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三の姫
四十七、幻覚
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頭中将の言葉に、小春は息をのんだ。
周りに集まっていた人々もざわつき出す。小春が後ろにいるはずの保憲を振り返ると、険しい顔をした保憲が小春の肩に手を置いた。
「……なによ、それ」
頭中将の言葉に、葵の君は眉をひそめた。
「どういうことなの……?」
葵の君の口から、泣きそうな声がこぼれる。見ていられなくて、出ていこうとした小春を止めたのは、保憲だった。
「頭中将さま」
小春が出る代わりに、二人の間に割って入る保憲。
保憲の登場に、頭中将は片眉をあげた。余裕のある様子に、自然と小春の手に力がこもった。
人前であんなことを言うのは、さすがに憚られるのではないか。
「このような場所で、そういったことをおっしゃるのは控えた方がよろしいかと」
「……あなたは誰ですか?」
「私は陰陽師、賀茂保憲と申します」
葵の君の質問に答えて、保憲は二人にお辞儀をした。
「頭中将さま、あなたが疑問に思っていることは、私もぜひ知りたいのですが……。場所を仕切り直しませんか」
保憲はそう言ってぐるりと周りを見渡す。その時に、目があった。保憲の真剣な瞳に、小春にも力が湧いてくるようだった。小春も一歩、頭中将たちの元に近づく。
「私からもお願いいたします」
いきなり出てきた小春を、葵の君は訝しげな目で睨む。恐ろしい瞳だったが、それには構っていられなかった。
「私は、賀茂保憲の弟弟子です。どうか、兄上のお願いを聞いてくださらないでしょうか」
二人の陰陽師に言われてしまえば、頭中将も断りにくかったのだと思う。
頭中将と葵の君は、いったん矛を収めることにしたようだった。
「そこの陰陽師、ついてきなさい」
屋敷のなかに姿を消す葵の君。歩きながら後ろを振り向いた葵の君は、小春たちに声をかけた。葵の君に言われるまま、小春たちも頭中将に続いて屋敷のなかに入る。
すれ違い様に、頭中将から強い、白檀の香りが漂った。頭をがつんと殴られたような衝撃に、小春は目を見開く。
「……?!」
泣いていた。
髪の長い女——おそらく初めて頭中将に出会ったときに見えた女が、頭中将の背中、肩から腰のあたりにしがみついていたのだ。頭中将が歩くたびに、女の着物がずるずると引きずられる。もとは鮮やかだったはずの五衣や唐衣、裳は、紅黒い色に変化している。
小春の歩みは、自然ととまった。
もう、小春の目には保憲も周りの人垣も見えなかった。
ただ、無惨な女の姿が目にこびりつく。ふと、頭中将にしがみついているはずの女の首が、小春を振り向いた。そのひび割れた唇がゆっくりと動く。
『……して』
しわがれた声。音として発されたとわからないぐらいの、ささやくような空気の音が、小春の耳に届いた。
(いま、なんて……?)
『……ゆるし……て』
女はまたささやいた。
女は、許しを請うている。
「あなたは誰なの?!」
小春は思わず叫んだ。
あなたが左大臣家の姫君だと言うならば、なにか教えてほしい。思いを込めた叫びに、女はさらにゆっくりと小春を振り向く。
その口元は、静かに笑っているようちも、泣いているように見えた。
周りに集まっていた人々もざわつき出す。小春が後ろにいるはずの保憲を振り返ると、険しい顔をした保憲が小春の肩に手を置いた。
「……なによ、それ」
頭中将の言葉に、葵の君は眉をひそめた。
「どういうことなの……?」
葵の君の口から、泣きそうな声がこぼれる。見ていられなくて、出ていこうとした小春を止めたのは、保憲だった。
「頭中将さま」
小春が出る代わりに、二人の間に割って入る保憲。
保憲の登場に、頭中将は片眉をあげた。余裕のある様子に、自然と小春の手に力がこもった。
人前であんなことを言うのは、さすがに憚られるのではないか。
「このような場所で、そういったことをおっしゃるのは控えた方がよろしいかと」
「……あなたは誰ですか?」
「私は陰陽師、賀茂保憲と申します」
葵の君の質問に答えて、保憲は二人にお辞儀をした。
「頭中将さま、あなたが疑問に思っていることは、私もぜひ知りたいのですが……。場所を仕切り直しませんか」
保憲はそう言ってぐるりと周りを見渡す。その時に、目があった。保憲の真剣な瞳に、小春にも力が湧いてくるようだった。小春も一歩、頭中将たちの元に近づく。
「私からもお願いいたします」
いきなり出てきた小春を、葵の君は訝しげな目で睨む。恐ろしい瞳だったが、それには構っていられなかった。
「私は、賀茂保憲の弟弟子です。どうか、兄上のお願いを聞いてくださらないでしょうか」
二人の陰陽師に言われてしまえば、頭中将も断りにくかったのだと思う。
頭中将と葵の君は、いったん矛を収めることにしたようだった。
「そこの陰陽師、ついてきなさい」
屋敷のなかに姿を消す葵の君。歩きながら後ろを振り向いた葵の君は、小春たちに声をかけた。葵の君に言われるまま、小春たちも頭中将に続いて屋敷のなかに入る。
すれ違い様に、頭中将から強い、白檀の香りが漂った。頭をがつんと殴られたような衝撃に、小春は目を見開く。
「……?!」
泣いていた。
髪の長い女——おそらく初めて頭中将に出会ったときに見えた女が、頭中将の背中、肩から腰のあたりにしがみついていたのだ。頭中将が歩くたびに、女の着物がずるずると引きずられる。もとは鮮やかだったはずの五衣や唐衣、裳は、紅黒い色に変化している。
小春の歩みは、自然ととまった。
もう、小春の目には保憲も周りの人垣も見えなかった。
ただ、無惨な女の姿が目にこびりつく。ふと、頭中将にしがみついているはずの女の首が、小春を振り向いた。そのひび割れた唇がゆっくりと動く。
『……して』
しわがれた声。音として発されたとわからないぐらいの、ささやくような空気の音が、小春の耳に届いた。
(いま、なんて……?)
『……ゆるし……て』
女はまたささやいた。
女は、許しを請うている。
「あなたは誰なの?!」
小春は思わず叫んだ。
あなたが左大臣家の姫君だと言うならば、なにか教えてほしい。思いを込めた叫びに、女はさらにゆっくりと小春を振り向く。
その口元は、静かに笑っているようちも、泣いているように見えた。
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