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紫電の瞳に浄化の光を宿して
序章:玻璃の砕ける夜
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シャンデリアの光が宝石のように降り注ぎ、着飾った貴族たちの笑い声がワルツの旋律に溶けていく。王宮の夜会は、この世の栄華を煮詰めたような甘い香りに満ちていた。その中心で、わたくし、セレスティアナ・フォン・クラインフェルトは、冷たい現実の淵に立たされていた。
「セレスティアナ! この場で君との婚約を破棄させてもらう!」
甲高い声が音楽を切り裂いた。婚約者であるリシャール・ド・ヴァロワ公爵子息が、わたくしを指さして叫ぶ。彼の金色の髪は照明を浴びて輝き、その美しい顔は軽蔑の色に歪んでいた。周囲のざわめきが、波のように引いては寄せる。すべての視線が、わたくしたち二人に突き刺さっていた。
「リシャール様、それは…どういう意味でしょうか」
努めて冷静に、わたくしは問い返した。声が震えなかったのは、奇跡に近い。
リシャールの腕には、小鳥のように可憐な令嬢が寄り添っている。桜色の髪をした、リリアーナ男爵令嬢。彼女は潤んだ瞳でわたくしを見上げ、申し訳なさそうに眉を寄せている。その仕草すら、計算され尽くした演劇の一幕のようだった。
「意味だと? わからないのか! 君のように地味で、魔力の一つもまともに持たない女が、私の隣に立つにふさわしいと思うのか?」
リシャールの言葉は、鋭い氷の礫となってわたくしの心を打つ。
「それに引き換え、リリアーナは素晴らしい! 彼女の持つ強大な魔力こそ、次代の公爵夫人、いや、いずれは王妃となるべき器の証だ!」
ああ、やはり。わたくしの魔力が乏しいことは、貴族社会では公然の秘密だった。クラインフェルト伯爵家は由緒ある家柄だが、わたくしの代になって魔力持ちが生まれなかったことは、父上の悩みの種だった。この婚約も、ヴァロワ公爵家の権勢と、クラインフェルト家の歴史を交換する取引に過ぎない。わたくしに価値がないと判断されれば、こうして簡単に捨てられる。
「リシャール様、おやめくださいまし。セレスティアナ様がお可哀想ですわ」
リリアーナが、猫なで声でリシャールを諌める。だが、その瞳の奥には、勝利の愉悦がちらついているのを、わたくしは見逃さなかった。
周囲からは、ひそひそとした囁き声が聞こえてくる。
「まあ、クラインフェルト嬢は魔力なしだものね」
「ヴァロワ様も、ようやくお気づきになったのよ」
「あんな地味な方より、リリアーナ様の方がお似合いだわ」
同情など、どこにもない。あるのは好奇と嘲笑だけ。わたくしはゆっくりと背筋を伸ばし、リシャールを、そして彼に媚びるように寄り添うリリアーナを見据えた。
「ヴァロワ公爵子息。お言葉、確かに承りました。このセレスティアナ・フォン・クラインフェルト、本日この時をもちまして、貴方様との婚約を解消させていただきます」
わたくしは、震える手で胸元のブローチ――リシャールから贈られたヴァロワ家の紋章をかたどったもの――を外し、近くのテーブルにそっと置いた。カタリ、と乾いた音が、やけに大きく響いた。
「これで、よろしいでしょう。皆様、お見苦しいところをお見せいたしました。どうぞ、夜会をお続けください」
深く、優雅に一礼する。それが、わたくしに残された最後の矜持だった。顔を上げた瞬間、遠くの柱の陰で、一人の男がこちらを静かに見つめていることに気づいた。闇に溶けるような黒髪に、まるで雷光を宿したかのような、鮮烈な紫の瞳。その視線は、他の誰とも違っていた。嘲笑でも、好奇でも、憐憫でもない。ただ、わたくしの内側を射抜くような、強い光を放っていた。
一瞬の交錯。わたくしはすぐに視線を逸らし、誰にも気づかれないよう、静かにその場を後にした。背中に突き刺さる視線を感じながらも、決して振り返らなかった。
ガラスの靴が砕けるように、わたくしの世界は、音を立てて崩れ落ちたのだ。
「セレスティアナ! この場で君との婚約を破棄させてもらう!」
甲高い声が音楽を切り裂いた。婚約者であるリシャール・ド・ヴァロワ公爵子息が、わたくしを指さして叫ぶ。彼の金色の髪は照明を浴びて輝き、その美しい顔は軽蔑の色に歪んでいた。周囲のざわめきが、波のように引いては寄せる。すべての視線が、わたくしたち二人に突き刺さっていた。
「リシャール様、それは…どういう意味でしょうか」
努めて冷静に、わたくしは問い返した。声が震えなかったのは、奇跡に近い。
リシャールの腕には、小鳥のように可憐な令嬢が寄り添っている。桜色の髪をした、リリアーナ男爵令嬢。彼女は潤んだ瞳でわたくしを見上げ、申し訳なさそうに眉を寄せている。その仕草すら、計算され尽くした演劇の一幕のようだった。
「意味だと? わからないのか! 君のように地味で、魔力の一つもまともに持たない女が、私の隣に立つにふさわしいと思うのか?」
リシャールの言葉は、鋭い氷の礫となってわたくしの心を打つ。
「それに引き換え、リリアーナは素晴らしい! 彼女の持つ強大な魔力こそ、次代の公爵夫人、いや、いずれは王妃となるべき器の証だ!」
ああ、やはり。わたくしの魔力が乏しいことは、貴族社会では公然の秘密だった。クラインフェルト伯爵家は由緒ある家柄だが、わたくしの代になって魔力持ちが生まれなかったことは、父上の悩みの種だった。この婚約も、ヴァロワ公爵家の権勢と、クラインフェルト家の歴史を交換する取引に過ぎない。わたくしに価値がないと判断されれば、こうして簡単に捨てられる。
「リシャール様、おやめくださいまし。セレスティアナ様がお可哀想ですわ」
リリアーナが、猫なで声でリシャールを諌める。だが、その瞳の奥には、勝利の愉悦がちらついているのを、わたくしは見逃さなかった。
周囲からは、ひそひそとした囁き声が聞こえてくる。
「まあ、クラインフェルト嬢は魔力なしだものね」
「ヴァロワ様も、ようやくお気づきになったのよ」
「あんな地味な方より、リリアーナ様の方がお似合いだわ」
同情など、どこにもない。あるのは好奇と嘲笑だけ。わたくしはゆっくりと背筋を伸ばし、リシャールを、そして彼に媚びるように寄り添うリリアーナを見据えた。
「ヴァロワ公爵子息。お言葉、確かに承りました。このセレスティアナ・フォン・クラインフェルト、本日この時をもちまして、貴方様との婚約を解消させていただきます」
わたくしは、震える手で胸元のブローチ――リシャールから贈られたヴァロワ家の紋章をかたどったもの――を外し、近くのテーブルにそっと置いた。カタリ、と乾いた音が、やけに大きく響いた。
「これで、よろしいでしょう。皆様、お見苦しいところをお見せいたしました。どうぞ、夜会をお続けください」
深く、優雅に一礼する。それが、わたくしに残された最後の矜持だった。顔を上げた瞬間、遠くの柱の陰で、一人の男がこちらを静かに見つめていることに気づいた。闇に溶けるような黒髪に、まるで雷光を宿したかのような、鮮烈な紫の瞳。その視線は、他の誰とも違っていた。嘲笑でも、好奇でも、憐憫でもない。ただ、わたくしの内側を射抜くような、強い光を放っていた。
一瞬の交錯。わたくしはすぐに視線を逸らし、誰にも気づかれないよう、静かにその場を後にした。背中に突き刺さる視線を感じながらも、決して振り返らなかった。
ガラスの靴が砕けるように、わたくしの世界は、音を立てて崩れ落ちたのだ。
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