17 / 82
瑠璃色の瞳に誓う、永遠の愛を
第三章:後悔の影、王子の真実
しおりを挟む
リリアンナが穏やかな日々を取り戻しつつある頃、王都ではセバスティアンが焦燥に駆られていた。
イザベラとの婚約は、彼の人生に輝きをもたらすはずだった。彼女の華やかさ、社交界での立ち回りの上手さは、確かに彼の野心を満たすものに見えた。しかし、共に過ごす時間が増えるにつれ、彼はイザベラの浅はかさと強欲さに気づき始めていた。
彼女が求めるのは、高価なドレスや宝石、そして公爵夫人という地位だけ。セバスティアンが政治や経済の話をしても欠伸を噛み殺し、彼が本当に大切にしている古い書物の価値を理解しようともしない。
ふと、彼の脳裏にリリアンナの姿が浮かぶ。いつも静かに彼の話を聴き、的確な意見を述べた彼女。彼の書斎にある難解な歴史書を、彼よりも深く読み込んでいた知性。彼女が入れる紅茶の、絶妙な香り。
失って初めて、自分がどれほど大きなものを手放してしまったのかを、セバスティアンは痛感していた。彼女の存在は、まるで空気のように当たり前で、そして不可欠なものだったのだ。あれは愛ではなかったかもしれない。だが、安らぎと信頼に満ちた、かけがえのない時間だった。
「リリアンナに会わなければならない」
衝動に駆られたセバスティアンは、誰にも告げずにクラインフェルト領へと馬を走らせた。
彼がリリアンナの屋敷を訪れた時、彼女は庭でカイと楽しそうに笑い合っていた。その光景は、セバスティアンの胸に鋭い痛みを走らせた。彼が一度も引き出すことのできなかった、心からの笑顔。それを、あんな素性の知れぬ男が、いとも簡単に……。
「リリアンナ!」
セバスティアンの声に、リリアнナは驚いて振り返った。その顔には、喜びではなく、明らかな困惑と警戒の色が浮かんでいた。
「セバスティアン様……どうして、こちらに?」
「君に会いに来た。話がある」
セバスティアンは、カイを睨みつけながら言った。カイは何も言わず、ただ静かにリリアンナの隣に立ち、彼女を守るようにその背に手を添えた。その些細な仕草が、セバスティアンの嫉妬の炎に油を注いだ。
「君は誰だ。平民が軽々しく伯爵令嬢に触れるな」
「俺はカイエン。彼女の友人だ」
カイは落ち着き払った声で答えた。その動じない態度に、セバスティアンはますます苛立ちを募らせる。
「リアナ、二人だけで話がしたい」
「……お断りしますわ。私にはもう、あなたと話すことなどございません」
リリアンナのきっぱりとした拒絶に、セバスティアンは愕然とした。いつも彼の言うことを従順に聞いていた彼女は、もうどこにもいなかった。
「頼む、リアナ! 私は間違っていた。君がいなければ駄目なんだ。君の大切さに、ようやく気づいた。どうか、私とやり直してはくれないだろうか」
彼はプライドを捨てて懇願した。しかし、リリアンナの瑠璃色の瞳は、冷ややかに彼を見つめるだけだった。
「あなたが気づいたのは、私の大切さではありませんわ。あなたの思い通りになる便利な女がいなくなった、その不便さに気づいただけでしょう」
その時、カイが静かに口を挟んだ。
「彼女をこれ以上傷つけるのはやめてもらおうか。君に、その資格はない」
「黙れ、平民が! お前のような男に、彼女の何が分かる!」
激昂したセバスティアンは、カイの胸ぐらを掴もうとした。その瞬間、カイが身につけていたペンダントが、彼のシャツの襟元からこぼれ落ちた。
それを見たセバスティアンは、息をのんで凍りついた。
そのペンダントは、隣国アストリアの王家の紋章――『双頭の獅子』が刻まれた、特別な意匠のものだった。そして、それはアストリアの王位継承権を持つ者だけが身につけることを許される、証だった。
「お、前は……まさか……アストリアの……」
セバスティアンの声が震える。アストリアには、数年前に忽然と姿を消した王弟がいたはずだ。堅苦しい宮廷を嫌い、自由を求めて国を飛び出したと噂されていた、風変わりな王子。
カイ――いや、カイエン・レグルス・アストリア王子は、静かにペンダントをシャツの中に戻すと、セバスティアンを真っ直ぐに見据えた。
「俺の正体が何であろうと、リリアンナを愛する気持ちに変わりはない。だが、君は違うだろう、ヴァルツブルク公爵子息。君は、俺が王子だと知った今、別の理由で彼女を取り戻したいと思ったのではないか?」
図星を突かれ、セバスティアンは言葉に詰まった。もしリリアンナが隣国の王子の寵愛を得ているのなら、彼女を取り戻すことはヴァルツブルク家にとって計り知れない利益となる。彼の心に、そんな醜い計算が働いたことを、カイは見抜いていた。
リリアンナもまた、カイの正体に驚き、目を見開いていた。旅の絵描きだと思っていた愛する人が、実は一国の王子だったなんて。
しかし、彼女の心は揺らがなかった。彼が王子であろうと平民であろうと、彼が自分を救ってくれた優しいカイであることに変わりはない。彼女が愛したのは、彼の身分ではなく、彼の魂そのものだったからだ。
イザベラとの婚約は、彼の人生に輝きをもたらすはずだった。彼女の華やかさ、社交界での立ち回りの上手さは、確かに彼の野心を満たすものに見えた。しかし、共に過ごす時間が増えるにつれ、彼はイザベラの浅はかさと強欲さに気づき始めていた。
彼女が求めるのは、高価なドレスや宝石、そして公爵夫人という地位だけ。セバスティアンが政治や経済の話をしても欠伸を噛み殺し、彼が本当に大切にしている古い書物の価値を理解しようともしない。
ふと、彼の脳裏にリリアンナの姿が浮かぶ。いつも静かに彼の話を聴き、的確な意見を述べた彼女。彼の書斎にある難解な歴史書を、彼よりも深く読み込んでいた知性。彼女が入れる紅茶の、絶妙な香り。
失って初めて、自分がどれほど大きなものを手放してしまったのかを、セバスティアンは痛感していた。彼女の存在は、まるで空気のように当たり前で、そして不可欠なものだったのだ。あれは愛ではなかったかもしれない。だが、安らぎと信頼に満ちた、かけがえのない時間だった。
「リリアンナに会わなければならない」
衝動に駆られたセバスティアンは、誰にも告げずにクラインフェルト領へと馬を走らせた。
彼がリリアンナの屋敷を訪れた時、彼女は庭でカイと楽しそうに笑い合っていた。その光景は、セバスティアンの胸に鋭い痛みを走らせた。彼が一度も引き出すことのできなかった、心からの笑顔。それを、あんな素性の知れぬ男が、いとも簡単に……。
「リリアンナ!」
セバスティアンの声に、リリアнナは驚いて振り返った。その顔には、喜びではなく、明らかな困惑と警戒の色が浮かんでいた。
「セバスティアン様……どうして、こちらに?」
「君に会いに来た。話がある」
セバスティアンは、カイを睨みつけながら言った。カイは何も言わず、ただ静かにリリアンナの隣に立ち、彼女を守るようにその背に手を添えた。その些細な仕草が、セバスティアンの嫉妬の炎に油を注いだ。
「君は誰だ。平民が軽々しく伯爵令嬢に触れるな」
「俺はカイエン。彼女の友人だ」
カイは落ち着き払った声で答えた。その動じない態度に、セバスティアンはますます苛立ちを募らせる。
「リアナ、二人だけで話がしたい」
「……お断りしますわ。私にはもう、あなたと話すことなどございません」
リリアンナのきっぱりとした拒絶に、セバスティアンは愕然とした。いつも彼の言うことを従順に聞いていた彼女は、もうどこにもいなかった。
「頼む、リアナ! 私は間違っていた。君がいなければ駄目なんだ。君の大切さに、ようやく気づいた。どうか、私とやり直してはくれないだろうか」
彼はプライドを捨てて懇願した。しかし、リリアンナの瑠璃色の瞳は、冷ややかに彼を見つめるだけだった。
「あなたが気づいたのは、私の大切さではありませんわ。あなたの思い通りになる便利な女がいなくなった、その不便さに気づいただけでしょう」
その時、カイが静かに口を挟んだ。
「彼女をこれ以上傷つけるのはやめてもらおうか。君に、その資格はない」
「黙れ、平民が! お前のような男に、彼女の何が分かる!」
激昂したセバスティアンは、カイの胸ぐらを掴もうとした。その瞬間、カイが身につけていたペンダントが、彼のシャツの襟元からこぼれ落ちた。
それを見たセバスティアンは、息をのんで凍りついた。
そのペンダントは、隣国アストリアの王家の紋章――『双頭の獅子』が刻まれた、特別な意匠のものだった。そして、それはアストリアの王位継承権を持つ者だけが身につけることを許される、証だった。
「お、前は……まさか……アストリアの……」
セバスティアンの声が震える。アストリアには、数年前に忽然と姿を消した王弟がいたはずだ。堅苦しい宮廷を嫌い、自由を求めて国を飛び出したと噂されていた、風変わりな王子。
カイ――いや、カイエン・レグルス・アストリア王子は、静かにペンダントをシャツの中に戻すと、セバスティアンを真っ直ぐに見据えた。
「俺の正体が何であろうと、リリアンナを愛する気持ちに変わりはない。だが、君は違うだろう、ヴァルツブルク公爵子息。君は、俺が王子だと知った今、別の理由で彼女を取り戻したいと思ったのではないか?」
図星を突かれ、セバスティアンは言葉に詰まった。もしリリアンナが隣国の王子の寵愛を得ているのなら、彼女を取り戻すことはヴァルツブルク家にとって計り知れない利益となる。彼の心に、そんな醜い計算が働いたことを、カイは見抜いていた。
リリアンナもまた、カイの正体に驚き、目を見開いていた。旅の絵描きだと思っていた愛する人が、実は一国の王子だったなんて。
しかし、彼女の心は揺らがなかった。彼が王子であろうと平民であろうと、彼が自分を救ってくれた優しいカイであることに変わりはない。彼女が愛したのは、彼の身分ではなく、彼の魂そのものだったからだ。
0
あなたにおすすめの小説
悪意には悪意で
12時のトキノカネ
恋愛
私の不幸はあの女の所為?今まで穏やかだった日常。それを壊す自称ヒロイン女。そしてそのいかれた女に悪役令嬢に指定されたミリ。ありがちな悪役令嬢ものです。
私を悪意を持って貶めようとするならば、私もあなたに同じ悪意を向けましょう。
ぶち切れ気味の公爵令嬢の一幕です。
短編 お前なんか一生結婚できないって笑ってたくせに、私が王太子妃になったら泣き出すのはどういうこと?
ヨルノソラ
恋愛
「お前なんか、一生結婚できない」
そう笑ってた幼馴染、今どんな気持ち?
――私、王太子殿下の婚約者になりましたけど?
地味で冴えない伯爵令嬢エリナは、幼い頃からずっと幼馴染のカイルに「お前に嫁の貰い手なんていない」とからかわれてきた。
けれどある日、王都で開かれた舞踏会で、偶然王太子殿下と出会い――そして、求婚された。
はじめは噂だと笑っていたカイルも、正式な婚約発表を前に動揺を隠せない。
ついには「お前に王太子妃なんて務まるわけがない」と暴言を吐くが、王太子殿下がきっぱりと言い返す。
「見る目がないのは君のほうだ」
「私の婚約者を侮辱するのなら、貴族であろうと容赦はしない」
格の違いを見せつけられ、崩れ落ちるカイル。
そんな姿を、もう私は振り返らない。
――これは、ずっと見下されていた令嬢が、運命の人に見初められる物語。
見捨ててくれてありがとうございます。あとはご勝手に。
阿里
恋愛
「君のような女は俺の格を下げる」――そう言って、侯爵家嫡男の婚約者は、わたしを社交界で公然と捨てた。
選んだのは、華やかで高慢な伯爵令嬢。
涙に暮れるわたしを慰めてくれたのは、王国最強の騎士団副団長だった。
彼に守られ、真実の愛を知ったとき、地味で陰気だったわたしは、もういなかった。
やがて、彼は新妻の悪行によって失脚。復縁を求めて縋りつく元婚約者に、わたしは冷たく告げる。
勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
子爵家の私は自分よりも身分の高い婚約者に、いつもいいように顎でこき使われていた。ある日、突然婚約者に呼び出されて一方的に婚約破棄を告げられてしまう。二人の婚約は家同士が決めたこと。当然受け入れられるはずもないので拒絶すると「婚約破棄は絶対する。後のことなどしるものか。お前の方で勝手にしろ」と言い切られてしまう。
いいでしょう……そこまで言うのなら、勝手にさせていただきます。
ただし、後のことはどうなっても知りませんよ?
* 他サイトでも投稿
* ショートショートです。あっさり終わります
今さら遅いと言われる側になったのは、あなたです
阿里
恋愛
夜会で婚約破棄された私は、すべてを失った――はずだった。
けれど、人生は思いもよらない方向へ転がる。
助けた騎士は、王の右腕。
見下されてきた私の中にある価値を、彼だけが見抜いた。
王城で評価され、居場所を得ていく私。
その頃、私を捨てた元婚約者は、転落の一途をたどる。
「間違いだった」と言われても、もう心は揺れない。
選ばれるのを待つ時代は、終わった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる