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CASE:4
相澤千聖 22歳 ピアニスト
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川のせせらぐ音、ゆったりと間伸びするクラシックに、時折小鳥の囀りが小さく耳をつつく。
庵野美容外科クリニック——
真っ白なパーテーションで仕切られた小部屋のソファーに腰掛けながら、千聖は顔の半分以上を隠しているサングラスをそっとずらして、目の前の広告を見た。
もう何度も目にしたその広告のモデルに唾を吐きたい気持ちを抑え、千聖は落ち着き無く足を揺らす。
仕切りの向こうを行き交う女性スタッフの足音が、幾度も自分の元を通り過ぎていくことに苛立ちを抑えきれず立ちあがろうとした、その時。コンコンっ、とノックが2回。
「大変お待たせいたしました」
「遅い!! いつまで掛かってんのよ! あたしがどれだけこの店舗に通ってると思ってんの」
千聖の甲高い声に慣れているのか、女性スタッフは床に片膝をつきながら俯いて耐える。
「こんな簡易的な場所で、他の客と一緒だなんて失礼にも程があるわ。大体、いつもの個室はどうしたのよ」
「それは……」
「誰か、VIP待遇のタレントでも来ているの?」
「お、お客様!」
千聖はパーテーションを無理矢理に退けて小部屋を出る。知った道をズンズン進み、関係者以外立ち入り禁止の立て看板を無視して先を急いだ。
「困ります、待合室に戻ってください」
「大丈夫よ。あたし、口は堅い方なの」
「お客様っ」
千聖の後ろをうろうろしながら、必死に抑制を図る女性スタッフの想いも虚しく。千聖はとうとう院内最深部にある重厚な引き戸の前まで辿り着く。
取手を掴み、一気に右側へと引いた。
滑りのいいドアの遠心力を利用して、そのまま身体を室内にねじ込んだ千聖の目に映った光景。それは千聖が想像していた、遥か斜め上をいく。
赤い絨毯の敷かれたVIPルーム。利用度の高い客をもてなす為に存在するこの部屋の中央には本来、高貴なソファーとテーブルが置かれていて、千聖はそのソファーに座りながらジャスミン茶を嗜み、優雅に順番を待つのが常であった。
だが、そのソファーとテーブルは現状部屋の端に追いやられ、代わりに診察ベッドがひとつ、ぽつんと真ん中に置かれている。
そしてそこには、全裸の男が横たわっていた。
部屋の温度はいくら真夏だとて寒すぎるほどに低く、千聖はノースリーブで剥き出しの自身の腕を抱えるようにして身を縮めた。
それは、寒さだけのせいではない。
「し、死んでるの? これ」
男の身体は青白く、何よりベッドの横にダランと垂れた腕には生気がなかった。
千聖は一瞬釘付けになるも、すぐに腕を引っ張られて室外へ。扉が閉まった廊下で、慌てる女性スタッフに両肩を掴まれた。
「戻りましょう。ここに来たことがバレたらマズいことに」
「ねえ、あの男の人だれ? 患者?」
「知らないですよ! とにかく行きますよ、ほら!」
その時。肩を掴む女性スタッフの腕を逆に掴み降すと、今度は千聖が腕を引っ張り、再び室内へ入るべく引き戸を開けた。
「ちょっと! いい加減に」
「静かに。廊下の向こうに人影が見えた。こっちに来るかもしれない」
「え?!」
慌てふためく女性スタッフ。その胸元の名札を確認すると、千聖は冷静に口を開いた。
「ササキさんあなた、この医院に勤めてどれくらい?」
「なんですか急に」
「お給金は? 手取りでおいくら? 今の待遇で満足できているの?」
「やめてください!」
「ねえ。大金、欲しくなあい?」
早口で捲し立てる千聖の形相に、ササキは眉間に皺を寄せながら首を引っ込めた。
「さっきからなんなんですか。誰か来るなら、早く隠れなきゃ……」
近くのクローゼットを開けて、中に身を潜めようとササキが一歩踏み出す。
そのササキの胸ポケットから、千聖は瞬時にハサミを引き抜いた。そしてそのまま、自身の下腹部へと刃先を突き立て、目一杯に押し込む。
うっ、と。小さなうめき声だけをあげる千聖。その下腹部にはほんの数センチだが、確実に刃が食い込んでいた。
ここまで一瞬。数秒の出来事に、ササキは両手で口を塞ぐと声を出したい衝動を必死に抑えて目を見開いた。
「今この状況で誰かがこの部屋に入り、血の滴るあたしと狼狽えるあなたを発見したら、どうなると思う? あなたはクビを飛び越えて、犯罪者として捕まるわ。最悪、そこのベッドに横になってる男を殺した犯人も、あなたってことにされるかもしれない」
「そんな」
痛みに耐えながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ千聖。丸めた背中で老婆のように歩き出すと、真っ赤にヌルつく手のひらでササキの腕を掴んだ。
「こっちにきて。あたしの言う通りにすれば、あなたにもいい思いをさせてあげられる」
庵野美容外科クリニック——
真っ白なパーテーションで仕切られた小部屋のソファーに腰掛けながら、千聖は顔の半分以上を隠しているサングラスをそっとずらして、目の前の広告を見た。
もう何度も目にしたその広告のモデルに唾を吐きたい気持ちを抑え、千聖は落ち着き無く足を揺らす。
仕切りの向こうを行き交う女性スタッフの足音が、幾度も自分の元を通り過ぎていくことに苛立ちを抑えきれず立ちあがろうとした、その時。コンコンっ、とノックが2回。
「大変お待たせいたしました」
「遅い!! いつまで掛かってんのよ! あたしがどれだけこの店舗に通ってると思ってんの」
千聖の甲高い声に慣れているのか、女性スタッフは床に片膝をつきながら俯いて耐える。
「こんな簡易的な場所で、他の客と一緒だなんて失礼にも程があるわ。大体、いつもの個室はどうしたのよ」
「それは……」
「誰か、VIP待遇のタレントでも来ているの?」
「お、お客様!」
千聖はパーテーションを無理矢理に退けて小部屋を出る。知った道をズンズン進み、関係者以外立ち入り禁止の立て看板を無視して先を急いだ。
「困ります、待合室に戻ってください」
「大丈夫よ。あたし、口は堅い方なの」
「お客様っ」
千聖の後ろをうろうろしながら、必死に抑制を図る女性スタッフの想いも虚しく。千聖はとうとう院内最深部にある重厚な引き戸の前まで辿り着く。
取手を掴み、一気に右側へと引いた。
滑りのいいドアの遠心力を利用して、そのまま身体を室内にねじ込んだ千聖の目に映った光景。それは千聖が想像していた、遥か斜め上をいく。
赤い絨毯の敷かれたVIPルーム。利用度の高い客をもてなす為に存在するこの部屋の中央には本来、高貴なソファーとテーブルが置かれていて、千聖はそのソファーに座りながらジャスミン茶を嗜み、優雅に順番を待つのが常であった。
だが、そのソファーとテーブルは現状部屋の端に追いやられ、代わりに診察ベッドがひとつ、ぽつんと真ん中に置かれている。
そしてそこには、全裸の男が横たわっていた。
部屋の温度はいくら真夏だとて寒すぎるほどに低く、千聖はノースリーブで剥き出しの自身の腕を抱えるようにして身を縮めた。
それは、寒さだけのせいではない。
「し、死んでるの? これ」
男の身体は青白く、何よりベッドの横にダランと垂れた腕には生気がなかった。
千聖は一瞬釘付けになるも、すぐに腕を引っ張られて室外へ。扉が閉まった廊下で、慌てる女性スタッフに両肩を掴まれた。
「戻りましょう。ここに来たことがバレたらマズいことに」
「ねえ、あの男の人だれ? 患者?」
「知らないですよ! とにかく行きますよ、ほら!」
その時。肩を掴む女性スタッフの腕を逆に掴み降すと、今度は千聖が腕を引っ張り、再び室内へ入るべく引き戸を開けた。
「ちょっと! いい加減に」
「静かに。廊下の向こうに人影が見えた。こっちに来るかもしれない」
「え?!」
慌てふためく女性スタッフ。その胸元の名札を確認すると、千聖は冷静に口を開いた。
「ササキさんあなた、この医院に勤めてどれくらい?」
「なんですか急に」
「お給金は? 手取りでおいくら? 今の待遇で満足できているの?」
「やめてください!」
「ねえ。大金、欲しくなあい?」
早口で捲し立てる千聖の形相に、ササキは眉間に皺を寄せながら首を引っ込めた。
「さっきからなんなんですか。誰か来るなら、早く隠れなきゃ……」
近くのクローゼットを開けて、中に身を潜めようとササキが一歩踏み出す。
そのササキの胸ポケットから、千聖は瞬時にハサミを引き抜いた。そしてそのまま、自身の下腹部へと刃先を突き立て、目一杯に押し込む。
うっ、と。小さなうめき声だけをあげる千聖。その下腹部にはほんの数センチだが、確実に刃が食い込んでいた。
ここまで一瞬。数秒の出来事に、ササキは両手で口を塞ぐと声を出したい衝動を必死に抑えて目を見開いた。
「今この状況で誰かがこの部屋に入り、血の滴るあたしと狼狽えるあなたを発見したら、どうなると思う? あなたはクビを飛び越えて、犯罪者として捕まるわ。最悪、そこのベッドに横になってる男を殺した犯人も、あなたってことにされるかもしれない」
「そんな」
痛みに耐えながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ千聖。丸めた背中で老婆のように歩き出すと、真っ赤にヌルつく手のひらでササキの腕を掴んだ。
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