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CASE:3
因果
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アルバイト終わりの暁人を追って、辿り着いた先はファミレスだった。
暁人は毎週木曜日、アルバイト終わりに必ずこのファミレスで食事をとる。その様子を、マリアは電柱の影に隠れてそっと見ていた。
ガラスの向こう。歩いて向かえば直ぐに目の前に立てるという距離だというのに、こうして眺めることしかできない現実に奥歯を噛み締める。
暁人は大抵ドリンクバーとタンドリーチキンを注文するのだが、この日はピザとパスタを頼んでいた。
マリアの心が騒つく。
ピザを頼む日は、決まってあいつがやってくるからだ。
スマートフォンに目を落としていた暁人が、何かに気づき顔を上げる。遠くを見て、手を上げて。入口から席に向かってきた女子の姿に、マリアは顔を歪めた。
筑田恵。奴が、早船暁人の恋人だ。
二、三会話をしてから店員を呼ぶ。当然会話の内容までは分かる訳もないが、表情でいい雰囲気なことだけは読み取れた。
悔しい。悔しい。悔しい。
喪失感の水滴がひとつ、心の池に落ちて波紋を広げていく。それはやがて大きな波となり、マリアという名の小さな器を暴れ狂った。
が、途端に現実に引き戻される。
(え、え、なんで、え?)
気が付けば。暁人と恵の視線が、電柱に身を潜めるマリアの姿を間違いなく捉えていた。ガラス越しに目が合っているこの状況に、マリアは目を泳がせ、ついには身体を背ける。
(なんでバレた? この距離で、どうして)
静止画の如くこちらを向く2人の表情が脳裏に焼き付く。
キョトンと不思議そうな表情の暁人。そのテーブルを挟んで向かう恵の口元は、ニヒリズムを強調するように歪んでいた。
そしてスマートフォンへの着信。画面には、早船暁人と表示されている。マリアは唾を飲み込むと、恐る恐る親指で通話ボタンを押した。
『……はい』
『あ、出た出たストーカーちゃん。見えてる? ここだよー』
筑田恵はマリアの背中に向けて大きく手を振る。
『良くやってるみたいだけどさ、これってストーカーだよ? 普通じゃないよ? 暁人も怖がっているから、やめてくれないかなあ』
恵の言葉に、マリアは全身を硬直させ、呼吸を忘れた。
——知っていた。ファミレスの見えるこの場所で、マリアが暁人を眺めることを習慣にしているのを、恵は知っていたのだ。
(わざわざ暁人のスマートフォンを使って、しかも暁人の目の前で電話をしてくるなんて)
『もしもーし。聞いてる?』
マリアはスマートフォンを持つ右手をダラリと脱力させ、そのまま歩き出す。
振り返る勇気はなかった。暁人の顔を見られるチャンスは今後訪れないかもしれない、最後になるかもしれないと分かっていて尚。
軽蔑の眼差しだけは断じて受け入れられないと、マリアは心を閉ざす。
“筑田恵。17歳の女子高生。自殺願望ありにつき過激な扱い可。カラオケ、食事3時間5000円~。追加オプション要相談”
元居た公園のベンチにひとり。いつの間にか通話の切れていたスマートフォンの液晶ライトに照らされながら、マリアは親指をフリックする。その瞳には、入力されていく文字が映り込んでいた。
改行を追う眼球。
思いつく限りのひどい仕打ちを想像しながら、他の書き込みを参考にどんどん文字を打ち込んでいく。
憂さ晴らしサミット——そう呼ばれる闇サイトが今、中高生の間で密かに流行していることは、マリアの耳にも入ってきていた。
いじめを誘発するそのサイトに入室するには、ターゲットになる人物への誹謗中傷文と気持ちを晴らしたい理由を綴ったものを、管理者へ直接送る必要がある。
数日……早ければ数時間後には返信があり、管理人からの許可が降りれば、送った文章がそのままサイトに掲載されるのだ。
『ちょうどいいじゃん。いつもみたいに親父とデートしてお小遣いもらって。得意でしょ? そのまま一生、監禁でもされてくれればいい』
マリアは親指の爪を噛みながらそう呟き、今か今かと管理者からの返信を待った。
“パパ活”なんて言葉がフラットに普及し始めたのは、一体いつ頃からなのだろうか。危機感の薄れた若者は、そうして投資してもらえる金額の高さで自分の価値を推し量る。
小さなのぞき穴からしか確認できない、充実した煌びやかな世界は、ひとたび目を離した瞬間真っ暗に。その先が危うい道だと頭では分かっていても、人々は導かれるように歩みを進め、世間は絢爛と暗転を繰り返す。
どんなに角度を変えようと、その現実は一周して自分の元へと返ってくる。
必ず、返ってくる——
ブブブっ
マリアのスマートフォンが震える。届いたメッセージを開き、その返信の内容を見て、マリアはやっと胸につかえた溜飲を下げた。
“HM聖母、入室ヲ許可スル”
暁人は毎週木曜日、アルバイト終わりに必ずこのファミレスで食事をとる。その様子を、マリアは電柱の影に隠れてそっと見ていた。
ガラスの向こう。歩いて向かえば直ぐに目の前に立てるという距離だというのに、こうして眺めることしかできない現実に奥歯を噛み締める。
暁人は大抵ドリンクバーとタンドリーチキンを注文するのだが、この日はピザとパスタを頼んでいた。
マリアの心が騒つく。
ピザを頼む日は、決まってあいつがやってくるからだ。
スマートフォンに目を落としていた暁人が、何かに気づき顔を上げる。遠くを見て、手を上げて。入口から席に向かってきた女子の姿に、マリアは顔を歪めた。
筑田恵。奴が、早船暁人の恋人だ。
二、三会話をしてから店員を呼ぶ。当然会話の内容までは分かる訳もないが、表情でいい雰囲気なことだけは読み取れた。
悔しい。悔しい。悔しい。
喪失感の水滴がひとつ、心の池に落ちて波紋を広げていく。それはやがて大きな波となり、マリアという名の小さな器を暴れ狂った。
が、途端に現実に引き戻される。
(え、え、なんで、え?)
気が付けば。暁人と恵の視線が、電柱に身を潜めるマリアの姿を間違いなく捉えていた。ガラス越しに目が合っているこの状況に、マリアは目を泳がせ、ついには身体を背ける。
(なんでバレた? この距離で、どうして)
静止画の如くこちらを向く2人の表情が脳裏に焼き付く。
キョトンと不思議そうな表情の暁人。そのテーブルを挟んで向かう恵の口元は、ニヒリズムを強調するように歪んでいた。
そしてスマートフォンへの着信。画面には、早船暁人と表示されている。マリアは唾を飲み込むと、恐る恐る親指で通話ボタンを押した。
『……はい』
『あ、出た出たストーカーちゃん。見えてる? ここだよー』
筑田恵はマリアの背中に向けて大きく手を振る。
『良くやってるみたいだけどさ、これってストーカーだよ? 普通じゃないよ? 暁人も怖がっているから、やめてくれないかなあ』
恵の言葉に、マリアは全身を硬直させ、呼吸を忘れた。
——知っていた。ファミレスの見えるこの場所で、マリアが暁人を眺めることを習慣にしているのを、恵は知っていたのだ。
(わざわざ暁人のスマートフォンを使って、しかも暁人の目の前で電話をしてくるなんて)
『もしもーし。聞いてる?』
マリアはスマートフォンを持つ右手をダラリと脱力させ、そのまま歩き出す。
振り返る勇気はなかった。暁人の顔を見られるチャンスは今後訪れないかもしれない、最後になるかもしれないと分かっていて尚。
軽蔑の眼差しだけは断じて受け入れられないと、マリアは心を閉ざす。
“筑田恵。17歳の女子高生。自殺願望ありにつき過激な扱い可。カラオケ、食事3時間5000円~。追加オプション要相談”
元居た公園のベンチにひとり。いつの間にか通話の切れていたスマートフォンの液晶ライトに照らされながら、マリアは親指をフリックする。その瞳には、入力されていく文字が映り込んでいた。
改行を追う眼球。
思いつく限りのひどい仕打ちを想像しながら、他の書き込みを参考にどんどん文字を打ち込んでいく。
憂さ晴らしサミット——そう呼ばれる闇サイトが今、中高生の間で密かに流行していることは、マリアの耳にも入ってきていた。
いじめを誘発するそのサイトに入室するには、ターゲットになる人物への誹謗中傷文と気持ちを晴らしたい理由を綴ったものを、管理者へ直接送る必要がある。
数日……早ければ数時間後には返信があり、管理人からの許可が降りれば、送った文章がそのままサイトに掲載されるのだ。
『ちょうどいいじゃん。いつもみたいに親父とデートしてお小遣いもらって。得意でしょ? そのまま一生、監禁でもされてくれればいい』
マリアは親指の爪を噛みながらそう呟き、今か今かと管理者からの返信を待った。
“パパ活”なんて言葉がフラットに普及し始めたのは、一体いつ頃からなのだろうか。危機感の薄れた若者は、そうして投資してもらえる金額の高さで自分の価値を推し量る。
小さなのぞき穴からしか確認できない、充実した煌びやかな世界は、ひとたび目を離した瞬間真っ暗に。その先が危うい道だと頭では分かっていても、人々は導かれるように歩みを進め、世間は絢爛と暗転を繰り返す。
どんなに角度を変えようと、その現実は一周して自分の元へと返ってくる。
必ず、返ってくる——
ブブブっ
マリアのスマートフォンが震える。届いたメッセージを開き、その返信の内容を見て、マリアはやっと胸につかえた溜飲を下げた。
“HM聖母、入室ヲ許可スル”
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