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黒曜石の瞳に宿るは、ただひとつの真実
第三章:契約結婚と戸惑いの日々
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カイエンの申し出を、セレスティアナは受け入れた。他に選択肢などなかったし、もはや自分の人生がどうなろうと構わないという、一種の諦観があったからだ。
クラインフェルト伯爵は、悪名高いカイエンとの縁組に難色を示したが、カイエンが提示した莫大な結納金の前に、あっさりと態度を変えた。金で娘を売る父の姿に、セレスティアナの心はもう何も感じなかった。
こうして、セレスティアナはカイエン・ラズフォード公爵の妻となった。これは愛のない、形だけの契約結婚のはずだった。
ラズフォード公爵邸は、カイエン本人と同じように、壮麗でありながらどこか近寄りがたい雰囲気を纏っていた。使用人たちは皆、主人を恐れるように、しかし忠実に働いている。セレスティアナは、この屋敷で息を潜めて、静かに日々を過ごせればそれでいいと思っていた。
しかし、カイエンの行動は、彼女の予想を少しずつ裏切っていく。
「食事はきちんと摂れ。骨と皮ばかりだ」
食事を残した彼女に、彼はぶっきらぼうにそう言った。
「庭が見たいのなら、好きにするといい。ただし、そんな薄着でうろつくな。風邪をひく」
窓の外を眺めていた彼女に、彼は分厚いショールを投げ渡した。
彼の言葉は常に命令口調で、棘がある。けれど、その行動には、不思議なことに彼女を気遣う色が滲んでいた。
ある夜、眠れずに図書室に忍び込んだセレスティアナは、そこで本を読んでいるカイエンと鉢合わせしてしまった。驚いて逃げ出そうとする彼女を、彼は低い声で呼び止める。
「何を読んでいる」
「……古代魔法に関する、古い文献ですわ」
恐る恐る答えると、彼は意外にも興味を示した。
「ほう。お前はそんなものに興味があるのか。ヴァレンティスの前では、刺繍と詩集くらいしか手にしないと聞いていたが」
「……あれは、ゼノン様がお望みになる姿でしたから」
自嘲気味にセレスティアナが呟くと、カイエンは不機嫌そうに眉を寄せた。
「馬鹿な女だ。なぜ、他人の理想のために自分を殺す」
「……そうしなければ、愛されないと思っておりました」
「くだらん」
カイエンは吐き捨てるように言うと、立ち上がってセレスティアナの前に立った。見下ろしてくる深紅の瞳に、彼女は思わず身を固くする。
「いいか、よく聞け。この屋敷では、お前は何も偽る必要はない。好きな本を読み、好きなことをすればいい。俺の前で、他人を演じることは許さん」
力強い、有無を言わせぬ口調。しかし、その言葉は不思議なほど、セレスティアナの心の奥深くに沁みわたった。
ありのままで、いていい。
生まれて初めて、そう言われた気がした。
戸惑いながらも、セレスティアナは少しずつ、本当の自分をカイエンの前で見せるようになっていった。彼がなぜ自分を妻に望んだのか、その真意は未だに分からない。けれど、この無愛想で恐ろしいと噂される公爵の、不器用な優しさに触れるたび、凍り付いていた彼女の心が、ほんの少しだけ解けていくのを感じていた。
クラインフェルト伯爵は、悪名高いカイエンとの縁組に難色を示したが、カイエンが提示した莫大な結納金の前に、あっさりと態度を変えた。金で娘を売る父の姿に、セレスティアナの心はもう何も感じなかった。
こうして、セレスティアナはカイエン・ラズフォード公爵の妻となった。これは愛のない、形だけの契約結婚のはずだった。
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しかし、カイエンの行動は、彼女の予想を少しずつ裏切っていく。
「食事はきちんと摂れ。骨と皮ばかりだ」
食事を残した彼女に、彼はぶっきらぼうにそう言った。
「庭が見たいのなら、好きにするといい。ただし、そんな薄着でうろつくな。風邪をひく」
窓の外を眺めていた彼女に、彼は分厚いショールを投げ渡した。
彼の言葉は常に命令口調で、棘がある。けれど、その行動には、不思議なことに彼女を気遣う色が滲んでいた。
ある夜、眠れずに図書室に忍び込んだセレスティアナは、そこで本を読んでいるカイエンと鉢合わせしてしまった。驚いて逃げ出そうとする彼女を、彼は低い声で呼び止める。
「何を読んでいる」
「……古代魔法に関する、古い文献ですわ」
恐る恐る答えると、彼は意外にも興味を示した。
「ほう。お前はそんなものに興味があるのか。ヴァレンティスの前では、刺繍と詩集くらいしか手にしないと聞いていたが」
「……あれは、ゼノン様がお望みになる姿でしたから」
自嘲気味にセレスティアナが呟くと、カイエンは不機嫌そうに眉を寄せた。
「馬鹿な女だ。なぜ、他人の理想のために自分を殺す」
「……そうしなければ、愛されないと思っておりました」
「くだらん」
カイエンは吐き捨てるように言うと、立ち上がってセレスティアナの前に立った。見下ろしてくる深紅の瞳に、彼女は思わず身を固くする。
「いいか、よく聞け。この屋敷では、お前は何も偽る必要はない。好きな本を読み、好きなことをすればいい。俺の前で、他人を演じることは許さん」
力強い、有無を言わせぬ口調。しかし、その言葉は不思議なほど、セレスティアナの心の奥深くに沁みわたった。
ありのままで、いていい。
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戸惑いながらも、セレスティアナは少しずつ、本当の自分をカイエンの前で見せるようになっていった。彼がなぜ自分を妻に望んだのか、その真意は未だに分からない。けれど、この無愛想で恐ろしいと噂される公爵の、不器用な優しさに触れるたび、凍り付いていた彼女の心が、ほんの少しだけ解けていくのを感じていた。
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