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ヴァイス村へと赴く馬車の中、ビョルンは沈痛な面持ちで俯いていた。
僅かでもエレノアに頭を下げるのが癪だ、という子供染みた感情も当然ある。
しかしそれ以上にビョルンの心をかき乱しているのは、「自分はもうキレイなままでは居られないだろう」という予感の為だった。
開拓地に纏わる諸々の権利を取り戻すには、住民たちを懐柔して王家に靡かせる他無い。
無辜の民を欲で釣り、竜狩りの戦士を嘘で絆す。
そんな「悪事」にビョルン自身が手を染めなければならないのである。
これでは何のために、多少強引でもエレノアとの縁を切ろうとしたのかが分からなくなる。
このような薄暗い根回しは、あの女の好む手法だった。
「……いいや、だからこそ開拓地に向かうのだと思おう」
ビョルンは顔を上げ、瞳に義憤の火を灯した。
きっとそのエレノアこそ、哀れな平民たちを騙して王国での再起を企んでいるに違いない。
それを阻む為に釘をさすだけだ。
ビョルンは自身にそのように言い聞かせる事で、軋みを上げる自尊心を何とか保とうとしていた。
「お前の好きにはさせない」
その呟きは耳障りな馬の蹄の音と共に、轍の中へと埋もれていくのだった。
◆
「まぁ、こうなりますわよね」
エレノアはヴァイス村の前に現れた煌びやかな馬車の一団を眺め、諦観のため息を吐いた。
馬車には王家の紋章が刻まれ、警護につく騎士たちも高位の者。
王家からの使者がやって来た事は明白だった。
大量の作物取引、水源地、そして竜。
こちらも短い期間に派手に動いたのだから、確認がてら釘を刺しに来るのは当たり前だ。
「追い返しますか?」
村娘は何でも無いようにそんな事を言う。
エレノアはそれに首を振ってこたえた。
「なにも聞かずにそんな事をすれば悪評が立つでしょう。私が応対します」
紋章から使者が王家の血筋である事は確定。
となれば扱う案件は重要事だ、と向こうも認識しているという事。
多少は政に馴染みのあるエレノアは、万が一にでも話が拗れないようにと使者の応対を買って出た。
それに先の公爵の事もある。
相手はエレノアにも用があるに違いない。
「しかし一体誰が……」
そう呟きながら馬車を降りた人物の顔を見て、エレノアは驚いた。
心底忘れてしまいたい、この世で最も見たくない顔がそこにはあった。
それは相手も同じようで、エレノアに気が付くなり精巧な顔はぐにゃりと歪んだ。
「エレノア……」
「あら殿下、ご機嫌うるわしゅう。本日はこのようなさもしい所に何の御用で?」
エレノアが固い笑みでそんな応対をすると、後ろにいる村人たちがどよめき立つ。
そしてその中から数人の足音が近寄って来る音が聞こえた。
「な、なんだお前たちはッ!」
ビョルンの警護につく騎士たちが剣を抜き放ち前に出る。
一触即発の空気、というよりもその顔には困惑が色濃く出ていた。
飛び出してきた集団は完全武装。
しかも王都でもそうは見ない上質な武具である。
そしてそれを装備する村人自体も異様だった。
その足運びや身に纏う覇気から相当な高レベルだという事が、熟練の騎士たちには嫌でも分かるのだろう。
エレノアは思わず額を抑えた。
きっと彼らは自分を心配して駆けつけてくれたのだろう。
こうなると魔物対策に行っていた装備やレベルの充実も、この場合逆効果である。
しかしその助けは意外な所から出た。
「いやあ、すみませんねえ。これがオレ達の持ってる中で一番良い服なもので」
思わず周囲が引くようなえげつない罠と毒で単身竜を狩ったヨトゥン老人だ。
貴人に対する戦士の礼儀、という事ならまだ言い訳も立つ。
「う、うむ! 常在戦場のその志で持って歓待に訪れた事、まこと大義である!」
その後方からも殺意の視線を放つ高レベルの集団が控えている事を察しながらも、ビョルンは努めて平静を装った。
「……しかし随分と上手くやったようだね、エレノア」
だが目の前の女を牽制する事も忘れない。
「あら、何のことでしょうか?」
「村人たちと仲良くしていることだよ。諸々の噂についてもだ。平民に堕ちたとは言え、着飾る事に関して君に適う者はそういないだろう」
「そのようなお褒めの言葉の為にわざわざこんな辺境に? 光栄な事ですわ」
いささかも怯まないエレノアを見て、ビョルンは一瞬だけ口を真横に結ぶ。
「……まぁ民の中で苦労を学んだのは事実のようだ。喜ぶと良い。キミも十分反省したようだし、先の事は許そうじゃないか」
途中顔を歪めながら、王者としての威厳を保ちつつビョルンは言った。
しかしそれを聞くエレノアの顔は、固い笑顔のまま変わらない。
「お断りしますわ」
そしてはっきりと拒絶の言葉を口にした。
「何だと? 貴族の身に戻りたくは無いのか!」
「今の身の上の方が気楽ですし、皆も良くしてくれておりますので。それに――」
「それに、なんだ?」
「殿下の許しを請うような覚えが私にはありませんもの」
ビョルンの顔がかっと赤く染まり、それを傍らで聞いた騎士たちは驚きと畏れで蒼くなる。
「エレノアッ! 自分が何を言っているのか分かっているのか!」
「罪など覚えが無いとこれまで申し上げていたではありませんか。言動を翻すつもりはございません」
「貴様ッ! 人が折角……ッ! 後で後悔するなよ!」
人前でこうまで激高することなど、恐らくビョルンの人生では初めての事である。
整った王家の顔は、怒りと羞恥で見る影も無い。
「もう良いっ。お前の事などコチラの憐れみで口にしたまでのこと。救いが要らんというなら用は無い!」
ビョルンは己の使命も忘れ、ただこの場の羞恥から逃げる為だけにエレノアから目を背けた。
「……今日の本題は別にある。ヨトゥンという名の者はいるか!」
「あ、オレだ」
エレノアのすぐ横にいる老人が呑気な声を上げる。
虚を突かれたビョルンは、少しだけ間抜けな顔になった。
「お、お前が……? いや、此度の竜狩りの件、大義である! 陛下はその武と献身をお喜びになり、お前にヴァイス男爵の名乗りを上げる事をお許しになられた!」
必死に己を取り繕いながらそう宣言すると、村の方から驚きの声が上がった。
だがそれは困惑に満ち、否定的な色が濃い。
このような場合、普通は喜ぶはず。
ビョルンは村人たちの反応の意図が分からず、その場で立ちすくんだ。
「いや、オレもお断りしときますわ」
そしてヨトゥンがつまらなそうな顔でそう返したのを聞いて、今度はビョルンの方が驚く事となった。
「な、なんだと!? どういう事だ!」
「はぁ、そりゃこちらのお嬢様に薬と罠を用意して貰ったから出来たことなんで。自分一人で手柄独り占めとか恥ずかしくて出来ませんわ」
「竜狩りとはそれだけの功績がある事だ! そこの女に遠慮する事など無い! どうせ口を挟んだだけだろう!」
「貴族様ってのは人に命じて動かす仕事なんじゃ無いんですかい?」
老人に当たり前の事を諭されて、若き王子は言葉を詰まらせた。
そこの女は貴族などでは無い、と罵倒したがっているのが傍から見ても手に取る様に分かる。
止めに入るか、口を挟むべきか。
エレノアは迷うが、結局この場は静観する事に決めた。
「それにヴァイス男爵って、村の畑や水の事もオレのもんになるんでしょう? 村の皆が納得しませんわ」
「む、それは確かに。ではそれに関してはこちらも功績の大なる者を探し、個別に恩賞を与えるが?」
「それやったら全部お嬢様のもんになりますわ。土耕したのはお嬢様なんで。オレらはそれを運んで捨てただけです」
「なッ! そんな馬鹿な……?」
ビョルンは訝し気にエレノアを睨み付けた後、その背後の村人たちの方を見た。
しかし話を聞いていた村人の中から異論の声が上がることは無い。
「……本当にエレノアがやったのか? まさか!」
「私は土を崩しただけです。それを功績と呼ばれると、その、困りますが」
エレノアは困惑しながらもそれを否定しなかった。
事の次第を知ったビョルンは目を白黒させている。
「やはり土の魔術か? いや、それより君が土に汚れる事を善しとするなんて……」
「今は平民ですので。それに常々殿下のお叱りを受けていたように、姑息な根回しなどにも手を汚しておりました。身分に応じた責務と苦労がある、とそれだけの話です」
「……ッ!」
その言葉に何か思い当たる事でもあったのか、ビョルンは手を震わせている。
思わずエレノアの頭の中に呑気な『聖女』の顔が浮かぶ。
そして「色々あったんだろうな」とただ他人事のように思案するのみ。
そうして二人の間に居心地の悪い沈黙が訪れるのだった。
「それにまぁ、オレも年ですからねえ……」
後はそこに呆れたようなヨトゥンの言葉がそこに挟まれただけで、その日の邂逅は終わりを告げるのだった。
◆
「馬車を出せ」
外から警護の騎士の声が響く。
余裕が無いのか、それはどこか早口になっている。
ビョルンの交渉は誰の目から見ても失敗なのは明らかだった。
噂の『悪女』エレノアに袖にされ、竜狩りの返答も芳しくない。
そして何より良くないのは村人たちの怒りを買ったことだ。
「奴らは?」
「土塁の向こうからまだ見てます。あれは相当弓の心得がありますね」
エレノアは相当に村人たちから好かれていたようで、王族の馬車だというのにビョルン一行は村の敷地内に入ることも出来なかった。
平時であればその非礼を咎めるべき騎士たちも、殺気を飛ばす村人の顔を見て指摘しなかったぐらいだ。
これ以上何か言って大事にするよりは、何も言わず自分たちから出ていった方が利口である。
そのように判断して、まともな宿の期待できる街の方へと馬の頭を向けた。
「殿下、今からでは八足馬の足でも到着は夜半過ぎになりますが」
「……良い。任せる」
ビョルンの声は来た時以上に沈んだものとなっていた。
恥を晒し、当初の目的も失敗。
その上に今まで自分を支えて来た大義も揺らいでしまった。
――身分に応じた責務。
どのように生きていても、意に添わず己を汚す必要がある。
それをよりにもよってエレノアに言われた。
何よりそれがビョルンの心を抉った。
「……手を汚す必要がある」
なら自分はどうすべきか。
今更行儀の良さなど気にしている場合では無いのかもしれない。
僅かでもエレノアに頭を下げるのが癪だ、という子供染みた感情も当然ある。
しかしそれ以上にビョルンの心をかき乱しているのは、「自分はもうキレイなままでは居られないだろう」という予感の為だった。
開拓地に纏わる諸々の権利を取り戻すには、住民たちを懐柔して王家に靡かせる他無い。
無辜の民を欲で釣り、竜狩りの戦士を嘘で絆す。
そんな「悪事」にビョルン自身が手を染めなければならないのである。
これでは何のために、多少強引でもエレノアとの縁を切ろうとしたのかが分からなくなる。
このような薄暗い根回しは、あの女の好む手法だった。
「……いいや、だからこそ開拓地に向かうのだと思おう」
ビョルンは顔を上げ、瞳に義憤の火を灯した。
きっとそのエレノアこそ、哀れな平民たちを騙して王国での再起を企んでいるに違いない。
それを阻む為に釘をさすだけだ。
ビョルンは自身にそのように言い聞かせる事で、軋みを上げる自尊心を何とか保とうとしていた。
「お前の好きにはさせない」
その呟きは耳障りな馬の蹄の音と共に、轍の中へと埋もれていくのだった。
◆
「まぁ、こうなりますわよね」
エレノアはヴァイス村の前に現れた煌びやかな馬車の一団を眺め、諦観のため息を吐いた。
馬車には王家の紋章が刻まれ、警護につく騎士たちも高位の者。
王家からの使者がやって来た事は明白だった。
大量の作物取引、水源地、そして竜。
こちらも短い期間に派手に動いたのだから、確認がてら釘を刺しに来るのは当たり前だ。
「追い返しますか?」
村娘は何でも無いようにそんな事を言う。
エレノアはそれに首を振ってこたえた。
「なにも聞かずにそんな事をすれば悪評が立つでしょう。私が応対します」
紋章から使者が王家の血筋である事は確定。
となれば扱う案件は重要事だ、と向こうも認識しているという事。
多少は政に馴染みのあるエレノアは、万が一にでも話が拗れないようにと使者の応対を買って出た。
それに先の公爵の事もある。
相手はエレノアにも用があるに違いない。
「しかし一体誰が……」
そう呟きながら馬車を降りた人物の顔を見て、エレノアは驚いた。
心底忘れてしまいたい、この世で最も見たくない顔がそこにはあった。
それは相手も同じようで、エレノアに気が付くなり精巧な顔はぐにゃりと歪んだ。
「エレノア……」
「あら殿下、ご機嫌うるわしゅう。本日はこのようなさもしい所に何の御用で?」
エレノアが固い笑みでそんな応対をすると、後ろにいる村人たちがどよめき立つ。
そしてその中から数人の足音が近寄って来る音が聞こえた。
「な、なんだお前たちはッ!」
ビョルンの警護につく騎士たちが剣を抜き放ち前に出る。
一触即発の空気、というよりもその顔には困惑が色濃く出ていた。
飛び出してきた集団は完全武装。
しかも王都でもそうは見ない上質な武具である。
そしてそれを装備する村人自体も異様だった。
その足運びや身に纏う覇気から相当な高レベルだという事が、熟練の騎士たちには嫌でも分かるのだろう。
エレノアは思わず額を抑えた。
きっと彼らは自分を心配して駆けつけてくれたのだろう。
こうなると魔物対策に行っていた装備やレベルの充実も、この場合逆効果である。
しかしその助けは意外な所から出た。
「いやあ、すみませんねえ。これがオレ達の持ってる中で一番良い服なもので」
思わず周囲が引くようなえげつない罠と毒で単身竜を狩ったヨトゥン老人だ。
貴人に対する戦士の礼儀、という事ならまだ言い訳も立つ。
「う、うむ! 常在戦場のその志で持って歓待に訪れた事、まこと大義である!」
その後方からも殺意の視線を放つ高レベルの集団が控えている事を察しながらも、ビョルンは努めて平静を装った。
「……しかし随分と上手くやったようだね、エレノア」
だが目の前の女を牽制する事も忘れない。
「あら、何のことでしょうか?」
「村人たちと仲良くしていることだよ。諸々の噂についてもだ。平民に堕ちたとは言え、着飾る事に関して君に適う者はそういないだろう」
「そのようなお褒めの言葉の為にわざわざこんな辺境に? 光栄な事ですわ」
いささかも怯まないエレノアを見て、ビョルンは一瞬だけ口を真横に結ぶ。
「……まぁ民の中で苦労を学んだのは事実のようだ。喜ぶと良い。キミも十分反省したようだし、先の事は許そうじゃないか」
途中顔を歪めながら、王者としての威厳を保ちつつビョルンは言った。
しかしそれを聞くエレノアの顔は、固い笑顔のまま変わらない。
「お断りしますわ」
そしてはっきりと拒絶の言葉を口にした。
「何だと? 貴族の身に戻りたくは無いのか!」
「今の身の上の方が気楽ですし、皆も良くしてくれておりますので。それに――」
「それに、なんだ?」
「殿下の許しを請うような覚えが私にはありませんもの」
ビョルンの顔がかっと赤く染まり、それを傍らで聞いた騎士たちは驚きと畏れで蒼くなる。
「エレノアッ! 自分が何を言っているのか分かっているのか!」
「罪など覚えが無いとこれまで申し上げていたではありませんか。言動を翻すつもりはございません」
「貴様ッ! 人が折角……ッ! 後で後悔するなよ!」
人前でこうまで激高することなど、恐らくビョルンの人生では初めての事である。
整った王家の顔は、怒りと羞恥で見る影も無い。
「もう良いっ。お前の事などコチラの憐れみで口にしたまでのこと。救いが要らんというなら用は無い!」
ビョルンは己の使命も忘れ、ただこの場の羞恥から逃げる為だけにエレノアから目を背けた。
「……今日の本題は別にある。ヨトゥンという名の者はいるか!」
「あ、オレだ」
エレノアのすぐ横にいる老人が呑気な声を上げる。
虚を突かれたビョルンは、少しだけ間抜けな顔になった。
「お、お前が……? いや、此度の竜狩りの件、大義である! 陛下はその武と献身をお喜びになり、お前にヴァイス男爵の名乗りを上げる事をお許しになられた!」
必死に己を取り繕いながらそう宣言すると、村の方から驚きの声が上がった。
だがそれは困惑に満ち、否定的な色が濃い。
このような場合、普通は喜ぶはず。
ビョルンは村人たちの反応の意図が分からず、その場で立ちすくんだ。
「いや、オレもお断りしときますわ」
そしてヨトゥンがつまらなそうな顔でそう返したのを聞いて、今度はビョルンの方が驚く事となった。
「な、なんだと!? どういう事だ!」
「はぁ、そりゃこちらのお嬢様に薬と罠を用意して貰ったから出来たことなんで。自分一人で手柄独り占めとか恥ずかしくて出来ませんわ」
「竜狩りとはそれだけの功績がある事だ! そこの女に遠慮する事など無い! どうせ口を挟んだだけだろう!」
「貴族様ってのは人に命じて動かす仕事なんじゃ無いんですかい?」
老人に当たり前の事を諭されて、若き王子は言葉を詰まらせた。
そこの女は貴族などでは無い、と罵倒したがっているのが傍から見ても手に取る様に分かる。
止めに入るか、口を挟むべきか。
エレノアは迷うが、結局この場は静観する事に決めた。
「それにヴァイス男爵って、村の畑や水の事もオレのもんになるんでしょう? 村の皆が納得しませんわ」
「む、それは確かに。ではそれに関してはこちらも功績の大なる者を探し、個別に恩賞を与えるが?」
「それやったら全部お嬢様のもんになりますわ。土耕したのはお嬢様なんで。オレらはそれを運んで捨てただけです」
「なッ! そんな馬鹿な……?」
ビョルンは訝し気にエレノアを睨み付けた後、その背後の村人たちの方を見た。
しかし話を聞いていた村人の中から異論の声が上がることは無い。
「……本当にエレノアがやったのか? まさか!」
「私は土を崩しただけです。それを功績と呼ばれると、その、困りますが」
エレノアは困惑しながらもそれを否定しなかった。
事の次第を知ったビョルンは目を白黒させている。
「やはり土の魔術か? いや、それより君が土に汚れる事を善しとするなんて……」
「今は平民ですので。それに常々殿下のお叱りを受けていたように、姑息な根回しなどにも手を汚しておりました。身分に応じた責務と苦労がある、とそれだけの話です」
「……ッ!」
その言葉に何か思い当たる事でもあったのか、ビョルンは手を震わせている。
思わずエレノアの頭の中に呑気な『聖女』の顔が浮かぶ。
そして「色々あったんだろうな」とただ他人事のように思案するのみ。
そうして二人の間に居心地の悪い沈黙が訪れるのだった。
「それにまぁ、オレも年ですからねえ……」
後はそこに呆れたようなヨトゥンの言葉がそこに挟まれただけで、その日の邂逅は終わりを告げるのだった。
◆
「馬車を出せ」
外から警護の騎士の声が響く。
余裕が無いのか、それはどこか早口になっている。
ビョルンの交渉は誰の目から見ても失敗なのは明らかだった。
噂の『悪女』エレノアに袖にされ、竜狩りの返答も芳しくない。
そして何より良くないのは村人たちの怒りを買ったことだ。
「奴らは?」
「土塁の向こうからまだ見てます。あれは相当弓の心得がありますね」
エレノアは相当に村人たちから好かれていたようで、王族の馬車だというのにビョルン一行は村の敷地内に入ることも出来なかった。
平時であればその非礼を咎めるべき騎士たちも、殺気を飛ばす村人の顔を見て指摘しなかったぐらいだ。
これ以上何か言って大事にするよりは、何も言わず自分たちから出ていった方が利口である。
そのように判断して、まともな宿の期待できる街の方へと馬の頭を向けた。
「殿下、今からでは八足馬の足でも到着は夜半過ぎになりますが」
「……良い。任せる」
ビョルンの声は来た時以上に沈んだものとなっていた。
恥を晒し、当初の目的も失敗。
その上に今まで自分を支えて来た大義も揺らいでしまった。
――身分に応じた責務。
どのように生きていても、意に添わず己を汚す必要がある。
それをよりにもよってエレノアに言われた。
何よりそれがビョルンの心を抉った。
「……手を汚す必要がある」
なら自分はどうすべきか。
今更行儀の良さなど気にしている場合では無いのかもしれない。
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