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第3章/苦すぎた〝夢〟の出口
優しい先輩のコーンポタージュ
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――『世界一今は会いたくない人』が、特別教室のある校舎の三階、文芸室の部室にいた。
「雛田パイセン、飲み物ごちでーす。コレおつりでーす!」
織屋先輩が気安い調子で、椅子に座って冊子のようなものを読んでいる雛田先輩に、小銭を渡した。
雛田先輩はわたしを一瞥すると、その端正な顔を歪めて目をそらした。
「あ、はづるんにも買っちゃったんですけど、いーですか?」
「別に構わない」
「さすがパイセン、太っ腹! 顔がいい!」
普通教室の半分くらいしかない狭い部室に、織屋先輩のザツな太鼓持ちが響く。
三方の壁が古いスチール製の本棚で埋まり、日焼けしまくった古い小説や漫画本、雑誌が乱雑に収められている。
古い本の匂いだ。成実はくしゃみするから嫌いだと言うけど、わたしは苦手じゃない。むしろ落ち着く。
使い古された会議用の長机の向こう、雛田先輩は長い指で冊子のページをめくり、紙面に視線を落とす。
けれど、ふいに立ち上がった。
「おい。この辺の部誌、全部借りていいか」
「んー、ほんとは門外不出ですけど、まあ大丈夫でしょう。他の部員もさっき撮ったパイセンの写真を見せれば文句も言いません」
「はあ? なんで」
「顔がいいからです」
それしかないのかこの先輩は。思わず心の中で普通にツッコんでしまった。
雛田先輩は理解できないものを見る目で眇めると、ため息をついた。
入り口横にいるわたしとすれ違っても、何も言わなかった。
(……当然か)
窓の立て付けが悪いのか、隙間風がひゅうっと吹き込んだ。
「はづるん、座って座って。文芸部秘蔵のお菓子食べよー。今ここ片づけるから」
織屋先輩が長机の上の冊子を手早くまとめる。
「何ですか? それ……」
「これ? 歴代の部誌。パイセンが突然うちのクラスに来て、見せてほしいって頼まれてさー。いやびっくりしたね。何のフラグもなくイケメンに教室から連れ出されたんだもん。何の夢小説だよって思ったわ」
納得した。基本的に、クラブ外の人は部員が同行しないと部室に入れないのだ。
「で、ついでに〈カナコちゃんの呪い〉についての詳細も訊いてきたんだよね」
「えっ? 雛田先輩がですか?」
「うん。在籍していたとしたら何年前なのか、とか。分からなかったんで、十三年分の部誌を二人で片っ端から調べたんよ。したら見つかった」
『カナコちゃん』の作品が。
織田先輩が一冊の部誌を拾い上げて、中を広げる。
今から十年前の秋の号だ。
変色した藁半紙に印刷された名前は、
『阿妻叶子』
(本当にいたんだ……)
ポカンと口を開けるわたしに、先輩がパラパラと部誌をめくる。
「パイセンに話聞いたけど、持ちものがちょくちょく消えるそーだね。ほんとにあるんだねぇ、〈カナコちゃんの呪い〉って」
「無い……です」
「えっ?」
「呪いなんて、無いです」
断言できる。〈カナコちゃんの呪い〉なんて無い。
だってわたしの靴やバッグがなくなったのは、成実の仕業だったんだもの。
「……『呪い』じゃない方が、つらいかもね」
先輩がぽつりと落とすように言った。
ハッとなって顔を見ると、静かに微笑んでいた。
「雛田パイセンも大変だ。はづるんは? 大変?」
「大変……じゃないです。全然」
そうだ。わたしなんてちっとも『大変』じゃない。
お金の心配もせずに養成所に通えて、オーディションにも合格して、両親もあんなに優しい。
これで大変なんて泣きごとを言ったら、それこそ甘えというものだ。
わたしが苦しいのは、甘えだ。
「ごめん。今のは私の訊き方が悪かった」
「へっ?」
「大変じゃない人間なんていないのにね。リューくんが言ってたのに忘れてた」
「誰ですかリューくん」
「我が推しピ。今度布教する。――よし、気を取り直してお菓子食べよっか!」
「あの、先輩……言いにくいんですけど」
壁の、すごくレトロな鳩時計を指さす。
「あと五分で昼休み終わります……」
「うっそん!」
時刻を確認して、先輩が諸手を挙げた。演劇みたいなオーバーリアクションに、うっかりちょっと笑ってしまう。
外に出て、織屋先輩が部室に鍵をかける。
なんとなく視線を漂わせると、掃除用具のロッカーの傍にいる男子生徒と目があった。
(あの人……図書室にいた人だ)
ガリガリに痩せて分厚い眼鏡をかけたその人は、図書室で雛田先輩と言い争った人だ。
「ありー? 川添パイセン、戻ってきたんすか?」
織屋先輩が手を振ると、川添さんとやらは眼鏡をかけ直して、
「えっと、雛田……くんは?」
「とっくに帰りましたよ。さっきも思いましたけど、川添パイセン、めっちゃ挙動不審ですよ。何ですか、私か雛田パイセンに片思いでもしてるんですか?」
織屋先輩が冗談をトバした途端、川添さんは「なっ……違う!」と激しく否定して去ってしまった。
先輩によると、雛田先輩と部誌を探す最中に川添さんが来て、ひどく驚き慌てて出ていったそうだ。
個人的には川添さんに同情する。気まずいなんてものじゃないだろう。
織屋先輩の推しトークを聞きながら本校舎に戻る。
二年生の教室は二階なので、階段で別れようとしたら、
「これに懲りずにまた部室に遊びにおいでよ。今度はちゃんとミルクティー用意するからさ!」
と織屋先輩が言った。
何も考えずにハイと答えたけど、少し引っかかった。
(先輩、わたしがミルクティー好きって知って……?)
じゃあこれは何だろう。
飲みそびれてすっかりぬるくなったコーンポタージュを見やる。
……少し考えて、それを飲んだ。
おいしい。
わたしは空腹だったんだな、と思い知った。
おなかの辺りがあったかくなった。そんな気がした。
「雛田パイセン、飲み物ごちでーす。コレおつりでーす!」
織屋先輩が気安い調子で、椅子に座って冊子のようなものを読んでいる雛田先輩に、小銭を渡した。
雛田先輩はわたしを一瞥すると、その端正な顔を歪めて目をそらした。
「あ、はづるんにも買っちゃったんですけど、いーですか?」
「別に構わない」
「さすがパイセン、太っ腹! 顔がいい!」
普通教室の半分くらいしかない狭い部室に、織屋先輩のザツな太鼓持ちが響く。
三方の壁が古いスチール製の本棚で埋まり、日焼けしまくった古い小説や漫画本、雑誌が乱雑に収められている。
古い本の匂いだ。成実はくしゃみするから嫌いだと言うけど、わたしは苦手じゃない。むしろ落ち着く。
使い古された会議用の長机の向こう、雛田先輩は長い指で冊子のページをめくり、紙面に視線を落とす。
けれど、ふいに立ち上がった。
「おい。この辺の部誌、全部借りていいか」
「んー、ほんとは門外不出ですけど、まあ大丈夫でしょう。他の部員もさっき撮ったパイセンの写真を見せれば文句も言いません」
「はあ? なんで」
「顔がいいからです」
それしかないのかこの先輩は。思わず心の中で普通にツッコんでしまった。
雛田先輩は理解できないものを見る目で眇めると、ため息をついた。
入り口横にいるわたしとすれ違っても、何も言わなかった。
(……当然か)
窓の立て付けが悪いのか、隙間風がひゅうっと吹き込んだ。
「はづるん、座って座って。文芸部秘蔵のお菓子食べよー。今ここ片づけるから」
織屋先輩が長机の上の冊子を手早くまとめる。
「何ですか? それ……」
「これ? 歴代の部誌。パイセンが突然うちのクラスに来て、見せてほしいって頼まれてさー。いやびっくりしたね。何のフラグもなくイケメンに教室から連れ出されたんだもん。何の夢小説だよって思ったわ」
納得した。基本的に、クラブ外の人は部員が同行しないと部室に入れないのだ。
「で、ついでに〈カナコちゃんの呪い〉についての詳細も訊いてきたんだよね」
「えっ? 雛田先輩がですか?」
「うん。在籍していたとしたら何年前なのか、とか。分からなかったんで、十三年分の部誌を二人で片っ端から調べたんよ。したら見つかった」
『カナコちゃん』の作品が。
織田先輩が一冊の部誌を拾い上げて、中を広げる。
今から十年前の秋の号だ。
変色した藁半紙に印刷された名前は、
『阿妻叶子』
(本当にいたんだ……)
ポカンと口を開けるわたしに、先輩がパラパラと部誌をめくる。
「パイセンに話聞いたけど、持ちものがちょくちょく消えるそーだね。ほんとにあるんだねぇ、〈カナコちゃんの呪い〉って」
「無い……です」
「えっ?」
「呪いなんて、無いです」
断言できる。〈カナコちゃんの呪い〉なんて無い。
だってわたしの靴やバッグがなくなったのは、成実の仕業だったんだもの。
「……『呪い』じゃない方が、つらいかもね」
先輩がぽつりと落とすように言った。
ハッとなって顔を見ると、静かに微笑んでいた。
「雛田パイセンも大変だ。はづるんは? 大変?」
「大変……じゃないです。全然」
そうだ。わたしなんてちっとも『大変』じゃない。
お金の心配もせずに養成所に通えて、オーディションにも合格して、両親もあんなに優しい。
これで大変なんて泣きごとを言ったら、それこそ甘えというものだ。
わたしが苦しいのは、甘えだ。
「ごめん。今のは私の訊き方が悪かった」
「へっ?」
「大変じゃない人間なんていないのにね。リューくんが言ってたのに忘れてた」
「誰ですかリューくん」
「我が推しピ。今度布教する。――よし、気を取り直してお菓子食べよっか!」
「あの、先輩……言いにくいんですけど」
壁の、すごくレトロな鳩時計を指さす。
「あと五分で昼休み終わります……」
「うっそん!」
時刻を確認して、先輩が諸手を挙げた。演劇みたいなオーバーリアクションに、うっかりちょっと笑ってしまう。
外に出て、織屋先輩が部室に鍵をかける。
なんとなく視線を漂わせると、掃除用具のロッカーの傍にいる男子生徒と目があった。
(あの人……図書室にいた人だ)
ガリガリに痩せて分厚い眼鏡をかけたその人は、図書室で雛田先輩と言い争った人だ。
「ありー? 川添パイセン、戻ってきたんすか?」
織屋先輩が手を振ると、川添さんとやらは眼鏡をかけ直して、
「えっと、雛田……くんは?」
「とっくに帰りましたよ。さっきも思いましたけど、川添パイセン、めっちゃ挙動不審ですよ。何ですか、私か雛田パイセンに片思いでもしてるんですか?」
織屋先輩が冗談をトバした途端、川添さんは「なっ……違う!」と激しく否定して去ってしまった。
先輩によると、雛田先輩と部誌を探す最中に川添さんが来て、ひどく驚き慌てて出ていったそうだ。
個人的には川添さんに同情する。気まずいなんてものじゃないだろう。
織屋先輩の推しトークを聞きながら本校舎に戻る。
二年生の教室は二階なので、階段で別れようとしたら、
「これに懲りずにまた部室に遊びにおいでよ。今度はちゃんとミルクティー用意するからさ!」
と織屋先輩が言った。
何も考えずにハイと答えたけど、少し引っかかった。
(先輩、わたしがミルクティー好きって知って……?)
じゃあこれは何だろう。
飲みそびれてすっかりぬるくなったコーンポタージュを見やる。
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おいしい。
わたしは空腹だったんだな、と思い知った。
おなかの辺りがあったかくなった。そんな気がした。
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