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119話
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乾燥させているのもあり、どんな効果があるかはわかっていなかった。とにかくヴァンパイアはもちろん、魔物は大抵薔薇が苦手だということしかわかっていなかった。
だから投げつけたとたん、悲痛な叫び声と共に焦げ付くような匂いがしたことに一瞬怯えてしまった。そのせいで少し逃げ遅れたが、何とかずっと閉じ込められていた部屋から出られた。閉じ込められていてもずっと体は動かしていたお陰で素早い行動が取れることに安堵する。男が入って来ている時は鍵をしていないのは知っていた。
……くそ、どっちへ行けばいい……。
あまり猶予はないだろう。あの程度では即死効果はなさそうだ。だが顔を、それも目を押さえていた。花弁が触れたのかもしれない。そう思いながら「同情などする必要はないし暇もない」と邦一は自分に言い聞かせる。
廊下も薄暗いが、所々灯されている小さな灯りのお陰で見えない程ではなかった。なんとか階段を見つけた。余裕があれば捕らわれたままかもしれない女性を助けたかったが、申し訳ないことにそんな余裕などない。
後で……きっと……、……っ?
階段を下りている途中で体が浮いた。何が起こったかわからないまま、気づけば階下にあり得ないほど思い切り叩きつけられていた。
「……っか、は……っ」
体を鍛えようがどうしようが、生身の体自体を頑丈にすることはできない。軋むような痛みと共に肺の辺りの空気がひゅーひゅーと漏れているかのような感じを覚えた。肋骨が折れただけではなく、肺に刺さったのかもしれない。
「……ヴァンパイアと共に暮らしていながら薔薇を持ち歩くだと……」
絞り出すような声が聞こえた。
「お前のせいで片方の目が焼けたぞ……どうしてくれる……」
やはり目がやられていたのかと、邦一はどこか遠いところにいるかのような感覚のまま思っていた。
……あの庭の薔薇……そんなに力、あったんだ、な……。
体は痛みが酷すぎてむしろ自分の体とさえ思えない。
俺、もしかして死ぬのか……。
他人事のように思った後で秋星の顔が浮かんだ。
……駄目だ……俺は死んだら駄目だ……秋星が……きっと……泣く……。
「もうお前はいらん。味が惜しいが、忌々しい。今ここで体を引き裂いて逆さに吊るしてやる。出せる限りの血を滴らせながら死ぬがいい」
男は片目が見えないというのに素早く移動してきたかと思うと、邦一の後ろ髪をつかみ上げ殴り付けてきた。鋭い爪でも生えているのだろうか。殴られているのか引き裂かれているのか今の邦一にはもうわからなかった。
髪……願掛けは結局効いていたのだろうか。まだ今のような好きだとわかっていなかった頃から願掛けの内容は迷うことがなかった。ただどこまでだと叶ったと思えるのかこの期に及んで改めてわからない。
最期に秋星に会えないのなら、叶っていないのだろうか。
『ずっと秋星といられますように』
秋星……秋星……ごめんな……秋星……。
油断したつもりじゃなかったんだ……。
どうしたら許してくれる?
愛してる。
大切なんだ。
だからもし俺の体がなくなっても、絶対にそばにいるようにするから……あの世とやらに行けなくても、そばでお前を見守るから──
頭の中が白くなっていく。自分の意識の有無すら明確でなくなっていく。
ただ、秋星の声が聞こえたような気がした。頭の中が真っ白なはずなのに、視界は自分の血だろうか、赤かった。
白い一面に、緋色の花が咲いていく。
ぽつぽつと咲く花は、突然一気に咲き乱れ始めた。
彼岸花なのだろうか。この世とあの世を繋ぐ花だろうか。秋星──
ああ、そうだ。
こんな光景を邦一は昔、見た。
口の中や喉に鉄の味が広がり、視界が白いのに赤い。そして秋星が……髪が銀色に輝く秋星が、俺を殺そうとした相手に食らいつき、血塗れにしていた。
いや、これは今見ていてる光景なのだろうか。それともやはり過去の記憶か。
わかるのはどんな秋星でも好きだということ。そして過去でない自分は、もう駄目だということ。
秋星が……泣かなければ……いいんだけど……。
「お兄さん! 邦一……聞こえるか?」
誰かの声がする。消えて無くなろうとしていた意識が呼び戻されたような感じだったが、ふわふわとしており自分がもうほとんどそこにいないような感覚しかない。お陰であの激しい痛みが他人事のようになっていて、ある意味楽だった。
ただ、呼ばれても相手がもう見えない。誰が呼んでいるのだろうか。少なくとも秋星ではない。
「しっかりしろ! あんたがしっかりしなかったらあの純血、手がつけられなくなるんだぞ……!」
誰かの手の感触がある。
「……ダメだなこれ……そりゃ猫も残酷かもだけど……ヴァンパイアハーフ怖い……」
「おい、がんばれよ……! 頼むから!」
「っつってもがんばりようねーもんなぁ」
声の主は独り言と邦一への呼びかけを交互にしているようだ。もう反応もできずに、今度こそ意識が途絶えようとしていた。だが次の言葉にまた意識が漂う。
「なぁ、人間やめて魔物になるか?」
魔物、に……。
「純血はあのハーフ倒してるとこなんだ。でも邦一、あんたはもう時間がない。純血に確認してる暇はない上にあんたの反応を待たずに、俺があんたと契約してもいいか?」
魔物に。そうすれば死ななくて済むのだろうか。
魔物に。そうすれば……秋星と共にこの先もずっと……?
「反対はしない。だから今後、お前はお前の思う通りにすればいい」
父親の言葉を今、ふと思い出した。
父さん……、母さんも……ごめんな。
どこにそんな力があったのかわからない。もうほぼ途絶えようとしている自我をかき集め、邦一はボロボロになりまだちゃんと残っているかどうかもわからない自分の手に力を込めて持ち上げ、相手の手に触れた。
確か、そう、お前は──
「り、たろ……」
臨太郎だ。
「生……た、い」
だから投げつけたとたん、悲痛な叫び声と共に焦げ付くような匂いがしたことに一瞬怯えてしまった。そのせいで少し逃げ遅れたが、何とかずっと閉じ込められていた部屋から出られた。閉じ込められていてもずっと体は動かしていたお陰で素早い行動が取れることに安堵する。男が入って来ている時は鍵をしていないのは知っていた。
……くそ、どっちへ行けばいい……。
あまり猶予はないだろう。あの程度では即死効果はなさそうだ。だが顔を、それも目を押さえていた。花弁が触れたのかもしれない。そう思いながら「同情などする必要はないし暇もない」と邦一は自分に言い聞かせる。
廊下も薄暗いが、所々灯されている小さな灯りのお陰で見えない程ではなかった。なんとか階段を見つけた。余裕があれば捕らわれたままかもしれない女性を助けたかったが、申し訳ないことにそんな余裕などない。
後で……きっと……、……っ?
階段を下りている途中で体が浮いた。何が起こったかわからないまま、気づけば階下にあり得ないほど思い切り叩きつけられていた。
「……っか、は……っ」
体を鍛えようがどうしようが、生身の体自体を頑丈にすることはできない。軋むような痛みと共に肺の辺りの空気がひゅーひゅーと漏れているかのような感じを覚えた。肋骨が折れただけではなく、肺に刺さったのかもしれない。
「……ヴァンパイアと共に暮らしていながら薔薇を持ち歩くだと……」
絞り出すような声が聞こえた。
「お前のせいで片方の目が焼けたぞ……どうしてくれる……」
やはり目がやられていたのかと、邦一はどこか遠いところにいるかのような感覚のまま思っていた。
……あの庭の薔薇……そんなに力、あったんだ、な……。
体は痛みが酷すぎてむしろ自分の体とさえ思えない。
俺、もしかして死ぬのか……。
他人事のように思った後で秋星の顔が浮かんだ。
……駄目だ……俺は死んだら駄目だ……秋星が……きっと……泣く……。
「もうお前はいらん。味が惜しいが、忌々しい。今ここで体を引き裂いて逆さに吊るしてやる。出せる限りの血を滴らせながら死ぬがいい」
男は片目が見えないというのに素早く移動してきたかと思うと、邦一の後ろ髪をつかみ上げ殴り付けてきた。鋭い爪でも生えているのだろうか。殴られているのか引き裂かれているのか今の邦一にはもうわからなかった。
髪……願掛けは結局効いていたのだろうか。まだ今のような好きだとわかっていなかった頃から願掛けの内容は迷うことがなかった。ただどこまでだと叶ったと思えるのかこの期に及んで改めてわからない。
最期に秋星に会えないのなら、叶っていないのだろうか。
『ずっと秋星といられますように』
秋星……秋星……ごめんな……秋星……。
油断したつもりじゃなかったんだ……。
どうしたら許してくれる?
愛してる。
大切なんだ。
だからもし俺の体がなくなっても、絶対にそばにいるようにするから……あの世とやらに行けなくても、そばでお前を見守るから──
頭の中が白くなっていく。自分の意識の有無すら明確でなくなっていく。
ただ、秋星の声が聞こえたような気がした。頭の中が真っ白なはずなのに、視界は自分の血だろうか、赤かった。
白い一面に、緋色の花が咲いていく。
ぽつぽつと咲く花は、突然一気に咲き乱れ始めた。
彼岸花なのだろうか。この世とあの世を繋ぐ花だろうか。秋星──
ああ、そうだ。
こんな光景を邦一は昔、見た。
口の中や喉に鉄の味が広がり、視界が白いのに赤い。そして秋星が……髪が銀色に輝く秋星が、俺を殺そうとした相手に食らいつき、血塗れにしていた。
いや、これは今見ていてる光景なのだろうか。それともやはり過去の記憶か。
わかるのはどんな秋星でも好きだということ。そして過去でない自分は、もう駄目だということ。
秋星が……泣かなければ……いいんだけど……。
「お兄さん! 邦一……聞こえるか?」
誰かの声がする。消えて無くなろうとしていた意識が呼び戻されたような感じだったが、ふわふわとしており自分がもうほとんどそこにいないような感覚しかない。お陰であの激しい痛みが他人事のようになっていて、ある意味楽だった。
ただ、呼ばれても相手がもう見えない。誰が呼んでいるのだろうか。少なくとも秋星ではない。
「しっかりしろ! あんたがしっかりしなかったらあの純血、手がつけられなくなるんだぞ……!」
誰かの手の感触がある。
「……ダメだなこれ……そりゃ猫も残酷かもだけど……ヴァンパイアハーフ怖い……」
「おい、がんばれよ……! 頼むから!」
「っつってもがんばりようねーもんなぁ」
声の主は独り言と邦一への呼びかけを交互にしているようだ。もう反応もできずに、今度こそ意識が途絶えようとしていた。だが次の言葉にまた意識が漂う。
「なぁ、人間やめて魔物になるか?」
魔物、に……。
「純血はあのハーフ倒してるとこなんだ。でも邦一、あんたはもう時間がない。純血に確認してる暇はない上にあんたの反応を待たずに、俺があんたと契約してもいいか?」
魔物に。そうすれば死ななくて済むのだろうか。
魔物に。そうすれば……秋星と共にこの先もずっと……?
「反対はしない。だから今後、お前はお前の思う通りにすればいい」
父親の言葉を今、ふと思い出した。
父さん……、母さんも……ごめんな。
どこにそんな力があったのかわからない。もうほぼ途絶えようとしている自我をかき集め、邦一はボロボロになりまだちゃんと残っているかどうかもわからない自分の手に力を込めて持ち上げ、相手の手に触れた。
確か、そう、お前は──
「り、たろ……」
臨太郎だ。
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