僕の初恋を返せ

鹿音二号

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カッシュの無事な姿を見て、すこし、いやかなりほっとした。
しばらくぼうっとしているうちに、ほんのちょっと寝てしまったらしい。とは言っても、さっきの泥のような眠りじゃない、何かあれば意識する前に飛び起きるような浅い眠り。
それだけでも、だいぶ頭がすっきりした。

(カッシュは、ドリザンドを信じると言った)

怪我もなさそうで、つまり昨晩のレイリーの言葉は本当なのだろう。

(カッシュはなんで信じたんだ?)

そう、彼も、カディラルの間諜の誰もがそうであるように、人質を取られている。
裏切りがバレた場合は、どうなるかなんて一目瞭然。裏切りどころか……今、こんなふうに全員が捕まったとなると、自分たちが生きていようが死んでいようが、人質はどうなるのか。

(だから、なのか)

人質となった大事な、彼の場合は妻子の無事を確保できる可能性があるのは、かなしいかな、まだ今のところ嘘を言わないドリザンドだ。

カディラルへの忠誠心は、実のところほとんど誰も持ち合わせていない。デイルは人質を取られているのだと分かった時点で、みじんもなくなってしまった。

今なら、ドリザンドの方が可能性があると分かる。
王太子は、やると言ったらやるお人だ。

(でも、信じられなくなったな……)

グレオルの人となりは知っているはずだった。
おおらかで、優しくて、意志の強い人。
けれど、あの時は言葉の通じない全くの別人に見えた。
いや、薬で錯乱したデイルの感想だから……いや違う。

(そもそも普通にないよな?)

まともな判断ができない人間を襲うなという話だ。
どうしてそんな当たり前のことに気付かないのだ。

(……やっぱり薬でおかしくなってるな、僕)

けれど、好きだったのだ。
自分で気づかなかった気持ちを暴かれて、これ幸いと頂かれた。王太子に何の心づもりがあったのか知らないが、ないったらない。
……これは、怒っていいのだろう。
やっと整理がついて、ふつふつと怒りがわいてきた。

正体がバレた上に気持ちもバレて、好きな人にわけもわからず抱かれた。あまりの衝撃的な出来事に頭がこんがらがっていた。
気がつけば、簡単な話だ。

(ドリザンドの目的を聞いていない)

一番重要で、分からない理由はそれだ。
……聞いてもいいのだろう。
レイリーは、語りかけてくれた。
聞いてどうするかは、その時だ。
カッシュも、そんな気持ちだったのだろう。そして、彼はドリザンドを選んだ。

(……喉が渇いたな)

ようやく、いろんな感覚が戻ってきた。
身体は、足腰の違和感以外はおかしなところがない。変な匂いやベトつきはないということは……あまり考えないようにしよう。
着ている服はワンピースの寝間着だろう。肌触りもいいし、もしかしたら高価なものの気がする。
目だけで周囲を探ると、どうやらこの部屋は城の客間といったところか。たぶん、王宮のような気がする。非効率を嫌うレイリーは、間諜だろうと用事があるデイルにすぐに会えるようにしているはずだ。

(よし……)

心は決まった。

「ベイディさま、」
「何!?」

いるとは聞いていたけれど、呼ぶと食らいつくように返事されてしまった。
暇だったのだろう。

「あの……お水をいただけますか」
「いいぞ!もちろん!」

目の前に現れたのは、貴族で騎士らしく、柔和で整った顔の青年。薄緑色の切れ長の目、亜麻色の髪が少しカールして額にかかっている。
言いながら、嬉々として水差しを差し出すベイディ。なんだか相変わらずで笑いそうになってしまう。

「ああ、手をほどこうか?許可はもらっている」

だが、すっと落ち着いて確認を取る彼も、レイリーの従者なだけはある。

「逃げることは考えない方がいい。俺も帯剣しているし、外には衛兵が3人いる。そして……自分を傷つけないでくれ」
「はい。分かりました」
「そうか」

心底ほっとしたというように、ベイディは頬を緩めた。
手足の拘束は解いてもらったが、今見てみると細い布だ。どれだけ丁寧に扱われていたのか分かってしまい、少し胸がつきんとした。
伊達に長い間間諜として働いていない。死線をくぐることなんて特別なことではなかったし、尋問や拷問で痛めつけられたことも。
薬だって、かたくななデイルに少しばかり口をきかせるようにしたかっただけだろう――そう、あの王太子の仕打ちがなければ。

(やっぱりあれのせい)

内心でブスくれながら、水をもらう。少し手の力が入らない気がするけれど、おそらく長い間拘束されていたからだろう。

「……デイル」

横に座ったベイディは、おそるおそる声をかけてきた。

「はい」
「その、俺、信じられなくて……お前が、その間諜だって」
「……事実ですよ」
「本当……なのか」
「レイリー様が無実の人間を捕まえるような間違いをするわけないでしょう……王太子と違って」
「ん?最後?」
「いーえ」

ぼそりと付け加えた恨み言は聞かれていないようで良かった。
ベイディは人の良さそうな顔のそのまま、心配そうにデイルを見ている。

「だが、大丈夫か、ずいぶんつらそうだった」

どうやら、彼はデイルの身に何が起きたのか、あまり知らないらしい。ほっとする。

「……今はマシです。お水、ありがとうございました」
「いや……その、何でも言ってくれ。外には出せないが、ある程度便宜は図っていいとレイリー様は仰っていた」
「ありがとうございます」

これは懐柔作戦だろうか。
けれど、カッシュも居心地がいい牢屋、なんて言い方をしていた。ようは捕虜程度の扱いはしてもらえるのだろう。
そして、何故かデイルを重要視して、どうにか味方にしようとしているのは変わっていない。

(そうか、時間がない……って)

ふと気がついた。

「ベイディ様、今は僕が捕まった次の日ですよね、何時ですか」

「たしか、昼の2の半……くらいだろう」
「……時間がない、か」

レイリーがおそらく気にしているのは、カディラルへの定期連絡だ。
間諜全員の持ち回りで、3日ごとにひとりずつ自筆で書いた手紙を、夕方に城の外へ出す。それをレイリーには知られていたのだろう。
そして、その定期連絡は今日の夕方、デイルの番だ。
それが届かないとなると、カディラルに疑われることになる。

(やっぱり、僕たちの正体がバレたことは隠しておきたいんだな)

時間は確かに差し迫っている。
早々にレイリーに会わなければ。
デイルは、かたわらのベイディに目を向けた。

「レイリー様に、お会いしたいと伝えてくださいますか」
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