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第二章

窮地

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(?!! 何が起きた)

 アンクは真っ暗な部屋に居た。

「……我が名はヌン。太陽神ラー、創造主アトゥム、以下すべての神を現世に繋いだ最古の存在である」

 突然の声に振り返ると、唇が重なりそうなほど近くに、顔があった。

(ニ、ニフティ?!)

 ニフティーはアンクに重なると、そのまま身体を通り抜ける。声をかけるも、ニフティに反応はない。

(ニフティには我が見えていない……ここは天空の扉の、向こう側か?)

 アンクが考えを巡らせていると、ニフティは苦しい表情で口を開いた。

「ヌン……そなたがなぜこのような場所に? ここは一体どこなのだ。辺りの人間は、なぜこのような姿に——」

 ニフティの言葉で、空間を取り囲む無惨な人間の姿に気が付く。アンクは思わず手で口を塞いだ。

「まあ待て。まず初めに、彼を紹介しよう」

 ヌンが言うと、暗闇の向こうから大きな影がひとつ、こちらに向かってくる。その姿にニフティ、そしてアンクは衝撃を受けた。

「初めまして、ニフティ神」
「オシリス神?!」

 身体中傷跡だらけのオシリスの足には、鎖のかせが付いている。

「オシリスは生まれながらにして、この真理に身を置くベテランだ。そなたもこれから先ここで過ごすのだ、色々と教えを乞うとよい」

 ドンっという衝撃音と共に、ニフティの足にもオシリス同様、鎖と鉛玉のかせがついた。

「この場所に名はない。強いて言うなら、この世の始まりと終わり、『真理』だ。ラー神とアトゥム神が手を取り我を陥れ、この場所に閉じ込めた。我は親ぞ? その我にこんな仕打ち……我はただ、人間などという下等生物を排除したいだけだというに」

 ニフティはかせのついた足を必死に動かそうとするが、びくともしない。

「水、大気、湿気、大地、天空。それらを元に海に微生物が生まれ、植物が育ち、植物を動物が食う。動物が死ぬと微生物がその身体を分解し土に還り、そこにまた植物が育つ。いわゆる食物連鎖と言われるこの中に、なぜ人間がいない? 人間は熊より馬より弱い。そのくせ熊も馬も食いよる。自然の摂理を無視した身勝手な殺生、ヒエラルキーの上位にいながら増殖を止めない。おまけに、我らが生み出した自然まで破壊する! こんなメチャクチャな生物は淘汰されるべきだ。それなのに、ラーとアトゥムは我の考えに反対したのだ!」

 アンクは俯瞰して見えるその光景から情報を逃すまいと、集中力を高める。

(ヌンとやらにも、我の姿は見えていない様子。やはり、これはオシリスの記憶なのか)

 天からボトボト降ってくる人間の姿、放たれる悲痛と憎悪に、ニフティは立っていられなくなった。落ちてきた人間は、しばらくすると地面に吸い込まれるようにして、埋もれて消える。

「辺りに見える人間共は、二度と転生の許されぬ者たち。生きてるわけでも、死んでるわけでもない。永遠の苦痛を抱えて生きる屍だ。ニフティが気づいた通り、ホルスやメンチュが心臓を喰らう必要性は本来ない。あれは……おっと、ネフティスの儀がそろそろ終わる。では」

 ヌンの気配が消えた。

「大丈夫かニフティ神。しばらく人間は降ってこない、こちらへ」

 オシリスに促され、ニフティは肩で息をしながら必死に足を出す。少しすると、格子で囲まれた空間が現れた。ニフティは自分の足についたかせの鎖が、その空間に繋がっていたことに気づく。

「すまない。我に転生や再生の呪力があれば、そなたの苦痛を和らげることもできるのだが……この通り、我は自分の身体の傷すら治癒できない。呪力は全て、もう一人の我が持っていってしまったのでな」

 オシリスは冷たい床に胡座をかいた。

「先程ヌンはここを『真理』だと言ったが、そんな大そうな場所じゃない。ここはアンの腹の中だ。呑み込んだ心臓が肉体を成して、落ちてくる」
「そんな……オシリス神は生まれながらにして、ずっとこの場所に?」
「ああ。ここで儀式のたびに落ちてくる人間の相手をしている。もがき苦しむ魂は、攻撃的で敵わぬな」

 苦笑いを浮かべるオシリスに、ニフティはあり得ないと震えた。

 
 凄まじい精神力。
 

 この状況に長年身を置きながら、正気を保っている。寿命を持たないオシリスはたったひとり。永遠にここで過ごす運命を悲観せずに受け入れることなど到底不可能だ、そう思った。

「そなたをここから出してやりたいのだが、すまない。方法がないのだ。この場所に壁はない。呪力のない我にはアンの口元まで辿り着く術もない。アンが心臓を吐き出す時を待つしか……」
「今まで吐き出したことはあったのですか?」

 オシリスは首を横に降った。その反応に、ニフティは目を伏せる。

「そなたも気づいたと思うが、この霊魂崇拝の儀は人間を消滅させるための儀だ」

 その時、頭上から唸るような重低音がした。グラグラと揺れる足場。憎悪と苦痛の声が近づく。

「耐えよ、ニフティ。次に落ちてくる人間が途切れれば、次の苦痛はひと月後。そこで目を瞑って、耳を塞いでいなさい」

 オシリスが去っていく背中の先で、何人もの人間がオシリスに牙を剥く。ニフティは言われた通りに目を瞑り、耳を塞ぐ。漏れ聞こえる憎悪にすら必死に耐える中、どうしても気になった。オシリスは一体、どのようにしてこの状況に耐えているのか。

 恐る恐る目を開く。ニフティは瞬きを忘れ、震える唇を手で覆った。その光景に、たまらず涙を流す。


「落ち着くのだ。もう少しだ」


 オシリスはそう励ましながら、人間を抱き締めていた。
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