最強令嬢の秘密結社

鹿音二号

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20:絵空事と言っても

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連続した講義が一度途切れ、あとは2時間後にもうひとつ。

さて、この空き時間に何をしようか、とぼんやり考えながらノートを片付けていると、講堂に見慣れた姿があるのを発見。
講義の終わりに出ていく生徒たちの波に逆らうように、彼女はイワンに一直線に向かってくる。
なんとなく、急いでいるようにも見えた。

「イワン様。良かった、間に合いました」
「どうしたの、スミレ」
「ちょっと……お時間があれば、ええと、ご相談が」

次の講義には一緒になる予定だったが、スミレはどうやら個人的に話がしたいらしい。
間に合った、というのはどこかに行く前に掴まえられてよかったという意味か。

「ミズリィはどうしたんだい」
「アリッテル様とご一緒に。私もこのあとすぐ戻りますので」
「そうなんだ。いいよ。じゃあ、食堂でも行くかい」
「はい」

今では珍しくもない組み合わせになった子爵家のイワンと平民のスミレだが、やはりちらちらと視線がうるさい。

ふたりで連れ立って食堂へ。
もちろん学院の食堂も豪勢な、貴族用の造りだ。広いホールにいくつもの個別の席があり、給仕がつくのはカフェテリアのようだ。スミレはやはりこういった場所は不慣れで、以前は食事は庭や空き部屋で持ち込んだパンなどをかじっていたらしい。

ちらちらと視線を向けるギャラリーも多少いるが、離れた個別の席では聞き耳も立てられまい。
スミレは最近ようやく食堂にも慣れて、今では視線なんて気にもしていない。
やはり、強い。

「……で、相談って、何」
「はい。……ええと、すみません、どう説明すればいいか、考えていたんですが……」

なにやら難しい話らしく、スミレは紅茶を片手にしばらく黙ってしまった。

「ミズリィのこと?」

こうやって、スミレが真剣になるということは、ミズリィのことに違いないと当てたつもりだった。けれど、彼女はあいまいに首を傾げた。

「そうですね……そういうことでもないんですが」
「珍しいな、君がそこまで歯切れが悪いなんて」
「いえ、大事なことなので、少なくとも私にとっては」
「ふうん」
「そう……ですね、それでは」

飲むのかと思ったら、ティーカップをソーサーにおいた。

「イワン様。もし、貴方が、友人の危機を知って、それをご自分で直接知らせることができないとしたら、どんな手段を取られますか?」
「また、曖昧なようで具体的な質問だな」

内心、首を傾げながら、イワンは笑った。
スミレはさきほど誤魔化したが、十中八九、ミズリィのことだろう。
ただ、質問の意図がわからない。

現在、ミズリィに問題はないはずだ。自分たち取り巻きにも――直接には。

オデットのことは自分たちの失敗でもある。
自分たちの、ミズリィに知らせないという判断が間違っていたために、彼女たちを必要以上の危機に晒したのではないか。
そう謝ったが、そんなことは分からないだろうとオデットはサラリとかわして、休学してしまった。

少し気になるのは、学院の保安部の警備のことだ。
聖オラトリオ学院に、その学問の性質上貴族の子女が集まり、けれど規則ではその侍従や護衛は入れないことになっている。
だから、警備は厳しい。皇宮には及ばないが、騎士団も常駐し、いつもなら学生を狙うような不審者を通すことはないはずだった。

だから、今回の事件はものすごく問題にされていた。
噂でしか聞けないが、オデットを狙った貴族は、警備の厳しい門を堂々とくぐってきたらしい。
ありえないことだ。

通常、門や、細かい出入り口には魔法がかかっていて、学院の関係者以外はなかなか通ることもできないらしい――機密らしく、どんな魔法なのかは知られていないのだが。

さらに、その男が通ったと思われる時間の担当の騎士たちは、男など知らないと言っている。
男は男で、門番に止められずにすんなり学院に入れたと証言している。
何が起こったのか、今学院の上層部は大慌てだそうだ。

社交界でも少し噂は流れているが、どうやら学院が握り潰しているらしく、大事にはなっていない。
ハリセール伯爵令嬢が狙われ、ペトーキオ公爵令嬢がそれを守った。
とんでもない不祥事だろう。
生徒会長のドミニク侯爵令息にはそれとなく情報があれば聞かせてほしいと言ってある。彼も気になっているらしく、快く協力してくださった。

突然進学コースに編入したアリッテルについても、噂や注目度はかなりのものだが、以前彼女の魔力問題を預かった皇家、もとい皇子が表立ってかばっているようで神経質な問題になっている様子がない――ようは皇家のお墨付きだ、これを騒ぎ立てるなら学院内のことでも国から罰を食らうことになるはずだ。

それ以外、特には危機や問題はなかったはずだ。

(いや、もうひとつあったな)

ミズリィと皇子テリッツのことだ。
最近、二人の仲が良くないという噂が流れている。

ミズリィが、恒例にしていた皇宮での茶会に参加しなくなっていると聞いた。
学院では二人がそこまで会う機会もないけれど、明らかにミズリィがテリッツを避ける素振りを見せているのは、イワンにも分かっていた。
そのことで、スミレが何かを言いたいのだろうか?

スミレはじっとイワンを見つめている――穴が空きそうなほどだ。

「前提が、よく分からないね。危機ってなんだい?」
「命の危険です。もしくは、陰謀」
「大きく出るね」

テリッツ皇子とのことではないのだろうか?
ますますこの質問の意図がわからない。

けれど、スミレにとっては、重要なのだろう。なら、思考ゲームだと思って付き合ってやればいい。スミレがささいなことにいちいち騒ぐ人間でもなく、本当にイワンの助けが必要なら、そのうち言ってくるだろう。
ただ――これはそれこそ遊びではなく、イワンへの何らかのヒントだろう、というのは、思い留めておく。

「そうだな――その、友人には直接会えない、手紙や言伝などの連絡手段がないと思っていい?」
「はい」
「うーん……友人の友人に頼む……っていうのもできない?そう、……なら、何かしら、暗号……符丁のようなものを大々的にアピールする、かな」
「符丁?」
「合図というか、そんなもの」
「たとえば?」

やはり、食い気味にスミレは返してくる。

「たとえば……誇張するんだけど、先のオデットの話とかだと、ミズリィには直接言えなかったとして。『大きな真珠のネックレスが盗まれるかもしれない』とか、社交界に流すね」
「大きな真珠のネックレス……オデット様の家宝でいらっしゃるあれですね。噂を流して、それで?」
「気づく人は多いだろう?気になるよね、噂は一気に広がるよ。ミズリィの耳に入ったら彼女は騒ぐだろう。なんとしても、守ろうとするだろうね」

たとえであって、実は、この話は二重三重に不可能な話だけれど。
最近は何やら周囲のことを興味深く見ているミズリィだが、少し前の彼女なら、イワンが直接彼女と話せないなら、いくら大きく噂を流しても聞くことはないだろう。
噂を仕入れて彼女に吹き込む役割は、イワン本人だからだ。

そして、それが本当は『真珠のネックレスなどではなく、オデット本人のことだ』と、ミズリィが気づくことはまずないだろう。

「なるほど……大きな……真珠、」

だが、そのたとえはどうやらスミレの当たりを引いたらしい。
難しい顔で考えたあと、彼女はおずおずと口を開いた。

「……貴族の、ビリビオ銀行の資産が止められる場合って、どんなときですか?」
「うち?そりゃ大事だな」
「そうですか、やはり」

銀行については少し解説をしただけだが、そのあと調べでもしたのか資産凍結については大事件だと言うことを理解しているらしい。

「考えられるのは、その資産が国家犯罪に関係があるもの――国家反逆罪とか、そういった重犯罪さ。
あとは、亡命。国外に出てもう戻ってこないとわかった場合。これは、いろいろ条件があるから、実際にはすぐには凍結しない。
それと……特殊だけど、突然家ごと潰れた場合。相続人もいない状態になったときが、近い状況になる……」
「なるほど、その凍結?されたお金はどうなります?」
「普通は国庫にしまわれるね」
「国庫……国、ですね……」

スミレは深く考え込んでいる。
イワンはうずうずとしてきた。いったい彼女は何を悩んでいるのだろう。
さっきから不穏な言葉ばかり出てくる。だけれども、現状、そんな深刻な問題はない。

これは、イワンに何を気づけと言っているのだろうか?

「……たとえば、資産凍結の場合、それはその当人に知らせはどうやって届きますか?」
「そう……だね。僕も不勉強だ、あんまりその辺は詳しくない」

特殊な状況の手続きや細かいところまでは、まだイワンも知らないところだ。
これは早急に知らなければ、と心のメモに留めておきながら、少しでも思い出そうとウンウン唸る。

「……たしか、国内の、貴族だった場合、その……資産凍結は皇家からの命令がほとんどだ。で、裁判所から、そういうのって出るから……」
「裁判所の知らせがあるかもしれないんですね?」
「可能性はあると思う。ビリビオからも、出そうではあるんだよな、通達というか」
「それが、覆されることってあるんですか?」

なんだか、スミレは興奮しているように見えた。
視線はもはや睨むのに近くて、思わずイワンが向いの席で体を引くと、はっとスミレはうつむいた。

「……すみません。失礼しました」
「あ、うん。それで……命令が覆ること、ね」

ここは司法とか権威とか、そういうものが関わってきてややこしいのだ。
資産凍結なんて最近聞いたことがない。イワンが生まれる前にあったらしいから、一度実家の記録に目を通そう。

「適用されるかどうかはわからないけど、皇家の命令に異議申し立てできる裁判があるはずなんだ……」
「裁判……それって、時間がかかりますよね」
「まー、ここまで来ると実家の管轄外で学院のカリキュラム内の話だけど。習った範囲にはまだなかったよね」
「ええ……でも……」

何かを必死に考え、数分。
イワンがお茶を飲み切る頃に、スミレは遅れてティーカップを手に取り、くーっと自分の分の紅茶を飲み干した。

「ありがとうございました!すみません、用事ができましたので、これで失礼します!」
「おー」

急いで去っていくスミレの背に、なんだか知らないけどがんばれ、と小さくつぶやく。
イワンは、さて、ともう一度お茶とケーキを頼む。

「うーん、命の危険と銀行の資産凍結、ねえ……さっぱり分からない」

スミレのヒントを元に、実家で調べて考えておこう。
いつでもイワンの手を貸してあげられるように。

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