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二の姫
閑話休題、その三
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妖狐が取り憑いてからのことは、ほとんど覚えていない。
悪い夢を見ていたような気もするし、なにもなかったような気もする。
ただ、次に気づいたときには、すでに帰るべき家——梅香が守っていくべき家はすでになくなっていた。
不思議と悲しみはなかった。
いや、悲しいと感じるための心さえ、なくなってしまったのだと思う。
自分に憑いたあやかしのせいで、何もかも滅茶苦茶になってしまったことを、理解しようとしたくないだけかもしれない。
「朝顔の君、お加減はいかがですか?」
梅香の眠る床のそばにやってきたのは、お世話になっている賀茂家の姫君。梓だった。
「ありがとうございます。だいぶ、楽になりました」
体を起こすと、梓は急いで駆け寄ってきて、梅香がかけていた布団をかけ直す。
「まだ、休んでいてください」
「いや、でも——」
そう言いかけて、口を閉ざす。あまりに必死な梓の姿を見ていると、そんなことを言うほうがバチが当たってしまいそうだった。
「元気になったつもりでも、まだ体は弱っているんですから」
「そうですね」
梓にされるがまま、もう一度床につく。すでに熱は下がっているし、体の重さも感じない。それでも、憑かれていた間はひどい生活をしていたのだ。梓の言う通り、もうしばらくはこうしていたほうが良いのかもしれない。
いや、どうして良いかわからないから、こうして寝ていることしか出来ないのだ。一生懸命な梓の姿を見ていると、なんだか訳もわからず切なくなった。
「……梓さま。わたしはこのままどうなってしまうのでしょう?」
思わずぽろりと本音が漏れる。
梓ははっとしたように、梅香の顔を覗き込んだ。心配そうに揺れる瞳は、賀茂家の人らしい細くて涼しげで、すこし大人っぽく見える。梓とは同い年なのに、なにもかも違う。
賀茂家のような大貴族の家に生まれた梓と、ちっぽけな貴族の家に生まれ、すべてを失ってしまった自分。
こんなに梓に良くして貰っているのにもかかわらず、梓と境遇を比べては卑屈になる自分が嫌いだった。
「朝顔の君……。いま、父上があなたのこれからを考えてくださっています」
梅香の視線をしっかりと受け止めて、梓は言った。
「あなたは、これからどうしたいですか?」
「……っ」
梓からの質問に、なにも答えられなかった。いや、答えたくなかった。なにも考えたくなかった。
悔しさや、悲しみや、絶望が、梅香の心のなかいっぱいに広がる。唇がわなわな震えているのがわかった。
なんで答えれば良いのだろう。
「父上も、母上も、私も。あなたのことを助けたいと思っています。もしかしたら、これはただの同情なのかもしれません」
そう言って、梓は瞼を伏せる。
「それでも、こうしてあなたと出会えて私は嬉しかった。……あなたの命が消あないでくれて、よかった。そう思うのです。だから、あなたのこの先が少しでも実りあるものになれば、うれしい」
ささやくような、祈るような声。
ここまで陽の光が差し込んできて、梓の顔を照らしている。瞼を伏せた梓があまりに神々しくて、梅香は言葉を失った。もし、極楽浄土に女神がいるのであれば、こんな表情をしているのではないかと、そう思わずにはいられなかった。
「……もうすこし、考えても良いでしょうか?」
掠れた声が出た。
梅香の言葉に、梓は目をぱちぱちさせる。
「もちろんです。もし、分からなくなったら相談してください。私も賀茂家の姫君としての教育は受けていますので」
「ありがとうございます」
「やっと、笑ってくれましたね」
そう言って、梓はふわりと笑った。自分が笑っていたことに気づかず、梅香は思わず自分の頬に手をやる。まだ骨張った感触があるけれど、以前よりはずっとましになった。
——まだ、笑える。
それが嬉しくて、思わず笑みが溢れてしまう。
これからどうなるかはわからない。それでも、自分のこれからを諦めたくないと、梅香は思った。
悪い夢を見ていたような気もするし、なにもなかったような気もする。
ただ、次に気づいたときには、すでに帰るべき家——梅香が守っていくべき家はすでになくなっていた。
不思議と悲しみはなかった。
いや、悲しいと感じるための心さえ、なくなってしまったのだと思う。
自分に憑いたあやかしのせいで、何もかも滅茶苦茶になってしまったことを、理解しようとしたくないだけかもしれない。
「朝顔の君、お加減はいかがですか?」
梅香の眠る床のそばにやってきたのは、お世話になっている賀茂家の姫君。梓だった。
「ありがとうございます。だいぶ、楽になりました」
体を起こすと、梓は急いで駆け寄ってきて、梅香がかけていた布団をかけ直す。
「まだ、休んでいてください」
「いや、でも——」
そう言いかけて、口を閉ざす。あまりに必死な梓の姿を見ていると、そんなことを言うほうがバチが当たってしまいそうだった。
「元気になったつもりでも、まだ体は弱っているんですから」
「そうですね」
梓にされるがまま、もう一度床につく。すでに熱は下がっているし、体の重さも感じない。それでも、憑かれていた間はひどい生活をしていたのだ。梓の言う通り、もうしばらくはこうしていたほうが良いのかもしれない。
いや、どうして良いかわからないから、こうして寝ていることしか出来ないのだ。一生懸命な梓の姿を見ていると、なんだか訳もわからず切なくなった。
「……梓さま。わたしはこのままどうなってしまうのでしょう?」
思わずぽろりと本音が漏れる。
梓ははっとしたように、梅香の顔を覗き込んだ。心配そうに揺れる瞳は、賀茂家の人らしい細くて涼しげで、すこし大人っぽく見える。梓とは同い年なのに、なにもかも違う。
賀茂家のような大貴族の家に生まれた梓と、ちっぽけな貴族の家に生まれ、すべてを失ってしまった自分。
こんなに梓に良くして貰っているのにもかかわらず、梓と境遇を比べては卑屈になる自分が嫌いだった。
「朝顔の君……。いま、父上があなたのこれからを考えてくださっています」
梅香の視線をしっかりと受け止めて、梓は言った。
「あなたは、これからどうしたいですか?」
「……っ」
梓からの質問に、なにも答えられなかった。いや、答えたくなかった。なにも考えたくなかった。
悔しさや、悲しみや、絶望が、梅香の心のなかいっぱいに広がる。唇がわなわな震えているのがわかった。
なんで答えれば良いのだろう。
「父上も、母上も、私も。あなたのことを助けたいと思っています。もしかしたら、これはただの同情なのかもしれません」
そう言って、梓は瞼を伏せる。
「それでも、こうしてあなたと出会えて私は嬉しかった。……あなたの命が消あないでくれて、よかった。そう思うのです。だから、あなたのこの先が少しでも実りあるものになれば、うれしい」
ささやくような、祈るような声。
ここまで陽の光が差し込んできて、梓の顔を照らしている。瞼を伏せた梓があまりに神々しくて、梅香は言葉を失った。もし、極楽浄土に女神がいるのであれば、こんな表情をしているのではないかと、そう思わずにはいられなかった。
「……もうすこし、考えても良いでしょうか?」
掠れた声が出た。
梅香の言葉に、梓は目をぱちぱちさせる。
「もちろんです。もし、分からなくなったら相談してください。私も賀茂家の姫君としての教育は受けていますので」
「ありがとうございます」
「やっと、笑ってくれましたね」
そう言って、梓はふわりと笑った。自分が笑っていたことに気づかず、梅香は思わず自分の頬に手をやる。まだ骨張った感触があるけれど、以前よりはずっとましになった。
——まだ、笑える。
それが嬉しくて、思わず笑みが溢れてしまう。
これからどうなるかはわからない。それでも、自分のこれからを諦めたくないと、梅香は思った。
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