婚約破棄と溺愛のアンソロジー[短編集]

イアペコス

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黒曜の瞳に囚われて

第四章:狂気の刃

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ジュリアス・ボルジアの妨害は、陰湿かつ執拗だった。
サイラスに関する黒い噂――麻薬密売、武器商人、敵対組織の人間を消している、など――を新聞社にリークし、サイラス・ナイトシェードという存在を社会的に抹殺しようと試みた。しかし、サイラスの力はジュリアスの想像を遥かに超えていた。それらの記事は、世に出る前に全て握り潰された。

業を煮やしたジュリアスは、ついに実力行使に出た。
それは、私が一人で馴染みの書店に立ち寄った、その帰り道だった。いつもならついているはずのボディガードが、急な連絡で一時的に持ち場を離れた、ほんのわずかな隙を突かれた。

路地裏から現れた数人の男たちに、私は為す術もなく口を塞がれ、車に押し込まれた。
「――っ!」
抵抗しようにも、屈強な男たちの力には敵わない。薬を嗅がされ、私の意識は急速に遠のいていった。

次に目を覚ました時、私は薄暗い倉庫のような場所にいた。手足をロープで縛られ、口にはテープが貼られている。
「……目が覚めたか、オーレリア」
目の前に立っていたのは、狂的な光を目に宿したジュリアスだった。
「こんなことをして、ただで済むと思っているのですか!」
テープ越しにくぐもった声で叫ぶが、彼は愉快そうに笑うだけだった。

「ただで済むものか。俺は全てを失ったよ。お前とナイトシェードのせいでな! あいつ、俺の家の事業をことごとく潰しにかかったんだ。もはやボルジア家は没落寸前だ。……だが、お前さえいれば、俺はやり直せる」
彼の瞳は正気ではなかった。
「お前を、俺だけのものにする。誰にも渡さない。あのナイトシェードという男にも、二度と会わせない。ここで、ずっと二人で暮らすんだ」
言いながら、彼は恍惚とした表情で私の髪を撫でた。その指先の感触に、全身に鳥肌が立つ。

恐怖で心が凍りつきそうになった、その時。
倉庫の巨大な鉄の扉が、轟音と共に内側へと吹き飛んだ。

逆光の中に立っていたのは、夜よりも深い闇を纏った、怒れる魔王の如き形相のサイラス・ナイトシェードだった。彼の手には、鈍い光を放つ拳銃が握られていた。
「……ボルジア。貴様、私が何と言ったか忘れたか」
地を這うような低い声。それは、これまでに聞いたことのない、純粋な殺意に満ちていた。
「二度と彼女の前に現れるな、と。そして、彼女に指一本でも触れてみろ、と。……その時は、どうなるか、教えてやったはずだ」

ジュリアスの顔から血の気が引く。「ひっ……! な、なぜここが……」
「貴様ごときの行動など、全てお見通しだ。私の衛星が、24時間365日、彼女の居場所を追跡していることを知らなかったか?」
サイラスはゆっくりと、しかし確実に、私たちの方へと歩みを進める。その一歩一歩が、ジュリアスの命のカウントダウンのように思えた。

「や、やめろ! 来るな! こいつがどうなってもいいのか!」
錯乱したジュリアスは、私の首にナイフを突きつけた。冷たい刃の感触に、息が止まる。

しかし、サイラスは止まらなかった。その黒曜の瞳は、ジュリアスだけを捉え、微塵の揺らぎもない。
「脅しのつもりか? 貴様がその引き金を引くより早く、俺の弾丸が貴様の眉間を撃ち抜く。試してみるか?」
その圧倒的な気迫に、ジュリアスの手が震えた。ナイフが私の肌を僅かに切り裂き、血が滲む。

その瞬間、サイラスの纏う殺気が頂点に達した。
「――万死に値する」

銃声。
それは乾いた音だった。ジュリアスが持っていたナイフが、弾丸によって弾き飛ばされる。
そして、二発目。ジュリアスの右肩を撃ち抜いた弾丸が、彼の身体を壁に叩きつけた。
「ぎゃあああああっ!」

悲鳴を上げるジュリアスには目もくれず、サイラスは私の元へ駆け寄ると、巧みな手つきでロープを解いた。
「怪我は!」
「サイラス、さま……」
「血が……! オーレリア、私のオーレリアに傷を……!」
私の首筋の僅かな傷を見たサイラスは、わなわなと震え始めた。その瞳には、狂気と紙一重の怒りと、そして深い後悔の色が浮かんでいた。彼は私をきつく、壊れんばかりに抱きしめた。
「すまない……すまない、オーレリア……! 私が油断したせいで、君にこんな恐ろしい思いを……! 許してくれ……!」

彼の腕の中で、私は安堵からか、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「怖かった……でも、サイラス様が来てくれて……よかった……」
「ああ……もう二度と、君を危険な目には遭わせない。絶対にだ」

彼はそう誓うと、ゆっくりと私から身体を離し、蹲るジュリアスの方へ向き直った。
その背中からは、もはや何の感情も読み取れなかった。ただ、絶対的な支配者の冷酷さだけが漂っていた。
「さて、ボルジア。これから貴様には、地獄を味わってもらう。私の宝石を傷つけた罪が、どれほど重いものか、その身に刻み込んでやろう」

その後、ジュリアスがどうなったのか、私は知らない。ただ、ボルジア家が完全に社交界から、そしてこの国の経済界から姿を消したことだけを、後日ニュースで知った。

倉庫からの帰り道、車の中でサイラスはずっと私の手を握りしめていた。その手は、まだ微かに震えていた。
「オーレリア。……君に、話さなければならないことがある」
彼の真剣な声に、私は黙って頷いた。
彼がこれから語るであろう真実から、もう目を逸らしてはいけない。そう思ったからだ。
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