異説・忠臣蔵騒動記~赤穂城受け渡し編~

エトーのねこ(略称:えねこ)

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「は?松の廊下で刃傷沙汰?」
  書類整理をしていると、突如として先代ごいんきょ様よりお呼び出しが掛かった。何でも、赤穂藩主ともあろうお方がよりにもよって松の廊下で刃傷沙汰を引き起こしたらしいのだ。
「ああ、そして我等が赤穂城引き渡しの使者となるそうだ」
「うわあ…」
  現在、脇坂藩はうちら国元家老が治めており、藩主様である淡路守様は江戸へ出向中だ。つまりは、俺が最高責任者として赤穂城引き渡しの使者として出向くらしい。
「粗相は許されんぞ」
「では、何故私なのでしょうか」
  当然ながら、俺自身も出世の機会であると同時に、切腹の危険性をはらむ事態である。一応聞いておく、先代様では拙いのか、と。
「お前しかおらんのだ、身分としての適任者が」
「えー…」
  おいおい、参ったなこりゃ。

 元禄十四年三月中旬、松の廊下において赤穂藩藩主、浅野内匠頭が高家筆頭、吉良上野介に斬りかかったという、通称「忠臣蔵騒動」が行われた当時、西国は龍野、赤穂の近辺である脇坂藩でも一騒動あった。何せ、江戸幕府はこの重大事件の後始末に脇坂藩を近いから良いだろう、と思ったのか、或いは、外様だから潰れても損は無い、と考えたのか、或いは他の理由があったのかは定かでは無いが、国元家老が脇坂家の親族ではなく家臣の一人である垣屋弾正忠七郎兵衛であるこの時に赤穂城引き渡しの使者として脇坂藩を指名したのである。しかも、脇坂藩藩主は現在江戸におり、指示を仰げない。一応、ご隠居である先代は国元に居たものの、隠居している以上身分が合わない。
 斯くて、赤穂城引き渡しの折、彼が正使として旅立つ必要があったのだ。無論、脇坂家親族であれば何の問題も無いのだが、居ない者はしょうが無い。
 そろそろお気づきの方もいらっしゃるだろう。これは、本来の歴史とは微妙に異なる、而して大局には何も影響の無い、忠臣蔵騒動の一コマである。

「ふーむ」
  なんというか、これ結構根深いんやないかな、事件のあれとしては。
「如何なさいました、垣屋殿」
  あ、助手くんや。確か名前は…小山とか言ったっけ。
「いやなに、何故浅野様は一国一城の立場を擲ってまで吉良を殺そうとしたのか、それが全く解らんのだ」
  慌てて口調を正す。いくら上方とはいえお国訛の儘で行くとなめられるしな。一応適当なこと言ってごまかそう。本心ではあるし。
「しかし、それは我等のお役目とは何も関係は御座いますまい」
  小山くん真面目やなあ…。ま、ええわ。そ・れ・に・な。受け渡しの使者ということは…。
「だな、それにこの赤穂の地を主様が貰えるかもしれん」
  と、いうわけや。はっきりうて此は世も落ち着いたこの時期に、封土が加増される絶好の機会や。あわよくば俺も万石は無理としても千石の大台に乗るやも知れん。
「そうでございます、その意気で参りましょう」
  …ま、そういうわけで。精々赤穂の人に恨まれんように頑張ろか!

 赤穂事件の後、浅野家は断絶、藩は解体となったのだが、問題はその地を誰が治めるかである。通常は、受け渡しの使者がもらい受けるという習わしであり、今回もその予定であった。そして、脇坂藩の治める龍野と、赤穂はほど近く、姫路の池田藩とも仲は悪くない。確かにうってつけの役職であった。

「垣屋殿、こちらです」
  あれは向こうの方の…木下藩士かな?
「ああ、わかった。…しかし、しんとしているなあ」
  藩断絶にしては、妙やな。普通は混乱でごった返しているもんなんやが。
「当たり前でございましょうに…」
「いや、それにしたって閑かに過ぎよう」
  藩札の交換とか済んでもたんやろか。まあ、閑かな方が仕事は早いし、ええか。
「当たり前でございます、それとも垣屋殿は何を想像していたので御座いますか」
「いや、特には何も。ただ単に、いやに閑かだと思っただけだ」
「はあ…」
  あ、少し呆れられたか。まあええまあええ、この仕事終わったらまた当分会わへんやろ。
「それはそうと、引き渡しの使者はどこに?」
「こちらでございます」
  さーて、鬼が出るか仏が出るか…。


「…大石、内藏助でございます」
  …鬼神が出たな。見た目温和そうやけどこういう覚悟決めた目には何言っても無駄や、精々機嫌損ねんようにしとこ…。
「垣屋、弾正忠にござる」
「この度は、遠路はるばるよくお越し下さいました」
  遠路、遠路ね。皮肉ではないんやろけど、江戸から伊勢行くのに比べたら充分近いやろ。
「いえいえ、しかし亡き浅野様の遺勲が効いているのか、明け渡しの割には閑かで御座いますな」
  そんなことより、なんで閑かやねん。普通こういう事態があったら絶対民百姓騒ぎ出すやろ。それに、なんというか、いくら何でも領主が腹切っておじゃんになったのにここまで平和なんは逆に怖いわ。
「と、おっしゃいますと?」
「いえ、こういうときは必ず何か騒ぎがあると思っておりましたが故」
「ははは、藩札ならば六割で保証済みで御座いますし、何よりも皆理解しておりますが故」
 …ああ、そういうことかいな。得心いったわ。なるほどね、そら半値以上で藩札換金しとったら民百姓は騒がへんわな。それよりも、理解ってどういうことや…ん?理解?…ああ、そういうことか。あかんわ、此奴等こいつら「殺る気」や。とはいえ別に吉良様が殺されてもうちらにはなんの縁もないしな。ここは一つ、黙って墓まで持ってこか。

 後に、垣屋弾正忠は大石内蔵助の目をこう語る、「覚悟を決めた者特有の目であり、手が些かも震えておらず、後の討ち入り騒動の事、把握はしていた」。
 何はともあれ、受け渡しは無事終了した。赤穂藩は抵抗することなく、すんなりと引き渡された。
 …まだ、討ち入りの話は欠片も存在していない、5月初頭の頃であった。

 元禄十四年、五月十八日。赤穂藩の全ての書類が龍野藩に渡り、此を以て赤穂藩は解体、江戸預かりとなった。無論、予定では脇坂藩が接取すると目されていた。そして、何事もなく月日は過ぎ、六月下旬。それは突如として発生した。


「コンだぼ介共がぁ!!左次、手前万一貞が死んで殿が赤穂藩接取でけんかったらどう責任とる積もりじゃァ!!貞も貞や、生きとったからまだええが、両成敗じゃ、暫く閉門せェ!!」
  馬鹿や阿呆か!コン草のついた屑介どもが!!どうゴウワイタか知らんが刃物出すのは限度があるわ!限度が!!


 赤穂城在番衆、六月二十五日の日記。
「昨夜のことである。左次兵衛が乱心し、貞右衛門殿と喧嘩に及んだ。幸いにして双方は生きていたものの、国元家老である垣屋様の逆鱗に触れ、貞右衛門は閉門、左次兵衛は強かに打擲され伊達になった後、国元より追放されたことの由。」

 通称、脇坂赤穂事件であるが、このことによって脇坂藩の立場は微妙になり始める。無論、明け渡した以上は脇坂藩が接取するのが道理ではあるのだが、この事件以降、次々と良からぬことが赤穂城近辺で起こり始める…。


 垣屋弾正忠が嚇怒したのは、言うまでも無くこの事件が聞こえて赤穂藩を接取出来なかった場合を考えてであるが、木下藩士が驚愕したのは言うまでも無い。垣屋弾正忠が温和として知られていたわけではないが、垣屋弾正忠の嚇怒はそれほどまでに激しく、仲裁が強引だったとはいえ強かに殴られた左次兵衛は打ち所が悪く片眼を失った上に鼻が物理的に曲がり、貞右衛門は貞右衛門でその後暫くの間垣屋に声を掛けられるたびに震えていたというのだから。


 そして、月も変り七月。赤穂城にて木下藩士は龍野名物の薄口醤油をつけて饂飩を食べていた。そこに垣屋弾正忠が通りかかった。木下藩士は慌てて襟元を正したが、垣屋弾正忠はいつも通り平静で礼儀の人といった装いを整えていた。
「垣屋様」
「ん、おお、木下殿と…緒方殿か」
  おかしいな、普通に声かけただけやのになんで襟元正しとるんやろ。……まさか、あれ見られた?
「はい、垣屋様は御存知かどうかは判りませぬが、最近赤穂藩に藩士が戻ってきているのは御存知でしょうか」
 赤穂藩に藩士が戻ってきている。言うまでも無く、それは討ち入りの準備のためであった。だが、垣屋弾正忠はそれに対して「何も見なかった」ことにした。なぜ、彼が「何も見なかった」ことにしたのか?別に彼は吉良に対して何の興味関心もなかったのだが、彼にはこの騒動に独特の「におい」がした。そう、あわよくば脇役として赤穂事件に名を残せるかもしれないという、「戦のにおい」である。
「らしいの。見て見ぬ振りはしておったが、大方主家の仇討ちでも計画しておるんじゃろ」
 主家の仇討ち。本来、仇討ちというものは尊属が殺されたものに限られていたが、垣屋弾正忠は「おそらく、この仇討ち事件は許されてしまうだろう」とも思っていた。もともと、百しか明文法律がない時点で、ある程度の賢者による人治が考慮されていたこともあるにはあったのだが、垣屋は吉良の評判が領外では最悪の部類であることを知っており、おそらくこの仇討ちを邪魔した場合は労力に似合わぬ悪名を着せられるであろうことも頭の中で考えていた。故に、赤穂浪士をこれ見よがしに支援することはなかったものの、「見て見ぬふり」をすることによって、間接的に支援を行っていた。そうすれば、比較的ローリスクハイリターンの名声を得ることもできるだろう、とも考えて。
「…よろしいので?」
「さてな。儂としては主様にもう少し広大な領土を指揮して貰い、儂自身の加増が少しでもあれば充分なのでな」
 そして、もう一つの理由。折角加増の可能性があったのに、それを不意にする如きの所業は慎まねばならなかった。さすがに彼も、後に垣屋家が万石を超える大名になるとまでは思っていなかったが、千石程度ならば超えるのではないかと期待していた。無理もあるまい、この時期の垣屋家領は八百五十石。もう手の届くところに千石の大台は期待されていたのだ。
「しかし…」
「ま、本当に討ち入りだったら一応それとなく江戸藩邸には伝えておくわい」
「はあ」
 江戸藩邸に伝える。これも巧妙にレトリックを使った返答で、江戸藩邸に伝えるといっても、脇坂藩当主に伝えるだけで、あとのことは野となれ山となれということであった。無論、無責任と後世の者が断ずるのは勝手であるが、この時代の主従関係とはあくまで単線である。故に、連絡義務さえ全うすれば、あとは腹を切る必要性は存在しえなかった。
「それよりも、木下殿は何用じゃ?」
「いえ、赤穂藩士が赤穂藩に戻ってきていることもあるので気をつけられよ、とな」
「ああ、それならば先程聞いた。それよりもどうじゃ、堀にいる魚でも釣らんか」
 堀に魚がいる。当たり前だが、そういう存在はいざとなれば籠城時の食料となるので、あまり推奨はされなかったが、適当な数を間引きするのは黙認されていた。無論、堀は生活用水にもなるので、魚の死骸で腐らせるのが拙い、ということもその背景には存在した。
「…流石に、お断り申す。垣屋殿は暢気じゃのう」
「暢気になりとうもなる。先の乱心騒ぎが何度も起きては命がいくつあっても足らんわい」
「はあ」


 元禄十四年も秋になりはじめ、吉良家は呉服屋の屋敷ではなく本所松坂になった。一方で、浅野大学をはじめ浅野家諸将に不穏な動きありと称し、江戸に戒厳令のようなものが敷かれ始めていた。それは、そんな折に脇坂藩や木下藩で起こった噂話である。
「…ふむ」
  一応、主様に知らせておいた方が良いか。
 噂話の筋は、以下のようなものである。
 ・吉良家お咎め無し
 ・元赤穂藩士、それに対して怒り心頭に発しており、今年中に討ち入りが行われる
 ・それに対して、大石内蔵助が反対している
 ・理由としては、浅野大学によるお家復興が叶えば事実上のお咎め無しと判断する
 噂話らしく、おおげさに伝わっているが、尾ひれを除けばこのような内容であった。それは、ある程度正確な情報であり、垣屋弾正忠としても「まあ、あり得る話ではあろう」という判断であった。
 何はともあれ、赤穂藩の復興は絶望的と判断した垣屋弾正忠はある行動に出る。通称、「脇坂文書」の執筆である。それは赤穂事件の地方での反応といっても良い手記であり、本人もまさか自分の備忘録が史料になるとも思って居なかったのか、好き放題に書かれたものであった。何せ書き始めから「吉良事件」と書かれており、更には「仇討ちは成功するだろうが、もしこの仇討ちが成功したとしても浅野大学をはじめとした当事者の感情はある意味置いてけぼりである」などといったことが書かれていたその文書は、今も尚ある民家にひっそりと保管されているという噂である。
 そして、元禄十四年も年の瀬が迫ってきた…。

「伝令、吉良上野介の隠居並びに嫡子への家督相続、幕閣が審議中の由!」
 江戸偵察中の忍者より伝令が入った。吉良上野介が隠居を願い出るという話である。それは、勝ち逃げ宣言と言ってもよかった。そして、垣屋弾正忠は案の定、
「…こりゃあ、荒れるな」
と困っていない顔でつぶやいた。
「いかがなさいましょう」
「殿に伝令を出せ、「可能ならば異議を唱えられたく候」」
 この時期、脇坂藩は願譜代から念願の譜代に昇進しており、幕府にものを言える立場になっていた。そして、垣屋弾正忠がこの伝令を出したことにより、歴史は動き始める…。


「殿、国元家老より伝令で御座います」
 国元家老、即ち垣屋弾正忠よりの伝令であった。脇坂淡路守は思わず
「何?」
と聞き返した。無理もあるまい、垣屋弾正忠は基本的に意見具申を行うことはあまりなかった。その垣屋が意見具申を行った。妙なこともあるものだ、といった様相になるのも、無理はなかった。
「詳しくは、以下の密書を」
「おう」

 書状の内容は、以下の通りであった。
・吉良隠居のこと、初手柄のために止められるがよろしい
・赤穂浪人、敵討ちのこと、後世までの手本になるが故、邪魔をしないことが名声につながる
・もし、加増がかなった場合、この書を以て加増の証拠としていただきたい

「…垣屋め…相変わらず果断よのう」
 果断。垣屋弾正忠という男は、果断であった。何せ、めったに意見具申をせぬ割に、その意見具申は悉く的確であった。逆に、弾正忠が何も言わない場合、そのまま進めても何も問題のない、そういった理由で彼は弾正忠を家老、しかも重要な国元家老としてとどめていた。
「如何なさいましたか?」
「いやなに、こっちのことだ。それよりも、書くので少し待っておれ」
 「書く」。いうまでもなく、垣屋にあてた返事であった。脇坂は機嫌が良かった。無理もあるまい、垣屋が言上したということは、これは強く歴史に残るだろうということが明らかであったからだ。
「ははっ」
 そして、この後伝令は何度も江戸・龍野間を往復することになる。この伝令が書いた「西国書記」は今尚旅人の手本として使われている。

「殿、主様より伝令が参りました」
 主様。すなわち脇坂淡路守安照のことなのだが、その伝令は不自然であった。無理もあるまい、垣屋弾正忠への返事を所持していたこともあったが、何せ休まず江戸・龍野間を往復したのである、疲労困憊と言ってもよかった。
「あれ、返信要請したっけ」
 一方で、その不自然さに気付かないのか、返事を要請したのかと聞いた弾正忠。それに対して伝令は
「いえ、ですが直筆の手紙で御座います」
と答えた。
「そりゃあ、参ったな…」
 何が「参ったな」なのか。さすがに、叱責ではないとは思っていたが、彼自身も「参った、この案件は複雑だ!」と気付いたのである。

「ふーむ」
「如何なさいましたか」
 思わず、聞いてしまう伝令。無理もあるまい、場合によってはまたひとっ走りする必要があり、さらに言えば、垣屋が複雑怪奇な顔をしていたからだ。
「今一度伝令を出す、書くので待っておれ」
 そして、垣屋は筆を執った。無論、異議異見というわけではないのだが、一言どうしても添え状を作っておきたくなったのだ。
「ははっ、しかし宜しいのですか?」
 それに対して、「まさか国元家老とはいえ異議異見を藩主に唱えるのか?」という様相の伝令。だが。
「異議を唱えるわけではない、あくまで部下としての返信だ」
 一応、言っておくべきかと思った弾正忠。そして、歴史は大きく変化はしないものの、少しずつ我々の世界とはずれ始めていく…。
「ははっ」

「殿、国元家老より伝令で御座います」
 国元家老より伝令。それは淡路守にとって意外であった。無理もあるまい、垣屋が一つの案件で二つ以上の言上を行うことは、今までなかったからだ。
「なんじゃと?」
「書を預かっております」
 書。それこそが、垣屋弾正忠が歴史に名を遺した文書であった。通称「龍野文書」と称されるそれは、垣屋弾正忠一世一代の賭けでもあった。
「わかった」

「…ふはっ…」
「殿?」
 思わず笑いだす淡路守。無理もあるまい、彼にとって、この書はいかにもな話題であったからだ。そして、脇坂淡路守安照は伝令を休ませるためにも、
「いやなに、久しぶりに滑稽咄が出来そうな話題をもってきおったわい。いいじゃろ、おい、伝令はもういいぞ、もし国元に帰る機会があれば垣屋には宜しく言っておけ」
と告げておいた。それは、垣屋弾正忠が後に大名となる、大きな大きな手柄であった。
「ははっ」

 元禄十四年、十二月。
「何故に、何故に御座いますか!」
 咆える吉良上野介。無理もあるまい、なぜ隠居が認められないのか。赤穂浪人はそこまで手をまわしていたのか、否まさか、あの堅物にして遅鈍ともいうべき浅野内匠頭がそこまでの機微に長けるわけがないと侮っていた節もあるにはあったのだが、それに対して幕府方の使者は
「判らぬ!しかし隠居、家督相続共にまだ早いとの仰せじゃ」
と申し渡した。一介の使者には見えない高度な判断もあるにはあったのだが、吉良上野介の隠居が認められないのは、おそらくは柳沢からもはや不要と捨てられたのだろう、と後世の者は語ったという。
「…なんと…」
「儂は幕閣の判断を伝えただけなのでな」
 そして、逃げるように屋敷を出ていく使者。吉良の顔は、そこまで見るに堪えないものであった。
「なんと…」
 吉良上野介の隠居は、叶わなかった。幕府によると、「時期尚早である」という返答であったが、生類憐れみの令ですこぶる評判の悪い幕府の評判を今以上に下げると、本当に一揆が起きかねなかったということもあった。無論、この時期に一揆など起きようも無いのだが、後世まで続く悪評は今なお綱吉並びに柳沢を取り巻いており、この事件次第では史実のようにどれだけ笑われるか判らなかったからだ。


 元禄十五年正月、浅野大学の閉門に対して、ある処分が行われた。減封処分ではあるが、藩の発足を妨げることはない、という報せである。しかし、場所は赤穂ではなかった…。
「殿!お喜びくだされ!」
 前回の伝令は、最早恒例であったのか、石高が低いからあまり多くの数を割けなかったのか、同じ顔の人間であったが、その顔は疲労ではなく快愉悦なる顔であった。
「なんだ、何があった」
 一方、その策を成し遂げた弾正忠は一応喜ぶということは問題はなかったのだな、という様相で何があったか問い質した。
「脇坂藩の赤穂加増が決まりました!」
 そして、喜色満面の顔で弾正忠が欣喜雀躍するであろうはずの一報を齎した。
「…えっ」
 だが、弾正忠は喜ぶより先に驚きが訪れた。それほど、この一報は驚愕すべきものであったのだから。

 通称、「龍野赤穂合併」であるが、この時より龍野藩は、譜代大名として10万石を越える大名となった。同時に、各藩僚も順次加封となり、特に垣屋弾正忠は密書の功からか千石を超える重臣となった。
 だが、事態はこれで終わらなかった…。
「…おいおい、冗談だろ」
 浅野大学の閉門は解かれ、減封転封ではあるものの、藩としての再生が許されたことは記述したが、そこはなんと、試される大地であった。無論、藩としての存続を許すという名目ではあったものの、事実上の懲罰人事であり、吉良へのお咎めが今なお行われないとあっては、藩士も破局的思考にならなかっただけで、不満はたまっていった。
 そして、元禄十五年と書いたとおり、いよいよ討ち入り計画にも拍車が掛かっていった。藩としての再生が許されたといえば聞こえは良いが、事実上の、否、本当に最果てへの左遷であった。無論、彼らにとってはむしろ恥といってもおかしくはなかった。
「…垣屋様、殿への密書は送られないので?」
 伝令は何かを待っていた。だが、弾正忠はそれに対してこう答えた。
「戦略目標は達成した、あとは知らん」
 戦略目標。いうまでもなく、龍野藩への加増であったが、彼の脳裏には赤穂浪人の徒党によって吉良屋敷一帯が灰燼に帰す光景までが見えていた。
「…はあ」
  あーあ、儂は知らんぞ、どうなっても知らんぞ。
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