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『なんで、そう思うんだ』
『別に。なんとなくよ。そもそも、私だってわからないことの方が多いの。いくら私に両親がいなくて身内との関係が希薄だからって、半年近く行方が分からなかったら普通、誰かが気づくと思わない? それがその間、私のフリをしてうまく立ち回った人間がいた。職場へ休職の連絡を入れたり、自宅のゴミを捨てたり郵便受けを整理したり。東伍のこのスマホにも、私からメッセージが来たでしょう?』
陽子は後ろに振り向き、スマートフォンを東伍に手渡す。
『充電しておいてあげたわ。そのついでに確認させてもらったの。あ、そうそう。あなた明日学校に行きなさい。当然だけど、職場からの不在着信が山ほど溜まっていたわよ』
小さくため息をついた陽子は、声のトーンを少し下げた。
『私たち、なにか大変なことに巻き込まれてる。状況を整理するためにも、あなたからの情報が欲しいのよ。私たちがこんな目に遭わなければならない心当たり、東伍にはない? このままじゃ普通の生活が送れなくなるわ。やっと結婚できる、そう思っていたのに』
陽子は左手の薬指にそっと触れると、後部座席に座る東伍に振り向く。
『ねえ東伍。もうこのまま、どこか遠くへ行っちゃう? そうね、イタリア……あ、オーストリアなんてどう? 大聖堂とか、教会とか歌劇場とか、あなたの好きそうな場所がたくさんあるわ。優秀なあなたなら、向こうでもきっと職は見つかる』
『それは無理だよ』
『どうして? あの日に、去年のクリスマスイブに戻ったら私……あなたのプロポーズをきっと受けるわ。あの日に戻りましょう? どこかほら、いい感じのレストランでも予約して。ね?」
『……レストラン?』
東伍の声が澱む。
『陽子。ひとつ訊いてもいいかな』
『ええ』
『生クリームは好き?』
『生クリーム? 何よ急に』
『いいから』
『そうね、別に好きでも嫌いでもないわ。私甘いものは苦手だし』
陽子のその答えを聞いて、東伍はそっと荷物を抱えた。
『俺行くよ』
『え、行くってどこに?』
『確認したいことがあるんだ。また連絡するから』
東伍は素早くドアに手を掛け、引く。だがドアは開かない。
ガチャガチャとドアを弄りながら、ふと。
背中に感じた生ぬるい気配に身をこわばらせると、次の瞬間にはもう、それは耳元まで迫っていた。
『ダメよ。もう、どコ、ニモ、行カセナイ……ワ』
高く繊細な陽子の声が徐々に歪み、ひび割れ、太く低く変化する。
ドンドンドンっっ!!!
更衣室のドアを叩かれたことで、いつの間にか眠りについていた東伍はびくりと身体を反応させて目を覚ました。
頭を振ると同時に目頭を押さえ、夢の中の不気味な陽子の記憶を払う。
それからそっと顔を上げれば、ドアの横、すりガラスの窓の向こうに動く影が見えた。
「だ、誰」
ぬっと、更衣室内を確認するように寄せられた額。手のひらで無理やりに窓の雨を払い、中の様子を窺おうと更に顔を近づけたその口元には、見覚えのある黒子。
背中に、悪寒が走る。
東伍は急いで立ち上がり、入り口から距離を取った。そうして対面の壁、もう一つの窓の鍵に手を掛ける。
そっと、摘みを下まで下げて。
ゆっくり開けた窓に足を掛け、
身を乗り出そうとしたその時。
「水野っち?」
「うわっ!」
鏡合わせのように突然現れた顔面が、東伍の名を呼んだ。
入り口側の人影に気を取られていたとはいえ、突然現れた知った顔に、東伍は不意を突かれて腰を抜かす。
「うわっ、て。水野っち大丈夫? てか、めっちゃ探したんだけど。やっぱりここなんじゃん」
窓の向こうに立つ予期せぬ人物の登場に、東伍は首を傾げた。
「ふ、船井?!」
「おじゃましまーす」
「あ、おい!」
船井凛子は外側から窓を乗り越え、更衣室に足を踏み入れるとそのままドアへと向かう。
ドアにかかった鍵を内側から解除すると、開けたドアから入ってきたのはやはり、東伍が警戒する人物だった。
「……川村、泉」
「どうもこんばんは。ずいぶんびしょ濡れですけれど、着衣泳でもなされたの?」
いまだ傘を差したまま、凛と佇む泉。凛子はどこから出したのか、棒付きの飴玉を手に東伍を見下ろす。
そんな二人を交互に見るだけで、東伍は言葉を出せずにいた。
「ごめんなさい。冗談を聞く気分じゃないですね」
「泉。水野っちは元々頭硬いから。こんな状況でなくても冗談は通じないよ」
「そうなの?」
「うん。しなやかなのは泳ぎだけー」
コミカルに繰り広げられる泉と凛子の会話に、東伍は眉を顰める。
「……船井お前、何してるんだ」
「何って、人助けだよ」
「人助け?」
「まるで異世界転生でもした気分になってるであろう水野っちに、現実と真実を教えてあげようと思ってさ」
飴玉を口で転がしながら揚々と言う凛子。
「とりあえず、まずは着替えだね。それから車……あ、水野っちの車は小瀬んとこの駐車場でズッタズタのボッコボコにされちゃったから——あ、冗談だよ? レンタカー借りるか。順番どうする? 小瀬メンタルクリニックが先? それとも丸井工業が先?」
小瀬、丸井。凛子の口から次々に覚えのある名が出たことに、東伍は驚く。
「なんで船井がその名を口にするんだ。俺は、小瀬の病院に閉じ込められていたことを警察にも話していないんだぞ」
「なんで話してないの?」
凛子の問いに、東伍は押し黙る。
理由は言えなかった。
“誰も信用するな”
頭の中に、ジンの声が響く。
『別に。なんとなくよ。そもそも、私だってわからないことの方が多いの。いくら私に両親がいなくて身内との関係が希薄だからって、半年近く行方が分からなかったら普通、誰かが気づくと思わない? それがその間、私のフリをしてうまく立ち回った人間がいた。職場へ休職の連絡を入れたり、自宅のゴミを捨てたり郵便受けを整理したり。東伍のこのスマホにも、私からメッセージが来たでしょう?』
陽子は後ろに振り向き、スマートフォンを東伍に手渡す。
『充電しておいてあげたわ。そのついでに確認させてもらったの。あ、そうそう。あなた明日学校に行きなさい。当然だけど、職場からの不在着信が山ほど溜まっていたわよ』
小さくため息をついた陽子は、声のトーンを少し下げた。
『私たち、なにか大変なことに巻き込まれてる。状況を整理するためにも、あなたからの情報が欲しいのよ。私たちがこんな目に遭わなければならない心当たり、東伍にはない? このままじゃ普通の生活が送れなくなるわ。やっと結婚できる、そう思っていたのに』
陽子は左手の薬指にそっと触れると、後部座席に座る東伍に振り向く。
『ねえ東伍。もうこのまま、どこか遠くへ行っちゃう? そうね、イタリア……あ、オーストリアなんてどう? 大聖堂とか、教会とか歌劇場とか、あなたの好きそうな場所がたくさんあるわ。優秀なあなたなら、向こうでもきっと職は見つかる』
『それは無理だよ』
『どうして? あの日に、去年のクリスマスイブに戻ったら私……あなたのプロポーズをきっと受けるわ。あの日に戻りましょう? どこかほら、いい感じのレストランでも予約して。ね?」
『……レストラン?』
東伍の声が澱む。
『陽子。ひとつ訊いてもいいかな』
『ええ』
『生クリームは好き?』
『生クリーム? 何よ急に』
『いいから』
『そうね、別に好きでも嫌いでもないわ。私甘いものは苦手だし』
陽子のその答えを聞いて、東伍はそっと荷物を抱えた。
『俺行くよ』
『え、行くってどこに?』
『確認したいことがあるんだ。また連絡するから』
東伍は素早くドアに手を掛け、引く。だがドアは開かない。
ガチャガチャとドアを弄りながら、ふと。
背中に感じた生ぬるい気配に身をこわばらせると、次の瞬間にはもう、それは耳元まで迫っていた。
『ダメよ。もう、どコ、ニモ、行カセナイ……ワ』
高く繊細な陽子の声が徐々に歪み、ひび割れ、太く低く変化する。
ドンドンドンっっ!!!
更衣室のドアを叩かれたことで、いつの間にか眠りについていた東伍はびくりと身体を反応させて目を覚ました。
頭を振ると同時に目頭を押さえ、夢の中の不気味な陽子の記憶を払う。
それからそっと顔を上げれば、ドアの横、すりガラスの窓の向こうに動く影が見えた。
「だ、誰」
ぬっと、更衣室内を確認するように寄せられた額。手のひらで無理やりに窓の雨を払い、中の様子を窺おうと更に顔を近づけたその口元には、見覚えのある黒子。
背中に、悪寒が走る。
東伍は急いで立ち上がり、入り口から距離を取った。そうして対面の壁、もう一つの窓の鍵に手を掛ける。
そっと、摘みを下まで下げて。
ゆっくり開けた窓に足を掛け、
身を乗り出そうとしたその時。
「水野っち?」
「うわっ!」
鏡合わせのように突然現れた顔面が、東伍の名を呼んだ。
入り口側の人影に気を取られていたとはいえ、突然現れた知った顔に、東伍は不意を突かれて腰を抜かす。
「うわっ、て。水野っち大丈夫? てか、めっちゃ探したんだけど。やっぱりここなんじゃん」
窓の向こうに立つ予期せぬ人物の登場に、東伍は首を傾げた。
「ふ、船井?!」
「おじゃましまーす」
「あ、おい!」
船井凛子は外側から窓を乗り越え、更衣室に足を踏み入れるとそのままドアへと向かう。
ドアにかかった鍵を内側から解除すると、開けたドアから入ってきたのはやはり、東伍が警戒する人物だった。
「……川村、泉」
「どうもこんばんは。ずいぶんびしょ濡れですけれど、着衣泳でもなされたの?」
いまだ傘を差したまま、凛と佇む泉。凛子はどこから出したのか、棒付きの飴玉を手に東伍を見下ろす。
そんな二人を交互に見るだけで、東伍は言葉を出せずにいた。
「ごめんなさい。冗談を聞く気分じゃないですね」
「泉。水野っちは元々頭硬いから。こんな状況でなくても冗談は通じないよ」
「そうなの?」
「うん。しなやかなのは泳ぎだけー」
コミカルに繰り広げられる泉と凛子の会話に、東伍は眉を顰める。
「……船井お前、何してるんだ」
「何って、人助けだよ」
「人助け?」
「まるで異世界転生でもした気分になってるであろう水野っちに、現実と真実を教えてあげようと思ってさ」
飴玉を口で転がしながら揚々と言う凛子。
「とりあえず、まずは着替えだね。それから車……あ、水野っちの車は小瀬んとこの駐車場でズッタズタのボッコボコにされちゃったから——あ、冗談だよ? レンタカー借りるか。順番どうする? 小瀬メンタルクリニックが先? それとも丸井工業が先?」
小瀬、丸井。凛子の口から次々に覚えのある名が出たことに、東伍は驚く。
「なんで船井がその名を口にするんだ。俺は、小瀬の病院に閉じ込められていたことを警察にも話していないんだぞ」
「なんで話してないの?」
凛子の問いに、東伍は押し黙る。
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“誰も信用するな”
頭の中に、ジンの声が響く。
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