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銀の瞳の辺境伯は、捨てられた薬師令嬢を離さない
第四章:過去の影と決意
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カイエン様の「必要経費」によって建てられた巨大な温室は、瞬く間に完成した。ガラス張りの天井から陽光が降り注ぎ、珍しい薬草たちが生き生きと育っている。そこは、わたくしにとって楽園のような場所だった。
カイエン様との穏やかな日々。それは、婚約破棄によって負った心の傷を、ゆっくりと癒してくれた。失っていた自信と笑顔が、自然と戻ってくるのを感じていた。
そんなある日、一人の来訪者が、その平穏を打ち破った。
元婚約者の、ジュリアン・ド・ヴァロワだった。
「セレスティン!会いたかった!」
応接室で対面するなり、ジュリアンは悲痛な表情でわたくしの手を取ろうとした。わたくしは、さっと身を引いてそれを拒む。
「……ヴァロワ公爵子息。どのようなご用件でしょうか」
「そんな他人行儀な呼び方はやめてくれ!俺が悪かった。どうか、俺を許してほしい」
彼は、まるで悲劇のヒーローのように、自らの過ちを語り始めた。イザベラは金目当ての悪女で、自分は騙されていただけなのだと。そして、本当に愛していたのは、セレスティン、君だけだったのだと。
あまりの身勝手さに、呆れて言葉も出ない。
「君が、あの冷酷なヴェインベルク辺境伯に囚われていると聞いて、居ても立ってもいられなかったんだ。彼は危険な男だ。きっと、君の家の財産か何かを狙って、君を利用しているに違いない。さあ、俺のところへ戻ってくるんだ、セレスティン!」
その時だった。
応接室の扉が、乱暴に開け放たれた。
「俺の薬師に、何のようだ」
地を這うような低い声。立っていたのは、冷たい怒りをその銀の瞳に宿した、カイエン様だった。
「ヴェインベルク辺境伯……!」
「貴様のような男が、セレスティンに気安く触れるな。……失せろ。二度と、彼女の前に現れるな」
カイエン様から放たれる凄まじい威圧感に、ジュリアンは顔を引きつらせた。それでも、彼は最後の悪あがきのように叫んだ。
「セレスティン!目を覚ませ!そんな男のそばにいて、幸せになれるはずがない!」
「幸せですわ」
わたくしは、はっきりと告げた。カイエン様の隣に、一歩近づいて。
「今のわたくしは、とても幸せです。あなたのいる場所に、わたくしの幸せはありません。ですから、もう二度と、ここへはいらっしゃらないでください」
毅然としたわたくしの態度に、ジュリアンはついに諦めたのか、悔しげな顔で部屋を飛び出していった。
嵐が去った応接室に、沈黙が落ちる。
「……カイエン様、ありがとうございます」
「…………」
カイエン様は、何も答えなかった。ただ、じっとわたくしを見つめている。その銀の瞳は、今まで見たことがないほど、暗く揺れていた。まるで、何かを恐れるかのように。
その夜から、カイエン様の態度が、よそよそしくなった。
わたくしを避けるように、自室に籠もることが増えた。話しかけても、短い返事しか返ってこない。彼が淹れてくれる甘いハーブティーも、もう運ばれてはこなかった。
何がいけなかったのだろう。
ジュリアンと会ったから?彼にまだ未練があるとでも思われたのだろうか。
胸がずきりと痛む。彼に嫌われたのかもしれない、という不安が、心を蝕んでいく。
数日後、どうしても耐えきれなくなったわたくしは、彼の執務室の扉を叩いた。
「カイエン様、セレスティンです。少し、お話が……」
「……入れ」
部屋の中は、薄暗かった。彼は窓の外を眺めたまま、こちらを振り向こうともしない。
「カイエン様、なぜ、わたくしを避けるのですか?もし、わたくしが何か気に障ることをしたのでしたら、謝ります。ですから……」
「お前は悪くない」
彼の声は、ひどく掠れていた。
「……俺の問題だ」
「あなたの問題を、わたくしにも教えてはいただけませんか?わたくしは、あなたの薬師です。あなたの心の痛みも、癒せる薬を作りたいのです」
その言葉に、彼の肩が、ぴくりと震えた。
彼はゆっくりとこちらを振り返った。その顔は、ひどく苦しげに歪んでいた。
「……昔、信じていた部下に裏切られたことがある。全てを奪われ、殺されかけた。それ以来、誰も信じないと決めていた。……だが、お前は、俺の決意を揺るがす」
彼の銀の瞳が、悲しげに揺れる。
「お前を見ていると、欲が出る。手放したくなくなる。……だが、いつかお前も、俺の元から去っていくのだろう?ジュリアンのように、もっとお前にふさわしい男が現れれば……」
「去りません!」
わたくしは、彼の言葉を遮るように叫んでいた。
彼の前に歩み寄り、その大きな体を、震える腕で抱きしめた。
「わたくしは、どこへも行きません。あなたのそばにいたいです。あなたのその痛みも、過去も、全部まとめて、わたくしが受け止めます。だから……だから、わたくしを突き放さないで」
涙が、後から後から溢れてくる。
ジュリアンに捨てられた時でさえ流れなかった涙が、今、この人のために流れていた。
抱きしめた彼の体が、硬直しているのが分かった。
やがて、大きなため息と共に、彼の逞しい腕が、わたくしの背中に回された。壊れ物を扱うかのように、優しく、そして力強く。
「……お前は、本当に、馬鹿な女だ」
耳元で囁かれた声は、甘く、震えていた。
「俺のような男のそばにいたいなどと。……もう、離してやれんぞ。たとえお前が逃げようとしても、世界の果てまで追いかけて、捕まえてやる」
「逃げません」
「……ああ、分かっている」
顔を上げると、銀の瞳が、熱を帯びてわたくしを見下ろしていた。
そして、彼の唇が、ゆっくりとわたくしの唇に重なった。
それは、彼が淹れてくれるハーブティーよりも、ずっと甘く、優しいキスだった。
カイエン様との穏やかな日々。それは、婚約破棄によって負った心の傷を、ゆっくりと癒してくれた。失っていた自信と笑顔が、自然と戻ってくるのを感じていた。
そんなある日、一人の来訪者が、その平穏を打ち破った。
元婚約者の、ジュリアン・ド・ヴァロワだった。
「セレスティン!会いたかった!」
応接室で対面するなり、ジュリアンは悲痛な表情でわたくしの手を取ろうとした。わたくしは、さっと身を引いてそれを拒む。
「……ヴァロワ公爵子息。どのようなご用件でしょうか」
「そんな他人行儀な呼び方はやめてくれ!俺が悪かった。どうか、俺を許してほしい」
彼は、まるで悲劇のヒーローのように、自らの過ちを語り始めた。イザベラは金目当ての悪女で、自分は騙されていただけなのだと。そして、本当に愛していたのは、セレスティン、君だけだったのだと。
あまりの身勝手さに、呆れて言葉も出ない。
「君が、あの冷酷なヴェインベルク辺境伯に囚われていると聞いて、居ても立ってもいられなかったんだ。彼は危険な男だ。きっと、君の家の財産か何かを狙って、君を利用しているに違いない。さあ、俺のところへ戻ってくるんだ、セレスティン!」
その時だった。
応接室の扉が、乱暴に開け放たれた。
「俺の薬師に、何のようだ」
地を這うような低い声。立っていたのは、冷たい怒りをその銀の瞳に宿した、カイエン様だった。
「ヴェインベルク辺境伯……!」
「貴様のような男が、セレスティンに気安く触れるな。……失せろ。二度と、彼女の前に現れるな」
カイエン様から放たれる凄まじい威圧感に、ジュリアンは顔を引きつらせた。それでも、彼は最後の悪あがきのように叫んだ。
「セレスティン!目を覚ませ!そんな男のそばにいて、幸せになれるはずがない!」
「幸せですわ」
わたくしは、はっきりと告げた。カイエン様の隣に、一歩近づいて。
「今のわたくしは、とても幸せです。あなたのいる場所に、わたくしの幸せはありません。ですから、もう二度と、ここへはいらっしゃらないでください」
毅然としたわたくしの態度に、ジュリアンはついに諦めたのか、悔しげな顔で部屋を飛び出していった。
嵐が去った応接室に、沈黙が落ちる。
「……カイエン様、ありがとうございます」
「…………」
カイエン様は、何も答えなかった。ただ、じっとわたくしを見つめている。その銀の瞳は、今まで見たことがないほど、暗く揺れていた。まるで、何かを恐れるかのように。
その夜から、カイエン様の態度が、よそよそしくなった。
わたくしを避けるように、自室に籠もることが増えた。話しかけても、短い返事しか返ってこない。彼が淹れてくれる甘いハーブティーも、もう運ばれてはこなかった。
何がいけなかったのだろう。
ジュリアンと会ったから?彼にまだ未練があるとでも思われたのだろうか。
胸がずきりと痛む。彼に嫌われたのかもしれない、という不安が、心を蝕んでいく。
数日後、どうしても耐えきれなくなったわたくしは、彼の執務室の扉を叩いた。
「カイエン様、セレスティンです。少し、お話が……」
「……入れ」
部屋の中は、薄暗かった。彼は窓の外を眺めたまま、こちらを振り向こうともしない。
「カイエン様、なぜ、わたくしを避けるのですか?もし、わたくしが何か気に障ることをしたのでしたら、謝ります。ですから……」
「お前は悪くない」
彼の声は、ひどく掠れていた。
「……俺の問題だ」
「あなたの問題を、わたくしにも教えてはいただけませんか?わたくしは、あなたの薬師です。あなたの心の痛みも、癒せる薬を作りたいのです」
その言葉に、彼の肩が、ぴくりと震えた。
彼はゆっくりとこちらを振り返った。その顔は、ひどく苦しげに歪んでいた。
「……昔、信じていた部下に裏切られたことがある。全てを奪われ、殺されかけた。それ以来、誰も信じないと決めていた。……だが、お前は、俺の決意を揺るがす」
彼の銀の瞳が、悲しげに揺れる。
「お前を見ていると、欲が出る。手放したくなくなる。……だが、いつかお前も、俺の元から去っていくのだろう?ジュリアンのように、もっとお前にふさわしい男が現れれば……」
「去りません!」
わたくしは、彼の言葉を遮るように叫んでいた。
彼の前に歩み寄り、その大きな体を、震える腕で抱きしめた。
「わたくしは、どこへも行きません。あなたのそばにいたいです。あなたのその痛みも、過去も、全部まとめて、わたくしが受け止めます。だから……だから、わたくしを突き放さないで」
涙が、後から後から溢れてくる。
ジュリアンに捨てられた時でさえ流れなかった涙が、今、この人のために流れていた。
抱きしめた彼の体が、硬直しているのが分かった。
やがて、大きなため息と共に、彼の逞しい腕が、わたくしの背中に回された。壊れ物を扱うかのように、優しく、そして力強く。
「……お前は、本当に、馬鹿な女だ」
耳元で囁かれた声は、甘く、震えていた。
「俺のような男のそばにいたいなどと。……もう、離してやれんぞ。たとえお前が逃げようとしても、世界の果てまで追いかけて、捕まえてやる」
「逃げません」
「……ああ、分かっている」
顔を上げると、銀の瞳が、熱を帯びてわたくしを見下ろしていた。
そして、彼の唇が、ゆっくりとわたくしの唇に重なった。
それは、彼が淹れてくれるハーブティーよりも、ずっと甘く、優しいキスだった。
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