一目惚れなんです、黒竜様

雪吹つかさ

文字の大きさ
12 / 71
3:不穏な風

良くない噂

しおりを挟む

 陽が暮れてしまう前にイヴは戻る事が出来た。戻るや否やエプロンを巻いてシェリーに一言交わしてからカウンターの奥へと立った


 ――午後からの仕事も終えて閉店作業の時間
 表にあるプレートを裏返して閉店を知らせる。店内に残った数少ないパンをカゴごと下げた。箒ではき掃除やケースやカウンターを雑巾で拭き掃除などをしていく。シェリーが売上の計算をしている間にイヴは掃除を終わらせた
 出たゴミを捨てて掃除用具を元の位置に戻すと初日の仕事を終えるとシェリーに「お疲れ様」の言葉と共にシャワーを勧められた。厚意に甘えて先にシャワーを浴びて出ると売れ残ったパンが食卓にのぼっていた

 パン切り包丁でスライスされた物や丸のままのものやスライスされた断面に焼き目がつくまで焼かれたものなど様々な形で置かれている
 シェリーは台所に立って鍋を掻き回し、グレンは瓶をテーブルに並べていた


「あの……シャワー空きました」
「ああ、イヴ君。今日はお疲れ様。それじゃあシャワーを浴びてこようかな」


 火の元から離れているにも拘らずグレンの額にはまだ汗が浮かんでいる。汗を吸って服は濡れてしまっていた。あまり気分が良いものではないだろう
 グレンはシャワーを浴びに向かっていき、イヴはシェリーへと近寄る。鍋からは湯気が立っており同時に香りも漂っていた。放り込まれている具材を掻き混ぜて浮かび上がらせる。見えた肉の塊や切られた野菜は香りと相俟って食欲をそそった
 イヴは咄嗟に両手でお腹を押さえた。鳴ってしまわぬように


「もう少し煮込まなきゃいけないから、ミルクを出しておいてくれないかい?」
「はい。えっと……」
「裏口で冷やしてあるよ」


 言われてイヴは裏口のドアを開けて外に出る。外はもう暗く、よく見えない。ドアを支えて家の中の灯りを極力漏らして注意深く見れば大きな器があった。器には水が張られており四本瓶が浸かっていた

 ドアから離れ、器を引きずって引き寄せてドアの近くまで寄せる。ドアを体で支えてから瓶を水の中から引き上げて腕で抱えて支えた。体を滑り込ませて家の中へと戻る。瓶を一本一本テーブルに置いていき、タオルを持ってきて拭いておいた
 テーブルの上を見てミルク瓶以外の瓶に目がいく。グレイが並べていた瓶の中身はジャムだった。ジャムの種類は豊富でそれぞれ違う色をしている。完全に潰された物ではなく、少し形が残っていた。それをパンに塗りつけて食べれば広がるであろう味を想像してイヴは手にとっていた瓶をテーブルの上へと戻した


「出しました」
「そうかい。ありがとうよ」
「他にすることはありませんか?」
「そうだねぇ……ああそうだ。塩漬けの魚があるから出しておいてくれないか」


 ミルクの時のようにシェリーに場所を教えてもらって塩漬けの魚を皿に取り出す。それもテーブルへと並べたところでグレンが浴場から出てきた
 汗を流してさっぱりとしたようで胸がすいたとばかりの表情を湛えている。一足先に席へとついた

 鍋の様子を見ていたシェリーが器を出して鍋の中身を入れていく。三つの器に入れるとイヴがテーブルまで運んだ。全員分並べるとシェリーとイヴも席に座った
 全員が揃ったところで食事を始めた

 ジャムの瓶を開けて中身を取り出す。焼かれたパンに塗って口に運んだ。果物だけで作られたジャムの甘味が染み込んでいく。粒の残った果物を潰すとさっくりと軽やかな食感がやってきた
 その味にあっという間に食べきれば他のパンに手を出す。スライスされたパンは固めで、スープに浸してスープの味をつけて口に入れる。スープはニンニクと塩で味付けされており、羊肉と野菜の味がスープとして染み出していた。パンからにじみ出てきてじゅわりと広がった


「おいしい……」


 思わず感想をこぼしながらもイヴは食べ進めていく。労働の後ということもあって食事が身にしみた


「そういえばあの噂は本当なのかねぇ……イヴ君も何か聞いていないかい?」
「……噂?」


 ジャムをパンにつけていたシェリーがイヴに話を振った。イヴは手を止めて首を傾げる


「街の若い男衆が武器を集めているらしいって話でね」
「冒険にでも出るんじゃないか?」
「今の時代に?」
「男とはそういうものさ」
「……平和になったっていうのに不思議だねえ」


 武器屋には用向きがないイヴにはない。仕事探しに一度立ち寄ったきりだ。偶然遭遇していないだけなのかイヴは見たことはないし、そんな噂を耳にしたこともない
 ほのかに冷えた牛乳を飲みながら思い返してみるが記憶に引っかかるようなものはどうしても見付からなかった。イヴ自身まだこの街に来て日が浅いというのもあるだろう

 どこか満足そうに頷いては目を細めるグレンと怪訝そうにするシェリーの二人のやりとりを見ていたイヴはミルクの瓶をテーブルに置いて首を振った


「わたしはそんな噂初めて聞きました」
「そうかい……。ま、何かあったらいけないから気をつけておきなね」
「……はい」


 若い男たちが武器を集めて何をしようとしているのか。イヴは首を捻ったがひとまず頭の片隅に置いておいた

 食事に戻ってパンを手でちぎって口に入れていく。時々塩漬けの魚に手を出したりしながら胃を満足させていく。牛乳を飲み干して大きく息を吐いた。体はかなり満足してきているようでイヴの手が止まり始めている
 手の動きは緩慢になりながらも口に入れては咀嚼していった。満腹になる前にスープの入った器を空にして漸く食事を終わらせた

 使った食器を持って所定の場所へと置いておく。そこでふと訊きたいことが思いついてイヴは振り返る。テーブルの上の物が少しずつ減っており、まだシェリーとグレンは食事中のようだった


「あの、この街に本がたくさん集まる場所とかありますか?」
「本? 道具屋に少し売っているのは見た事があるが……」
「王都程大きなところじゃなくていいなら図書館もあったよ、確か」
「図書館……。図書館があるなら図書館の方が」
「ああ、そういえばあったなあ。しかしどうして図書館に?」
「行きたいんです。調べたい事があって」
「それなら明日教えてあげるよ」
「ありがとうございます」


 シェリーが明日図書館の場所を教えてくれることとなった。イヴはホッと胸を撫で下ろす。その顔には喜びが滲み出ていた
 食事を終えたイヴは夫妻に挨拶をしてから上機嫌で自身に与えられた部屋へと向かった
 イヴに与えられたベッドとタンスのみの殺風景な一室に戻るとベッドへと腰掛けた。そのまま横になれば眠ってしまいそうで横たわるのは今は控えた
 汗を流し終え、食事もとり終えて、疲労もある。それらがイヴを睡眠に誘っていたからだ


 イヴは両腕を上に上げて体を伸ばす。体の伸びる心地よい感覚に数秒程体勢を維持してから全身から力を抜いた


(黒竜様への質問、どうしよう。何から訊こう)


 少しずつ、少しずつではあるが進展していっている。それがとても夢心地で、自然と頬が緩んだ


 ――好きな物とか、嫌いな物とか
 昔の話は――――少し、哀しそうな顔をするからやめておいた方がいいかな……


 想いを話した際の自嘲じみた言動を思い出してイヴの表情に憂いが浮かぶ。あんな顔を進んでさせたくはない。昔に関わる質問は除外した
 頭の中で質問をいくつか浮かべていく。訪れた際には尋ねられるくらいにはいくつか纏められた


「明日……行けるなら夜かな」


 明日から休憩時間は今日とは違い短い。明るい内に黒竜の元に行くには難しいだろう。焦れったさを感じながらも仕方がないこととして諦念に染まった


(どうか明日も会えますように……)


 それだけを願って、眠るための準備を始めた

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

妾の子だからといって、公爵家の令嬢を侮辱してただで済むと思っていたんですか?

木山楽斗
恋愛
公爵家の妾の子であるクラリアは、とある舞踏会にて二人の令嬢に詰められていた。 彼女達は、公爵家の汚点ともいえるクラリアのことを蔑み馬鹿にしていたのである。 公爵家の一員を侮辱するなど、本来であれば許されることではない。 しかし彼女達は、妾の子のことでムキになることはないと高を括っていた。 だが公爵家は彼女達に対して厳正なる抗議をしてきた。 二人が公爵家を侮辱したとして、糾弾したのである。 彼女達は何もわかっていなかったのだ。例え妾の子であろうとも、公爵家の一員であるクラリアを侮辱してただで済む訳がないということを。 ※HOTランキング1位、小説、恋愛24hポイントランキング1位(2024/10/04) 皆さまの応援のおかげです。誠にありがとうございます。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない

二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。 ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。 当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。 だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。 ――君の××××、触らせてもらえないだろうか?

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

愚かな側妃と言われたので、我慢することをやめます

天宮有
恋愛
私アリザは平民から側妃となり、国王ルグドに利用されていた。 王妃のシェムを愛しているルグドは、私を酷使する。 影で城の人達から「愚かな側妃」と蔑まれていることを知り、全てがどうでもよくなっていた。 私は我慢することをやめてルグドを助けず、愚かな側妃として生きます。

処理中です...