4 / 82
黒曜の瞳に囚われて
第四章:狂気の刃
しおりを挟む
ジュリアス・ボルジアの妨害は、陰湿かつ執拗だった。
サイラスに関する黒い噂――麻薬密売、武器商人、敵対組織の人間を消している、など――を新聞社にリークし、サイラス・ナイトシェードという存在を社会的に抹殺しようと試みた。しかし、サイラスの力はジュリアスの想像を遥かに超えていた。それらの記事は、世に出る前に全て握り潰された。
業を煮やしたジュリアスは、ついに実力行使に出た。
それは、私が一人で馴染みの書店に立ち寄った、その帰り道だった。いつもならついているはずのボディガードが、急な連絡で一時的に持ち場を離れた、ほんのわずかな隙を突かれた。
路地裏から現れた数人の男たちに、私は為す術もなく口を塞がれ、車に押し込まれた。
「――っ!」
抵抗しようにも、屈強な男たちの力には敵わない。薬を嗅がされ、私の意識は急速に遠のいていった。
次に目を覚ました時、私は薄暗い倉庫のような場所にいた。手足をロープで縛られ、口にはテープが貼られている。
「……目が覚めたか、オーレリア」
目の前に立っていたのは、狂的な光を目に宿したジュリアスだった。
「こんなことをして、ただで済むと思っているのですか!」
テープ越しにくぐもった声で叫ぶが、彼は愉快そうに笑うだけだった。
「ただで済むものか。俺は全てを失ったよ。お前とナイトシェードのせいでな! あいつ、俺の家の事業をことごとく潰しにかかったんだ。もはやボルジア家は没落寸前だ。……だが、お前さえいれば、俺はやり直せる」
彼の瞳は正気ではなかった。
「お前を、俺だけのものにする。誰にも渡さない。あのナイトシェードという男にも、二度と会わせない。ここで、ずっと二人で暮らすんだ」
言いながら、彼は恍惚とした表情で私の髪を撫でた。その指先の感触に、全身に鳥肌が立つ。
恐怖で心が凍りつきそうになった、その時。
倉庫の巨大な鉄の扉が、轟音と共に内側へと吹き飛んだ。
逆光の中に立っていたのは、夜よりも深い闇を纏った、怒れる魔王の如き形相のサイラス・ナイトシェードだった。彼の手には、鈍い光を放つ拳銃が握られていた。
「……ボルジア。貴様、私が何と言ったか忘れたか」
地を這うような低い声。それは、これまでに聞いたことのない、純粋な殺意に満ちていた。
「二度と彼女の前に現れるな、と。そして、彼女に指一本でも触れてみろ、と。……その時は、どうなるか、教えてやったはずだ」
ジュリアスの顔から血の気が引く。「ひっ……! な、なぜここが……」
「貴様ごときの行動など、全てお見通しだ。私の衛星が、24時間365日、彼女の居場所を追跡していることを知らなかったか?」
サイラスはゆっくりと、しかし確実に、私たちの方へと歩みを進める。その一歩一歩が、ジュリアスの命のカウントダウンのように思えた。
「や、やめろ! 来るな! こいつがどうなってもいいのか!」
錯乱したジュリアスは、私の首にナイフを突きつけた。冷たい刃の感触に、息が止まる。
しかし、サイラスは止まらなかった。その黒曜の瞳は、ジュリアスだけを捉え、微塵の揺らぎもない。
「脅しのつもりか? 貴様がその引き金を引くより早く、俺の弾丸が貴様の眉間を撃ち抜く。試してみるか?」
その圧倒的な気迫に、ジュリアスの手が震えた。ナイフが私の肌を僅かに切り裂き、血が滲む。
その瞬間、サイラスの纏う殺気が頂点に達した。
「――万死に値する」
銃声。
それは乾いた音だった。ジュリアスが持っていたナイフが、弾丸によって弾き飛ばされる。
そして、二発目。ジュリアスの右肩を撃ち抜いた弾丸が、彼の身体を壁に叩きつけた。
「ぎゃあああああっ!」
悲鳴を上げるジュリアスには目もくれず、サイラスは私の元へ駆け寄ると、巧みな手つきでロープを解いた。
「怪我は!」
「サイラス、さま……」
「血が……! オーレリア、私のオーレリアに傷を……!」
私の首筋の僅かな傷を見たサイラスは、わなわなと震え始めた。その瞳には、狂気と紙一重の怒りと、そして深い後悔の色が浮かんでいた。彼は私をきつく、壊れんばかりに抱きしめた。
「すまない……すまない、オーレリア……! 私が油断したせいで、君にこんな恐ろしい思いを……! 許してくれ……!」
彼の腕の中で、私は安堵からか、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「怖かった……でも、サイラス様が来てくれて……よかった……」
「ああ……もう二度と、君を危険な目には遭わせない。絶対にだ」
彼はそう誓うと、ゆっくりと私から身体を離し、蹲るジュリアスの方へ向き直った。
その背中からは、もはや何の感情も読み取れなかった。ただ、絶対的な支配者の冷酷さだけが漂っていた。
「さて、ボルジア。これから貴様には、地獄を味わってもらう。私の宝石を傷つけた罪が、どれほど重いものか、その身に刻み込んでやろう」
その後、ジュリアスがどうなったのか、私は知らない。ただ、ボルジア家が完全に社交界から、そしてこの国の経済界から姿を消したことだけを、後日ニュースで知った。
倉庫からの帰り道、車の中でサイラスはずっと私の手を握りしめていた。その手は、まだ微かに震えていた。
「オーレリア。……君に、話さなければならないことがある」
彼の真剣な声に、私は黙って頷いた。
彼がこれから語るであろう真実から、もう目を逸らしてはいけない。そう思ったからだ。
サイラスに関する黒い噂――麻薬密売、武器商人、敵対組織の人間を消している、など――を新聞社にリークし、サイラス・ナイトシェードという存在を社会的に抹殺しようと試みた。しかし、サイラスの力はジュリアスの想像を遥かに超えていた。それらの記事は、世に出る前に全て握り潰された。
業を煮やしたジュリアスは、ついに実力行使に出た。
それは、私が一人で馴染みの書店に立ち寄った、その帰り道だった。いつもならついているはずのボディガードが、急な連絡で一時的に持ち場を離れた、ほんのわずかな隙を突かれた。
路地裏から現れた数人の男たちに、私は為す術もなく口を塞がれ、車に押し込まれた。
「――っ!」
抵抗しようにも、屈強な男たちの力には敵わない。薬を嗅がされ、私の意識は急速に遠のいていった。
次に目を覚ました時、私は薄暗い倉庫のような場所にいた。手足をロープで縛られ、口にはテープが貼られている。
「……目が覚めたか、オーレリア」
目の前に立っていたのは、狂的な光を目に宿したジュリアスだった。
「こんなことをして、ただで済むと思っているのですか!」
テープ越しにくぐもった声で叫ぶが、彼は愉快そうに笑うだけだった。
「ただで済むものか。俺は全てを失ったよ。お前とナイトシェードのせいでな! あいつ、俺の家の事業をことごとく潰しにかかったんだ。もはやボルジア家は没落寸前だ。……だが、お前さえいれば、俺はやり直せる」
彼の瞳は正気ではなかった。
「お前を、俺だけのものにする。誰にも渡さない。あのナイトシェードという男にも、二度と会わせない。ここで、ずっと二人で暮らすんだ」
言いながら、彼は恍惚とした表情で私の髪を撫でた。その指先の感触に、全身に鳥肌が立つ。
恐怖で心が凍りつきそうになった、その時。
倉庫の巨大な鉄の扉が、轟音と共に内側へと吹き飛んだ。
逆光の中に立っていたのは、夜よりも深い闇を纏った、怒れる魔王の如き形相のサイラス・ナイトシェードだった。彼の手には、鈍い光を放つ拳銃が握られていた。
「……ボルジア。貴様、私が何と言ったか忘れたか」
地を這うような低い声。それは、これまでに聞いたことのない、純粋な殺意に満ちていた。
「二度と彼女の前に現れるな、と。そして、彼女に指一本でも触れてみろ、と。……その時は、どうなるか、教えてやったはずだ」
ジュリアスの顔から血の気が引く。「ひっ……! な、なぜここが……」
「貴様ごときの行動など、全てお見通しだ。私の衛星が、24時間365日、彼女の居場所を追跡していることを知らなかったか?」
サイラスはゆっくりと、しかし確実に、私たちの方へと歩みを進める。その一歩一歩が、ジュリアスの命のカウントダウンのように思えた。
「や、やめろ! 来るな! こいつがどうなってもいいのか!」
錯乱したジュリアスは、私の首にナイフを突きつけた。冷たい刃の感触に、息が止まる。
しかし、サイラスは止まらなかった。その黒曜の瞳は、ジュリアスだけを捉え、微塵の揺らぎもない。
「脅しのつもりか? 貴様がその引き金を引くより早く、俺の弾丸が貴様の眉間を撃ち抜く。試してみるか?」
その圧倒的な気迫に、ジュリアスの手が震えた。ナイフが私の肌を僅かに切り裂き、血が滲む。
その瞬間、サイラスの纏う殺気が頂点に達した。
「――万死に値する」
銃声。
それは乾いた音だった。ジュリアスが持っていたナイフが、弾丸によって弾き飛ばされる。
そして、二発目。ジュリアスの右肩を撃ち抜いた弾丸が、彼の身体を壁に叩きつけた。
「ぎゃあああああっ!」
悲鳴を上げるジュリアスには目もくれず、サイラスは私の元へ駆け寄ると、巧みな手つきでロープを解いた。
「怪我は!」
「サイラス、さま……」
「血が……! オーレリア、私のオーレリアに傷を……!」
私の首筋の僅かな傷を見たサイラスは、わなわなと震え始めた。その瞳には、狂気と紙一重の怒りと、そして深い後悔の色が浮かんでいた。彼は私をきつく、壊れんばかりに抱きしめた。
「すまない……すまない、オーレリア……! 私が油断したせいで、君にこんな恐ろしい思いを……! 許してくれ……!」
彼の腕の中で、私は安堵からか、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「怖かった……でも、サイラス様が来てくれて……よかった……」
「ああ……もう二度と、君を危険な目には遭わせない。絶対にだ」
彼はそう誓うと、ゆっくりと私から身体を離し、蹲るジュリアスの方へ向き直った。
その背中からは、もはや何の感情も読み取れなかった。ただ、絶対的な支配者の冷酷さだけが漂っていた。
「さて、ボルジア。これから貴様には、地獄を味わってもらう。私の宝石を傷つけた罪が、どれほど重いものか、その身に刻み込んでやろう」
その後、ジュリアスがどうなったのか、私は知らない。ただ、ボルジア家が完全に社交界から、そしてこの国の経済界から姿を消したことだけを、後日ニュースで知った。
倉庫からの帰り道、車の中でサイラスはずっと私の手を握りしめていた。その手は、まだ微かに震えていた。
「オーレリア。……君に、話さなければならないことがある」
彼の真剣な声に、私は黙って頷いた。
彼がこれから語るであろう真実から、もう目を逸らしてはいけない。そう思ったからだ。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
彼女の離縁とその波紋
豆狸
恋愛
夫にとって魅力的なのは、今も昔も恋人のあの女性なのでしょう。こうして私が悩んでいる間もふたりは楽しく笑い合っているのかと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。
※子どもに関するセンシティブな内容があります。
夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました
香木陽灯
恋愛
伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。
これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。
実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。
「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」
「自由……」
もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。
ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。
再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。
ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。
一方の元夫は、財政難に陥っていた。
「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」
元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。
「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」
※ふんわり設定です
寵愛の花嫁は毒を愛でる~いじわる義母の陰謀を華麗にスルーして、最愛の公爵様と幸せになります~
紅葉山参
恋愛
アエナは貧しい子爵家から、国の英雄と名高いルーカス公爵の元へと嫁いだ。彼との政略結婚は、彼の底なしの優しさと、情熱的な寵愛によって、アエナにとってかけがえのない幸福となった。しかし、その幸福を妬み、毎日のように粘着質ないじめを繰り返す者が一人、それは夫の継母であるユーカ夫人である。
「たかが子爵の娘が、公爵家の奥様面など」 ユーカ様はそう言って、私に次から次へと理不尽な嫌がらせを仕掛けてくる。大切な食器を隠したり、ルーカス様に嘘の告げ口をしたり、社交界で恥をかかせようとしたり。
だが、私は決して挫けない。愛する公爵様との穏やかな日々を守るため、そして何より、彼が大切な家族と信じているユーカ様を悲しませないためにも、私はこの毒を静かに受け流すことに決めたのだ。
誰も気づかないほど巧妙に、いじめを優雅にスルーするアエナ。公爵であるあなたに心配をかけまいと、彼女は今日も微笑みを絶やさない。しかし、毒は徐々に、確実に、その濃度を増していく。ついに義母は、アエナの命に関わるような、取り返しのつかない大罪に手を染めてしまう。
愛と策略、そして運命の結末。この溺愛系ヒロインが、華麗なるスルー術で、最愛の公爵様との未来を掴み取る、痛快でロマンティックな物語の幕開けです。
あなたのことなんて、もうどうでもいいです
もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。
元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
婚約者の幼馴染って、つまりは赤の他人でしょう?そんなにその人が大切なら、自分のお金で養えよ。貴方との婚約、破棄してあげるから、他
猿喰 森繁
恋愛
完結した短編まとめました。
大体1万文字以内なので、空いた時間に気楽に読んでもらえると嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる