婚約破棄と溺愛のアンソロジー[短編集]

イアペコス

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黒曜石の瞳に宿るは、ただひとつの真実

第二章:奈落の底で差し伸べられた手

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意識を取り戻したセレスティアナがいたのは、自室のベッドの上ではなかった。埃っぽく、陽の当たらない小さな客間。クラインフェルト伯爵邸の中でも、最も待遇の悪い部屋だった。

父である伯爵は、彼女の顔を見るなり、怒りを露わにした。
「我が家の顔に泥を塗りおって!公爵家から婚約を破棄されるなど、前代未聞の恥だ!」

母である伯爵夫人は、泣き崩れるばかりだった。
「ああ、セレスティアナ、どうして…。これではリリアーナの縁談にまで響いてしまいますわ」

誰も、セレスティアナの心の傷を気遣う者はいなかった。彼女に向けられるのは、失望と侮蔑の眼差しだけ。ゼノンに捨てられた令嬢など、もはや何の価値もないのだ。

数日後、父から最終宣告が下された。
「お前には二つの道しか残されていない。北の果ての修道院に入って一生を神に捧げるか、あるいは、子供に恵まれず後妻を探している辺境の老齢な子爵に嫁ぐか。どちらか選べ」

それは、死刑宣告にも等しかった。どちらを選んでも、セレスティアナの未来に光はない。絶望が、冷たい霧のように彼女の全身を包み込んでいく。もはや、どうでもよかった。涙さえ、もう枯れ果てていた。

返事を迫られた、その日の夕暮れ。
セレスティアナが虚ろな瞳で窓の外を眺めていると、一人の男が彼女の部屋を訪れた。

「……どちら様ですの?」

そこに立っていたのは、夜の闇をそのまま切り取って仕立てたような、漆黒のフロックコートを纏った男だった。同じく漆黒の髪は艶やかで、対照的に肌は病的なほど白い。そして何より目を引くのは、燃えるような深紅の瞳だった。まるで血のように鮮やかなその色は、見る者を射竦めるような強い光を放っていた。

セレスティアナは、その男を知っていた。
カイエン・ラズフォード公爵。

社交界にほとんど顔を出さず、その出自や事業には黒い噂が絶えない人物。「影の公爵」「社交界の嫌われ者」と誰もが陰で呼び、その冷酷非情なやり方を恐れていた。なぜ、そんな人物がここに?

カイエンは部屋に入ると、無遠慮な視線でセレスティアナを頭のてっぺんからつま先まで眺めた。値踏みするような視線に、セレスティアナは屈辱で身を縮こまらせる。

「…ひどい顔だな」

低い、感情の読めない声で、彼は言った。
「噂は聞いている。ヴァレンティスの愚か者に捨てられ、実家にも厄介払いされそうになっていると」

あまりにも直接的な物言いに、セレスティアナは言葉を失う。

「どうせ、修道院か老いぼれの慰み者になるしか道はないのだろう」
「……!」
「ならば、俺がお前に第三の選択肢を与えてやる」

カイエンは一歩、セレスティアナに近づいた。逃げ場のない部屋で、彼の存在感が圧し掛かってくる。セレスティアナは、恐怖で呼吸が浅くなるのを感じた。

そして彼は、誰もが、そしてセレスティアナ自身が最も予想しなかった言葉を口にした。

「セレスティアナ・フォン・クラインフェルト。俺と結婚しろ」
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