ホラー短編集【恐あつめ】

ゆめの

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流れきて

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男はただ流れていた。
身体は水に浸かり、時折、水草が足をくすぐる。
見たこともない虹色の魚も、男に寄り添うように流れていた。

視線をやや下に向ければ、水底に線路が見えた。
水の中にあるというのに、レールは錆びてはおらず、むしろ鉛色を輝かせていた。
水も美しく輝いていたが、周りは薄暗い霧が立ち込めている。
男の身体の下と上にある景色のアンバランスさは、彼を不安にさせた。

この身体は、どこを目指しているのだろうか。
どこかへ急いでいたことは確かなんだが、と思う。

そうして流れていく内に、睡魔が襲ってきた。
抗うこともせず、男はまぶたを閉じた。


「流れてきたか」
「ええ、流れてきましたね」

 
嗄れた二つの声が、間近で聞こえる。
男は目覚めた。
目の前には老人が二人、男の顔を覗き込むようにしゃがんでいた。

窪んだ眼孔に収まる目玉は、黄ばみ濁っている。
二人とも、少し斜視が入っているようだ。
皺だらけの顔に、病的なまでに細い手足。
枯れ木のような身体を、薄汚い着物がくるんでいる。

はっきりと言ってしまえば、関わりたくない類いの人間だと思った。
着物もどこか時代錯誤に感じられる。

男は起き上がると、やんわりと手で二人をどかす。
 
「どいてくれ。わたしは急いでいるんだ」
「急ぐ?おかしなことを言う。ここは、おまえさんの終着駅だというに」
「駅?いや、わたしは……」

男の頭の中に、少女の顔が浮かぶ。
十四歳になる娘だ。

「……娘を迎えに車に乗って、それから」


そこで、思考が途切れる。
車に乗っていたはずだ。間違いない。
しかし、水の中を流れてきたような気もする。
終着駅かどうかは知らないが、老人の一人が言うことは本当のようで、いつの間にか駅のホームにいた。

周りを見渡せば、霧が立ち込めている。
そこには、三人しかいなかった。


老人たちは、姿形だけでなく声もよく似ていた。
老人の一人の身体のラインは、やや丸みをおびており柔らかい。
髪は申しわけ程度にしかはえていないが、女性に見えなくもなかった。


「ここはどこだ?」

男の問いかけに、二人は黙って駅名標を指差す。
それを見れば、『三途の川』と記されていた。


夢を見ているのだろうか。
ありきたりな発想ではあるが、あまりにも現実離れをしている今を表すには、夢として片づけるのが一番いい方法に思えた。


「命の終着駅ではあるが、おまえさんはこれからまた次の駅を目指さねばならない」
「どうやって?」

夢だとわかればなんてことはない。
男は冷静に尋ねた。

「今から服を脱いでもらう。おい」
「はいはい」

老人の一人、女性の方が男の服に手をかける。
皺だらけの手を、反射的に振り払った。
何か形容しがたい嫌悪が走ったからだ。


「あんた、何をするんだよ!」
「罪の重さをはかろうとしているだけさね」
「脱がせる必要はないだろう!」


老人たちは顔を見合わせる。
そして、無言で指差す。
今まで、何故気づかなかったのだろう。
そこには、存在感たっぷりな大木がはえていた。

ホーム上で上へ上へと、力強く伸びている。
天辺は、天井を突き破っており見えない。
電車を待つものの為に置かれたイスには、根が絡まっていた。


「おまえさんは、綺麗な水の中を流れてきた。案ずることは何一つないというに」

老人は駅名標を指し、大木を指し、今度は線路を指した。
日本中…いや、世界中探しても、水の底を魚と一緒に走る電車など存在しないだろう。


「生前の行いによって、水の濁り具合もかわる。酷い時は、どぶのような臭いをさせながら流れてくるものもいる」
「服を脱がせる理由になっていない」
「ここにくるまでの服は、罪が染み込んでいる。大木の枝に脱いだ服をかける。罪の重さによって枝のしなり具合もかわる。それによって、電車の行き先が決定するんさね。どちらにせよ、罪をまとったままでは、電車にも乗れない」


老人の言葉の意味を、男は理解できなかった。
いや、理解しては夢を夢として、片づけられなくなると思った。


「おまえさんは、流されてここまできた」
「さっきも同じことを言っていたな。どういう意味だ?」
「普通は死ぬと電車に乗ってここまでくる。しかし、おまえさんみたいに死を受けつける前に死に直面したものは、ただ流されてくる。ほら、そこを」


老人たちに習って、線路を覗く。
先ほどは魚と水草だけに見えたが、幾つもの人が重なり合い、まぶたを閉じたまま漂っていた。
水はやや濁っていた。


「おまえさんもこうして流れてきて、今に至る」
「…そうか」


いい加減、夢から覚めなければならない。
どうにか、目を覚ます方法はないだろうか。
塾を終えた娘を、早く迎えに行かなければならない。

時間を確認しようとして、腕時計を見た。
硝子にヒビが入っている。
男の額に汗の玉ができる。
瞬間、目映いランプの光が視界いっぱいにひろがった。

咄嗟に両手で顔を隠した。
数秒経っても、衝撃はやってこない。

まぶたをゆっくりと開けると、老人たちが男の服を大木の枝にかけていた。
枝はしなることなく、服を支えている。
気づかないうちに丸裸にされたが、怒りも羞恥も沸かなかった。


「わたしは、本当に死んでしまったのか?」


男が呆然と呟くも、老人たちは気にする様子もない。


「罪はない。次にくる電車に乗るといい」


男は詰め寄ろうとして、黙る。
大木の向こう側に、別のホームを見つけたからだ。


「なあ。あっちのホームは何なんだ?」
「あっち?」
「ああ、ほら見えるだろ」


老人たちは、ああ、と吐息にも似た言葉を発するだけだった。
自分たちの役目は終わったと言わんばかりに、男から離れていこうとする。
その手を掴んだ。


「もしかして、あっちのホームの電車に乗れば、生き返ることができるんじゃないか?」


『これが夢である』
そんな考えはもう、男の中にはなかった。
このままでは、死を受け入れることになる。
それは男にとって、恐怖でしかなかった。


「……確かに、おまえさんの言う通りさ。でも、電車はこないよ。悪いことは言わない。このまま、こっちの電車に乗りなさい」


男の手を優しく離して、老人は静かに諭した。
しかしー…。
駅名標には、『現世行き』と記されているのが見える。
生き返ることができる。
つまりは、死なずに済む。
その事実は、男に希望を与えた。

老人たちの制止を無視して、現世行きのホームへと走った。
線路を覗き込もうとして、鼻をつまむ。
最初に流れてきたような澄んだ水ではなく、線路も見えないほどの酷い濁りようだ。
加えて悪臭もする。

男は尻込みしたが、娘が……家族や彼と繋がりのあるものの顔が次々と浮かぶ。
様々な思いを馳せながら、男は意を決して飛び込んだ。


*****

「おまえさん。あれで良かったのかねぇ」
「説明する暇もなかったから仕方ない」


大木の枝にかけられたままだった男の服を手に取ると、根本に置いた。
ああして、あの世に行くことを拒むものは多かった。
現世行きのホームは謂わば、最期の試練みたいなものだった。

突然死したものは、迷わずに飛び込むことの方が多い。


「無事に現世に行けますかね」
「無理なのはわかっているだろう」
「そうですね。一度死んだものが現世に戻ろうとするのは罪。せっかく、稀に見る美しい水の中を流れてきたというに」
「今頃、後悔しているだろうよ」


罪に染まったものには、水は容赦はない。
濁り悪臭がするだけではない。
共に泳ぐ魚も獰猛になり、五体満足で現世には行けない。
いや、現世に行く前にその身体は食い散らかされて、もうー…。


「まさに生き地獄。いきはよいよい、かえりはなんとやら」
「ほら、また流れてきたぞ」
「ええ、流れてきましたね」


嗄れた二つの声が間近で聞こえて、女は目覚めた。


「………ここは?」


老人たちは、黙って駅名標を指差した。

【完】
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