いわく付きより難しい

鹿音二号

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絶望の朝(2)

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「そう……か」

ビクトルはなにを思っているのか、すこし床を見つめた。

彼はふう、とため息をつき、

「じゃあ、その鏡はお前の実家から?」

マキアの後ろにある大荷物に目を向けた。

「ああ。ただ、妙ではある。『いわく付き』と言われているのに、念らしいものがない」

布越しに触る。
何度視ても、霊障の気配はない。

「……ん?どういうことだ?」
「事の発端は、先の二級魔法士の件で、男爵の書状がブラウン家に届いた数日後」

ロウドはそのころちょうど川に流されていただろう。命に別条はないが、心身ともにダメージを負い、その近くの町で回復のために逗留していた。

「ブラウン家がようやく、ロウドと俺のことに思い当たって、動揺し始めたらしいが……突然、ロウドの妻と娘が失踪した」
「……いたのか、嫁さんとか」
「結婚していたかというならそうだし、村にいたのかというならそうだ。王都より、どうも荘園の方に興味があるような……そんな嫁だった気がする。娘にブラウン家の跡取りを連れてこいとか言ってたしな」

それを、マキアが知っているということだ。

「……そうかよ」

ビクトルの額に青筋が立っている。

「で、その妻と子供だが、王都に行ったというのは男爵が調べてくれた。ただ、カイメの件は多少噂になっているし、本人は戻っていないからか、かなり……おかしい様子だと」
「おかしい?」
「ありていに言えば、ここが」

頭を指さしてやれば、なんとも微妙な顔でビクトルは黙った。

「次に、俺の母親にあたる人が、どうも病気か何かにかかったらしい。原因不明だが、重篤ではない。ただ……どうだろう、肉体的より、精神的に弱っているのではという気がする。まあ俺は話をちょっと聞いただけだから分からないが」

眠れないそうだ。
身体も弱っているから、どちらがどうとも言えない。

「偶然と言えばそれまでだったんだ。けれど、変な話が舞い込んできた。以前手伝いに来ていた人がたまたまブラウン家に用事で入って、この鏡に気づいたんだ」
「気付いた?」
「そう、ロウドの持ち物だと誰もが知っていたはずなのに、どこにあったのかみんな記憶になかった。実際は、やつの住んでた離れの廊下にずっと飾ってあった。ただ……こうやって、布がかかっていたのだろう、と」

「……布がかかっていたっていっても、相当でかいぞ、誰も気づいてなかったってのか?」
「言われてみれば思い出したと。俺は……覚えてないんだが。で、そのお手伝いだった人は、布が落ちて鏡がむき出しになっていることと、それが遺産だったことに気付いた」
「遺産?」
「祖父のだ。……骨董の収集家で」
「……骨董?あれ?どっかで聞いたぞ」
「祖父はマーヴァ様の友人だった」
「……なーるほどー、そういう友人!」

すごく、嬉しそうないつものビクトルの表情だ。なんとなくほっとする。

「じゃあ、鏡はお前の爺さんがロウドに渡したってのか?」
「目録……遺産のことを記したものはないんだ。収集品についてはまとめてマーヴァ様に預けたようなことを俺は聞いたんだが」
「……まとめて?」

ビクトルがついと店の奥を見た。マキアは少し笑ってしまう。

「勘がいいな。そうだ、あそこに混じってる。たまに見覚えのあるやつを見つけるんだ」
「……はああ、男爵もよくやるなあ……」
「孫の俺に結局押し付けるんだからな」

思惑は分からないが。

「まあそういうことで、ロウドがどうして鏡を持っていたかは不明だ。どうでもいいことだし。ただ……これが、いわく付きだと、祖父を含め何人かは知っていた」
「知ってたのか……」
「ああ、そして、お手伝いだった人が鏡を見つけて驚いて、当主に知らせた」
「ふんふん」
「魅入られる鏡だそうだ。そして、魅入られたものはおかしくなる」

ためしに病気の当主の妻に聞くと、むしろ、不自然なくらいに鏡については記憶がない。離れに行っていたはずの時もどうしていたか覚えていない……記憶喪失だと。
ビクトルは腕を組んで頷いている。

「それっぽいなあ。……でも、そういうのじゃないって、お前は思うのか?」
「……詳しく見ないとわからないが、今この状態で念や霊の気配がない。もし当主の妻や失踪した妻子がこの鏡に魅入られたというなら、わずかでもそういう気配がないと……」

自分でわからないなら別の目……ナンリにも見てほしいところだが、彼も忙しいらしく数日街を離れている。

「でも、なんでお前のところに来たんだ?」
「……最初はクレイトス男爵のところに届いた」
「はあ!?……え!?」

ようは、祖父の遺産はマーヴァに任せればいいと。
ビクトルが気の毒そうな顔でマキアを見ている。

「……言っちゃなんだが、お前縁切ってよかったと思うぞ……」
「ああ、そう思う」

最近は特に。
マーヴァは怒るどころか冷笑を浮かべていたというのだから、ブラウン家の存続はあやしいのではないだろうか。

「祖父のものだし、俺の好きにしろと言ってくださっているから、見て見ぬふりで捨ててもいいんだろうが」
「いいんじゃないのか」
「……野放しにするのもな」

もう染み付いてしまった感覚なのだろう。
放っておけない。
ビクトルは少し笑ったようだった。

「どうするんだ?祓ったりするのか」
「……まあ、そうするしかない」
「よっしゃ!じゃあやっちまおうぜ!それともなんか調べることがあるか?」
「……いや、まずは見よう」

胸が軽い。
さっきまでと全然違う。
手紙が来てからずっと、鉛を飲み込んだような重さだったのに。
ビクトルが来て、話して。たったそれだけなのに、この気分の変わりよう。
こんなに自分は単純だっただろうか。

「お前は付き合わなくてもいいんだが」
「寂しいこというなよ!友達だろ!」
「……そうなのか?」
「あーそんなこというのか、まだ!」
「……いや」

ビクトルが思っていても、マキアがどうかは分からないはずだ。
そこは問答しても意味はない気がして、今は言うのをやめた。

「危険な感じないんだが、魅入られるというし、鏡は見るなよ。あと少し離れてくれ」
「こうか?」
「……ああ」

ドア近くまで下がってくれたので、ほっとする。

もう一度探ってみても、やはり何も感じない。
布を、取る。
大きな鏡だ。マキアの背丈を超える。
楕円形で金縁の装飾がある。意匠はぱっと見よく分からないが、かなり凝っているようだ。
ランプの明かりで、てらりと鏡面部分が光る。

「……ただの、鏡だな」

そうとしか、思えないのだが。
けれど――

ふと、鏡の中の人物と『目が合った』。
ぞくりとした。
注視するのはよくないと、絶対に視線を直接鏡に向けていない。
なのに――鏡の、『マキア』としっかりと目が合う。

視線を逸らせない。
まずい、と思うのに、顔も、手足も動かない。

――何を、恐れているんだ?

『マキア』が、言った。

――なにも怖がることはない。受け入れてしまえば、楽になるだろう。

にこりと、笑う『マキア』の顔。
自分は、こんな顔をしたことはないはずだ。
無邪気で、なにも考えていなさそうな。晴れやかで。

――いつまでも、そのままでは。分かってるだろう?

『マキア』の目が、弓なりに歪む。

――あるがままを受け入れよ。

分かった。
この鏡は――

「マキア?」

突然体が動くようになった。
はっと振り返ると、向こうでビクトルが、こちらを見ていた。じっと。
その目が……見覚えのある色をしていた。

「どうした?なにか分かったか?」

ゆっくりと、自分に向けられる声が、優しい。
そうだ、いつ頃からか、ビクトルの声は、マキアにことさら優しかった。
気づいていた、その萌黄の瞳に、マキアを映すたびに灯る熱。

「……どうして、俺を……見てる」

聞くのが怖かった。
聞いて、知ってしまえば――それは、終わりの始まりだ。

「え?だって鏡を見るなっていうから……お前を見てた」

その、ビクトルの嬉しげで、すこし恥ずかしげな顔に。
胸が痛い。
ぎゅうっと掴まれたみたいに。
頬が熱い。
カッと、体が、熱い。

いけない、だめだ、よくない。
彼から離れなければ。
長い間、我慢してきたのに。

ビクトルに背を向けた。

「マキア!?」

店の奥に走って入る。
狭い店のはずが、廊下が長い。
自分の部屋に、脇目もふらず入った。
なのに――

「……っと!」

ドアを閉めようとしたとたん、戸板にぐっと力がかかって押せなかった。

「マキア、おい、大丈夫かっ」

ぬぅっと、大きな手が、マキアに触れる。

「……触るなッ!」

ぞっとした。
触れられたところがひどく熱く感じて、マキアは手を振り払った。

「出ていってくれ、近寄るな。だい……じょうぶだから」
「いや、全然大丈夫じゃ、」
「ひっ……」

ドアを開けられて、目の前に立たれて、怖気ともつかないものがマキアの体を駆けめぐった。

窓からの月明かりで、だいたいの彼の輪郭が分かる。
厚い体。騒がしい時は騒がしいのに、それ以外の時は落ち着いた気配だった。
今も、ゆっくりと、マキアの前に立って、そっと動く。

「鏡、やっぱりおかしなもんだったんだろ」
「……そうだ、俺はなにをし出すか分からないからお前はもう」
「なおさら放っておけねえぞ」

失敗した。
ビクトルはそういうまともな人間だった。
目の前で困った人がいれば、助けることができるほどの。
胸が、きゅうっと引き絞られる感覚。

「なあ、ともかく、一回休んで――」
「っ」

伸びてきた手が、こわい。
後ずさると、ビクトルは手を引っ込めた。

「……そうか」

落胆したような声。
さっと彼は背を向けた。

――行ってしまう。
湧き上がったのはとんでもない恐怖だった。
ビクトルが、いなくなる。店にも、マキアのそばにもいない。
行くな。
離れないでくれ。

気がついたら、彼に抱きついていた。

「……お、い!?」

直接、体に響く声。
心地がいい。
温かい。
固い身体。
ずっと、触れていたい。

「……いて。離れないでくれ。ずっと……」

その耐え難い欲求だけ。
全部、恐怖もこだわりも、忘れた。


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