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第一章
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ある晴れた日。アンクは太陽に手元をかざすと、土を被ったそれは艶めく。
「実に立派な玉ねぎ。これは確か、スープにしたら美味いと申しておったな?」
「アンク様、何もここまでせずとも。肉体労働など、全て人間の我らにお任せくだされ」
アンクは頬に土をつけながら収穫に励む。その横には、黙々と玉ねぎをカゴに入れるニフティの姿もあった。
「邪魔をしてすまない。これも神の修行のうちなのだ、許せ」
「邪魔だなんて、滅相もねえ! あ、ございませぬ! ……その、女房が昨日採れた玉ねぎを煮込んで、スープにしておるのです。宜しければ一口だけでも、召し上がってみてはもらえませぬか?」
村人はアンクとニフティを交互に見ながら、様子を伺う。ひたすらに作業を続けるニフティを横目に、村人と目のあったアンクは後頭部をさすって苦笑いで答えた。
「我らには内臓がない故、口に何かを入れるという経験がないのだが……よし。今日ばかりは、私は心を決めたぞ。スープをいただこうではないか」
「ほ、本当でございますか! すぐに用意を……ほれお前、今すぐアンク様にスープをお持ちするのだ!」
村人の妻は急いで準備をする。震える手で器にスープを盛ると、息を呑んでアンクに差し出した。
「お、お口に合えば、宜しいのですが……」
「これは……」
アンクの反応を、皆が固唾を呑んで見守る。
「よく分からぬ。私には味覚もないのでなあ。うむ、もう一口だ」
アンクは次々とスープを口に運ぶ。すると、だんだんと舌に違和感を感じはじめた。
「ん?! 味が掴めてきた! 玉ねぎとは、このように透明になることで甘みが出るのだな。どうだ、私の申すことは合っておるか?」
「も、勿論! 大正解にございます!」
鍋に目一杯あったスープはみるみる無くなり、遂に空っぽになってしまった。
「ああ! ニフティにも一口と思うておったのに——いやいや。そんなことよりも、そなたらの大事な食事を私が全部なくしてしもうた! これはまずいぞ」
あたふたするアンクに、村人たちは温かな眼差しを向ける。そこで何かを思いついたように、アンクは眉を上げた。
「……よし。私が一から作り直そう」
アンクの言葉に目を見開くと、途端に慌て出す村人たち。
「そんな事せずとも、良いのでございます!」
「いいや、これは私の責任だ。鍋を貸せ。それに、玉ねぎとナイフだ」
「なりませぬ!」
「何故そんなに慌てる。私にはできないと申すか?」
「そ、そういう意味では」
アンクは無理やりナイフを掴むと、玉ねぎに当てた。押し付けられるだけで、上手く入っていかないナイフ。更に力を込めると、ナイフは砕け散り、玉ねぎは弾け飛んだ。
「これは今、どうなったのだ」
村人は苦笑しつつ、背を丸めた。
「アンク様は釣りをなさる際も、数えきれないほど竿を折っておりました。人間使用のものは、アンク様の力に負けてしまうようです」
「……そうであったような、気もしたな」
ならばどうする、ここは私が——アンクと村人たちとの一連のやり取りを見ていたニフティは、ため息をつく。
「すまぬがひとつ、玉ねぎとナイフを貸してもらえるか」
初めて聞いたニフティの声に戸惑いながらも、村人は玉ねぎとナイフを差し出した。
トントントントンっ
小気味いい音と共に、ニフティは手際よく玉ねぎを切っていく。
「な……なぜ出来るのだ?!」
驚くアンクに、ニフティは手を止めずに答える。
「神殿にはジェロス様に仕える料理番がおります。以前、イシス様がその者たちより指導を受けているのを見かけ、ネフティス様も出来るのか聞いたところ出来るとおっしゃった故、我も練習致しました。ネフティス様に出来ることは、我も出来るようにならねばと」
涼しげな顔で作業を進めるニフティに、アンクは羨望の眼差しを向けた。
「……この、負けず嫌いめ」
「なにか?」
「いや、なんでもない。ほれ、私にも教えろ」
「無理です」
「何故?!」
「料理とは一朝一夕に出来るものではないのでございます。先程のアンク様のご様子では、その……」
「なんだ、申してみよ」
「センスがありませぬ」
食い気味に放たれた衝撃のワードに、その場にいた村人たちはとうとう我慢できずに吹き出した。
「な、何がセンスだ! 私はこれでも狩りは得意ぞ、同じような刃物を扱うでは無いか!」
「狩りと料理を同じにしているようでは……」
「先程からその『……』に含みを持たせるのはやめよ! 以前から思うておったが、そなたはもう少し優しさをだな——」
「アンク様。スープを作り直すのでは? 早く作業しないと日が暮れますぞ。鍋に水を頼みます」
「くぅっ! ……あいわかった」
ニフティの指示のもと、作業を手伝うアンク。そんなふたりの様子を見て、村人はこそこそと話し始めた。
「なんだか思っていたより、ニフティ様は面白いお方だな」
「お前もそう思ったか? アンク様のように親しみやすい神様は珍しいと思っていたが、ニフティ様も案外、人間に理解を示してくれるお方かも知れぬ。なあ、今度はスープではなく、魚料理を出してみようか?」
「それは良い! 丁寧に捌けば臭みもなく、今度はニフティ様にも召し上がって頂けるかもな」
黙々と手を動かすニフティの耳が赤くなったのを横目に見て、アンクは微笑む。村人たちは内緒話のつもりでも、アンクたち神の超越した聴力によって、全ては筒抜けであった。
「ニフティ、嬉しいか」
「口よりお手を動かして下され。本当に日が暮れますぞ」
「はいはい」
この日、ニフティは神殿に戻ってからも、借りてきたナイフで食材を切ることを続けた。野菜や肉にナイフを通すたびに、その力加減やコツを紙に書き綴る。
(アンク様にも、出来ぬことがあった)
それはニフティにとって大発見だった。才を授かっておきながら、ずっと無駄にしている気がしていた。アンクたち兄姉の背中には、永遠に手が届かないと思っていた。だが今日、アンクや村人たちの想いに触れ、ふと力が抜けた。勝ち負け、優劣じゃない。今までずっと、自分で自分の首を絞めていたのだと気が付いたのだ。
(儀に耐えるだけではダメだ。知ることで、理解できることもある。何故全ての魂が楽園に行けないのか。神や幻獣が心臓を喰う理由は? 我にはまだまだ、できることがあったではないか。だがその前に……アンク様にナイフの使い方を教えることもまた、我の役目だ)
ニフティはその日、神殿の厨房にあったほとんどの食材を切り刻んだのだった。
「実に立派な玉ねぎ。これは確か、スープにしたら美味いと申しておったな?」
「アンク様、何もここまでせずとも。肉体労働など、全て人間の我らにお任せくだされ」
アンクは頬に土をつけながら収穫に励む。その横には、黙々と玉ねぎをカゴに入れるニフティの姿もあった。
「邪魔をしてすまない。これも神の修行のうちなのだ、許せ」
「邪魔だなんて、滅相もねえ! あ、ございませぬ! ……その、女房が昨日採れた玉ねぎを煮込んで、スープにしておるのです。宜しければ一口だけでも、召し上がってみてはもらえませぬか?」
村人はアンクとニフティを交互に見ながら、様子を伺う。ひたすらに作業を続けるニフティを横目に、村人と目のあったアンクは後頭部をさすって苦笑いで答えた。
「我らには内臓がない故、口に何かを入れるという経験がないのだが……よし。今日ばかりは、私は心を決めたぞ。スープをいただこうではないか」
「ほ、本当でございますか! すぐに用意を……ほれお前、今すぐアンク様にスープをお持ちするのだ!」
村人の妻は急いで準備をする。震える手で器にスープを盛ると、息を呑んでアンクに差し出した。
「お、お口に合えば、宜しいのですが……」
「これは……」
アンクの反応を、皆が固唾を呑んで見守る。
「よく分からぬ。私には味覚もないのでなあ。うむ、もう一口だ」
アンクは次々とスープを口に運ぶ。すると、だんだんと舌に違和感を感じはじめた。
「ん?! 味が掴めてきた! 玉ねぎとは、このように透明になることで甘みが出るのだな。どうだ、私の申すことは合っておるか?」
「も、勿論! 大正解にございます!」
鍋に目一杯あったスープはみるみる無くなり、遂に空っぽになってしまった。
「ああ! ニフティにも一口と思うておったのに——いやいや。そんなことよりも、そなたらの大事な食事を私が全部なくしてしもうた! これはまずいぞ」
あたふたするアンクに、村人たちは温かな眼差しを向ける。そこで何かを思いついたように、アンクは眉を上げた。
「……よし。私が一から作り直そう」
アンクの言葉に目を見開くと、途端に慌て出す村人たち。
「そんな事せずとも、良いのでございます!」
「いいや、これは私の責任だ。鍋を貸せ。それに、玉ねぎとナイフだ」
「なりませぬ!」
「何故そんなに慌てる。私にはできないと申すか?」
「そ、そういう意味では」
アンクは無理やりナイフを掴むと、玉ねぎに当てた。押し付けられるだけで、上手く入っていかないナイフ。更に力を込めると、ナイフは砕け散り、玉ねぎは弾け飛んだ。
「これは今、どうなったのだ」
村人は苦笑しつつ、背を丸めた。
「アンク様は釣りをなさる際も、数えきれないほど竿を折っておりました。人間使用のものは、アンク様の力に負けてしまうようです」
「……そうであったような、気もしたな」
ならばどうする、ここは私が——アンクと村人たちとの一連のやり取りを見ていたニフティは、ため息をつく。
「すまぬがひとつ、玉ねぎとナイフを貸してもらえるか」
初めて聞いたニフティの声に戸惑いながらも、村人は玉ねぎとナイフを差し出した。
トントントントンっ
小気味いい音と共に、ニフティは手際よく玉ねぎを切っていく。
「な……なぜ出来るのだ?!」
驚くアンクに、ニフティは手を止めずに答える。
「神殿にはジェロス様に仕える料理番がおります。以前、イシス様がその者たちより指導を受けているのを見かけ、ネフティス様も出来るのか聞いたところ出来るとおっしゃった故、我も練習致しました。ネフティス様に出来ることは、我も出来るようにならねばと」
涼しげな顔で作業を進めるニフティに、アンクは羨望の眼差しを向けた。
「……この、負けず嫌いめ」
「なにか?」
「いや、なんでもない。ほれ、私にも教えろ」
「無理です」
「何故?!」
「料理とは一朝一夕に出来るものではないのでございます。先程のアンク様のご様子では、その……」
「なんだ、申してみよ」
「センスがありませぬ」
食い気味に放たれた衝撃のワードに、その場にいた村人たちはとうとう我慢できずに吹き出した。
「な、何がセンスだ! 私はこれでも狩りは得意ぞ、同じような刃物を扱うでは無いか!」
「狩りと料理を同じにしているようでは……」
「先程からその『……』に含みを持たせるのはやめよ! 以前から思うておったが、そなたはもう少し優しさをだな——」
「アンク様。スープを作り直すのでは? 早く作業しないと日が暮れますぞ。鍋に水を頼みます」
「くぅっ! ……あいわかった」
ニフティの指示のもと、作業を手伝うアンク。そんなふたりの様子を見て、村人はこそこそと話し始めた。
「なんだか思っていたより、ニフティ様は面白いお方だな」
「お前もそう思ったか? アンク様のように親しみやすい神様は珍しいと思っていたが、ニフティ様も案外、人間に理解を示してくれるお方かも知れぬ。なあ、今度はスープではなく、魚料理を出してみようか?」
「それは良い! 丁寧に捌けば臭みもなく、今度はニフティ様にも召し上がって頂けるかもな」
黙々と手を動かすニフティの耳が赤くなったのを横目に見て、アンクは微笑む。村人たちは内緒話のつもりでも、アンクたち神の超越した聴力によって、全ては筒抜けであった。
「ニフティ、嬉しいか」
「口よりお手を動かして下され。本当に日が暮れますぞ」
「はいはい」
この日、ニフティは神殿に戻ってからも、借りてきたナイフで食材を切ることを続けた。野菜や肉にナイフを通すたびに、その力加減やコツを紙に書き綴る。
(アンク様にも、出来ぬことがあった)
それはニフティにとって大発見だった。才を授かっておきながら、ずっと無駄にしている気がしていた。アンクたち兄姉の背中には、永遠に手が届かないと思っていた。だが今日、アンクや村人たちの想いに触れ、ふと力が抜けた。勝ち負け、優劣じゃない。今までずっと、自分で自分の首を絞めていたのだと気が付いたのだ。
(儀に耐えるだけではダメだ。知ることで、理解できることもある。何故全ての魂が楽園に行けないのか。神や幻獣が心臓を喰う理由は? 我にはまだまだ、できることがあったではないか。だがその前に……アンク様にナイフの使い方を教えることもまた、我の役目だ)
ニフティはその日、神殿の厨房にあったほとんどの食材を切り刻んだのだった。
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