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第二章
窮策
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「頼む、目を開けてくれ」
アンクが祈るように抱きしめたアンの身体に、温度はない。少しすると、アンは足元からゆっくり消え始めた。
ボタボタと、アンの顔に涙の滴が落ちる。
アンが消える最後の最後まで、アンクはきつく、アンを抱き締め続けた。まるで、デンがショウにしたそれを模するように、一心に愛情を注ぐ。
アンは生まれた瞬間に、死んだ。黄泉で成仏することを許されず、他国の神に利用され、最後は苦しみに悶え、血を流した。無念は晴れなかった。声を聞くことも叶わなかった。それでもその人生を、アンの生き様を、アンクは胸に刻み込む。
「……あっは、あははははっ!!」
場を切り裂く、笑い声。ヌンだ。
「全く理解に苦しむ! ちっぽけな人間一人が死ぬことに、なぜそんなに心を痛める? 人間など、知らず知らずのうちにわんさか繁殖するぞ? そもそもアンは我が国の民でも無い、ちっぽけな島国から来た、ちっぽけな命だ。縁もゆかりもないソレに、よくもそこまで涙を流せるな。おー、痒い痒い」
ヌンは首元をわざとらしく掻いた。そしてその標準を、オシリスに合わせる。
「オシリスよ、己の力の使い所が分かるか? そなたは、無から有を生み出した我をも凌駕する力を持つ。そなたがその気になれば、この世など一瞬でまた無に戻せる。それほどの力がありながら、そなたもそこのアンクと同じく、人間などという下等生物に肩入れするのか。アンの腹の中で見ただろう? 人間とは醜く、傲慢な生物ぞ」
オシリスはそんなヌンを無視して、アンクの元に向かった。
「アンク神。我が記憶を信じてくれてありがとう。そなたのおかげで、我は先へ進める」
「先へ?」
「そう。我はこの冥界の先へ逝く。人間の魂を鎮め、転生を待つ場所『楽園』へ」
オシリスの言葉を聞いて、ヌンは歓喜の声を上げた。
「そうかオシリス! 楽園へ逝くか! 現世で人間を生み出すことはやめるのだな? それは実に良い考え——」
「黙りなさい」
オシリスは青白い炎を纏いながら、ヌンに迫る。その気迫だけで、ヌンは一時意識を手放した。
「アンク神、これから言うことをよく聞いてほしい。まず謝らなければならぬことがある。ニフティ神のことだ。彼女の魂は、アンの腹の中で消滅した。だがニフティ神はよく耐えたぞ。己を鼓舞し、数えきれぬほどの憎悪を我と共に抱きしめてくれた。だがほんの少し前、彼女の魂はついに耐えきれなくなり、アンの腹の底に沈んでしまった」
アンクは俯く。
「次にマウト神。彼は現世の我をその身に取り込み申した」
アンクは慌てて顔を上げた。
「オシリスを取り込んだ?! そんなことができるのか」
「普通は出来ない。そもそも神を取り込もうなどと想像しないからな、普通は。だが彼は天才的勘とセンスで、禁忌の方法を編み出した。己の核と我の核を融合させる方法をな」
「そんなことをして、マウトは一体何をするつもりなんだ」
目を泳がせながらアンクが考えを巡らせる横で、オシリスはアヌビスとマアトを呼んだ。
「アヌビス神、マアト神。其方らに、無礼を承知で頼みがある」
すると、二人はすぐにオシリスの前に傅いた。
「ずっと。ずっと、この日を待っておりました。ラー神様、アトゥム神様より預かった言付けを申し上げます」
“オシリスよ、ヌン様をよしなに頼む”
オシリスが深く頷く。
「ラー神とアトゥム神は、ヌンの呪力に囚われている。ホルス神、メンチュ神とやらの詳細も、楽園に行けば何かわかるに違いない。マアト神、そなたは我と共に来てほしい」
「御意」
マアトは迷いなく答える。
「アヌビス神は現世で、イシスを探して貰いたい。そして我が妻を、側で守護してはもらえぬだろうか」
「承知致した」
そう言うと、アヌビスは天空の扉へと瞬足で駆けて行った。
「オシリス、そなた今イシスのことを……妻と申したか?」
アンクがキョトンとした顔で問うと、オシリスは穏やかに笑う。
「悲しんだかと思えば驚きで目を丸くし、考え込んだかと思えばその顔。アンク神、そなたは表情豊かで面白いな。そう……イシスは我が妹にして、妻だ。約束をしたのでな」
「……そうか」
アンクはそれ以上、深掘りすることをやめる。
「おそらく、イシスとネフティスはマウト神と共に居る。マウト神はヒノモトのクモシマにて、新しく国を創るつもりなのだ」
「国を創る……そうだオシリス、父上を知らないか? 母上の魂の行方も分からないのだ、ニフティが持っていたはずなんだが——」
瞬間。
ドドドっ!!
足底から突き上げるように伝わる衝撃に、オシリスは顔を歪めた。
「急げアンク神! ヒノモトへ向かえ!!」
オシリスの叫びの最中、冥界はグラグラ揺れると共に、だんだんと空間が狭くなっていく。アンクは瞬間移動をしようと試みたが、うまく呪力が発動しない。
(くそっ、扉を探すしかない!)
アンクはもがく。すると刹那、気づけば水の中に居た。気を失っていたはずのヌンの顔を目の前に、アンクはその瞳に吸い込まれていく。
“ソノ記憶、持チ帰ルコトハ許サヌゾ”
モヤ掛かる視界。アンクはヌンの言葉を最後に、ゆっくりと目を閉じた。
アンクが祈るように抱きしめたアンの身体に、温度はない。少しすると、アンは足元からゆっくり消え始めた。
ボタボタと、アンの顔に涙の滴が落ちる。
アンが消える最後の最後まで、アンクはきつく、アンを抱き締め続けた。まるで、デンがショウにしたそれを模するように、一心に愛情を注ぐ。
アンは生まれた瞬間に、死んだ。黄泉で成仏することを許されず、他国の神に利用され、最後は苦しみに悶え、血を流した。無念は晴れなかった。声を聞くことも叶わなかった。それでもその人生を、アンの生き様を、アンクは胸に刻み込む。
「……あっは、あははははっ!!」
場を切り裂く、笑い声。ヌンだ。
「全く理解に苦しむ! ちっぽけな人間一人が死ぬことに、なぜそんなに心を痛める? 人間など、知らず知らずのうちにわんさか繁殖するぞ? そもそもアンは我が国の民でも無い、ちっぽけな島国から来た、ちっぽけな命だ。縁もゆかりもないソレに、よくもそこまで涙を流せるな。おー、痒い痒い」
ヌンは首元をわざとらしく掻いた。そしてその標準を、オシリスに合わせる。
「オシリスよ、己の力の使い所が分かるか? そなたは、無から有を生み出した我をも凌駕する力を持つ。そなたがその気になれば、この世など一瞬でまた無に戻せる。それほどの力がありながら、そなたもそこのアンクと同じく、人間などという下等生物に肩入れするのか。アンの腹の中で見ただろう? 人間とは醜く、傲慢な生物ぞ」
オシリスはそんなヌンを無視して、アンクの元に向かった。
「アンク神。我が記憶を信じてくれてありがとう。そなたのおかげで、我は先へ進める」
「先へ?」
「そう。我はこの冥界の先へ逝く。人間の魂を鎮め、転生を待つ場所『楽園』へ」
オシリスの言葉を聞いて、ヌンは歓喜の声を上げた。
「そうかオシリス! 楽園へ逝くか! 現世で人間を生み出すことはやめるのだな? それは実に良い考え——」
「黙りなさい」
オシリスは青白い炎を纏いながら、ヌンに迫る。その気迫だけで、ヌンは一時意識を手放した。
「アンク神、これから言うことをよく聞いてほしい。まず謝らなければならぬことがある。ニフティ神のことだ。彼女の魂は、アンの腹の中で消滅した。だがニフティ神はよく耐えたぞ。己を鼓舞し、数えきれぬほどの憎悪を我と共に抱きしめてくれた。だがほんの少し前、彼女の魂はついに耐えきれなくなり、アンの腹の底に沈んでしまった」
アンクは俯く。
「次にマウト神。彼は現世の我をその身に取り込み申した」
アンクは慌てて顔を上げた。
「オシリスを取り込んだ?! そんなことができるのか」
「普通は出来ない。そもそも神を取り込もうなどと想像しないからな、普通は。だが彼は天才的勘とセンスで、禁忌の方法を編み出した。己の核と我の核を融合させる方法をな」
「そんなことをして、マウトは一体何をするつもりなんだ」
目を泳がせながらアンクが考えを巡らせる横で、オシリスはアヌビスとマアトを呼んだ。
「アヌビス神、マアト神。其方らに、無礼を承知で頼みがある」
すると、二人はすぐにオシリスの前に傅いた。
「ずっと。ずっと、この日を待っておりました。ラー神様、アトゥム神様より預かった言付けを申し上げます」
“オシリスよ、ヌン様をよしなに頼む”
オシリスが深く頷く。
「ラー神とアトゥム神は、ヌンの呪力に囚われている。ホルス神、メンチュ神とやらの詳細も、楽園に行けば何かわかるに違いない。マアト神、そなたは我と共に来てほしい」
「御意」
マアトは迷いなく答える。
「アヌビス神は現世で、イシスを探して貰いたい。そして我が妻を、側で守護してはもらえぬだろうか」
「承知致した」
そう言うと、アヌビスは天空の扉へと瞬足で駆けて行った。
「オシリス、そなた今イシスのことを……妻と申したか?」
アンクがキョトンとした顔で問うと、オシリスは穏やかに笑う。
「悲しんだかと思えば驚きで目を丸くし、考え込んだかと思えばその顔。アンク神、そなたは表情豊かで面白いな。そう……イシスは我が妹にして、妻だ。約束をしたのでな」
「……そうか」
アンクはそれ以上、深掘りすることをやめる。
「おそらく、イシスとネフティスはマウト神と共に居る。マウト神はヒノモトのクモシマにて、新しく国を創るつもりなのだ」
「国を創る……そうだオシリス、父上を知らないか? 母上の魂の行方も分からないのだ、ニフティが持っていたはずなんだが——」
瞬間。
ドドドっ!!
足底から突き上げるように伝わる衝撃に、オシリスは顔を歪めた。
「急げアンク神! ヒノモトへ向かえ!!」
オシリスの叫びの最中、冥界はグラグラ揺れると共に、だんだんと空間が狭くなっていく。アンクは瞬間移動をしようと試みたが、うまく呪力が発動しない。
(くそっ、扉を探すしかない!)
アンクはもがく。すると刹那、気づけば水の中に居た。気を失っていたはずのヌンの顔を目の前に、アンクはその瞳に吸い込まれていく。
“ソノ記憶、持チ帰ルコトハ許サヌゾ”
モヤ掛かる視界。アンクはヌンの言葉を最後に、ゆっくりと目を閉じた。
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