源氏、恋を織る

Ilysiasnorm

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第6話 名を呼べば、夢が醒める

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……月が、翳った。

夢の中。紫はただ、立ち尽くしていた。
風が几帳を揺らし、香が仄かに漂う。
古めかしい廊の向こう、誰かが立っている。
男だった。細身の体に、深紫の直衣。
顔は見えない。だが、その声は、確かに。

「紫……」

その名を呼ばれた瞬間、胸の奥が疼いた。
涙が、ひとすじ、こぼれた。

目を覚ました紫は、濡れた頬を拭いながら、静かに息をつく。
夢のことは何も思い出せない。けれど、あの声だけが、耳に残っていた。

(……なぜだろう。たったひとことで、こんなにも心が乱れるなんて)

出勤の支度をする手が、震えていた。

藤ヶ原グループの本社オフィス。
午前十時の光が、ガラス張りの壁面から差し込む。
紫はデスクに座りながらも、どこか浮ついた気分だった。
ふと視線を上げると、ガラス越しに六条玲香と目が合った。

途端に、心臓が跳ねる。

六条は一瞬だけ微笑んだ。けれどその笑みは、鋭く、氷のようだった。

(あの人……私のこと、見透かしてるような……)

紫は、そっと視線を逸らした。

休憩時間。資料室のエレベーター前。
偶然、源次と紫が鉢合わせる。

「お疲れさま」
「……お疲れさまです」

ふと沈黙が落ちる。扉が閉まる音。
二人きりの空間に、わずかな緊張が走った。

「最近……」
源次が、不意に口を開く。
「何か、夢を見たことはない?」

紫は驚いた顔をした。
まるで、さっきの夢を見透かされたような感覚。

「……夢……」
「誰かに名前を呼ばれるような夢。あるいは……知らない場所にいたり」

紫はしばらく言葉に詰まったあと、ぽつりと呟いた。

「ありました。……名前を、呼ばれました」

「誰に?」

「……分かりません。でも、懐かしい気がして……」
「胸が痛くなりました」

その言葉に、源次のまなざしがわずかに揺れる。

(やはり、彼女は……)

だがそれを言葉にはせず、代わりに優しく微笑んだ。

「大切な名前だったんだよ、きっと」

紫は、その言葉に救われるような気がした。

「……そうかもしれません」

その夜。六条玲香の自宅。
白を基調としたモダンなリビングで、ワインを傾ける彼女の瞳は、虚空を見つめていた。

テレビの音は消され、静寂だけが漂っている。
ふと、鏡に映る自分の姿が、過去の誰かと重なる気がした。

……あの子。あの目。

彼女は思い出しかけていた。
かつて自分のすべてを焼いた炎。
そして、光源氏が最後に選んだ“女”の名前。

「……紫の上」

玲香の唇が、忘れていたはずの名をそっと呼んだ。
その瞬間、背筋に冷たいものが走る。

記憶が……宿命が、目を覚まそうとしていた。

そして、静かな夜のなか、
源次のスマホに一通のメッセージが届く。

【明日、例の件で話がしたい。……藤ヶ原 彰文】

その名前は、藤ヶ原グループの中でも“最奥”にいる人物。
源次の過去と、“生まれ”に触れる存在だった。

宿縁は、ただ恋のかたちをして、彼らに寄り添う。
それが悲しみであっても、忘却であっても。

……運命の糸は、いま再び、織り直されようとしている。

 
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