【語るな会の記録】鎖女の話をするな

鳥谷綾斗(とやあやと)

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第2部/鎖女の話をした少女の話

やっと見つけたたったひとつの願い

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【鎖女に関する報告書】

 ・話をした者の前に現れる。
 ・あくまで『話す者』だけ。『聞いただけ』では現れない。

 ・話をした者に対して、強い怒りを示す。

 ・浄化は可能。
 ・しかし、何度も戻ってくる。(何故?)

 ・ネットや遭遇者の証言によると、一度話しても逃げ切れば、それ以降は口に出さなければ出現しない。

 ・逆に言えば、話さえしなければ鎖女は現れない。

 ・引き続き、鎖女の話を拡散しないよう警告しつつ、調査を続行する。


 *



 ぼうっとしていたら放課後になった。
 ホームルームが終わっても席から立てないでいると、ふいに声がかかった。

 ずっと聞きたかった人の声だった。

「莉々子」
「せ、先輩!?」

 一日ぶりの先輩に、あたしの冷えきっていた心と体が熱くなる。
 泣きそうに嬉しかった。

(先輩があたしのところに来た!)

 戻ってきてくれたの、って、つい思ってしまった。
 隣にいる祐奈もぎゅっと手を握ってきた。
 けれど、浮かれ気分はすぐに潰えた。


「おそらく、もうおまえは大丈夫だ」
「…………………………へ?」


 馬鹿みたいに、理解に時間がかかった。


「鎖女は、莉々子の前にはもう現れない。標的が変わったからな」


 何を言ってるの、先輩。

「今の標的は、彼女だ」

 先輩が目線を向けると、英美香がおずおずと歩いてきた。
 小動物みたいに小刻みに震えている。

「どうして……」

 どうして英美香が先輩の隣にいるの。
 だって昨日までそこはあたしの場所だった。
 あたしだったのに!

「だからもう安心していい。数日間だったが、世話になったな。ありがとう」

 優しすぎる声で、先輩はお礼を言った。
 でもそれは、あたしには死刑宣告だ。

「先輩、そろそろ……」

 英美香が促すと、先輩はそっちを向いた。

「ああ、帰ろうか」

 先輩があたしに背を向ける。
 何ひとつ返事できないまま、ふたつの後ろ姿を見送った。

 あはは。
 木偶の坊だ、あたし。


 ずっと事の成り行きを見守っていた祐奈が、遠慮がちに言ってきた。

「莉々子、えっと、なんて言ったらいいか……」

 ガタン!
 足から力が抜けて、砂埃だらけの床に座り込んだ。


(……さっきの英美香、笑ってなかった?)

 え、笑ってたよね?
 柏木先輩が自分のところに来たから。
 あたしに対して、勝ち誇ったみたいに……。


 ギュウウウッと制服のスカートを握りしめる。
 頭の顔で、英美香の表情がどんどん歪んでいく。得意満面ってカタチに。

 ……あたしが先輩に見放されたから、笑ったの……?


「莉々子! ねえ大丈夫?」

 祐奈にゆさゆさ揺さぶられて、沸騰しかけた脳みそが冷えた。
 あたしは「……うん」と返事して、なんとか床から立ち上がる。


「……あのさ、昨日の部活のことなんだけど」

 何? こんなときに。
 イラッとしかけたけど、祐奈は構わず続けた。

「うちの演劇部、映画のエキストラに出ることになったの。それの主演俳優がね、わたしの推しなんだよ!」
「え……?」

 予想外の報告に、呆然となった。
 

「すごくない? エキストラだけど、わたしの夢、叶ったんだ」


 あたしに気を遣ったのか祐奈は声こそ抑え気味だったけど。
 その瞳には隠しきれないキラキラがあった。
 喜びとか、希望とか、……今のあたしに無いものが。


「共演自体も嬉しかったけど、今までの自分の頑張りが報われたような気がしたの。……だからさ、莉々子から行動してみるのっても、アリだと思うんだ」
「行動……?」

 思いがけない話の広がり方に、つい聞き返す。

「うん。結局先輩は、そういう役目? 使命だから今は英美香を守ってるんでしょ? だったらそれ以外のところで仲良くなればいーじゃん!」

 祐奈が懸命に言葉を紡ぐ。
 どうにかあたしに元気になってほしいって、そんな気持ちが伝わってくる。

「相手から何かしてくるのを待つんじゃなくてさ、莉々子の方から行動起こしてみたら?」

 ね? と祐奈が小首を傾げて、こっちの反応を伺ってくる。
 

 あたしの方から、行動を……


 その助言を噛み締めて、椅子から立ち上がった。


「あたし、……ちょっと行ってくる」

 言うが早いか、廊下に出て走り出した。
 向かう先は駐輪場。
 先輩と英美香がいるところ。

 下校中の生徒をかき分けながら、急ぐ。
 でも頭の隅でずっと考えていた。

 
 先輩は、標的が変わったから安心しろって言った。
 でも、あたしは。

 ――安心なんかいらない!


 校舎の裏手に回ると、駐輪場に柏木先輩と英美香がいた。
 あのカッコイイバイクの前で話をしている。

「先輩、本当にすみません。帰りも送ってもらっちゃって」

 英美香がしおらしく謝った。
 先輩は首を横に振る。

「気にするな。俺が心配しているだけだ。バイトは何時からだ?」
「五時です」
「なら急ごう。これ被ってくれ」

 先輩が英美香にヘルメットを被せる。あたしのときと同じように。
 先輩の優しい指が、あたしじゃない女に触れて……


「何時までだ? 終わったら迎えにいく」
「そんな、申し訳ないですっ。……すみません、八時です。ごめんなさい、やっぱり怖いので、お願いできますか……?」
「だから気にするな。終わったらさっき教えた番号に連絡をくれ」
「はい。ありがとうございます」


 ――今すぐ英美香をぶん殴りたい。


 二人の会話を聞きながら、心の底から激烈な願望が芽生えた。
 実際には指一本動かせず、またあたしは二人が去っていくのを見届けた。
 立っていられなくて、また地面に膝をついた。
 素足に砂利が当たって痛い。

(やだ。いやだよ、先輩)


 英美香を、あたし以外の女を守らないで。

 先輩はあたしの、――なのに。


「どうしよう、どうしたらいいの……」

 ブツブツと勝手に口から声が出ていく。


 先輩のそばにいたい。

 また一緒に登校して、二人で歩きたい。

 ずっとそばにいてほしい。

 だってあの人がいないと、あたしの世界はこんなにも色が無い。

 無彩色の視界を、無価値になった世界を歩きながら、あたしは考えていた。


 やっと見つけたたったひとつの願い。
 それを叶えるためなら、


 ――「莉々子の方から行動起こしてみたら?」


 そうだね、祐奈。
 あたしが行動しないとね。


 校舎に戻って、あたしはさっそく物色する。
 一人で歩いている女子生徒を見つけた。
 隣のクラスの子だ。体育の合同授業のとき、会話したことがある。

「ねえねえ、面白い話があるの」

 あたしは満開の笑顔を作って、彼女に話しかけた。
 その子は「なあに?」と足を止めてくれた。

「鎖女、っていう話なんだけど」


 もう一度先輩に助けてもらうには。

 もう一度遭遇すればいい、鎖女と。
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