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第一章

齟齬

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 シエルは神殿内の花園にいた。そこには碧色へきしょくに光る蓮の花が溢れる。中央に造られた噴水の周りを囲むように柔らかな蔦が巻き、たくさんの花が顔を覗かせていた。

 自らが発光する、その幻想的な花の名はカエルレア。食した女性が生む子の背中にあざをつける代わりに、その子供は八つになるまで怪我や病とは無縁の身体になる。子が病に亡くなることの多いこの土地で、なんとか幼児期を乗り越え生きるために、シエルが長年掛けて呪力で生み出した花であった。

 ひとつひとつに触れながら、ゆっくりと呪力を注ぎ込む。優美な姿と薄荷の香りに包まれるこの花園が、シエルは大好きだった。

「シエル様」

 声に振り返ると、そこにいたのはセトだった。

「いらっしゃいませ。明日の分の花ですね、今ご用意致します」

 シエルが奥に下がると、セトは思わず袖で鼻を覆う。

(よくもまあ毎日毎日、こんな場所に居られるものだ)

 セトが怪訝な顔であたりを見回していると、カゴにいっぱいの花を持ったシエルが戻ってきた。

「こちらにございます」
「確認ですが。そちらの儀に使用する一日の花の数は、いただいた分を上回ってはいないのでしょうな?」

 シエルは笑顔を崩さず答える。

「そのご確認、毎日律儀になされますが答えは同じ。一日百輪と決めたでありましょう」
「ならばなぜ、懐胎かいたいの儀の件数にこんなにも差が出るのでしょう。互いにすることは同じ、そちらが宿す命と我らが宿す命に差はないはず。それなのに、人間はそちらばかりに長蛇の列を作るではありませんか」
「そう言われましても」

 セトはかたわらに咲くカエルレアの花をひとつ撫でた。

「アンク様は献上品を断ったり、無駄な会話を人間と交わしたりやりたい放題。人気を得てさぞ気分が良いのでしょうが、少しは神の尊厳を気にして頂きませんと。人間との距離が近づくほど、舐められる」

 シエルはムッとし、花に触れるセトの手をゆっくり制す。

「アンク様ほど神にふさわしい存在はおりませぬ。献上品とて、そもそもはない制度。それをそちらのイシス様が、人間であるジェロス様への贈り物として人々に要求したのが始まりでしょう」
「別に要求などしていない、勝手に持ってくるから献上品なのだ。これだから年寄りは」
「とっ、年寄り?!」

 シエルは思わず声をうわずらせた。

「そなた、花を貰っておきながら随分なことを申すではないか。花を渡すことをやめても良いのだぞ」
「我々は公平を期したいだけ。それはそちらのアンク様とて、同じ思いなのではございませぬか?」

 セトは勝ち誇ったように顎を上げる。

(こんの。アンク様の名を出して、卑劣な暴神め)

 シエルは感情が顔に出る前にと、早々に話を切り上げようとする。

「用が済んだならお帰りなさりませ。ここは、そなたの肌には合わぬでありましょう」
「では、そうさせて頂く」

 シエルはセトの背に向かって、思い切り舌を突き出した。

「あ、そういえば」

 急に振り返ったセトに焦ったシエルは、瞬時に作り笑いを顔に貼り付け、瞬きを増やす。

「なんでございますか」

「我は暴神ではなく、暴力武力の神。誤解なさるな」

 セトが瞬間移動でその場から消えた。シエルの頬が、ひくひくと痙攣する。

「あんの礼儀知らず! 心を読みやがった。我の心を覗いてよいのはアンク様だけと決まっておろうに! くっそ。明日からこちらでの花の使用量、本当に増やしてやろうか」

 地団駄を踏みながら怒りをむき出しにした次の瞬間、脳裏にアンクの優しい笑顔が浮かぶ。シエルは考えを振り払うように、碧色へきしょくのロングヘアに手櫛を通した。

「……うむ。そんなことをしてはアンク様にご迷惑がかかるやも知れぬ。また明日セトが来る時には、心を読まれぬよう呪力をかけておくことにしよう。にしてもセトの奴、ほんに気に食わん」

 ぶつぶつ文句を言いながら、花園の花を再び眺める。そんなシエルを見上げる様に、カエルレアの花がひとつ、地面でそっと揺れた。

「ヤロウ。我の大事な花を一つ、落としていきやがった……あとから数が足りないなどと文句を言われては敵わぬぞ」
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