した感慨も無く告げると、老教師は懐から一本の短杖を取り出し、『風鎌ウィンディ・スラッシュ』の呪文を紡ぎ出す。
 俄かに風を凪ぐが鳴り、次の瞬間『バケモノ』が一際大きく鳴いた。

「では時間も掛かる事だし、さっそく『課題』の出来栄えを試していこうか」

 ピンク色の肉塊には、深々とした赤黒い傷が刻まれている。
 これに治癒の効果を持つ魔法薬ポーションを飲ませ、成績を評価していくという事だろう。

 恐々とした生徒たちを余所に、老教師は淡々と手元の名簿にある名を読み上げていく。
 名を呼ばれた生徒は震える手で自身の作成した魔法薬ポーションを差し出し、足早に元の位置へと戻って行った。

「ふむ、アンネ・アッペル君……。色の方が少し濁りが多いね。不純物が多いとこうなる。さて、効果の方はどうかな?」

 ひとしきり瓶を眺めた後、その蓋を開けて『バケモノ』の口の中へと注ぎ込む。
 異変はすぐに起こった。

『キヒィィィイッ!』

 ガラスを引っ掻くような甲高い声を上げたかと思うと、『バケモノ』の体が脈動する。
 すると深々とした傷が瞬くような輝きを発し、次の瞬間には半ばほどまでその傷が塞がっていた。

「うん、効果の方はそこそこみたいだね。これだけなら大めに見て『』評価でも良いが――」

 そして次の瞬間、『バケモノ』が大きく身震いをした。
 内部からぐちゅぐちゅと気色の悪い音が響く。
 それから十秒ほどの肉の演奏オーケストラの後、『バケモノ』は腐った藻のような液体を肉塊のあらぬ所から吐き出す。

「これは人間で言う所の肝臓が動く音だ。要は体に取り込んだ物の中から毒素をろ過して吐き出している。今吐き出したのは先ほど飲ませた簡易癒薬キュア・ウーンズの中の不純物だ。これが多いと傷を治す時に拒否反応で体に痛みが生じると言われている」

 老教師はそう講釈を述べながら、肉塊の体表を流れる汚水を目盛りのついた瓶で掬い取る。

「ふむ……凡そ一割ほどが消化不良だったようだ。効果はそれなりだが、不純物が多すぎるな。アンネ・アッペル、評価は『C』だ」

 そう評価を告げられた女生徒はがっくりと肩を落とし、とぼとぼと友人たちの輪の中へと消えていった。

「では次の生徒!」

 名簿の次の名を呼びながら、老教師は慣れた手つきで短杖を振るう。
 すると『バケモノ』の悲鳴が上あがり、傷の深さはまた先ほど同じ長さまで伸びていた。
 それからはほとんど流れ作業のように、魔法薬を飲ませる事の繰り返しだった。

 変わる事と言えば、延々と奇怪な『バケモノ』の悲鳴を聞かせ続けられる生徒たちの顔色ぐらいなものだ。

「ぐ、くそッ! 何でこんな最低な講義を受けなきゃいけないんだ……!」

 おそらくこの惨状を齎した張本人であろうグイードはそんな泣き言を呟き、周囲から冷たい視線を送られている。

 だが教室の中には意外と平然としている者たちも存在していた。
 ハンスのような田舎の農村からの出身者たちだ。
 このような『バケモノ』に思う所が無いわけでは無いが、この程度の事なら故郷での日々の生活の中で耐性がある。
 野生動物の腐敗した死体や鹿の解体など、見慣れたものだった。

 雑談を交わす余裕のある者もちらほら存在する。
 ハンスもそんな中の一人だった

「そんなに大騒ぎするほどのものかな?」
「そだね」

 しかし相手の返事は素っ気ない。
 さりとてこの惨状に心を痛めている、というわけでも無さそうである。

 ハンスは相手――幼馴染のビーネを胡乱げに見るが、あえてそれ以上は深く突っ込まなかった。
 なんだかあの『バケモノ』以上に、不審で危険な気配を感じたのである。

 だからだろうか、最後の最後に自身の名が呼ばれた時人知れずほっと一つ息を吐いた。

「次、ハンス・ユーカ―!」

 名簿があるのに最後に呼ばれたのはきっと偶然では無いだろう。
 その直前に名を呼ばれ、『A』の評価を受けていたグイードが挑戦的な笑みを向けていたのだから。

「あんまり恥ずかしい作品を提出する前に、に謝ってしまうのも手じゃないかなぁ?」

 わざとらしいグイードの呟きは敢えて無視して、ハンスは課題の簡易癒薬キュア・ウーンズを老教師へと差し出した。
 それを眼前まで持っていき、老教師は目を細める。

「美しい……ハッ!?」

 翡翠色に輝く魔法薬ポーションを見つめ、老教師は思わずそんな呟きを漏らした。
 これでもう大方評価の方向性は決まったようなものだった。
 老教師もその自覚があるのか、震えた手で瓶の中身を『バケモノ』の口へと流し込む。

 すると、淡い燐光と共にその傷が塞がっていく。

 それまでのほとんどの生徒の簡易癒薬キュア・ウーンズは、傷を半ばまで治すものがほとんどだった。
 『A』評価のグイードのものでも七割ほど。
 ではハンスのものはと言えば――何度も刻まれた深い傷を完全に塞いでいる。

「……おぉ! しかも反動も無い!」

 講義の評価自体は真っ当に行うつもりなのか、それともグイードの嫌がらせの事などもう頭に無いのか。
 老教師は感動しきりにハンスの作成した魔法薬ポーションの効果のほどを確かめていた。

 傷は完全に塞がり、不純物を含んだ汚水の噴出も無い。

「ううむ、これは文句の付けようが無いな」

 その声にクラスメイト達はどよめき、グイード達は抗議の声を上げた。
 そして当のハンスはと言うと、これに関しては無感動だった。

 ハンスの経験は実際の所数十年分の蓄積がある。
 特に錬金術は技術よりも知識による所が大きい。
 既にこの老教師と同程度かそれ以上の見識を持つハンスからすれば、これは確認作業のような儀式だった。

 ――それでも『ズル』だけはしないけど。

 そう内心で言い訳染みた事を考えていると、ハンスのそばに老教師が歩み寄って来た。





「……誰かの支援でも受けられたのかね」

 あの粗末な素材で学生が、まともな魔法薬ポーションを作れるわけが無い。
 これはそういう事だろう。

 老教師は逡巡の末、一歩踏み込むことを決めたようだった。
 この生徒は幸運にも何処か名家の後援を授かる事が出来た――そう考えれば大体の疑問が氷解する。

 その場合は高度な教育理論を持った魔術師を擁し、平民に惜しげもなく高価な代替の錬金素材を与え、フェグダ家の権威を気にしないそれなり以上の家柄だということになるが。

「まぁそんな所です」

 そしてその推察は大して間違ってもいないので、ハンスはとりあえず肯定してみせた。
 それに教師は「やはり」と諦観にも似た驚きの唸りを上げた。

 珍しい事だが、あり得ないことでは無いのだ。

 社会における魔術師の基本は、知恵ある隠者である。
 共和国の表舞台で名を知られずとも、辺境でひっそりと研鑽を積む名家は多い。
 それが新たな知と血を求め、縁を結ぶ目的でフスハイムに足を延ばす。
 そういう手合いも、居るには居る。

 ここで老教師はこの一件について「見切り」をつけた。

 フェグダ家の嫡子の子供の嫌がらせには付き合った。
 それで十分、義理は果たしたと言えよう。

 それより重要なのは、この平民生徒が結んだ縁の方だ。
 未知の魔術理論に、懐の広い支援――それは率直に羨ましいし、機会があれば是非御相伴に預かりたい。

 そしてそう思うのはクラスメイトたちも同じことだった。
 特に同じ平民出身の学生のハンスを見る目と言えば、餓狼のような輝きを帯びている。

「良縁に恵まれたようだな。おめでとう、ハンス・ユーカ―。『A』評価だ」

 それは光栄な事の筈なのに、ハンスは何故か居心地の悪さから身震いをするのだった。



「へえ、良縁ねえ……」

 女の低い声が、響く。
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