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ジンは暗がりの中、手探りで壁に触れる。ペチペチと手のひらで軽く叩いたのち、取っ手を見つけると引いた。
それは壁に取り付けられた小さな引き出しのようなもので、ジンは中から懐中電灯を取り出すと、付いているハンドルを回しながらスイッチを入れる。
「手動式だけど灯りはつく。ここは一本道だから迷うことはない。着いてきて」
小さな灯りが照らし出したその道は、上下左右幅五メートルほどの真四角な空間だった。材質はコンクリート。所々に網目状の換気穴があり、端には台車が二つ置かれている。
「あの、この台車って」
「触るな!!」
突然の大声。東伍が焦って手を引っ込めると、ジンは気を抑えて声を落とす。
「その台車はもう使い道のないものだ、置いていく」
「……わかりました」
「出口までは一本道で迷いようはない。だからこの道中、何に気づこうが何を見ようが、僕に一切の質問はしないでほしい。着いてくれば数分だ。いいね?」
ジンの問いかけに、東伍は何度か小さく頷いた。
「それで。なんで東伍がこの通路の鍵を持ってるんだよ」
歩きながら喋るジンの声が、空間と壁に反響する。東伍は確実にその後ろについているが、質問に返事はしない。
「おい、聞いてんのか」
「俺は質問しちゃいけないのに、ジンさんは訊いていいんですね」
「は? なんだ文句か?」
「いや、別に」
東伍とジン、互いに体力の限界はとうに超えていた。それでも気力で足を出し、なんとか状況を突破しようと必死だった。
「……覚えてますか。俺がこの地下に来るきっかけを作ったのは、恋人のふりをした女子高生だったって話」
「うん」
「その女子高生、川村泉っていうんですけど、多分俺が昔に助けた女の子だと思うんです。病院に来た父親らしき人が『泉』って、必死に名前を呼んでいたのを思い出して。それと黒子《ほくろ》。口元にあった特徴的な黒子が、なんだか印象に残っているんです」
「へえ。それでその女の子に昔、鍵を貰ったのか」
「貰ったっていうか、託されたっていうか」
「託された?」
「はい。『誰にも渡さないでくれ』そう言って鍵を渡されました。そのときの彼女があまりにも必死に頼むものだからつい、俺も承諾しちゃって」
お人好し、そう口に出しそうになるが、ジンは言葉を飲み込んだ。
「でもさ。その鍵で扉が開くってことは、その女の子は小瀬クリニックとなんらかの関係があるってことだろ? 東伍を騙してここまで連れてきて、殺そうとするってことはつまり、敵だよな」
「……あ。そういえばジンさん、さっき『俺を殺す手筈だった』そう言いましたよね? それって誰かに指示されたって事なんじゃ」
「悪いが東伍。話はここまでだ」
前を行くジンが立ち止まる。
懐中電灯で照らされた前方、そこに現れたのは、菱形が連なる模様の特徴的な扉だった。
引き戸仕様の外扉と、格子形の蛇腹式内扉が重なる二層の構造のそれは、どこかレトロな雰囲気を纏う。
「もしかしてエレベータですか、これ」
「さすが社会科教師。手動式で造りは単純だけど、ちゃんと動く。親父が作ったんだ」
ジンは幾つか操作をし、外扉と内扉を開くと、東伍に乗り込むように促した。
「内側にボタンは一つしかない。それを押せば稼働して、到着した先は地上になる。動いている間、決して隙間から指を出したりするなよ?」
「え、それってどういう」
「それから地上といっても、たどり着く先は建物の中になる。エレベータを出てすぐ左に扉があるから、人に見つからないように静かに出ろ。道なりに進めば海が見えるから、そこにいる漁師なりに声を掛けて保護してもらえ。間違っても、建物の中を彷徨くことは許さない」
「待ってください、まさかジンさん」
「僕は行かない。ここに残る」
「ジンさん!」
「誰も信用するな。僕でさえも、だ」
首を横に振る東伍。ジンはその背中を無理やり押して、東伍をエレベータ内に突っ込むと内扉を閉める。
「ま、待ってジンさん! 一緒にいきましょう! 責任は俺が!」
「ソウ……それから、ヒナタ」
「え?」
「忘れるな。そいつらが、東伍を殺すよう僕に指示した奴らの名だ」
ジンは孔子の隙間からエレベータ内に腕を通した。手探りで内側の壁のボタンを押し、瞬時に手を引っ込めると外扉を閉める。
「さよなら東伍」
「ジンさん!」
「そうだ、最後だからついでに伝えておくよ」
この時。東伍が見たジンの顔は、かつてないほど穏やかに笑っていた。
「丸井理仁。僕の名前は、理仁だ」
エレベータが上昇を始める。
「ジンさん! ジンさん!」
東伍は膝をつき、ジンの姿が見えなくなる最後の最後まで叫び続けた。
自責の念が押し寄せる。
あの一瞬、どうして腕を引けなかったのか。責任を持つと、そう言ったのに。
(そうだ)
東伍は思い立つ。地上に出たら再び、地下へとジンを迎えに行こうと。
「……うっ」
立ちあがろうとした東伍の視界が揺れる。気圧のせいか、空腹のせいかはわからない。
上昇する箱の中が無重力であるように、東伍の身体は自制を失いやがて、床に沈んだ。
“僕の名前は、理仁だ”
身体の力が抜ける。細胞が地にへばりつき、瞼の裏には、ジンの最後の笑顔が思い起こされた。
「理……ひと」
エレベータが地上に着くのを待たずして。東伍はうつ伏せのまま、意識を手放してしまった。
それは壁に取り付けられた小さな引き出しのようなもので、ジンは中から懐中電灯を取り出すと、付いているハンドルを回しながらスイッチを入れる。
「手動式だけど灯りはつく。ここは一本道だから迷うことはない。着いてきて」
小さな灯りが照らし出したその道は、上下左右幅五メートルほどの真四角な空間だった。材質はコンクリート。所々に網目状の換気穴があり、端には台車が二つ置かれている。
「あの、この台車って」
「触るな!!」
突然の大声。東伍が焦って手を引っ込めると、ジンは気を抑えて声を落とす。
「その台車はもう使い道のないものだ、置いていく」
「……わかりました」
「出口までは一本道で迷いようはない。だからこの道中、何に気づこうが何を見ようが、僕に一切の質問はしないでほしい。着いてくれば数分だ。いいね?」
ジンの問いかけに、東伍は何度か小さく頷いた。
「それで。なんで東伍がこの通路の鍵を持ってるんだよ」
歩きながら喋るジンの声が、空間と壁に反響する。東伍は確実にその後ろについているが、質問に返事はしない。
「おい、聞いてんのか」
「俺は質問しちゃいけないのに、ジンさんは訊いていいんですね」
「は? なんだ文句か?」
「いや、別に」
東伍とジン、互いに体力の限界はとうに超えていた。それでも気力で足を出し、なんとか状況を突破しようと必死だった。
「……覚えてますか。俺がこの地下に来るきっかけを作ったのは、恋人のふりをした女子高生だったって話」
「うん」
「その女子高生、川村泉っていうんですけど、多分俺が昔に助けた女の子だと思うんです。病院に来た父親らしき人が『泉』って、必死に名前を呼んでいたのを思い出して。それと黒子《ほくろ》。口元にあった特徴的な黒子が、なんだか印象に残っているんです」
「へえ。それでその女の子に昔、鍵を貰ったのか」
「貰ったっていうか、託されたっていうか」
「託された?」
「はい。『誰にも渡さないでくれ』そう言って鍵を渡されました。そのときの彼女があまりにも必死に頼むものだからつい、俺も承諾しちゃって」
お人好し、そう口に出しそうになるが、ジンは言葉を飲み込んだ。
「でもさ。その鍵で扉が開くってことは、その女の子は小瀬クリニックとなんらかの関係があるってことだろ? 東伍を騙してここまで連れてきて、殺そうとするってことはつまり、敵だよな」
「……あ。そういえばジンさん、さっき『俺を殺す手筈だった』そう言いましたよね? それって誰かに指示されたって事なんじゃ」
「悪いが東伍。話はここまでだ」
前を行くジンが立ち止まる。
懐中電灯で照らされた前方、そこに現れたのは、菱形が連なる模様の特徴的な扉だった。
引き戸仕様の外扉と、格子形の蛇腹式内扉が重なる二層の構造のそれは、どこかレトロな雰囲気を纏う。
「もしかしてエレベータですか、これ」
「さすが社会科教師。手動式で造りは単純だけど、ちゃんと動く。親父が作ったんだ」
ジンは幾つか操作をし、外扉と内扉を開くと、東伍に乗り込むように促した。
「内側にボタンは一つしかない。それを押せば稼働して、到着した先は地上になる。動いている間、決して隙間から指を出したりするなよ?」
「え、それってどういう」
「それから地上といっても、たどり着く先は建物の中になる。エレベータを出てすぐ左に扉があるから、人に見つからないように静かに出ろ。道なりに進めば海が見えるから、そこにいる漁師なりに声を掛けて保護してもらえ。間違っても、建物の中を彷徨くことは許さない」
「待ってください、まさかジンさん」
「僕は行かない。ここに残る」
「ジンさん!」
「誰も信用するな。僕でさえも、だ」
首を横に振る東伍。ジンはその背中を無理やり押して、東伍をエレベータ内に突っ込むと内扉を閉める。
「ま、待ってジンさん! 一緒にいきましょう! 責任は俺が!」
「ソウ……それから、ヒナタ」
「え?」
「忘れるな。そいつらが、東伍を殺すよう僕に指示した奴らの名だ」
ジンは孔子の隙間からエレベータ内に腕を通した。手探りで内側の壁のボタンを押し、瞬時に手を引っ込めると外扉を閉める。
「さよなら東伍」
「ジンさん!」
「そうだ、最後だからついでに伝えておくよ」
この時。東伍が見たジンの顔は、かつてないほど穏やかに笑っていた。
「丸井理仁。僕の名前は、理仁だ」
エレベータが上昇を始める。
「ジンさん! ジンさん!」
東伍は膝をつき、ジンの姿が見えなくなる最後の最後まで叫び続けた。
自責の念が押し寄せる。
あの一瞬、どうして腕を引けなかったのか。責任を持つと、そう言ったのに。
(そうだ)
東伍は思い立つ。地上に出たら再び、地下へとジンを迎えに行こうと。
「……うっ」
立ちあがろうとした東伍の視界が揺れる。気圧のせいか、空腹のせいかはわからない。
上昇する箱の中が無重力であるように、東伍の身体は自制を失いやがて、床に沈んだ。
“僕の名前は、理仁だ”
身体の力が抜ける。細胞が地にへばりつき、瞼の裏には、ジンの最後の笑顔が思い起こされた。
「理……ひと」
エレベータが地上に着くのを待たずして。東伍はうつ伏せのまま、意識を手放してしまった。
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