世界は万華鏡でできている

兎杜唯人

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研究所の扉を見つめウィリディスは大きく息を吸った。
事故を起こしてから約三週間、閉じたままの研究所はどうなっているのだろうか。
一度警察が来て実験していた部屋については聞いている。
もともとしっかりした作りの部屋だったためか、外まで被害は及んでないという。
レナータとセリーニが回収した書類や資料や既に受け取り、今手元にある。
鍵を使い、扉を開いた。
電気系統が無事なのはわかっていた。まずは空調を入れることから始めた。
初めてこの場所で研究所を開いた日のことを思い出した。あのときも緊張の中でこうしてスイッチを入れたのだったか。

「懐かしいものだな…」

一歩足を踏み入れて内部へ進めば当時のことを想いだした。
一人きりの研究所に緊張した記憶がある。あの時と同じようにウィリディスは一人でここにいる。
各所の電気を順番につけていき見て回る。
自分が失敗を犯して入院する前と変わりはないようだった。
郵便物が大量に届いていたが、仕分けが大変そうである。

「教授、おはようございます。今日はまた早いですね」
「おはよう、マリッサ、セリーニ。気が少し急いていた」
「はは、教授っぽい」

出勤してきたマリッサとセリーニに顔を向ける。
ウィリディスが入院していた時は見舞いに来ないように告げていたから会うのは三週間ぶりか。

「教授が生きてる…!」
「死んだと報告は受けてないから無事だったとは思っていたけど」
「心配をかけて済まなかったな」
「むしろ今まで何もなかったのが奇跡なんだと思います」

うんうん、とうなずくマリッサを見つめて苦笑をする。
二人と話をしていれば次々に研究員たちが出勤してくる。いずれもウィリディスを見ればほっとしたような笑顔を向けてきた。
かなりの心配をかけてしまっていたことが身にしみてわかる。

「……セリーニ、全員揃ったら教えてくれ。話がある」
「わかりました」

ウィリディスは自分の部屋に向かって行き机に広げた書類と研究計画を手にする。
見直しが必要となってしまった。
実験する薬品に変更はないが手順と実験内容に少し変更を加えなければいけないだろう。ある程度の知識はあると自負していたが足りない部分が少なからずある。
他の研究員にも見てもらい再確認したうえで実験を行うべきだろうか。

「教授、全員揃いました」
「わかった、今行く」

セリーニが声をかけてくる。
並んで研究員たちがそろっている部屋に向かう。

「まじめ腐った顔してどうしたんですか」
「…迷惑をかけてしまったからな」
「謝るのはなしですよ。全員あのあと話し合いましたけど、研究する以上少なくともそういったことは起きかねないことをみんなわかってました。なによりあなたは死んでない。ほかの被害もない。で、謝る必要ないですよね?」
「……お前に先んじて言われてしまうとはな」
「そのほかにも何か言いたいことあるんですか」

ウィリディスは少し困った顔をする。
実験が終わるまでそばにいてくれるとリューイは言った。実験を終えてしまったらリューイはフィーディスのもとに行ってしまうのだろうか。
顔を曇らせた様子にセリーニは足を止める。何かあったなと感じる。

「……教授、あんたの目指すところはなんすか」
「Ω病の原因解明と治療薬の開発だ」
「じゃぁ、その目指すものがぶれないように気を付けてくださいね。今のあんた、リューイ青年が絡むと何かしでかしそうなんで」
「前々から思っていたんだが、お前は千里眼でもあるのか」
「ないです。教授がわかりやすいだけです。何かいいことがあったのと、おそらく悪いことがあったのとで、悪いことの比率のほうが高い感じですよね。俺のかわいいマリッサが一緒に研究してんだから気を抜くんじゃねぇぞって感じなんです」

セリーニは笑顔で告げた。
ウィリディスは少し言葉に詰まった。気を抜いていたわけではないが、リューイが離れていくならばと考えていた節はある。
セリーニは小さくため息をつけばウィリディスの背中を思いっきりたたいた。

「しっかりしてください、教授。リューイ青年が笑顔になれるほうがいいでしょ。俺たちはあんたのいない三週間、このまま実験を続けられるのか不安で不安で仕方なかったですよ。あんたがやる気なかったら俺たちの士気にも関わるんで」
「わかっている」

本当ですか、とセリーニは聞きたそうにウィリディスを見る。
研究の成功がウィリディスにとっても悲願であることに間違いはない。
自分のほほをたたいてウィリディスは力を入れなおした。

「すまない、待たせたな」
「教授が動いてる!」
「生きてるよ、教授!」
「おかえりなさーい」

口々に言葉をかけられてウィリディスは目を丸くするも小さく笑った。

「済まなかった。今回俺のせいでみんなには迷惑をかけたな。もし嫌になったものがいたらここでなくとも名乗り出てくれて構わない。退職金と次の仕事が見つかるまでの金銭は保証しよう」
「……はーい、教授」
「どうした、マリッサ」
「やめる人なんて一人もいません!」

手を上げて声を出したマリッサを見つめてウィリディスは目を丸くする。
マリッサは満面の笑顔を浮かべていた。隣に立つセリーニもうなずいている。
他の者もうんうんとうなずいていた。

「そもそも教授に拾われていろいろ教えてもらわなかったらこうして働けないし」
「俺たちもやり残しでいなくなるのはとっても気になるしな!」
「俺としてはリューイ青年と教授の行き先も気になるし」
「それなー」

ウィリディスは方々から上がる言葉に目を丸くし、やがて笑った。

「そういうわけなので教授は休んでしまった分をなんとしても取り戻してください」
「……ありがとう…」

いいメンバーに恵まれたらしい。
その後すぐに実験室に向かう。あのとき、マリッサが録画した実験映像を見るためだ。
ウィリディスのほかにマリッサとαの研究員数名が一緒に来た。
ほかのものには実験の見直しを指示している。使う薬品の化学反応を詳細に調べまた同じ事故がないようにするためだ。

「きちんと録画は残っているようです」
「再生してくれるか」
「はい」

うなずいたマリッサは少し震える手で再生を始めた。
ウィリディスは食い入るように画面を見つめる。
録画画面の右下には当日の時間が入っている。ウィリディスが実験を始めた時間になった。
画面に映るΩ細胞は何の変哲もない。しかしそこに一滴、雫が落ちる。その途端にΩ細胞が次々と壊れていく。
滴り落ちた雫の中に含まれていたα細胞が活発に動いているのである。

「えげつない…」
「これがα細胞の動きか…」
「これだけわかったのも大きな一歩だな」

ウィリディスの後ろで口々にほかの研究者が告げる。
そして問題の爆発の時刻である。
α細胞が投入されてからほんの数秒後であった。
画面の内部に雫が入り込むのと同時にカメラが激しく揺れる。音声は切ってあるがこの時ウィリディスの意識はなかったに等しい。
爆発の衝撃で気を失っていたのだ。
かたずを飲んでカメラの揺れが収まるのを待った。
揺れが比較的すぐに収まり同時に画面には目を見張るものが映し出されていた。

「α細胞が次々に破壊されている…」
「この特徴的な形のものがウイルスなんだろう?それがα細胞が持つ突起に触れた途端に粉々に砕けた」
「驚いたな。α細胞ごと壊れて行っているぞ」
「細胞ごと…?」

ウィリディスは画面を凝視する。確かに画面の内部ではウイルスに触れたα細胞が突起を破壊され粉々になっていく様子が映し出されていた。
一方α細胞に破壊されなかったΩ細胞は何の問題もなくまだ残っている。

「……細胞ごと破壊されるほどの力を持つウイルスなのに、どうして俺は生き残れた…?」
「それはクラート医師と彼が連れてきたお医者様の治療がよかったからでは」
「たったそれだけか…?このウイルスは毒性をかなり弱めているはずだ。それなのにここまで破壊してしまうとなるともともとのウイルスもどれだけ強かったのか」

ウィリディスは重たいため息をつく。
頭の奥がふらつくような気がした。

「今はウイルスのことは考えないようにしよう。それより、ウイルスの有用性が分かったな。このウイルスは確かにαに対して効果を見せる。Ωに対しては全くと言っていいほどなにもしない」
「でも番を得たΩはαに対して効果のある薬品に反応するっていう研究結果もありますよ」
「あぁ。患者のほとんどが番なしとはいえ、番持ちがいないわけではないからな……」

ウィリディスは考え込んだ。
ウイルスの力をさらに研究したら有用な成分を発見することはできるだろうか。それともほかの薬品や成分を試すべきだろうか。
自分はウイルスを吸い込んで間違いなく死にかけたはずなのにどうして治ることができたのかソコも不思議だった。
ウイルスの研究をしていたクラートの知り合いである医師によれば、未認可である薬を投与したところが大きいという。

「教授?この先はどうするおつもりですか」
「どうもこうもない。ほかの薬品を試す。なるべく安全なほうがいいのは間違いないだろう?俺のように投与したあと意識が戻らないというのは困る」
「確かに…教授が意識ない間リューイくんがずっとつきっきりだったって聞いたし」
「………誰から?」
「我々が状況を聞きに行ったクラート医師ですな。リューイ青年があなたのそばで生命維持装置の数字を繰り返し教えてくれたと話してくださいましだよ」

あとでクラートには何か罰を与えなければなるまい。ウィリディスは一人そう思った。
録画した映像をディスクに落とせばその場を離れる。実験室へ向かう道すがらこの先の実験をどう行うか議論を交わした。
実験する者が安全に行えなければ、たとえ成功したとしても意味がない。

「クラート医師は薬品に関して深く造詣がある様子。であれば、クラート医師に助言を乞うのも一つの手かと」
「そうだな…それもありか。俺の爆発の瞬間にもあいつがそう叫んだのだろう?」
「えぇ」

クラートに助力を頼むのならばあまり無理強いはできないだろう。
彼にも医師としての仕事がある。連絡を入れてみて協力が得られそうであれば頼めばいいだろう。無理だとしても何か助言はもらえるだろうか。
他の研究員と別れてからウィリディスは自分の部屋で実験の手順と使用薬品についてまとめた資料を見直した。
クラート曰く薬品同士の化学反応による爆発であったのだという。ならば使用する薬品同士を混ぜないようにしなければなるまい。
薬品の成分を一つ一つ書き出しては成分や化学式など詳細に書いていくがウィリディスの知識や手元にある書籍を使用してもわからないことのほうが多かった。
ウィリディスは書いたものを机に放り投げて背もたれに深く沈み込んだ。これではいけないと思うのに頭は働かない。
入院していたためなのだろうかと考え、かぶりを振った。
息を吐き出せばウィリディスは頭を切り替えるための部屋を出て少し研究所を歩いていた。

「だからそうじゃない。この薬品を使うならばこの反応が見られるはずなんだ」
「でも、それが見られないってことは別の反応の可能性もありますよね」
「それならこう考えてみてはどうだろうか」

ウィリディスが見ていなかったところで彼らはあぁやって意見を戦わせていたのだろうか。
自分がいないときもきっと同じようにしていてくれたのだろう。
自分はいったいどれだけの人間に助けてもらっていたのだろうか。リューイを手放したくないからと実験を止めようかと少し考えてしまった自分が恥ずかしい。
ウィリディスは身をひるがえして一度自分の部屋に戻る。セリーニとレナータの二人が研究所を閉めていた間の郵便物の仕分けをしているはずである。
二人にほかに助言を求められる研究者がいないか探してもらうのもいいだろう。自分も思い当たる節へ声をかけるつもりである。
思わぬリスタートとなったがウィリディスはいいほうへと転がるような気がしてならなかった。
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