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1:頭が良くないんですの
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一面、赤い光と灼熱が踊っていた。
どこを見ても、赤い。
ごうごう、ぱちぱちと大きな音が断続的に響く。
髪を、肌を、その下の肉を、熱がじわりじわりと焼いていく。
熱い、痛い、死んでしまう!
叫んでも、誰も助けてくれるはずもない。
人々に望まれ、磔にされ、火を放たれた。
自分の最大の武器である魔法も、教会の司祭たちが全力で掛けた封印の法術が阻み、何をしても剥がれなかった。
苦しい。痛い。
どうして。
(ミルリィ、お父様、イワン、オデット――テリッツ様)
誰も彼もが、ミズリィの死を望んだのだ。
私が何をしたというの。
死ぬことよりも、何故彼らが裏切ったのか――それが悲しくてしようがない。
どうして、どうして――
最後まで、自分を焼く赤い光は瞳から消えなかった。
朝だ。
白い光がミズリィの目に入ってくる。
朝――
「――!?」
がばり、と思わずバネのように跳ね起きた。ドキドキと、心臓が痛いほどに高鳴っている。じわりと汗が吹き出した。
「え……!?」
あたりを見回す。
見覚えがある、部屋だ。
そして、自分が今座っているのもふかふかとしたベッドで、見覚えがある。
天蓋付きのベッドで身を起こしたまま、よく観察する。
しばらくして思い出した。
昔……成長に合わせて部屋を移ったり改装したりする前、住んでいた子供の頃の自分の部屋だった。
はっと手を見ても、足をシーツから出しても、シミひとつなく滑らかな肌だ。
「……夢?」
あんな、火あぶりにされる夢なんて――
それとも、これが夢だろうか。
昔の、まだ何も知らずに思い通りに生きる、ミズリィ・ペトーキオ公爵令嬢の夢。
しかし手を抓ってみても、痛みがあった。
そして、恐ろしい火あぶりの記憶も、つい数分前のことのようで。
あのときの苦しみと痛みを思い出して、ぶるりと震えた。
怖かった。あんな怖い目に遭うなんて。
夢ならよかった。
これが夢なら覚めないでほしい。
ぼうっとしたミズリィの耳に、コンコン、とノックの音が聞こえた。
びくりとした彼女のことなど知らないというように、ドアはあっさりと開いた。
「まあ、お嬢様。お目覚めでしたか」
ミズリィを見てお辞儀をするメイド。
見覚えがある。そう、まだ学院に通っていた十代の頃に、専属だった屋敷の使用人。
「……フローレンス……?」
信じられない気持ちだった。
彼女はミズリィが学院を卒業した後、屋敷を去っていったはずだ。
ただ、記憶にあるよりすこし幼い。
フローレンスはミズリィと同い年のはずで、最後にその姿を見たのは20歳の時だったはずのに。
今目の前にやってきた彼女は、15歳ほどの少女だ。
「はい。どうされましたか?」
「……ええっと」
彼女はにこりと笑う。
最後は、喧嘩別れをした。
付き合いきれないと、主人のミズリィに歯向かい、怒りながら去っていった。
けれど、今は昔のままの、まだ友人のようにしてくれるときの姿で。
信じられない。
「まあ、お顔色が悪いですわ、お嬢様」
じっと見つめているミズリィを、心配そうに見るフローレンスに、声を、出せない。
「もしかして、具合が悪いのでしょうか?お待ち下さい、お医者様を――」
バタバタと部屋を出ていくフローレンスと入れ替わりに、また見覚えがあるメイドがやってきて、やはり心配そうにこちらに話しかけてくるけれど、それどころじゃない。
うろうろと視線を巡らせると、部屋の壁際にあるドレッサーの、鏡が目に入る。
記憶にあるより幼い自分が、そこにいた。
白いまろやかな肌、銀髪を切りそろえて、吊り目がちの瞳は輝くような紫。背丈は変わらない気がするが、すでに成長しきったからだろう。
けれど、顔つきや手の形は、どう見ても少女だ。学院に通っていた頃の。
ミズリィは、ばたん、と後ろ向きに倒れた。
まだベッドから出ていなくてよかった、ふかふかのクッションが頭を包んでくれた。
「きゃあ!お嬢様!」
本当に具合が悪くなってきた。
「おえ……」
医者に見せられたが、何もおかしなところはなかった。
おかしなところだらけでしょう!?と言いたかったのだけれど、その医者もまた、数年前に死んだ老医師だったのでもはや何がおかしいのかさっぱりだった。
いちおう安静に、と言われ、ベッドに戻されたミズリィは、数時間経ってようやくすこし落ち着いてきた。
(……なぜかしら)
夢なのだろうか。
火あぶりにされる数年後と、安全な少女時代、どちらが、夢なのだろうか。
けれど、どちらも現実ではないだろうかと、なんとなく思う。
記憶が鮮やかすぎるからだ。
このベッドで目覚める前の、裏切られ罪人として捕まり、処刑台に上り火をつけられる瞬間、炎に飲まれる瞬間がいつまでたっても忘れられない。
魔法的な何かだろうか。しかし、こんな状況にする魔法を、ミズリィは知らない。
記憶を弄るにしてもこんな大掛かりに別の記憶にしてしまうのも、幻を見せるにしても……そして、時間を操るものも。
帝国で有数の魔術師であるミズリィが知らない魔法は、ないとは言わないけれど。
一体誰がこんなことができるのかというのも不思議だ。少なくとも、ミズリィにはそんな魔法を知っていても扱えない。完全に魔力と技術不足だ。
ところで。
ミズリィは頭が良くなかった。
自慢ではないが、学院での試験は毎度下から数えたほうが早かったような有様。
魔法関係の科目だけはまあまあ平均を超えるが、一般教養になると目も当てられない。
学院でできた友人たちの会話についていけずに、ぼんやりと笑っていたことも多い。
つまり、こういう訳のわからない状況は……
(誰かに相談したい……!)
明らかに自分の手に余った。
しかし、ミズリィのいいところは、むやみやたらに自信家ではないところだった。
力不足は誰かに補ってもらう――それが一番いいと知っている。
けれど、こんな、処刑されて死んだはずですが何故か生きていて数年前に戻ってきました、なんて、誰に言えるのだろうか。
それはさすがのミズリィも、信じてくれるとは思えない。
(……テリッツ様……)
一瞬、自分の婚約者にしてこの国の第一皇子のことが頭によぎる。
彼は優秀で、人としても尊敬できる。物腰が柔らかで、多少婚約者が頭のおかしいことを言っても、きっと……
(いえ、駄目だわ)
裏切られたときの、ゴミを見るようにミズリィを見下した、あのテリッツの目が忘れられない。
それに――薄々気づいていたけれど。
彼は本当の心を、誰にも見せていない。誰にでも優しくて、同時に、誰も見ていない。
ズキズキと痛む胸をそっと押さえながら、あまり良くない頭を必死に動かした。
(まだ……誰にも言えないわ。それに、これが夢かもしれない。いつか覚める夢……)
死ぬ瞬間に、これまでの人生が記憶に蘇る現象があるという。
けれど、こうやって夢かもと思いながら、自分でものを考えている。
(すくなくとも、自分で自由に動けるということだわ)
それなら、夢が覚めるまで、好きに生きてもいいということではないだろうか。
(そう……もしかしたらやり直せるかもしれない)
裏切った人たち――彼らに裏切られず、ちょうど今のような……敬愛する婚約者と、最愛の妹と父、仲間たちと仲を悪くすることもなく、幸せな未来を生きられるように出来るかもしれない。
いつか終わる夢だとしても――
ふと、ドアのノックの音が聞こえた。
「入っていらして」
おずおずと開かれた扉の影から、また見覚えのある人がひょこりと顔を出した。
「お姉さま……?ごかげんが悪いとお聞きして……」
ミズリィと同じ銀髪の、まだ幼い少女だった。
10歳くらいだろうか、けれど顔は整い、将来美人になるだろう。大きな瞳は明るい緑。部屋はカーテンを閉じてしまって暗いけれど、その目や銀髪は、光り輝いて見えた。
「ミルリィ……」
名前を呼ぶと、少女、ミルリィはぱあ、と顔を明るくした。
「ミズお姉さま!起きていてだいじょうぶなのですか?」
「え、ええ」
記憶よりも、随分と幼い。
やはり、自分の年齢が巻き戻った分、他の全員も……それどころか屋敷、国も遡っていた。さっき聞いたことだと、ミズリィは今、学院に通っている。
本当に、10代の頃の世界なのだ。
そして……ミルリィは、実の妹は。
最後に会ったのは、処刑される3日前。
覚えのない罪で捕まったミズリィを、憎々しげに鉄格子越しに見る美しい顔。
恨まれていたのだと、その時初めて知ったのだ。
どうして、何故。
お姉様と慕ってくれていたのは、嘘だったのか……
けれど、今ベッドに近寄り、心配そうな笑みを浮かべる妹は――ただただ、愛おしい。
「お休みのところ、ごめんなさい。でも、お会いできてうれしいです」
「ミリィ……」
「はやくよくなって、またいっしょに遊んでくださいね」
これはお花です、と、小さな紫の花を差し出してくる、まだ柔らかくて小さな手。
純粋に、心配と好意を伝えてくる可愛らしい表情が、とても嬉しくて――
「あ、今お花のおみずを……きゃっ」
「ミルリィ……!」
胸が痛くて張り裂けそうだ。
どうして、あんな顔をさせたのだろう。
何が悪かったのか、どうして憎まれるようになったのだろう。
愛しい家族、かわいい妹。
いつの間にか抱きしめていたミルリィは、戸惑っていたけれど、大丈夫ですか?とゆっくりと手を伸ばして、背中に届かない手で撫でてくれる。
涙が溢れた。
決心した。
絶対に、ミルリィやテリッツ、大切な人たちと幸せになれる未来にたどり着きたい。
夢だとしても、一分一秒、一瞬でも長く。
そうは言っても。
ミズリィは、頭が良くない。
どうすればいいのかわからない。
どうすればみんなに憎まれず、処刑されなくなるのか、具体的な方法がわからないのだ。
「原因……は……」
机に向かって、ペンを動かしカリカリと紙に書きつけていく。覚えているうちに、前世のことを書いておこうと思ったのだ。
メモの取り方なんて、学院に通っていたころにそれっぽくやっていただけで、卒業後は書きつける必要があるものは、いつも執事に任せていた。
だから、とても久しぶりに手紙以外を書いている。
もう深夜だ。もう全部忘れて眠ってしまいたかったのをなんとか起きて、父や身の回りの世話をしてくれるメイドたちに挨拶し、今日一日休むために部屋には入らないでほしいと誤魔化した。
夜も更けて、皆が寝静まった頃にこうやって机に着いた。持続性の魔法で、ランプには光が灯る。
それで……気づいたのだけれども。
火が、怖い。
魔力をいちいち使って明かりを作るなんて、実は面倒なのだ。小さな明かりくらいマッチを擦れば火がつくのに、魔術師といったって道具を使うような簡単な方法を取る。
けれど、ミズリィの場合は違う。
将来帝国最強と呼ばれるミズリィは、場合によっては息をするように魔法を使う。自分の唯一の取り柄であり、特徴だった。
ランプの火くらい、簡単に魔法でつけようとして……ちらついた炎の記憶に、悲鳴を上げそうになった。
さいわい、火をつけるのと同じく、火を消すのも一瞬だ。ミズリィにしかできないこと。
それが分かったときの、恐怖と困惑……日常生活で、火を見ない事はできないだろう。
今は仕方なく、ミズリィほどの魔術師でも、補助の魔道具がなければ一晩で魔力が空っぽになるような持続性の光を魔法でランプに設置した。
今日は、仕方がないけれど、いつもこうしているわけにもいかないだろう。
それはそれとして、今は少しでも記憶を思い出さないといけない。
前世は――いつの間にか、周囲の人間が離れていったのだ。
理由は分からない。
ミズリィの身分は公爵家の令嬢だ。
帝国で貴族としては最高位の家門のひとつ、ペトーキオ公爵家。
出生の身分にしても、そして、皇太子テリッツの婚約者としても、魔術師としても、このホーリース帝国では指折りの力の持ち主。
なのに、ある時からその名前の価値は落ちていき、最後は身近な全員が裏切った、そんなふうにミズリィには見えた。
まわりは伝説にある世界の敵――『世界を滅ぼす悪魔』だと、そうミズリィに指を差して……
「そうだわ……たしか……」
罪人として捕まったあと、誰かが言ったのだ、強すぎるのも災難だな、と。
そして、教会の異端審問にかけられ、初めて罪状を知ったのだった。
しかしよく覚えていない、ショックで頭が真っ白だった。
けれど、ひとつだけ、聞き覚えがあって、それは自分がやったことではないと抗議したのを思い出した。
「大精霊……」
そう、大精霊が――
「うっ……」
ひどい頭痛と、吐き気がして、すこし気を失っていた。
気がつくと、目が霞んでいて、けれど歪んだ文字が目の前にあって、『大カバ』と……
「大精霊……大精霊よ」
書き間違えた。
おぼろげに覚えているのは、たしか帝都の近くにそびえる聖山に封じられた大精霊、その封印が解けた事件がミズリィが捕まる少し前にあったのだ。
経緯はよく覚えていない。ただ、そのせいで天候が荒れて、たった一ヶ月であたりの畑の作物がすべて枯れてしまったのだ。
飢饉にはならなかったものの、食料品が全て高くなり、民衆が怒って暴動になりかけていた。
その大精霊を、討伐しようとしたのだ。
その、帝立の学院の魔術師が中心となった討伐隊メンバーに、ミズリィは入っていた。
強大な精霊で、戦いでは危うく死人が出そうだった。
けれど、大精霊は長らく封印されていた憂さ晴らしに近隣の天候を変えて遊んでいただけだったらしい。
人間の魔術師たちの猛攻に、不利な状況になるとどこかに消えてしまった。
その事件が――何故か、ミズリィが大精霊の封印を破ったことになっていたのだ。
おかしいと思ったのは、その一部始終の報告を、テリッツ皇子が受け取っていたことなのだ。その報告について意見を求められ、自分の知っていることは直に彼に伝えたはずなのに。
「どうして……」
涙が出そうだ。
皇家からは、ミズリィが捕まったことに対して何も言わなかったと聞いた。
抗議も、いきなり皇太子の婚約者が拘束された処遇のことについても。
「……」
ともかく、その事件は教会ではミズリィが悪魔であるという証拠だと重く扱っていた。
この事件が、起こらなければ。
ひょっとして、処刑されなくなるのだろうか。
事件は、7年後に起こる。それを防げば、ミズリィは死ななくて済むのだろうか?
「でも……どうやって……?」
誰も、答えてくれない。
どこを見ても、赤い。
ごうごう、ぱちぱちと大きな音が断続的に響く。
髪を、肌を、その下の肉を、熱がじわりじわりと焼いていく。
熱い、痛い、死んでしまう!
叫んでも、誰も助けてくれるはずもない。
人々に望まれ、磔にされ、火を放たれた。
自分の最大の武器である魔法も、教会の司祭たちが全力で掛けた封印の法術が阻み、何をしても剥がれなかった。
苦しい。痛い。
どうして。
(ミルリィ、お父様、イワン、オデット――テリッツ様)
誰も彼もが、ミズリィの死を望んだのだ。
私が何をしたというの。
死ぬことよりも、何故彼らが裏切ったのか――それが悲しくてしようがない。
どうして、どうして――
最後まで、自分を焼く赤い光は瞳から消えなかった。
朝だ。
白い光がミズリィの目に入ってくる。
朝――
「――!?」
がばり、と思わずバネのように跳ね起きた。ドキドキと、心臓が痛いほどに高鳴っている。じわりと汗が吹き出した。
「え……!?」
あたりを見回す。
見覚えがある、部屋だ。
そして、自分が今座っているのもふかふかとしたベッドで、見覚えがある。
天蓋付きのベッドで身を起こしたまま、よく観察する。
しばらくして思い出した。
昔……成長に合わせて部屋を移ったり改装したりする前、住んでいた子供の頃の自分の部屋だった。
はっと手を見ても、足をシーツから出しても、シミひとつなく滑らかな肌だ。
「……夢?」
あんな、火あぶりにされる夢なんて――
それとも、これが夢だろうか。
昔の、まだ何も知らずに思い通りに生きる、ミズリィ・ペトーキオ公爵令嬢の夢。
しかし手を抓ってみても、痛みがあった。
そして、恐ろしい火あぶりの記憶も、つい数分前のことのようで。
あのときの苦しみと痛みを思い出して、ぶるりと震えた。
怖かった。あんな怖い目に遭うなんて。
夢ならよかった。
これが夢なら覚めないでほしい。
ぼうっとしたミズリィの耳に、コンコン、とノックの音が聞こえた。
びくりとした彼女のことなど知らないというように、ドアはあっさりと開いた。
「まあ、お嬢様。お目覚めでしたか」
ミズリィを見てお辞儀をするメイド。
見覚えがある。そう、まだ学院に通っていた十代の頃に、専属だった屋敷の使用人。
「……フローレンス……?」
信じられない気持ちだった。
彼女はミズリィが学院を卒業した後、屋敷を去っていったはずだ。
ただ、記憶にあるよりすこし幼い。
フローレンスはミズリィと同い年のはずで、最後にその姿を見たのは20歳の時だったはずのに。
今目の前にやってきた彼女は、15歳ほどの少女だ。
「はい。どうされましたか?」
「……ええっと」
彼女はにこりと笑う。
最後は、喧嘩別れをした。
付き合いきれないと、主人のミズリィに歯向かい、怒りながら去っていった。
けれど、今は昔のままの、まだ友人のようにしてくれるときの姿で。
信じられない。
「まあ、お顔色が悪いですわ、お嬢様」
じっと見つめているミズリィを、心配そうに見るフローレンスに、声を、出せない。
「もしかして、具合が悪いのでしょうか?お待ち下さい、お医者様を――」
バタバタと部屋を出ていくフローレンスと入れ替わりに、また見覚えがあるメイドがやってきて、やはり心配そうにこちらに話しかけてくるけれど、それどころじゃない。
うろうろと視線を巡らせると、部屋の壁際にあるドレッサーの、鏡が目に入る。
記憶にあるより幼い自分が、そこにいた。
白いまろやかな肌、銀髪を切りそろえて、吊り目がちの瞳は輝くような紫。背丈は変わらない気がするが、すでに成長しきったからだろう。
けれど、顔つきや手の形は、どう見ても少女だ。学院に通っていた頃の。
ミズリィは、ばたん、と後ろ向きに倒れた。
まだベッドから出ていなくてよかった、ふかふかのクッションが頭を包んでくれた。
「きゃあ!お嬢様!」
本当に具合が悪くなってきた。
「おえ……」
医者に見せられたが、何もおかしなところはなかった。
おかしなところだらけでしょう!?と言いたかったのだけれど、その医者もまた、数年前に死んだ老医師だったのでもはや何がおかしいのかさっぱりだった。
いちおう安静に、と言われ、ベッドに戻されたミズリィは、数時間経ってようやくすこし落ち着いてきた。
(……なぜかしら)
夢なのだろうか。
火あぶりにされる数年後と、安全な少女時代、どちらが、夢なのだろうか。
けれど、どちらも現実ではないだろうかと、なんとなく思う。
記憶が鮮やかすぎるからだ。
このベッドで目覚める前の、裏切られ罪人として捕まり、処刑台に上り火をつけられる瞬間、炎に飲まれる瞬間がいつまでたっても忘れられない。
魔法的な何かだろうか。しかし、こんな状況にする魔法を、ミズリィは知らない。
記憶を弄るにしてもこんな大掛かりに別の記憶にしてしまうのも、幻を見せるにしても……そして、時間を操るものも。
帝国で有数の魔術師であるミズリィが知らない魔法は、ないとは言わないけれど。
一体誰がこんなことができるのかというのも不思議だ。少なくとも、ミズリィにはそんな魔法を知っていても扱えない。完全に魔力と技術不足だ。
ところで。
ミズリィは頭が良くなかった。
自慢ではないが、学院での試験は毎度下から数えたほうが早かったような有様。
魔法関係の科目だけはまあまあ平均を超えるが、一般教養になると目も当てられない。
学院でできた友人たちの会話についていけずに、ぼんやりと笑っていたことも多い。
つまり、こういう訳のわからない状況は……
(誰かに相談したい……!)
明らかに自分の手に余った。
しかし、ミズリィのいいところは、むやみやたらに自信家ではないところだった。
力不足は誰かに補ってもらう――それが一番いいと知っている。
けれど、こんな、処刑されて死んだはずですが何故か生きていて数年前に戻ってきました、なんて、誰に言えるのだろうか。
それはさすがのミズリィも、信じてくれるとは思えない。
(……テリッツ様……)
一瞬、自分の婚約者にしてこの国の第一皇子のことが頭によぎる。
彼は優秀で、人としても尊敬できる。物腰が柔らかで、多少婚約者が頭のおかしいことを言っても、きっと……
(いえ、駄目だわ)
裏切られたときの、ゴミを見るようにミズリィを見下した、あのテリッツの目が忘れられない。
それに――薄々気づいていたけれど。
彼は本当の心を、誰にも見せていない。誰にでも優しくて、同時に、誰も見ていない。
ズキズキと痛む胸をそっと押さえながら、あまり良くない頭を必死に動かした。
(まだ……誰にも言えないわ。それに、これが夢かもしれない。いつか覚める夢……)
死ぬ瞬間に、これまでの人生が記憶に蘇る現象があるという。
けれど、こうやって夢かもと思いながら、自分でものを考えている。
(すくなくとも、自分で自由に動けるということだわ)
それなら、夢が覚めるまで、好きに生きてもいいということではないだろうか。
(そう……もしかしたらやり直せるかもしれない)
裏切った人たち――彼らに裏切られず、ちょうど今のような……敬愛する婚約者と、最愛の妹と父、仲間たちと仲を悪くすることもなく、幸せな未来を生きられるように出来るかもしれない。
いつか終わる夢だとしても――
ふと、ドアのノックの音が聞こえた。
「入っていらして」
おずおずと開かれた扉の影から、また見覚えのある人がひょこりと顔を出した。
「お姉さま……?ごかげんが悪いとお聞きして……」
ミズリィと同じ銀髪の、まだ幼い少女だった。
10歳くらいだろうか、けれど顔は整い、将来美人になるだろう。大きな瞳は明るい緑。部屋はカーテンを閉じてしまって暗いけれど、その目や銀髪は、光り輝いて見えた。
「ミルリィ……」
名前を呼ぶと、少女、ミルリィはぱあ、と顔を明るくした。
「ミズお姉さま!起きていてだいじょうぶなのですか?」
「え、ええ」
記憶よりも、随分と幼い。
やはり、自分の年齢が巻き戻った分、他の全員も……それどころか屋敷、国も遡っていた。さっき聞いたことだと、ミズリィは今、学院に通っている。
本当に、10代の頃の世界なのだ。
そして……ミルリィは、実の妹は。
最後に会ったのは、処刑される3日前。
覚えのない罪で捕まったミズリィを、憎々しげに鉄格子越しに見る美しい顔。
恨まれていたのだと、その時初めて知ったのだ。
どうして、何故。
お姉様と慕ってくれていたのは、嘘だったのか……
けれど、今ベッドに近寄り、心配そうな笑みを浮かべる妹は――ただただ、愛おしい。
「お休みのところ、ごめんなさい。でも、お会いできてうれしいです」
「ミリィ……」
「はやくよくなって、またいっしょに遊んでくださいね」
これはお花です、と、小さな紫の花を差し出してくる、まだ柔らかくて小さな手。
純粋に、心配と好意を伝えてくる可愛らしい表情が、とても嬉しくて――
「あ、今お花のおみずを……きゃっ」
「ミルリィ……!」
胸が痛くて張り裂けそうだ。
どうして、あんな顔をさせたのだろう。
何が悪かったのか、どうして憎まれるようになったのだろう。
愛しい家族、かわいい妹。
いつの間にか抱きしめていたミルリィは、戸惑っていたけれど、大丈夫ですか?とゆっくりと手を伸ばして、背中に届かない手で撫でてくれる。
涙が溢れた。
決心した。
絶対に、ミルリィやテリッツ、大切な人たちと幸せになれる未来にたどり着きたい。
夢だとしても、一分一秒、一瞬でも長く。
そうは言っても。
ミズリィは、頭が良くない。
どうすればいいのかわからない。
どうすればみんなに憎まれず、処刑されなくなるのか、具体的な方法がわからないのだ。
「原因……は……」
机に向かって、ペンを動かしカリカリと紙に書きつけていく。覚えているうちに、前世のことを書いておこうと思ったのだ。
メモの取り方なんて、学院に通っていたころにそれっぽくやっていただけで、卒業後は書きつける必要があるものは、いつも執事に任せていた。
だから、とても久しぶりに手紙以外を書いている。
もう深夜だ。もう全部忘れて眠ってしまいたかったのをなんとか起きて、父や身の回りの世話をしてくれるメイドたちに挨拶し、今日一日休むために部屋には入らないでほしいと誤魔化した。
夜も更けて、皆が寝静まった頃にこうやって机に着いた。持続性の魔法で、ランプには光が灯る。
それで……気づいたのだけれども。
火が、怖い。
魔力をいちいち使って明かりを作るなんて、実は面倒なのだ。小さな明かりくらいマッチを擦れば火がつくのに、魔術師といったって道具を使うような簡単な方法を取る。
けれど、ミズリィの場合は違う。
将来帝国最強と呼ばれるミズリィは、場合によっては息をするように魔法を使う。自分の唯一の取り柄であり、特徴だった。
ランプの火くらい、簡単に魔法でつけようとして……ちらついた炎の記憶に、悲鳴を上げそうになった。
さいわい、火をつけるのと同じく、火を消すのも一瞬だ。ミズリィにしかできないこと。
それが分かったときの、恐怖と困惑……日常生活で、火を見ない事はできないだろう。
今は仕方なく、ミズリィほどの魔術師でも、補助の魔道具がなければ一晩で魔力が空っぽになるような持続性の光を魔法でランプに設置した。
今日は、仕方がないけれど、いつもこうしているわけにもいかないだろう。
それはそれとして、今は少しでも記憶を思い出さないといけない。
前世は――いつの間にか、周囲の人間が離れていったのだ。
理由は分からない。
ミズリィの身分は公爵家の令嬢だ。
帝国で貴族としては最高位の家門のひとつ、ペトーキオ公爵家。
出生の身分にしても、そして、皇太子テリッツの婚約者としても、魔術師としても、このホーリース帝国では指折りの力の持ち主。
なのに、ある時からその名前の価値は落ちていき、最後は身近な全員が裏切った、そんなふうにミズリィには見えた。
まわりは伝説にある世界の敵――『世界を滅ぼす悪魔』だと、そうミズリィに指を差して……
「そうだわ……たしか……」
罪人として捕まったあと、誰かが言ったのだ、強すぎるのも災難だな、と。
そして、教会の異端審問にかけられ、初めて罪状を知ったのだった。
しかしよく覚えていない、ショックで頭が真っ白だった。
けれど、ひとつだけ、聞き覚えがあって、それは自分がやったことではないと抗議したのを思い出した。
「大精霊……」
そう、大精霊が――
「うっ……」
ひどい頭痛と、吐き気がして、すこし気を失っていた。
気がつくと、目が霞んでいて、けれど歪んだ文字が目の前にあって、『大カバ』と……
「大精霊……大精霊よ」
書き間違えた。
おぼろげに覚えているのは、たしか帝都の近くにそびえる聖山に封じられた大精霊、その封印が解けた事件がミズリィが捕まる少し前にあったのだ。
経緯はよく覚えていない。ただ、そのせいで天候が荒れて、たった一ヶ月であたりの畑の作物がすべて枯れてしまったのだ。
飢饉にはならなかったものの、食料品が全て高くなり、民衆が怒って暴動になりかけていた。
その大精霊を、討伐しようとしたのだ。
その、帝立の学院の魔術師が中心となった討伐隊メンバーに、ミズリィは入っていた。
強大な精霊で、戦いでは危うく死人が出そうだった。
けれど、大精霊は長らく封印されていた憂さ晴らしに近隣の天候を変えて遊んでいただけだったらしい。
人間の魔術師たちの猛攻に、不利な状況になるとどこかに消えてしまった。
その事件が――何故か、ミズリィが大精霊の封印を破ったことになっていたのだ。
おかしいと思ったのは、その一部始終の報告を、テリッツ皇子が受け取っていたことなのだ。その報告について意見を求められ、自分の知っていることは直に彼に伝えたはずなのに。
「どうして……」
涙が出そうだ。
皇家からは、ミズリィが捕まったことに対して何も言わなかったと聞いた。
抗議も、いきなり皇太子の婚約者が拘束された処遇のことについても。
「……」
ともかく、その事件は教会ではミズリィが悪魔であるという証拠だと重く扱っていた。
この事件が、起こらなければ。
ひょっとして、処刑されなくなるのだろうか。
事件は、7年後に起こる。それを防げば、ミズリィは死ななくて済むのだろうか?
「でも……どうやって……?」
誰も、答えてくれない。
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