【完結】バッカスの鍵にくちづけを

千鶴

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「もっと言うとね。その前に物資が来たのが、今から半年前。その日を境に、二週間待っても四週間待っても食材は届かなかった。僕は思ったよ。ああ、とうとうこの日が来たんだな、って。そこから僕は、最後に与えられた食材を少しずつ消費しながら、延命を図るわけなんだけど。材料が底をつき、調味料も舐め尽くして、最終的には水も飲めなくなった。気づけば四ヶ月が経とうとしていて、僕はもう、次に目を瞑れば永遠に目覚めない自信があったよ。——っと、もういい頃合いかな」
 
 ジンはフライパンから肉を取り出すと、手際よく包丁でカットしていく。平皿に盛り付け、フライパンに残った油で付け合わせのにんじんを炒めると、それも添えた。
 
「やっぱ僕天才だわ。ねえ、箸とフォークどっちで食べる人?」
「二ヶ……月」
「もしもーし、聞いてる?」
「二ヶ月。俺とあなたは最低でも二ヶ月、ここに閉じ込められたまま、過ごす可能性が高いんですね」
「あー、まあね」
「だったら!」
 
 東伍が声を張り上げる。
 
「悠長にこんな量の肉、焼いてる場合じゃないでしょう! 食材はなるべく残して、水も最小限に、シャワーもしばらくは控えないと……それから、それから」
「おい、落ち着けよ」
「連絡……電波がないし、換気扇……換気扇!! そこからダクトを伝っていけばっ」
「無理だよ。ダクトに人が通れるほどの空間はない」
「じゃあダストシュートは? そこなら、人ひとり入るのに充分、広いんじゃ」
「死ぬよ」
「どうして!」
「ダストシュートの先には、生ゴミや野菜くずを粉砕するディスポーザーが埋まっているんだ。そんなとこに身を投げれば、あとは想像できるだろう?」
 
 ジンの言葉を受け、東伍はその場にへたり込む。頭を抱え、浅い呼吸を繰り返す東伍の前に、ジンはステーキの乗った皿とフォークを置いた。
 
「食えよ。美味いぞ」
「……いりません」
「じゃあ魚にするか」
「結構です。少し、放っておいて貰えませんか」
「あ、わかった! 甘いもんだろ。そういや変な菓子が混ざってて——」
「いいかげんにしてくれ!!」
 
 東伍のイライラが沸点を超える。
 
「あなた経験したんですよね? 食べるものも無くなって、水さえ飲めなくなって、死の淵に立ったことがあるんですよね? ならどうして、俺に肉なんてくれるんですか? なんでそんなに冷静なんだよ。不安じゃないのかよ!」
「不安はないよ。だって僕は全部わかってる。どうして物資が止まったか。誰が何を考えて、あんたをここに寄越したか。僕には全部わかってる。知らないのは、あんただけだ」
 
 時間が止まった。床に尻をついた状態で東伍が見上げれば、ジンは真顔で瞬きを繰り返す。
 
「わかっているって、どういう」
「僕たちは遊ばれてんの。あとどれくらいで死ぬかな、もう死んだかなって、試されてる。こうして肉を焼いて、換気扇からにおいが吹き出していることに気づいた小瀬たちは、今頃あーだこーだ考えているだろうね。その結果、明日にはライフラインがぱったり止まることだってあり得る。これは、ゲームなんだよ」
「なんの為に? 小瀬はここの医者なんでしょう?」
 
 東伍の問いに、ジンは首を振った。
 
「小瀬はね、医者じゃない。ああ、医者だったと言った方が正しいか。小瀬は研修医時代の医療ミスで、医師免許を剥奪されたからね。ここは小瀬の親父が医院長を務めるクリニックだったんだ。まあそれも、去年までの話だけど」
「去年?」
「医院長が亡くなったんだ。ここ小瀬メンタルクリニックは今や、廃病院さ」
 
 “火曜は休診日だもの”
 東伍は記憶を辿る。
 
「初めから。本当に初めから、陽子は俺を陥れるつもりだった……?」
「なんだよ、またそこに戻っちゃうわけ? あんたどこまでお人よしだよ。その女子高生、川村泉だっけ? それと恋人との意識が入れ替わっただの、恋人にしかわからないことをその子が知ってただの言っていたけど、そんなの元々ふたりが繋がっていただけでしょ」
「そうかもしれないけど……でも、仮にあなたの言うようにふたりがグルだったとして。その子はわざわざ俺の勤める学校に転校までしてきたんですよ? それも、ちゃんと正規の手続きを経て。いくらなんでも手が混みすぎなんじゃ」
 
 東伍は腑に落ちなかった。
 そもそも東伍には、陽子に恨まれるような心当たりがない。プロポーズだって嫌なら断ればいい話で、何より東伍と陽子は半年も音信不通だった。今更他に男がいたところで、わざわざ東伍を罠に嵌める必要があったのか。
 
 考えを巡らせる東伍を見下ろしながら、ジンは深くため息をつく。
 
「まあさ、いいじゃん。この際そんな事はどうでも。結局、僕とあんたは死ぬまでこの部屋からは出られない、真相なんて意味がないんだ。今すべきことは現実を受け入れること。この場所で、どう過ごすかを考えること。違う?」
 
 すっかり冷めてしまったステーキの皿を、ジンは東伍へと再び差し出す。
 その皿をみて、東伍は一つ唾を飲み込むと、肉へとフォークを突き刺して素直に口に運んだ。硬いスジを噛みちぎって、弾力のありすぎるその赤身肉を、大袈裟に顎を動かして咀嚼する。
 
 無我夢中で、次から次へと口に肉を運ぶ東伍の姿に、ジンは満足げだった。
 
「そうそう。それでいいんだよ。次はどうする? 魚でもスープでも、好きなものを作るよ。あ、その食器はあんた専用ね。自分で食べたものは自分で洗う。いい?」
「俺は、諦めません」
「……は?」
 
 ガチャガチャと、フォークが皿を擦る音が続く。東伍の思わぬ返答に、ジンは表情を固めた。
 
「俺は諦めない。こんな中途半端で終われません。あなたは二ヶ月と言ったけど、もしかしたら一週間後、いや、なんなら明日にも、物資は届くかもしれないじゃないですか。これを食べたらエレベータ前に張り付いて、ずっと見張っていれば、いつか幸運にも扉が開くかもしれない。俺はその可能性に賭けます。これは、そのための腹ごしらえです」
 
 五分も経たないうち、皿の上の料理は付け合わせも含めて綺麗に食べ尽くされた。両手を合わせてご馳走様のポーズをとると、立ち上がった東伍は流し台へ向かう。
 遠慮がちに水道を捻り、ちょろちょろと最小限の水量で食器を洗っていった。
 
「ジンさん、本当に料理が上手いんですね。俺、自分じゃ野菜炒めくらいしか作ったことなくて、だから助かります」
「助かります?」
「はい。これからしばらくは、こうしてここで過ごすんですから、やれる事は分担しましょう。掃除はジンさんの言う通りの方法を徹底しますし、風呂や食事のタイミングも任せます。ジンさんはこれまで通り、絵を嗜んだり好きに過ごしてください。俺はその間、エレベータ前に張り付いていますから」
「おいおい、なにを勝手に決めて」
「ジンさんは、ここから出たくないんですか? こんなふざけたゲームに巻き込まれて悔しくないんですか? 自由に生きたいと、そう思ったことはないんですか?」
 
 きゅっ、と蛇口が閉まる。タオルで手を拭い、振り返った東伍はじっとジンの顔を見つめた。ジンの居心地が悪くなる前に、東伍はたたみ掛ける。
 
「逃げましょう。ここから」
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