【完結】神々の戯れ《序》 〜世界の終わりと始まりの場所〜

第二章

生死

「なぜそなたが、ホルスやメンチュの名前を知っているのか……この際、そんなことはどうでも良い。この妖蜘蛛ようぐもを前には何事も無力なのだからな。行けアン、アンクを切り裂くのだ！」

　アンは鼻息を深く吐き出すと、アンクに狙いを定めた。そんなアンの目を見て、アンクは真剣に語りかける。

「すまぬ。ショウも、そなたの父も救えなんだ」

　アンが振り下ろした手が、アンクの顔に傷をつける。

「そなたにばかり辛く苦しい道を行かせたこと、父も弟も悔いておった」

　細く硬い脚が、アンクの肩を裂いた。

「誰も悪くないのだ。当然、そなたも。もう悪意で何かを飲み込むのは終いにしないか」

　アンの手先がアンクの腹を捉え、そのまま核を貫いた。アンクは歯を食いしばり震える。

「なんの、これしき」

　何度も核を貫くアン。その度、アンクは死に等しい痛みをその身に受け続けた。

「はっ……流石に意識が飛びそうだ」

　それでも笑うアンクを、アンは盲目的に攻撃する。何度も、何度も、何度も。

「何の真似だ。死なぬ身体のそなたがそんなことをして、アンの情に訴えかけているつもりか？　馬鹿馬鹿しい。人間相手に惚けた神は、これだから嫌いなのだ。妖あやかしと化したアンに自我は無い。このまま放っておけば、そなたの核が貫かれる余興が永遠に続くぞ」

「私は無力だ。ひとりでは何もできない凡神だ。こうして痛みを受けることでしか、償う道を見つけられぬ阿呆なのだ」
「あぁぁ、黙れ！　我が生んだ神は皆、優秀な創造主だ！　やれ無力だの悲観することも、そうして己を『私』と人間のように呼ぶことも、人間に希望的価値を見出すそぶりも！　何もかもが気に食わぬ！」

　ラーの姿をしたそれは、自身を水の塊に変化させる。ゴウっと滝が打つような音と共に、それは大きく大きく姿を変えた。

「やはり。あなた様は……ヌン」

　アンクは、その虚無に満ちた姿を見上げる。ヌンが言葉とも聞き取れない呪文を唱えると、突然アンが苦しみ出した。

「アンクを飲み込め。さすれば、その苦しみから解放しよう」

　アンは真っ赤な涙を流しながら、頭を振ってアンクを探す。アンクは小さく呟いた。
　
「私はここだ、アン……口を開け」
「待て！！」
　
　アンクがそっと取り出した赤い球を、ヌンは見逃さなかった。アンクの手元から球が弾け飛ぶ。

「おのれアンク、くだらぬ策を講じて来おって。この核は、弟蜘蛛のショウ……」

　ヌンはハッとしてアンクを見た。

「さてはそなた、アンの腹にオシリスがいることを知っている？！　黄泉のナミか！」

　ショウの核を奪われたアンクは、唇を噛む。同時にアンからのダメージの積み重ねで、ここに来て膝をついた。

「あの女、我を裏切りおった！　許さぬ……アン！　さっさとアンクを飲み込めぇぇえ！」

　アンは苦しみに悶え今尚、頭を振り乱している。なんとかアンクの気配を探り当て、唸り声と共に大きく口を開けてアンクに向かった。

　
「許せ、アン」

　
　身体がアンの口に収まったと同時に、アンクはその手に薙なぎの刀を出現させた。刀による鋭い光が、いくつもアンを貫く。その光の強さにアヌビスとマアトは目を覆い、ヌンの巨大化した身体は、みるみる小さくなった。

　皆が目を開けた時。そこには身体を裂かれ、横たわるアンがいた。小さくなったアンを、アンクが抱き上げる。

「私の名は、アンク。そなたの父デンと、弟のショウは我が友だ。そなたが愛されていたことは私が保証する。目を開けよ、アン」

　焦りで早口になるアンク。アンに語りかけるその丸まった背中に、ヌンは左掌をゆっくり向けた。

　瞬間。ヌンの身体は腹に衝撃波を受けた如く、後ろに吹き飛ぶ。
　
　巨大な影。その肩は岩の如く逞たくましく、傷だらけの腹や足に、一切の無駄な肉無し。身体中から溢れんばかりの気迫と慈愛の佇たたずまい。
　
　攻撃された相手に、ヌンは顔を歪めた。


「悪趣味ぞ。別れに水を差すでない」
「くっ……オシリスっっ！」


　オシリスは牽制するように、ヌンから目を離さない。