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本編
08 王都での新たな生活
しおりを挟むバーノン・ガルシアが亡くなり、私がガルシア家とは縁を切ってから二か月が経った。
私は旧姓のケイトリン・ウォーターハウスに戻り、家庭教師の仕事を続けている。
というのも、ウォータハウス侯爵家の継母は相変わらず引きこもりを続けており、先日とうとう認知症らしいと診断された。
弟で当主のベンジャミンは、私が侯爵家の身分を取り戻しても継母の反対に合うことはないと判断し、私はウォーターハウスの家名を名乗ることができている。
娘たちも貴族籍こそないが、ウォーターハウスの姓を得た。
これがなかなか便利なのだ。
貴族ではないが、侯爵家の縁者。
仕事も住む場所も実に見つけ易くなり、私は離婚後すぐトムリンソン家の屋敷を出ることができた。
バーノンとの再婚に始まる騒動には、義弟に最も迷惑をかけてしまい本当に申し訳なかった。
義弟とその奥方に何度も頭を下げ、仮住まいを離れてやってきたのは何と王都である。
というのも、バーノンと別居中に家庭教師をしていた商家の娘さんが先日無事嫁いだのだが、私の家庭教師ぶりをたいそう評価して下さり、さらなる就職先を斡旋して頂いたのだ。
次の仕事は前よりさらに短期で、子爵家のお嬢様の教育だった。
立ち振る舞いもダンスも特に問題なかったのだが、外交官として働くお父様の仕事に付いていくことになり、急遽隣国ミナージュ王国の言葉とマナーを教えてほしいとのことだった。
私は直接隣国に行ったことはなかったが、亡くなった実母がミナージュ王国出身だったので言葉は知っていた。
さらに前トムリンソン男爵の夫人だったときは、隣国の商人とやり取りすることも多く、ある程度のマナーも抑えていた。
これ以上の人選はないとまたしても高額の給料で雇われることになったのだった。
「大公家の子女の家庭教師?」
外交官のご息女の教育を無事に終えた私は、弟のベンジャミンに次の仕事があると呼び出されていた。
商家、子爵家と来て、今度はいきなり大公家と来た。
この国の貴族の階級は、下から大まかに男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵、そして頂点に立つのはもちろん王家。
細かいものでは国に貢献した褒賞として得られる準男爵や騎士男爵、国境を守るために特別な権限が許されている辺境伯爵などがある。
大公とは、簡単に言えば王家と公爵の中間だ。
大公の地位を得る資格がある者は、この国では法律で決まっている。
歴代国王とその正妃の座にいた者の間に生まれた男子であること、どのような理由であれ一代限りであること、王位継承権は持つものの、政局に関わる地位を得ることはできないなどだ。
今の大公閣下と呼ばれるのは、現国王の同腹の弟であらせられるアーロン・ラドルファス様しかいない。
王宮大図書館の館長を務める傍ら、天体観測の研究員もされていると聞いたことがある。
「姉さんの噂を聞きつけて、是非一度会ってみたいってさ。とはいっても、他の家庭教師にも何人か声をかけられているみたいだけど」
「大公家にはお子様が何人いらっしゃるの?」
「お二人だよ。10歳のご長男グリフィン様と、妹で7歳のマルゲリータ嬢だ」
「うちの子たちと歳が近いわね…」
長女のヴァレンティーナは9歳、次女のティファニーは8歳になっている。
「主にマルゲリータ嬢には貴族淑女としての立ち振る舞いを、グリフィン様には隣国の語学や経済の成り立ち・仕組みなどを教育してほしいとのことだよ」
「…分かったわ。とりあえず一度お会いしてみましょう」
前の仕事で懐が温かいとはいえ、次の仕事がいつでもあるとは限らない。
来るもの拒まずの精神で私は大公家に面接を受けにいくことになった。
二日後、ベンジャミンが用意してくれたお付きの男性を伴い、私は王都のラドルファス大公屋敷を訪れた。
古くはあるが、荘厳で立派なお屋敷…いや、どちらかというと城に近い。
門は高く頑丈そうで、門番は武装していた。
さすがに王位継承者が住んでいるお屋敷は格が違う。
内心圧倒されつつも、すまし顔で家庭教師の面接に来た旨を知らせる。
すぐに案内役の侍女が現れ、簡単な身体検査をされてから屋敷の中に通された。
応接間に案内され、お茶とお菓子まで出してもらった。
侯爵家出身とは言え貴族籍を失っている私にここまで礼を尽くすとは…大公家の名に恥じぬ仕事の徹底ぶりだった。
何も口にしないのは失礼にあたるので、お茶だけ頂きながら相手が現れるのを待つ。
すると五分と経たないうちにドアが開かれ、立派な装いの男性が現れた。
私は立ち上がり、カーテシーをする。
「お招きありがとうございます。ケイトリン・ウォーターハウスと申します」
「こちらこそ、足を運んでいただき感謝します。アーロン・ラドルファスです」
なんと!
ご当主自ら面接に現れた。
大事なお子様の教育係を決めるためとは言え、随分熱心な方だ。
高位貴族になるほど、こういったことは部下にやらせることが多い。
「どうぞおかけください」
「恐れ入りますわ」
ラドルファス大公は私の真正面に座る。
文官タイプの方かと思っていたが、背が高く体ががっしりしている。
今纏っているフロックコートも似合っているが、騎士の装いはもっと似合うだろう。
顔立ちは非常に整っていて、社交界の白薔薇と呼ばれたお母上…現王太后様に似たと思われる。
燃えるような金髪に深い青い瞳が印象的だ。
奥方を亡くされていると聞いたが、これほどの美形で身分も大公となれば、後釜を狙う令嬢は多いことだろう。
「ウォーターハウス侯爵からあなたのことは伺っています。非常に優秀な教師でいらっしゃるようですな」
「周囲に進められて家庭教師をしてみましたが、意外に合っていたようですわ。とはいえ、これまで教えたのは商家のご令嬢と子爵家のご令嬢のお二人のみ。それも短い期間です。大公様のご希望に必ず添えるかどうかは正直分かりかねます」
「そうですね。…ご存知の通り、私は妻を亡くしています。できればこの屋敷に住み込んでいただき、特に幼い娘にマナーを教え込んでいただきたいと思っています」
「住み込み、ですか?」
家庭教師で住み込みというのはなかなかない。
大体の家庭教師は二つか三つの家の教師を掛け持ちし、決まった日に訪問して教育するのが普通だ。
「子供たちは物心つく前に母親を亡くしました。特に娘のマルゲリータは情緒不安定で部屋に引きこもりがちです。ただ私には再婚する意思がないため、できれば信頼できる女性を専属教師として娘の傍らに置き、大公家の娘としての誇りを自覚させてほしいのです」
「…お嬢様は確か、7歳でしたわね」
「はい。これまでは幼いことだし、本人の性格もあるからと様子を見ていましたが…」
ラドルファス大公のいうことは大体理解した。
高位貴族の令嬢は、幼くして婚約者を決めることが多い。
大体10歳頃にお茶会やパーティーなどでお披露目を始めるのだ。
それまでに身に着けたマナーと社交性がどの程度であるかで、その子の一生が決まることもある。
もちろん大公家としての矜持もあるだろうが、父親としてマルゲリータ嬢の将来もご心配されているのだろう。
「私としては二人の娘を同行させていただけるのでしたら、住み込みのお仕事にも否やはございませんわ」
「そうですか。ウォーターハウス侯爵から伺っていると思いますが、他の家庭教師にも声をかけています。もしかしたらお断りするかもしれませんが…」
「かまいません。ですが私も生活がありますので、結論があまり長引くのは困ります」
「分かっています。実はウォーターハウス夫人が最後の面接でした。三日以内には結果をご報告いたします」
「それは助かりますわ」
「では、お見送りを…」
あれ、終わり?
ちょっとちょっと、大事なこと忘れてない?
「え、あ、あの…」
「はい?」
「お子様たちには会わなくてもよろしいのでしょうか?」
だってこれ、あなたの子供の家庭教師の面接でしょう?
家庭教師を精査しているのならなおのこと、子供と会わせて相性見なくていいの!?
「お子様の意見も、私との相性もあると思いましたので…。も、もちろん無理にとは申しませんが」
言いながら私は気づいた。
もしかしたら、これまでの面接でもう私は落第なのかもしれない。
子供たちに会わせる必要もないと思われたのかも…だったら恥ずかし過ぎる。
最後は尻すぼみになってしまったが、ラドルファス大公はにっこりと笑った。
「すみません、話すのを忘れていました。この面接に息子のグリフィンは同席させる予定だったのですが、少し前からひいていた風邪をこじらせて寝込んでしまったのです。肝心のマルゲリータは知らない人と話すのは緊張すると、部屋から出てこなくて…お恥ずかしいことです」
「そ、そうでしたか。それはお大事に」
そう言われれば無理に面会することもできず、私は屋敷をお暇することにした。
なんだか手ごたえのない面接だった…不採用かも。
がっくり肩を落としつつ、でもこれで良かったとも思う。
なにせ相手は大公家だ。
今は貴族ですらない私が関わるには恐れ多すぎる相手だ。
そう前向きにとらえることにして、不採用通知が届き次第次の仕事を探そうと切り替えた私だったが…。
翌日、大公家からの使いが大層な書類を手に現れた。
是非専属家庭教師として屋敷に来てほしいと書かれたそれに、私は頭を抱えることになる。
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