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夜陰の皇帝に娶られた荊姫
第三章:芽生える想いと迫る影
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月影宮での日々は、夢のように穏やかに過ぎていった。
陛下――カシアン様は、政務の合間を縫っては私を訪ね、時には共に庭園を散策し、時には書斎で静かな時間を共有した。彼の溺愛は、留まるところを知らなかった。
ある日、私が故郷の花である白詰草が好きだと何気なく話すと、数日後には月影宮の中庭一面が、白詰草の絨毯で埋め尽くされていた。
「どうだ? 気に入ったか?」
得意げに笑う彼の顔を見て、私は嬉しさと驚きで言葉を失った。
「こんな…どうやって…」
「私の権力を使えば、造作もないことだ」
彼はそう言って、私の髪にそっと白詰草の冠を乗せた。
「お前が笑うと、世界が輝いて見える」
その囁きに、私の頬が熱くなるのを感じた。
私は、ただ与えられるばかりではいたくなかった。この優しい皇帝陛下の力になりたい。その一心で、私は皇室図書館に通い詰め、帝国の歴史や法律を学んだ。
そして、ある日、帝国が長年抱える北方の少数民族との対立問題に関する古い文献を見つけ出した。そこには、忘れ去られていた彼らとの友好の証である条約と、独自の文化を尊重するという過去の皇帝の誓いが記されていた。
私はその文献を携え、カシアン様の執務室を訪れた。
「陛下、お時間をいただけますでしょうか」
「セラフィナか。どうした?」
山のような書類に埋もれていた彼は、私の姿を認めると、すぐに顔を上げた。
私が文献の内容を説明すると、彼の赤い瞳が驚きに見開かれた。
「これは…! こんな記録が残っていたとは…!」
彼は食い入るように文献を読み込み、やがて深く頷いた。
「セラフィナ、感謝する。これがあれば、無益な争いを終わらせることができるかもしれん」
「お役に立てたのなら、嬉しいです」
その夜、カシアン様は祝杯をあげようと、私を彼の私室に招いた。
二人きりでワインを酌み交わしながら、彼はぽつりぽつりと、自らの過去を語り始めた。皇位を巡る骨肉の争い、信じていた者からの裏切り、皇帝という地位の孤独。冷徹な仮面の下に隠された彼の痛みを知るたびに、私の胸は締め付けられた。
「私はずっと、誰も信じずに生きてきた。だが、お前は違う。お前だけは、信じられる」
カシアン様は、私の手をそっと握った。
「セラフィナ。私のそばに、ずっといてくれるか?」
その問いは、命令ではない。懇願だった。大陸最強の皇帝が、一人の女に、縋るように求めている。
「はい。喜んで」
私は、握られた手に力を込めて応えた。もう、この人のそばを離れることなど考えられなかった。私の居場所は、ここにある。
そんな穏やかな日々に、不穏な影が差し始めたのは、それから間もなくのことだった。
私の故郷、アスター王国から使節団が訪れたのだ。そして、その代表は――ゼフィランサス・アスター、その人だった。
公式の謁見の場で、カシアン様の隣に立つ私を見たゼフィランサスは、信じられないというように目を見開いた。その顔には、嫉妬と焦燥、そして後悔の色がはっきりと浮かんでいた。
聞けば、イソベラとの『真実の愛』は早々に破綻したらしい。彼女の底なしの浪費とわがままに耐えかねたゼフィランサスは、彼女を実家に追い返したという。そして、私がナイトレイヴン帝国の皇帝に寵愛されているという噂を耳にし、慌ててやってきたのだ。
謁見の後、ゼフィランサスは手段を尽くして私に接触してきた。
「セラフィナ! 頼む、私と王国へ帰ってくれ!」
月影宮の庭園で、彼は私の前に跪き、見苦しくもそう懇願した。
「私が間違っていた! 君こそが、私にとって必要な女性だったんだ! あの男に騙されているんだろう? 血塗れの皇帝だぞ! いつ殺されるか分からない!」
「おやめください、ゼフィランサス様」
私は冷ややかに彼を見下ろした。
「陛下は、貴方様のような方ではございません。あの方は、私が今まで出会った誰よりも、優しく、誠実な方です」
「なっ…! 君は、あの男に誑かされているんだ!」
「誑かされているのは、どちらでしょう。貴方様は、ご自分が手放したものの価値に、今更お気づきになっただけ。ですが、もう遅いのです」
私はきっぱりと告げた。
「わたくしには今、心から大切にしてくださる方がいます。わたくしの幸福は、このナイトレイヴン帝国にございます」
「――その通りだ」
背後から聞こえた声に、ゼフィランサスがびくりと肩を震わせた。
振り返るまでもない。カシアン様だった。彼は静かな怒りをその赤い瞳に宿し、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「私の女に、気安く触れるな。下賤の輩が」
カシアン様は私の肩を抱き寄せ、その腕の中に庇うように抱きしめた。その胸は固く、そして驚くほど心安らぐ場所だった。
「彼女は、お前が捨てた女だ。そして、私が拾った。今や、彼女は私の唯一無二の至宝。指一本でも触れてみろ。貴様の国ごと、地上から消し去ってやってもいいのだぞ?」
その声は静かだったが、絶対的な王者の威厳に満ちていた。ゼフィランサスは顔面を蒼白にさせ、腰を抜かしたようにその場にへたり込んだ。
陛下――カシアン様は、政務の合間を縫っては私を訪ね、時には共に庭園を散策し、時には書斎で静かな時間を共有した。彼の溺愛は、留まるところを知らなかった。
ある日、私が故郷の花である白詰草が好きだと何気なく話すと、数日後には月影宮の中庭一面が、白詰草の絨毯で埋め尽くされていた。
「どうだ? 気に入ったか?」
得意げに笑う彼の顔を見て、私は嬉しさと驚きで言葉を失った。
「こんな…どうやって…」
「私の権力を使えば、造作もないことだ」
彼はそう言って、私の髪にそっと白詰草の冠を乗せた。
「お前が笑うと、世界が輝いて見える」
その囁きに、私の頬が熱くなるのを感じた。
私は、ただ与えられるばかりではいたくなかった。この優しい皇帝陛下の力になりたい。その一心で、私は皇室図書館に通い詰め、帝国の歴史や法律を学んだ。
そして、ある日、帝国が長年抱える北方の少数民族との対立問題に関する古い文献を見つけ出した。そこには、忘れ去られていた彼らとの友好の証である条約と、独自の文化を尊重するという過去の皇帝の誓いが記されていた。
私はその文献を携え、カシアン様の執務室を訪れた。
「陛下、お時間をいただけますでしょうか」
「セラフィナか。どうした?」
山のような書類に埋もれていた彼は、私の姿を認めると、すぐに顔を上げた。
私が文献の内容を説明すると、彼の赤い瞳が驚きに見開かれた。
「これは…! こんな記録が残っていたとは…!」
彼は食い入るように文献を読み込み、やがて深く頷いた。
「セラフィナ、感謝する。これがあれば、無益な争いを終わらせることができるかもしれん」
「お役に立てたのなら、嬉しいです」
その夜、カシアン様は祝杯をあげようと、私を彼の私室に招いた。
二人きりでワインを酌み交わしながら、彼はぽつりぽつりと、自らの過去を語り始めた。皇位を巡る骨肉の争い、信じていた者からの裏切り、皇帝という地位の孤独。冷徹な仮面の下に隠された彼の痛みを知るたびに、私の胸は締め付けられた。
「私はずっと、誰も信じずに生きてきた。だが、お前は違う。お前だけは、信じられる」
カシアン様は、私の手をそっと握った。
「セラフィナ。私のそばに、ずっといてくれるか?」
その問いは、命令ではない。懇願だった。大陸最強の皇帝が、一人の女に、縋るように求めている。
「はい。喜んで」
私は、握られた手に力を込めて応えた。もう、この人のそばを離れることなど考えられなかった。私の居場所は、ここにある。
そんな穏やかな日々に、不穏な影が差し始めたのは、それから間もなくのことだった。
私の故郷、アスター王国から使節団が訪れたのだ。そして、その代表は――ゼフィランサス・アスター、その人だった。
公式の謁見の場で、カシアン様の隣に立つ私を見たゼフィランサスは、信じられないというように目を見開いた。その顔には、嫉妬と焦燥、そして後悔の色がはっきりと浮かんでいた。
聞けば、イソベラとの『真実の愛』は早々に破綻したらしい。彼女の底なしの浪費とわがままに耐えかねたゼフィランサスは、彼女を実家に追い返したという。そして、私がナイトレイヴン帝国の皇帝に寵愛されているという噂を耳にし、慌ててやってきたのだ。
謁見の後、ゼフィランサスは手段を尽くして私に接触してきた。
「セラフィナ! 頼む、私と王国へ帰ってくれ!」
月影宮の庭園で、彼は私の前に跪き、見苦しくもそう懇願した。
「私が間違っていた! 君こそが、私にとって必要な女性だったんだ! あの男に騙されているんだろう? 血塗れの皇帝だぞ! いつ殺されるか分からない!」
「おやめください、ゼフィランサス様」
私は冷ややかに彼を見下ろした。
「陛下は、貴方様のような方ではございません。あの方は、私が今まで出会った誰よりも、優しく、誠実な方です」
「なっ…! 君は、あの男に誑かされているんだ!」
「誑かされているのは、どちらでしょう。貴方様は、ご自分が手放したものの価値に、今更お気づきになっただけ。ですが、もう遅いのです」
私はきっぱりと告げた。
「わたくしには今、心から大切にしてくださる方がいます。わたくしの幸福は、このナイトレイヴン帝国にございます」
「――その通りだ」
背後から聞こえた声に、ゼフィランサスがびくりと肩を震わせた。
振り返るまでもない。カシアン様だった。彼は静かな怒りをその赤い瞳に宿し、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「私の女に、気安く触れるな。下賤の輩が」
カシアン様は私の肩を抱き寄せ、その腕の中に庇うように抱きしめた。その胸は固く、そして驚くほど心安らぐ場所だった。
「彼女は、お前が捨てた女だ。そして、私が拾った。今や、彼女は私の唯一無二の至宝。指一本でも触れてみろ。貴様の国ごと、地上から消し去ってやってもいいのだぞ?」
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