16 / 71
4:あなたに贈る
現実の幸福
しおりを挟む「――――ぷあっ!? シスター!?」
イヴが顔を上げるとそこにシスターはいなかった。イヴの体は濡れていて腹部から下半分は水に浸かっていた
何故水浸しになっているのか理由がわからずイヴは茫然とする。シスターと会話をして、他の子供たちに向かおうとしていた直前の光景が頭の中にあるというのに、イヴの目の前にある光景は泉だった。水温は体温とほとんど変わらないものの時間が立てば体を冷やしてしまいそうだ
しかし何故ここにいるのかとんと見当がつかず身動きがとれずにいた
「気がついたか」
「……えっ!?」
かけられた低い声にワンテンポ遅れでイヴは反応する。遠い存在であるはずの黒竜が広げた傷だらけの羽を動かして泉の近くに降り立った。呆けた顔で黒竜を見て、自分の服を見下ろす。依然として濡れている服に咄嗟に両手で体を隠し、俯き身を縮こませた
徐々に頭の中に現状に至るまでの光景が浮かんでくる。若者の集まりの話を聞いて。夜、黒竜の元まで駆けて。そしてそこで――――苛立った男に斬られたのだ
「……あれ? ない……」
記憶は確かだが痛みはない。斬られたはずの場所を何度触ってみてもそれと思しきものは見つからない。どちらが夢だったのかわからなくなりそうだった
「傷が……夢……?」
燃えるような痛みを感じた。もうこれで終わるのだと直感するもの。イヴにとってはかつてない程の痛みであり思い出すとぞっとするものだ。それが夢であるはずがない、と思い直す。しかしそうなると怪我はどこにいったのかという新しい疑問が沸いてくる
考えてはみるものの理由がわからず泉の外側、背後の竜を見遣った
「あの、わたし一体……?」
「飛び出しただろう」
「えっと、それは覚えてるの。確か無我夢中で……」
――強いから大丈夫だとか、そんな理屈は一切浮かばなかった。カッと熱くなって、頭の中には何も思い描けなくて。無意識に近い状態だった。だから、気付けば黒竜の前にいて烈火の痛みに襲われたといった具合で先程の想起で細部までは思い出せなかった。感覚だけが強く残っている
再度思い返す。記憶は鮮烈な痛覚で終えている。そこではっとして前のめりになって口を開いた
「あ……っ! そうだ、フェリーク様怪我は!? きっとたくさんの人があなたを……!」
「あの程度の奴輩に大層な傷などつけられん」
「無事……なんだ……」
淡々と告げる黒竜をイヴはまじまじと見つめる。生きているのは確かだが内部に及ぶ程の深刻な痛みがあるかどうかは見た目ではわからない。しかし外傷としてあるのはせいぜい切り傷だった
「そう、なんだ。よかった……」
目視と黒竜の言葉で肩からゆるゆると力が抜けていき上がっていた肩が下がる。前に出ていた体も後ろへと下がった。黒竜の瞳孔の開かれた目がイヴを見据える。その、人々に恐怖を与える目からは感情が読み取れない
ただ、イヴは見られているという事実で状況を思い出してもう一度、水で濡れてしまっている体を少しでも隠した。黒竜はそう間もなく顔を背ける。イヴはというと恥ずかしそうに視線を水面へと落としている
「あ、そ、それで……わたしどうしてこんな所に?」
「貴様は私の力量を計りきれておらず不要な怪我をした」
「う。ご、ごめんなさい」
「本来ならば捨て置くが。……薬の礼だ」
「……薬、って」
薬と言われればすぐに思い至る。買い集めて持っていき毒だと疑われて何度見ても結局使われていなかったものだ
「そ、そんなお礼だなんて。わたしがしたくてしたことだし」
「貴様が勝手にしたことであるのは明確ではあるが、しておかねば恩などと認識するのだろう、人間は」
「恩をつくったなんて思っていないわ。けど……その。この場所は一体……?」
「治癒の泉だ」
「え。お、お話に聞いたことがある。ここが……?」
今イヴがいるのは勇者も使ったと云われるたちまち軽度の病や怪我を癒してくれるという泉だという。ダンジョンと呼ばれる場所の奥深くにあるとは言われてはいるがそこにたどり着くまでが困難で普通に暮らしているならばまず見られないものだ
傷を癒すアイテムの礼として傷を癒す泉。適切な礼だ。あの時のイヴには最適のもの。恩を作ったなどとは本心からイヴは思っていないものの黒竜が泉にこうして連れて来てくれたのは助かっていた。あのままだったらどうなっていたかと今頃になって想像してみれば背筋が凍りそうになり、二の腕をさすった
「でもありがとうございます。お陰で助かりました」
「礼に礼で返すな」
視線を水面から離さないでいたイヴは平淡な声調にふと顔を上げる。後方を見遣ると未だに顔を背けたままの黒竜が見えた。最初の頃と変わらず厳しい口調だが、以前は他者を寄せ付けようとしない冥さがあったが大分薄れているように思えた
イヴの頬が自然と緩む。笑い声さえ出そうになったが今もまだある翼の傷が目に入って痛心に表情は変わる
「フェリーク様はこんな場所を知っているのに、どうして入らないの?」
「……都度入っていてはキリがない」
「そんなに、人が」
それ程までに人は訪れ黒竜を傷つけるのだ。普段黒竜がいる場所からどのくらいの距離かは気を失っていたイヴにはわからないが、傷が新たに出来る度にここに入って傷を癒していては黒竜の言うようにキリがないだろう
心臓を鷲掴みにされたようで両の手に力がこもる。沈痛な表情を浮かべているイヴだが見ていないからか黒竜はそのことに対してさして気にした様子もなく声をかけた
「私も貴様に問う」
「フェリーク様が、わたしに質問……?」
「そのフェリークというのはなんだ」
「え? ……あ」
0
あなたにおすすめの小説
妾の子だからといって、公爵家の令嬢を侮辱してただで済むと思っていたんですか?
木山楽斗
恋愛
公爵家の妾の子であるクラリアは、とある舞踏会にて二人の令嬢に詰められていた。
彼女達は、公爵家の汚点ともいえるクラリアのことを蔑み馬鹿にしていたのである。
公爵家の一員を侮辱するなど、本来であれば許されることではない。
しかし彼女達は、妾の子のことでムキになることはないと高を括っていた。
だが公爵家は彼女達に対して厳正なる抗議をしてきた。
二人が公爵家を侮辱したとして、糾弾したのである。
彼女達は何もわかっていなかったのだ。例え妾の子であろうとも、公爵家の一員であるクラリアを侮辱してただで済む訳がないということを。
※HOTランキング1位、小説、恋愛24hポイントランキング1位(2024/10/04) 皆さまの応援のおかげです。誠にありがとうございます。
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない
二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。
ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。
当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。
だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。
――君の××××、触らせてもらえないだろうか?
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
英雄の番が名乗るまで
長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。
大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。
※小説家になろうにも投稿
愚かな側妃と言われたので、我慢することをやめます
天宮有
恋愛
私アリザは平民から側妃となり、国王ルグドに利用されていた。
王妃のシェムを愛しているルグドは、私を酷使する。
影で城の人達から「愚かな側妃」と蔑まれていることを知り、全てがどうでもよくなっていた。
私は我慢することをやめてルグドを助けず、愚かな側妃として生きます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる