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因縁編

Magdalene

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「い……いったぁぁああい!!」
 
 全員が席を立った。海里は咄嗟に彩美を庇うように前に、権堂は千聖から距離を取るようにと佐和子に叫ぶ。
 
「なんだ。柔らかいとかいって、ちゃんと刺さるじゃない、このナイフ。次は口から刺してやろっか」
 
 包帯の奥から覗く千聖の瞳には、ギンギンと血がたぎっている。マリアは床に尻をつき、必死に千聖から距離を取ろうと手足を動かした。
 
「ま、待って! ごめんなさい、本当にごめんなさい。マリア、頭に血が昇ってて」
「大丈夫よ。もうじきその血も流れなくなるんだから。あんた、死にたいんでしょ? そう掲示板にも書いていたじゃない」
「掲示板?」
「闇サイトよ。あたしそのサイトの管理人なの。あなたの名前を聞いてすぐにピンときた。『聖母』ってあなたのペンネームよね? 殺してくださいって、言ったわよね? だから望み通りにしてあげるわ」
 
 マリアは唇を震わせ、動揺を隠せぬように眼球を動かした。
 
「そんな、それはマリアじゃなくて……助けて……助けて芹さんっ」
 
 確認した芹の顔は、きつねの面の如く表情を持たず、マリアの助けを乞う声にも微動だにしない。千聖は笑う。
 
「なに、あんた芹の治癒能力とやらにまだ夢見てんの? 前に野中が言ってたように、あんなの手品かなんかに決まってんじゃない。それにそんな力あるなら、あたしの顔を先に治してもらいたいわ」
「なんでよぉ……だってあの時はっ」
 
 だがマリアは咳き込み、それ以上の言葉を発せない。
 
「あら、案外早かったわ」
「な、にを……」
「このナイフにはね、ヒ素なんか比じゃない毒を塗っておいたの。もう少しおしゃべりできるかと思ったけど、終わりね」
 
 マリアは遠くなっていく耳の代わりに、唯一無事な左目で状況を追った。
 
 千聖の持つペインティングナイフの先は、未だ執念深くマリアに向けられている。
 
(何をしているの?)
 
 権堂は大袈裟な身振り手振りで必死に何かを訴え、彩美は芹に詰め寄っていた。
 
(どうして助けてくれないの?)
 
 海里は佐和子に顔を寄せ、何かを耳打ちしている。
 
(何を言っているの? ねえ、誰なの?)
 
 いよいよ、限界だった。
 
 目の奥からぶわっと何かが溢れる。途端に視界が暗転し、鼻や耳からは細い線となって血がポタポタ落ちた。マリアは口を開けたまま、何も見えなくなった世界に身体の震えを止める。そして一言、絞り出すように息を吐いた。
 
 
「裏切りもの……」
 
 
 倒れ込むマリア。その顔にはもう正気はなく、だらんと口から垂れる舌は、床に付くほど筋力を失っていた。
 
 千聖はナイフを床に落とすと、懐から取り出した注射器を口に突っ込み、液体を流し入れる。
 
「あたしはこの整形のおかげでね、毎朝痛み止めを飲まなきゃならない身体なの。これはその強力版。薬もね、薄めなきゃ毒と一緒なのよ」
 
 段々と痙攣を起こす千聖の様子に、皆一斉に彩美を見るが、彼女はなす術なく首を振るばかり。
 
「あぁ……すっきりした。おしまい。まあこんな顔じゃ、どのみち生きてる価値ないからね」
 
 どんな毒だったのかはわからない。ただ千聖の死に様は、顔面が崩壊したそれとは比較にならないほどの、無残なものであった。
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